2020年9月16日、東京都美術館で2020年7月23日から今日(9月22日)まで開催されているThe UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクションに行って来た。
元々の開催機関が9月13日までだったところを10日間延長し、かつ、20分刻みの日時指定チケットが採用されていた。
9月初旬にチケットを購入したときには、各日各回30〜40枚くらいのチケットがまだ残っていたところ、実際に行ってみるとチケット完売の張り紙が出ていた。
いいタイミングでチケットを購入したのかも知れないと思う。
太田記念美術館、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団の浮世絵コレクションが集められた展覧会は初めてだそうだ。このうち、私が行ったことがあるのは太田記念美術館だけだ。
8月25日を境に、前期と後期で展示作品を総入れ替えしたそうで、前期も行きたかったと思うけれど後の祭りである。
出品総数約450点ということだから、半分を見られたとして225点、これはかなりの出展数だ。私は美術展に行くと1時間くらいで見終わることが多いけれど、今回は気がついたら1時間半経っていた。
200点以上を1枚1枚見ることなんて想像できない。
「菱川師宣」「鈴木春信」「喜多川歌麿」「東洲斎写楽」「葛飾北斎」「渓斎英泉」「歌川広重」といった、私でも名前を知っている浮世絵師達の絵を中心に、他はちらりと見るくらいで回ったのに、1時間半である。
日時指定チケットではあるものの、「だから空いている」ということもなかった。
最前列で絵を見ようとすると、辛抱強く列になって見て行くほかない、というくらいの入場者数だ。
これだと、イヤホンガイドがある絵の前では渋滞が起きるし、近づいたり離れたり角度を変えたりして見ることが難しいので、どうしても最前列で近づいて見たいという絵の他は、一重から二重の人垣の後ろから絵を見ていた。
もうとにかく色々な絵がありすぎて、見て歩きながら「ところで浮世絵って何だっけ?」と思っていた。
実のところ、今でもよく分からない。本展のホームページを見ると「浮世絵は、江戸時代の庶民たちに愛好された、日本を代表する芸術の一ジャンルです。」と書いてあるのみで、それで、「どういう絵が浮世絵なの?」という疑問への答えはない。
それくらい、色々なタイプの絵があったということである。
この展覧会は5部構成になっていて、3フロアで展開されていた。
「第1章 初期浮世絵」では、役者絵もあったし、吉原を描いた絵もあったし、美人絵もあった。最初の最初は墨一色で描いていたようで、そのうち赤が乗り始める。
江戸庶民の「自分では体験できない憧れ」を絵にして飾れるようにしたことが始まり、ということだろうか。
ここで菱川師宣と出会える。
色々な絵がありすぎて、最初の方に見た絵などは地味すぎて、「それで、結局のところ浮世絵って何?」という疑問が浮かんだ。
第2章 錦絵の誕生では、私のイメージしている「浮世絵」に近づいて、何だかほっとした。
個人的に贅を尽くしたものを求める人が増えたということで、多色刷りが始まり、画面が華やかになっていったようだ。
風景を描いた絵の中に遠近法を極端に用いたものがあって(ここだったと思う。作者も絵のタイトルも覚えていない)、こういう西洋画の手法を取り入れたのは葛飾北斎が最初だと思っていたよ、と驚いた。モノを知らないと、あちこちに驚きの種が溢れている。
また、ここに来て背景が描いてあったり塗ってあったりするのを見て、草創期の浮世絵の素っ気なさは背景がなかったり一部だけだったりしたせいか! と思った。
鈴木春信も描いていた瀬川菊之丞という役者の絵がこの後も結構展示してあって、相当の人気役者だったのね、ここで描かれている瀬川菊之丞は一人じゃなくて「*代目」という感じで複数いるんだろうなぁ、そういえばJINにも同名の歌舞伎役者さんが描かれていたな等々と思う。
北斎の師匠であった勝川春章もこの時代の人だ。
写楽の役者絵は、徹頭徹尾異端で写楽だけのものかと思っていたら、全身ではなく役者の顔をどアップで捉えた絵も描いていて、こちらもちょっと驚いた。
やはり積み重ねというものはあるんだよなと思う。
第3章 美人画・役者絵の展開では、画面がより一層華やかになる。敢えて言い換えると、派手好みだ。
ここはもう喜多川歌麿の美人画と、東洲斎写楽の役者絵である。
美人画は、江戸時代の美人はこういう女性たちだったのね、という感じだ。というか、目鼻立ち以上に、お着物だったり髪だったり仕草や表情だったりの雰囲気美人がもてはやされていたのでは? という印象だ。あと、表情もポイントだったような気がする。
写楽の役者絵は、背景を黒く塗り、かつその背景がきらきらと光っているところで勝負あったという感じだ。
これが刷り立てで、もっと黒くてもっとキラキラが目立っていたら、さぞや派手、さぞや非日常だったんだろうなぁと思う。「欠点も特徴として大胆に描いた」的な説明が多い写楽の役者絵だけれど、別に欠点を赤裸々にしているようには見えない。当時の一般的な美男美女では亡いかも知れないし、多くの絵が盛っている中では目立ったのかも知れないけれど、役者じゃん、芸を際立たせようとする絵じゃん、と思う。
第4章 多様化する表現は、私の中では地味目のコーナーだった。
最初に北斎の絵が3枚あって、その後が続かなかったので「物足りない!」と心の中で叫んでしまったくらいだ。
団扇用の絵が面白くて、この絵は実際に使ったのかしら、実際につかうのだとすると版画という手法は同じ絵をたくさん作るのに向いているよな、道具にまで浮世絵が広がってきたということは、誰にでも手に取れるものになったということかしら、と思ったりした。
第5章 自然描写と物語の世界で、葛飾北斎の富嶽三十六景と歌川広重の東海道五十三次が出てくると、とりあえず満足だよ、という気分になる。
気のせいか、北斎の絵の青や赤がくすんでいるように見えて、そこだけちょっと残念だった。五十三次の絵の方が保存状態が良い感じに見えた。
藍一色で描いた絵もあって、墨一色で始まった浮世絵が、散々豪華絢爛を極めた後で藍一色に戻るって何だか気が利いている感じだわと思う。もっとも、「藍一色」の方は、敢えて表現として選んでいるのだから、一緒にしてはいけないのかも知れない。
とにかく盛りだくさんすぎて、「色々なものを見た!」という印象が強すぎて、もやもやしている感想を書くのが難しい。
そういう「浮世絵展」だった。
浮世絵って何? の答えは、「浮世絵って何でもありなのね!」でいいような気がした。
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