「人間合格」を見る
こまつ座第133回公演「人間合格」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 青柳翔/塚原大助/伊達暁
益城宏/北川理恵/栗田桃子
観劇日 2020年7月11日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
上演時間 3時間10分(15分の休憩あり)
料金 8800円
チケットを取ったときには「見たことがない」と思っていたけれど、今、検索してみたら2008年の公演を見ていた。
そのときから12年ぶりの上演である。
サザンシアターでも入場時に検温が行われ、開場時間が早められ、ロビーでの飲食は原則禁止、個人情報登録のお願いの紙が配られ、お手洗いの列には足下に立ち位置のマークが入っている等の対策が取られていた。客席は「結果的にお隣がいたりいなかったり」といった感じだった。
ネタバレありの感想は以下に。
こまつ座の「人間合格」は、割と早い内から公演を中止しないことを決めていたように思う。
それで、楽しみにしていた。
出演者が6人と少なめなことも理由の一つなのかも知れない。
タイトルを見ればすぐに伝わるように、太宰治が主人公である。
というか、太宰治の評伝劇である。
開演前、舞台にかかった幕には、「人間失格」を書こうとする原稿用紙が描かれている。
幕が上がると、太宰治を写した6枚の写真が現れる。ほんの子どもの頃に3人の女性と一緒に写った写真と、恐らくは死のすぐ前に川縁で撮った写真の他の4枚は、今回の芝居の出演者陣を写した写真である。
大学時代、左翼運動に関わっていたときに仲間二人との写真や、精神病院に入院していたときの写真、実家の番頭である男性と二人で写った写真、そして、楽屋っぽい場所で女性二人に挟まれている写真である。
この4枚の写真の時代と、そしてあともう少し先の時代の太宰治を描いている。
最初は弘前から上京してきて下宿屋に落ち着いたばかりの太宰の様子が描かれる。
絵に描いたような「いいとこのぼんぼん」である。
その彼が、「われわれはこの世から涙を退治する民衆の友でなければならぬ」と帝大生の佐藤、早大生の山田と一緒にプロレタリアートを救済するための運動を始める。
始めるのだけれど、どうにも津島は座りが悪い。頼りない。
何というか、熱がない。熱はあるのかも知れないけれど行動が伴っていない。思想としては共感はするけれど、信じてはいない。ましてや自分の何かと引き換えにするつもりはない。でも止めるとは言えない。
そんな風に見える。
友人二人に付いて行こうとし、実家の番頭である中北に引っ張られ、太宰治はひたすらふらふら揺れているように見える。
ついついその場にいる人の言うことに合わせて適当なことを言ってしまう。
もの凄くよく分かる。
もの凄くよく分かるけど、よく友情が壊れなかったなとも思う。
この芝居には女優さんが二人出演している。しかし、太宰の奥さんだったり恋人だったりする女性は舞台に登場しない。
そういう意味で太宰と付き合った女性を登場させてしまうと、何が何だか分からなくなってしまうからだろう。
太宰治は心中事件を起こして自分だけが助かったこともあるし、彼の人生に女性は不可欠な存在だと思うけれど、でもその不可欠な存在であった女性をちょっと横に置いておくと、太宰治であり津島修治である青年の人生が浮かび上がってくるというのは何とも皮肉だと思う。
だから女優陣お二人が演じるのは「太宰治を取り巻く**をさらに取り巻く女」である。
シーンごとに異なる人物を演じる。
男優陣がずっと一つの役を演じているのとは対照的だ。
でも、それは結果ではなく狙いなのだと思う。
友人たちのうち、佐藤は地下に潜り、ずっと活動を続けて行く。
もう一人の山田は、「活動」とは距離を置いて浅草で舞台に立ち、そのまま売れっ子の役者になる。
津島は、太宰治となって小説を発表する。
同じ方向を見ていた筈の大学生3人は、卒業し、全く別の方向に進み始める。
何というか、色々ともやもやする。
結局のところ、太宰治にとって社会主義活動というのはどういう意味を持っていたのだろう。
大地主である実家への「反抗期」でしかなかったのかも、という感じもする。
そこには、節目節目に登場しては歌を歌い、津島修治を何とか津島家っぽい人間に留めておこうという中北が結構大きな影響を与えている。彼は、好人物なんだか素朴なんだか全く違うのか、よく分からない。ただ、強力極まりない割に意味不明の吸引力が力を発揮されているように思う。
要するに、なんだかんだ言いつつも、太宰治は情に弱い。
正直なところ、学生の頃の彼らを見ていると、何だか余りにも上滑りな感じがして引いてしまった。しかし、彼らが別々の道を行き、「たまにしか会えない」感じになってからどんどん芝居に引き込まれていったように思う。
理由はよく分からない。
よく分からないといえば、太宰治が言っていることもよく分からなかった。彼は、結局のところずっと実家からの援助を受け、ダメな自分をひたすら小説に書き、ダメな自分と決別しようとして果たせないまま、そこそこいい暮らしを続けているように見える。
「そうだったのか」と膝を打つ感じではなく、「人間合格」はもやもやとしたまま進んで行く。
太宰治が「ダメな人間」を小説に書いてくれるから、読んでいる我々も「ダメでいいんだ」と思える。そういう話なのか。
第二次世界大戦から終戦後、日本の社会は大きくひっくり返る。その中で、今ひとつ考えていることの分からない太宰治と、運動を続けた佐藤と、戦中は戦意高揚を戦後は進駐軍礼賛を舞台の方針として劇団員に背かれた山田と、その3人の友情を描いた話なのか。
「お家大事」で終始、「修治ぼっちゃん」につきまとった中北が持つ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」日本人の忘れっぽさを皮肉っているのか。
最後のシーンは、屋台のおでん屋である。そこで、太宰治が酔い潰れている。
近所の工場で働く4人がやってきて、新人の労働組合加入を祝って乾杯する。
その4人に、屋台の親父さんが、この人は友人の一人が亡くなり、もう一人は心を病んだと知って酒を呷ったのだと話す。
その話の向く先は、彼らであり、観客である。
友情が終わって、この「人間合格」という芝居も終わる。
その後、降りてきた幕は「人間失格」が「人間合格」に直されていた。
この芝居は、もやもやをどれだけ自分で消化できるかが勝負だと思う。見終わってからも挑み続けようと思う。
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