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2020.10.16

「カチカチ山」をみる

ヴィレッヂプロデュース 2020 Series Another Style「カチカチ山」
太宰治著「お伽草紙」より 
脚色 青木豪
演出 いのうえひでのり
出演 宮野真守/井上小百合
観劇日 2020年10月16日(金曜日)午後1時開演(千秋楽)
劇場 東京建物Brillia HALL
上演時間 1時間35分
料金  8000円

 新型コロナウイルス感染症対策で、今回も靴裏の消毒、手指のアルコール消毒、チケットのもぎりは各自、一つ置きの座席配置、ブロックごとの退場等々が行われていた。
 また、物販及びアンケートはネットである。

 「浦島さん」を見たときに気づかなかった点としては、配役表もネットで取得できるということでQRコードが掲示されていた。
 新型コロナウイルス感染症対策でフライヤーを配布しないことへの対応だと思う。

 この公演は「カチカチ山」の千秋楽だったので、カーテンコールで出演のお二方からのメッセージとご挨拶があった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 劇団☆新感線の公式Webサイト内、「浦島さん」「カチカチ山」のページはこちら。

 まだ、太宰治の「御伽草紙」を読んでいない。
 なので、この「カチカチ山」がどれだけ太宰治の「御伽草紙」に忠実なのか不明である。
 それどころか、浦島太郎は「浦島太郎が、助けた亀に連れられて竜宮城に行き、楽園を堪能して海辺に戻ってみればそこは浦島太郎の体感よりもずーっと長い時間が経過していて知り合いなどもみな死んでしまっており、途方に暮れて乙姫様がくれた玉手箱を開けてみたら、あっという間におじいさんになってしまった話」とまとめられるけれど、カチカチ山に至っては、元々のおとぎ話がどんな話だったかも覚えていなかった。

 確か、タヌキが兎にしてやられる話で、背中に背負った柴に火を付けられて火傷し、泥船に乗せさせられてこぎ出したところ泥が溶けて船が沈み、死んじゃったんじゃなかったかしら、でも、兎がどうしてタヌキをこんな酷い目に遭わせようと思ったんだったか、覚えていないんだよなぁ、くらいのことを思っていた。
 だから、宮野真守演じるタヌキが一人語りを始めても、うーん、こういうタヌキだったっけ? かちかち山ってこういう話だったっけ? としばらく思っていた。

 とにかく宮野真守が芸達者以外の何ものでもないという感じだ。
 動くししゃべるし歌い上げるし踊るし表情はくるくるどころかぐるぐる変わるし、見た目もタヌキっぽいし、元々タヌキ顔だし、いかにも「ちゃらい」という感じがよく出まくっている。
 しかし、彼が演じているのは、最初は人間である。「太宰治に割と気に入られていた方の弟子」だと自己紹介していた。
 彼が太宰治が山梨に疎開したときにお供し、でも1対1の生活に疲れ、かつ「そろそろヒット作を書かねば」と言われたし思ったし、さらにその疎開先で疫病が流行りだしていたしで、さらに山奥に一人で疎開する、というか、逃げ出す。

 三人芝居の「浦島さん」と同様、こちらも登場人物が少なく、上演時間も1時間半に満たないから、どうしても最初は説明せざるを得ない。その説明を双方、主演俳優にどーんと任せていて太っ腹である。
 格好も、浦島さんは袴姿だったし、タヌキは茶系のラフなスーツだし、生真面目に自分に向かってしゃべるような浦島さんと、堂々と説明をワンマンショーのようにショーアップするタヌキと、色々と対照的なのが楽しい。そして、多分、それぞれの主演の性に合っているのだと思う。

 「カチカチ山」はサービス精神旺盛なタヌキによって、「兎に一目惚れした」話と「自分の容貌がいつの間にかタヌキになりきっていた話」の両方が進められて行く。
 一目惚れされた兎が、可憐な容貌に過激な中味という感じで、口は悪いわ、性格悪いわ、タヌキのことを罵りまくり悪態をつきまくるわ、すこぶる可愛くない。ここは衣装と兎の耳でアップされた見た目とのギャップを楽しむところだろう。

 そこからお話が動き始めて、割としょっちゅうミュージカルっぽくなる。
 二人でハモっているところはまだしも、別々に歌うと、声量や歌い方の差がかなりあってアンバランスだ。どうしても違和感を覚えてしまう。そこで、現実に引き戻されてしまうようなところがあって、なかなか集中しづらい。勿体ないと思う。
 そういうことに気を取られると、歌詞でかなり核心的なことを表現していると思うのに、聞きそびれたり聞き流したりしてしまう。ちょっと悔しい。

 二人は、最初は「動物っぽい扮装をした人間」でスタートし、そのうち「兎とタヌキ」になって行く。
 見た目はほぼ同じなので、その辺りは全てタヌキの台詞でカバーされる。状況説明を会話やモノローグで組み立てて行くって大変なんだろうなと思う。

 二人が兎とタヌキになった辺りからいわゆる日本昔話スタイルのかちかち山のストーリーが進み始め、兎は自分を可愛がってくれていた老夫婦(人間)の翁が仕掛けた罠にタヌキが捕まったと喜んでいたら、そのタヌキが脱出してきて、しかもタヌキが嫗を蹴っ飛ばして逃げてきたと聞いて怒り心頭に達する。

 山へ柴刈りに行ってタヌキの背負う柴に火を付けて大やけどを負わせたり、何故か人間に戻ったタヌキの背中の火傷跡に薬だと偽ってトウガラシ等々を塗り込み、さらに騙くらかして泥船に乗せてタヌキを池だか沼だかに連れ出して溺れ死にさせてしまう。
 この迷いない兎の企みの数々を見ていると、この兎、どうしてここまでタヌキに対して酷いことをしまくって自制心とか後悔の素振りとか全く見せることがないんだろうと不思議に思う。カチカチ山ではどういう理由で兎はこういう行動に出たんだったかなぁと思い出そうとして果たせない。

 しかし、タヌキが泥船に沈んだ後、その答えらしきものが提示される。
 またまたタヌキは人間に戻り、兎も少女に戻ってタヌキのストーカー振りを語り始める。何だかよく分からないけれど、タヌキ(だった人間)から遺産の受取人に指定されたけれど断った、という設定のようだ。
 確かに、タヌキの兎に一目惚れした直後からの言動はストーカーそのものだったかも、いかにもちゃらく演じていたし素直そうに造形されていたからそうは思わなかったけど、実際にタヌキ的な行動を取る男の人に追い回されたら恐怖しかないよなぁと思う。
 しかし、それだけで、背中に背負った荷物に火を付けたり、池に沈めたりしようなどとは普通思わないだろう、と思う。

 そこのところはここで放り出され、タヌキのモノローグになる。
 タヌキは本当に太宰治の弟子で、太宰は弟子(タヌキ)が焼夷弾を浴びて大やけどを負って苦しんでいる様子を見ながらこの「カチカチ山」を着想し、枕元で書き上げた、らしい。
 タヌキであったときに彼が酷い目に遭えば遭うほど聞こえていたカチカチといった音は、太宰治が万年筆で文字を書く音だったという。
 そこで、幕である。

 力業で勝負あり、というお芝居だった。

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