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「キネマの天地」
作 井上ひさし
演出 小川絵梨子
出演 高橋惠子/鈴木杏/趣里/那須佐代子
佐藤誓/章平/千葉哲也
観劇日 2021年6月18日(金曜日) 午後6時開演
劇場 新国立劇場小劇場
料金 7700円
緊急事態宣言を受けて、チケット購入時は19時開演の予定だったところ、18時開演に変更された。
検温や、個人情報の登録、カフェの休止、ゾーンを分けての退場などの対策も行われていた。
ロビーではパンフレットが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
映画「キネマの天地」は見たことがなく、うっすらと主役に当時新人だった有森也実が抜擢されて評判になっていたなぁと覚えているくらいだ。
映画の脚本にも参加した井上ひさしが、映画の続編(といっても筋書きに関連は多分なく、映画を見ていなくても充分に楽しめる)として書いたのが、この舞台版「キネマの天地」だという。
蒲田行進曲の音楽がたびたび流れるのも楽しい。そういえば映画「蒲田行進曲」も見たことがないのに、音楽だけは耳にとても馴染んでいる。
舞台は劇場のようだ。
セットなどは立て込んでいない、素の舞台上である。そこに、蒲田撮影所のトップ女優4人が「新作で大作の映画のオファー」を理由に呼び集められている。
最初は章平演じる助監督兼脚本家である島田と趣里演じる新進女優の田中小春(彼女が映画版「キネマの天地」の主人公である)が語っているところに、鈴木杏演じる幹部女優の滝沢菊栄が現れて、場の空気というか、小春の態度が一変する。
この「より売れているベテランの女優」が現れるたびに、場にいた女優(たち)の態度が一変、というのが繰り返されるのが可笑しい。
ちゃんと序列順に場に現れるところも可笑しい。
自分より序列が上の女優が現れ、彼女へお辞儀をする女優たちの所作の美しさまでが可笑しい。
女優は全力で普段から「女優」を演じているのね、と思う。
DVDの撮影カメラが入っていたためか客席の空気が若干固くて、笑い声が起きづらかったのがちょっと勿体ない。
那須佐代子演じる「お母さん女優」徳川駒子が着物姿で現れ、最後に高橋恵子演じるつばの大きな帽子を被った大幹部女優の橘かず子が登場し、ちばてつや演じるところの件の映画の監督を務める小倉虎吉郎が登場して「表の登場人物」が全員集合である。
ここで小倉監督は、映画の話の前に、1年前にこの劇場で上演される芝居の稽古中に亡くなった妻である女優松井チエ子の一周忌のため、当時上演されていた「豚草物語」という若草物語のパロディのような舞台再演の話を始める。
もちろん4人の女優たちは不満タラタラだけれど、「大作映画に主演級で出演」という餌に釣られ、とりあえず舞台のための本読みを開始する。
その本読みのさなかをうろうろ怪しい動きをしている、佐藤誓演じる尾上という売れない役者は、どうやら監督と助監督に頼まれてこの後、4人の女優を相手に「松井チエ子殺人事件」を追及する刑事役を演じるらしい。
なかなか凝ったシチュエーションなのに、個々の役名は置いておくとして、人間関係みたいなものがすーっと立ち上がってくるのが見事である。
きっとデフォルメされていると思いたい、当時の女優たちの序列や関係性やさや当てや根性が浮かび上がってくる。可笑しくも痛々しくも尊い、という感じがする。
読み合わせを進めるうち、尾上は女優たちの「覚悟のなさ」に腹を立て、様々な「変装」をして彼女たちにいわば「演じるということの神髄」を伝えようとする。
それは長年下積みを続けていた彼の矜持のようにも見えるし、見るに見かねてというようにも見えるし、間違いなく「演じる場」を確保している女優たちへの怒りの発露のようにも見える。
そして1幕の最後、監督と助監督をやきもきさせつつも、尾上は刑事として登場し、「この4人の中のどなたが松井チエ子さんをころしたんでしょうね」と言う。そして暗転だ。
さて、仕込みは上々結果をご覧じろ、という感じである。格好いい。
2幕は、まず1幕の最後のシーンがもう1回繰り返され、その後は助監督の彼が4人の女優にそれぞれ松井チエ子殺害の動機があると説明を始め、それぞれを追い詰めようとする。
