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2020.10.28

「真夏の夜の夢」を見る

「真夏の夜の夢」
原作 ウィリアム・シェイクスピア 小田島雄志訳「夏の夜の夢」より
潤色 野田秀樹
演出 シルヴィウ・プルカレーテ
出演 鈴木杏/北乃きい/加治将樹/矢崎広
    今井朋彦/加藤諒/長谷川朝晴/山中崇
    河内大和/土屋佑壱/浜田学/茂手木桜子
    八木光太郎/吉田朋弘/阿南健治
    朝倉伸二/手塚とおる/壤晴彦
観劇日 2020年10月28日(水曜日)午後2時開演
劇場 東京芸術劇場プレイハウス
上演時間 2時間
料金  8500円
2020年10月15日~11月1日 
料金 S席 8500円 A席 6500円

 入場時の手指のアルコール消毒など、感染症対策を施しての上演である。

 配付されたリーフレットを見て、野田秀樹の「真夏の夜の夢」は1992年に上演されているそうで、見たつもりだったけれど、その年の上演だと見ていない可能性の方が高そうだと思った。

 「真夏の夜の夢」の公式Webサイトはこちら。

 「真夏の夜の夢」を野田秀樹が舞台を老舗の料亭に置き換えて戯曲を書き、ルーマニアから来日したプルカレーテ氏の演出で上演された芝居である。
 この言葉遊び満載の戯曲を外国語で理解するというのがまずもの凄く大変だったんだろうなと思う。1〜2箇所、時事ネタが仕込まれていたようにも思うし、どういう風に演出したんだろうと思う。
 あるいは、その辺りは逆に全く気にせずに演出したんだろうか。謎だ。

 物語の大筋は「真夏の夜の夢」をなぞっている、と言っていいのかどうか迷う。
 場所を日本に置き換えたことはそれほどストーリーに影響しないと思うけれど、パックが多くの時間電子レンジみたいな箱に閉じ込められていて、活動できていない。
 場をかき回す存在抜きにこの「夢」は語れない訳で、この「真夏の夜の夢」でパックをメインに妖精達にも化けて場をかき回すのは、今井朋彦演じるファウストである。

 もちろん、私はゲーテの「ファウスト」を読んだことがないし、他の(あるかどうか知らないけれど)ファウストが登場する作品も読んだことがない。
 なので、「ファウスト」が何なのかよく分からない。
 劇中ではパックと「従兄弟同士みたいなもの」と言い合っていたけれど、多分、違うと思う。
 いたずら好きのパックが担っていた役割をファウストが奪い取ったことで、そのいたずらに「悪意」がまぶされたように感じる。

 ファウストの存在が大きいためか、鈴木杏、北乃きい、加治将樹、矢崎広の4人が演じる、そぼろ(ヘレナ)、ときたまご(ハーミア)、デミ、ライの若者たちの恋物語が地味に感じられる。
 物語の中であまり大きな位置を占めなくなっているように思う。
 考えてみれば、この舞台の幕開けはそぼろの独白だったのに不思議だ。
 一方、この4人の中で一人だけ自分に向けた矢印を持たないそぼろが、4人の関係を動かすべく派手に軽やかに動くことになるのはよく分かる。鈴木杏のそぼろは、湿っぽさがない。

 もちろん森に住む妖精の王オーべロンや女王のタイターニアも登場する。
 壤晴彦と加藤諒が夫婦を演じて違和感がないのが恐ろしい。半ズボンのオーベロンもだけれど、加藤諒のタイターニアが嵌まりすぎて違和感がなさすぎて戦いた。
 このタイターニアが「若い恋人たちよ不幸になれ」と望み、うっかりファウストと契約を交わしてしまったのが、森の運命を決めた一つのきっかけである。何故彼女にその役目を負わせたのかしらと思う。

 そして、オーベロンやタイターニアだけでなく、4人の恋人たちやこの「夏の森」を深く呪っていたのが、実はそぼろだったという落ちというか構造が何とも切ない。
 これまでの軽やかさが一転、軽やかな振る舞いの後ろでたくさん抱えていた「口に出せなかった言葉」の持つ深い絶望が、燃えさかる森という状況を招いてしまったなんて、過酷すぎると思う。
 そうだよね、この舞台はそぼろの独白から始まったんだから、そぼろの心に支配されているとも言えるよね、と思う。

 「木の精」と「気のせい」などなど、言葉遊びはふんだんに散らばせてある。
 それなのに、何故かスピード感は感じない。上演時間2時間に真夏の夜の夢を詰め込んであるし、多分、台詞の量も膨大だと思うのに、スピードを感じない理由がよく分からなかった。何故だろう。
 そして、「早すぎる」とは感じないのに、時々、言葉を拾いそびれるのは、野田秀樹の芝居を見ているいつもと同じである。

 映像を多用していて、パックやファウストが大きくなったり小さくなったりを壁に投影することで見せたり、森の様子も可動式の壁に投影することで表したりしている。
 その映像を大きく見せるためだったのか、時々、舞台がやけに広く感じた。
 「真夏の夜の夢」だし、もっとぎゅっと詰まった感じというか、猥雑なごちゃごちゃした感じの方が好みだ。

 ラストシーンは、ライとときたまごの披露宴である。
 そぼろは、余興芝居の「不思議の国のアリス」でアリスを演じたことになっている。
 そしてヴェールを付けていて、花嫁のようにも見える。
 森がどうなったのかは分からない。燃えさかる森も含めて全てが「夢」だったのか、そもそも「森がある」ということ自体が「夢」だったのか、妖精達はまた人間の前に姿を現せるようになったのか、ならなかったのか、そもそも妖精がいるってことを人間は知らないことになってしまったのか、多分、語られることはなかったと思う。

 「この先どうするんだろう」と息を詰めて見ていたものの、私はダメな観客だったろうと思う。
 もっと無心に見るべき舞台だったかも、と思った。

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