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2020.09.20

「ゲルニカ」を見る

「ゲルニカ」
作 長田育恵
演出 栗山民也
出演 上白石萌歌/中山優馬/勝地涼/早霧せいな
    玉置玲央/松島庄汰/林田一高/後藤剛範
    谷川昭一朗/石村みか/谷田歩/キムラ緑子
観劇日 2020年9月19日(土曜日)午後6時30開演
劇場 パルコ劇場
上演時間 2時間35分(20分の休憩あり)
料金 9800円

 やっぱり、舞台はいい。
 これは見てみたい。
 抽選予約に申し込んだ。

 パルコ劇場の公式Webサイト内、「ゲルニカ」のページはこちら。

 スペイン内戦で無差別攻撃を受けたゲルニカの町を描いた作品である。
 バスクの町で暮らす人々(元領主や神父の側、住んでいるバスク人達の側)の話と、スペイン内戦を取材に来た外国特派員の側の話とが入り乱れて話が進み、その場面転換に回り舞台を利用している。もちろん映像も多用していて、今更ながら、演劇のセットに映像を使うのは「通常」のことなのかも知れないと思う。

 幕開けとラストシーンで、出演者たちが歌を歌い、手を叩き、足を踏みならす。
 その感じはちょっと「レ・ミゼラブル」をイメージさせるところがあって、この舞台が「戦争」「戦火にさらされた人々」を描いていることを自然に伝えているように思う。

 物語の中心には、共和国政府によって「領主」の座を追われた元領主一家の跡取りであるサラがいる。
 彼女の婚礼の朝、フランコ将軍がクーデターを起こし、結婚するはずだった従兄弟のテオは従軍するために去って行く。
 そして、サラは館で料理人を務めていたイシドロが開いた店で人民軍として戦おうとするバスク人の男たちに会い、厳格かつ「領主の一家」であることに執着し続ける母親が実の母親ではなく、彼女が追い出した女中こそが自分の実の母親であることを知ったことを契機に、家を飛び出す。

 何というか、彼女は典型的な「いい子」として描かれていると思う。
 いいお嬢さんで、いい女の子で、いい人だ。その彼女が、自分のいる場所やあるべき姿などなどに目覚め、家や親からの自立を果たす。
 この場合、「お母さん」と呼び続けてきた義母が、とんでもなく共感を呼びにくい女性であることがポイントである。
 跡取りである娘の実の母親を鞭で殴り、そういった人々100人の命よりも自分や跡取りであるサラの命は重いと言い切り、町の教会の神父やサラと結婚する筈だったテオなど男達を色仕掛けで落としていいなりにさせてきたようだ。
 いや、そこまで「嫌な奴」にしなくてもいいじゃないの、と思ってしまった。

 外国特派員の側は、クリフとレイチェルのコンビで、レイチェルの方が共感を呼びやすいキャラクター設定になっていると思う。
 ここでも「いい感じの人と感じの悪い人」を対立させている。
 レイチェルはあくまでも事実を淡々と語り書くべきだというスタンスで、クリフは煽情的に呷ってでも注目を集めついでに自分の儲けも大きくしようとしている。
 ただ、こちらはサラとマリアの対立のようには一刀両断できない感じがする。クリフのやり方もありだよね、という感じがある。

 それを言ったら、マリアだって「悪の権化」かといえば、もちろんそうではない。
 神父が連れてきたドイツ軍兵士に対し、一度はこの戦争を早く終わらせるためのゲルニカへの無差別攻撃を拒否する。ゲルニカに住む市民は自分の子どもも同然だという。それは、それまでのマリアの言動からはちょっと想像しがたいくらいの「責任ある領主」の姿にも見える。
 しかし、共和国軍への協力と引き換えに独立自治を手にしたバスク自治政府により領主が持っていた土地が取り上げられ、そのことをサラに伝えられると、マリアの態度は一変する。
 ゲルニカにある聖なる木と領主の館を残すのであれば、それ以外の場所は焼き尽くして構わないと告げ直す。

 もの凄く単純なことを言うと、サラがゲルニカ爆撃を招いたという流れだ。
 サラはもちろんこのゲルニカ爆撃で死ぬまでそんなことは知らないし、想像することもなかった筈で、だから苦しむこともなかったけれど、それにしても皮肉すぎる巡り合わせだと思う。
 サラがあと10分遅くそこを訪れていたら、ゲルニカ空隙はなかったかも知れないという責めをサラに負わせることで、サラが「完全な善」であることを避けたようにも、より複雑な業を背負わせたようにも見えた。

 サラはテオを殺したイグナシオという青年とあっという間に恋に落ちるものの、イグナシオはそのまま人民軍に志願するために去り、後にはイグナシオとの子どもだけが残される。
 このイグナシオという青年の立場というか葛藤をもう少し分かりやすく見せてくれればいいのにというのが個人的な要望だ。

 HPに「彼はドイツ軍のスパイで、密かにゲルニカを爆撃するための工作を進めていた。」と書いてあったから「そうなのね」と思って見られたけど、事前に読んでいなかったらさらに頭の中に?マークが飛び交っていたと思う。
 不注意な私は、そもそも、大学教授と話していた青年と、テオを撃った青年が同一人物であることにだいぶ後になるまで気がつかなかったのだ。

 それに、イグナシオが葛藤を抱えていたことは分かったし、彼の母親がスペイン系のユダヤ人であることも彼が「何か」を裏切ったら母親とその一族が酷い目に遭うこともイグナシオが語っていたし、ゲルニカ爆撃の前日にサラに「逃げろ」と繰り返し告げ、かつ、ゲルニカには狭い範囲にたくさんの人が住み集まっていて効率的にたくさんの人を殺せる条件が整っていると語ってもいたけれど、それだけでは多分、私は、母親を人質に取られてドイツ軍のスパイとして政府軍に潜り込んでいるのだという理解に辿り着けなかったと思う。
 私もだいぶ不注意だけれど、もうちょっとあからさまに語ってくれると有難いなぁと思う。

 サラは結局、イグナシオの忠告は受け入れず、ゲルニカ襲撃で死んでしまう。
 イシドロも、イシドロの見せに集まっていた男たちも死んでしまう。
 クリフは、それまでの煽情的な打電とは一転し、事実だけを淡々と伝える記事を書く。
 そこで幕である。

 救いのなさ過ぎる終わり方だったけれど、その救いのなさをこうして舞台という形で伝えられるようになったことは僅かな救いなんだと思う。
 そういう、舞台だった。

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