松井の手帳に「K.Tに殺される」と毎日7日にわたって書かれていたこと、4人の女優はみなK.Tというイニシャルを持つことはまぁいいとして、松井チエ子という女優はかなり意地の悪い人だったらしく、4人の動機が語られるというよりも、松井チエ子という人の嫌なところが次々語られているような気がしなくもない。その意地の悪さは夫であった小倉監督も認めるところである。
しかし、助監督が語る動機の数々は、次々と女優たちに論破される。
つまるところ、「そんなことは殺害の動機にはならない」「そんな意地悪は女優たちの間では日常茶飯事である」という。
凄まじい女優の世界である。
それほど角が立っていなければやっていけない世界であり、売れる筈のない世界であり、その覚悟と遊び心を持った女たちだけが「女優」「スター」と呼ばれうる、という勝利宣言のようにも聞こえる。
また、4人の女優を演じる女優たちが見事にはまり役である。
「娘」シリーズで純情可憐な乙女を演じている趣里も、妖婦と呼ばれそうな「女」を演じてきた「男は芸の肥やし」と断言する女優を演じている鈴木杏も、「お母さん」シリーズで様々な日本の母を演じている那須佐代子も、大幹部女優を演じた高橋恵子も、何かもう嫌みなくはまっている。
それぞれの衣装が赤青黄緑と4色になっているのなんて目じゃないくらい、それぞれの色が際立っている。
台詞が聞きやすくすっと入ってくるのも嬉しい。声がいいというよりも、台詞がいいし歯切れがいいし気持ちがいい。
それでもこの芝居の主役が誰かといえば尾上だと思う。
尾上を演じる佐藤誓の「変装」の技術であり、哀しみや怒りや憎めなさがなければ、この舞台はあっと言う間に瓦解してしまうように思う。
女優達の「女優たらん」という意欲と情熱はもちろんだけれど、尾上の「役者たらん」という激情なくして、この芝居の醸し出す熱は成立していないと思う。
何というか「すげーなー」という感じだ。
これだけの役者陣が揃えば、あとは井上ひさしの「騙されて楽しんでもらおう」という茶目っ気に乗るだけである。
実は、小倉監督のターゲットは尾上だった。
そして、尾上の失言を捕まえて、松井チエ子を殺害したのは尾上だったと白状させる。
小倉監督の目的は、実は「4人の女優のうち誰が犯人か」を追及するところにはなく、それも完全に当て馬で、実は尾上こそが犯人ではないかと疑っており、彼を調子に乗せようとわざと「真犯人は4人の女優のうちの誰か」だと自分が考えているのだと思い込ませ、この「芝居」に誘い、見事につり上げたのだ。
助監督とともに尾上が築地署に向かった後、小倉監督は4人の女優に礼を言い、改めて映画の脚本を渡す。
4人の女優は謹んで脚本を受け取り、オファーを受け、銀座に繰り出して行く。
4人を見送った監督が、先ほど尾上から取り上げた青酸カリの瓶を取り出し、蓋を開け、口に含む。監督がのたうち回っているところに、助監督と「尾上」が戻ってくる。
おい。
実は、「尾上が松井チエ子を殺害した犯人である」ということもフェイクで、それも含め、監督が自身の撮る映画のために、主演女優たちを真の女優とすべく仕組んだお芝居であった、のだ。
えー! である。
もちろん、先ほどの青酸カリは偽物だ。というか、中味は砂糖だったらしい・・・。
執念だ。そして、実はこの設定はそのまま、女優達が本読みを始めていた「豚草物語」の設定そのものである。この芝居は、三重の入れ子構造の上、ループもしているという凝った仕掛けになっていたのだ。
やられた! と思い、そして脱力した。
膀胱炎を患い、ライバルを蹴落とさんと意地悪し、失明の危機にさらされ、それでも「女優」であり続けようとしているだけでは足りないという小倉監督の執念の方が恐ろしい。
そして、その小倉監督は、尾上から「私を映画で使って貰えますか」という真摯な問いかけに「それはできない」と返す。あなたの演技は大きくて舞台向きで画面からはみ出してしまうと語る。
そも尾上をフォローしようと助監督がスポットライトを彼に当て、照明を操作する。尾上は台詞をしゃべり続ける。そこで幕である。
あー! ぎゃー!
私はこの芝居の神髄というか肝を分かっていないんじゃないか、ここで全く書けていないんじゃないか、という感じが凄くする。
でもそれでも気持ち良く騙され、「演じる」ということへの執念を見せてもらい、それはそのまま何かを成し遂げようとする人そのものの執念でもあるんだなぁとしみじみする。
蒲田行進曲のテーマがずっと頭の中で鳴り続ける。
見て良かった。
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