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「リチャード二世」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
演出 鵜山仁
出演 岡本健一/浦井健治/中嶋朋子/立川三貴
横田栄司/勝部演之/吉村直/木下浩之
田代隆秀/一柳みる/大滝寛/浅野雅博
那須佐代子/小長谷勝彦/下総源太朗/原嘉孝
櫻井章喜/石橋徹郎/清原達之/鍛治直人
川辺邦弘/⻲田佳明/松角洋平/内藤裕志
椎名一浩/宮崎隼人
観劇日 2020年10月9日(金曜日)午後6時30分開演
劇場 新国立劇場中劇場
上演時間 3時間30分(20分の休憩あり)
料金 8800円
個人情報の登録、サーモを使った体温チェック、カフェの営業なし、ロビーのベンチ等は間隔を開ける、退場はブロックごと等々の新型コロナウイルス感染症対策が行われていた。
新しいなと思ったのは、COCOA(とは言っていなかったけれども)を登録している人は電源は入れて音は出ないように設定してくださいとアナウンスがあったことだ。
また、国による制限の緩和を受けて一つ置きで販売していた座席を追加販売したようで、前方席は一部埋まっているところもあった。
ネタバレありの感想は以下に。
見始めた最初の頃は、浦井健治演じるハリーのことをヘンリー五世だと勘違いしていた。
もちろん、このハリーはヘンリー四世である。
何故こんな勘違いをしたかというと、浦井健治がヘンリー五世を演じた「ヘンリー五世」を見たことがあったからだ。割と間抜けな理由である。
途中で「違ったよ、ハリーはヘンリー四世だよ」と勘違いを正したものの、ここにも私の記憶力のなさが遺憾なく発揮されて、私は自分が「ヘンリー四世」を舞台で見たことがあると思い込んでいて「あのヘンリー四世の若かりし頃の物語なのね」と思って見ていた。
今、このブログを検索してみたところ、どうやら私は「ヘンリー四世」を見たことがないようである。
様々に間抜けすぎて笑える。
そんな意味不明な勘違いを何重にもしつつ、リチャード二世を見た。
私も間抜け過ぎるけれど、それにしてもシェイクスピア劇にはというか、英国王室史にはというか、同じ名前の人が多すぎる。
そして、この「リチャード二世」というお芝居は、説明がなさ過ぎる。
芝居は、後のヘンリー四世であるボリングブルックがモーブレーという男を弾劾するシーンから始まる。
結局、論戦ではお互いがお互いを「あいつは嘘つきだ」と言い張るだけで、証拠を示すとか、論理的に証明するとかいうことがないまま、「決闘で勝負を付けよう」という話になってしまう。
いや、主張の正しさと槍の腕との間に相関関係はないだろうとツッコミたいが、登場人物たちの中にそういうツッコミをする人間はいない。
神の視点があって「実は**であった」みたいな説明を語ってくれることもない。
結局この二人は槍での決闘を始めるものの、その決闘を岡本健一演じるリチャード二世は止め、ボリングブルックには追放6年を、モーブレーには永久追放を命じる。
だからといって、王がボリングブルックの主張をより正しいと認めたとか、モーブレーの謀反を認定したとかいうことではなさそうである。釈然としない。
もしかしたら、ボリングブルックが王族だから罪を軽くしたのかも知れないけれど、そういう説明も特になかったような気がする、
ことほど左様に説明がない。
ついでに言うと、リチャード二世に指導力はない。
リチャード二世は、人の良さそうなお坊ちゃんで、阿諛追従に弱く、でも身分や血統に対する執着は人一倍、典雅な雰囲気や文学的な表現は大好きといった人物に見える。
こういう王には賢妃が相応しいのに、王の言うことに拍手したり暢気かつモノを考えてなさそうな王妃だなぁと思っていたら、史実として、この王妃は七歳でフランスから嫁いできた王妃であったらしい。納得である。
それにしても、シェイクスピア劇とは女性の登場人物の少ない芝居だよなぁと思う。
題材が「王室」だったり「英雄列伝」的だったりして、実際に女性が活躍する場面の少ない題材を取り上げているから当然といえば当然だけれども、このリチャード二世には、女性の登場人物は4人しかいなかったと思う。
しかも、**の妻とか、**の侍女とか、誰かに付属する存在であるかのように扱われている。4人の中では一番重く扱われているだろう王妃にしても、確か、名前で呼ばれたことは1回もなかったと思う。
舞台としては、リチャード二世とその王妃は白い衣装をつけ、ボリングブルックと彼に味方する人々は赤い衣装を、ボリングブルックに反する人々(その多くは、王の取り巻きである)は青い衣装を、特に味方でも敵でもない人物は黒っぽい衣装をつけている、ように見える。
でもこれは、シェイクスピアや、シェイクスピア劇の親切ではない、と思う。
そして、その衣装を着ている人の陣営は分かっても、「正義か否か」はとことん説明されない。
結構話題になっていたグロスター公の死の真相も、結局、語られることはない。
ボリングブルックの父は、亡くなる直前、リチャード二世を呼び寄せて様々に苦言を呈するものの、それが受け入れられたり理解されたりすることはなく、むしろ王は彼の死を喜んでその財産を全て没収してしまう。
没収した財産を使ってアイルランド遠征に自ら打って出ると言う。
で、相続するはずだった財産を全て失ったボリングブルックの怒りを買い、遠征に出ている間にボリングブルックに国土を奪われてしまうのだから、どこまで行っても「有能さ」とは縁のない王である。
二人の直接対決でもあっさりと負け、リチャード二世はとらわれの身となり、ヘンリー四世が即位し、ぐだぐだと言いながらもリチャード二世は衆人環視の中でヘンリー四世に王冠を譲り渡す。
禅譲であることのパフォーマンスである。
そしてロンドン塔に送られる予定が、ずっと北にある城に幽閉されることになったようだ。
どちらがよりマシな状態なのか、よく分からない。
ヘンリー四世の方がリチャード二世よりはマシな王に見えるのに、なかなかその治世は安定しないようだ。
謀反で奪った王座だから、さらに謀反で奪い返してもいいと考える貴族達も多いということらしい。
ヘンリー四世という人も決して人格者という訳ではなさそうだから、どうにも大団円には見えない。
リチャード二世は、彼を「生きている恐怖だ」と語ったヘンリー四世の「指示」を忖度した男に殺されてしまう。
ヘンリー四世は、リチャード三世張りの策士である。
しかも、リチャード二世の死を願ったことは事実だが、リチャード二世を殺したおまえを憎む、とか言い放っている。むしろ、リチャード三世よりも悪党だよという印象だ。
だからといって、リチャード二世がいい人に見えてくることはない。
死を前にして「意外と剣が使えたのね」という見せ場があったけれど、だからリチャード二世が玉座にあればと思って貰えることはあまりなさそうな感じである。
何をしたかも定かに描かれないのに不幸な人ではある。
これだけ訳分からないのに最後まで引っ張られてしまうのは、恐らく、そこに「場」が成立していたからだと思う。
私は断然分かりやすいものが好きだけれど、この真逆のリチャード二世も不思議に楽しめた。
舞台のマジックだよ、と思う。
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