「君子無朋 ~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」を見る
Team申 第5回本公演「君子無朋 ~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」
作 阿部修英
演出 東憲司
出演 佐々木蔵之介/中村蒼/奥田達士/石原由宇/河内大和
観劇日 2021年7月22日(木曜日) 午後1時開演
劇場 東京芸術劇場シアターウエスト
料金 10000円
上演時間 2時間
ロビーでは、パンフレット(1200円)、ポスター(1000円)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
幅の細い、漢字が書き付けてあり、足下に後に文箱と分かる箱が積み重ねられている「壁」が5体、暗い舞台に置かれてぼーっと浮かび上がっている。
その壁は可動式で、裏返すと(あまり記憶が定かではないけれども)割と普通に中華風のお部屋の壁っぽくなっている。
その他、やはり中華風の繊細な彫刻が施された寝台が出てくるときと、こちらも中華風の執務机と椅子のセットがあるときと、椅子だけが置かれているときがある。
その舞台に最初に登場するのは、中村蒼演じる「オルク」と聞こえたけれど、ちゃんと彼の名前を聞き取れていたか自信がない。
その若者が、本来「男子禁制」である後宮にこっそりと忍び込み、どんどん奥へ入って行き、ついには佐々木蔵之介演じる雍正帝の寝室にたどり着く。
そこにいた皇帝は、服の胸元や口の周りを血で汚し、血を吐いていたことが明らかである。
医師を呼び寄せようとする若者を制し、雍正帝は、若者を自分の寝室まで呼び寄せたのは自分だと告げ、話し始める。
この舞台はこの二人の会話と、会話の中味を演じる回想シーンとで成り立っていた。
この「雍正帝」という人は、オルクに言わせるととんでもない暴君で、それまでは読書に明け暮れる野心なさげな皇太子というのが衆目の一致するところだったのに、父である康熙帝に長年仕えた大臣たちを次々と辞めさせ、母を同じくする「次期皇帝」と目されていた弟を父帝の墓守とし、その他の「有力候補」とされていた弟たちを犬や豚と名前を変えさせて幽閉するなど、皇帝になった途端、豹変している。
さらに、オルクを始めとする地方官250人余と直接文をやりとりし、パワハラそのものの圧をかけ続けている。
そうしてパワハラに苦しめられ続けること13年、ついにオルクは皇帝に直言し受け入れられなかったら殺してしまおうというクーデターを起こそうとしているところだったけれど、彼が各地の地方官に送った「クーデターの誘い」の手紙はすでに皇帝の手元に集められていた。
奥田達士、石原由宇、河内大和の3人は、オルク以外の地方官を始め、皇弟たちや、皇帝に仕える宦官や料理人を早変わりで演じている。それがまた見事で、同じ役者さんが演じているという匂いがしない。凄い。
口は悪いわ、人の言葉尻を捉えて追い詰めてくるわ、性格も悪そうだわ、がめついわ、とにかく「とんでもない」雍正帝である。
登場人物がみな弁髪なので、そういえば清は満州民族が建てた国だったとは思い出したけれども、高校世界史で習ったことも覚えてないくらい中国史に疎い私には、この「雍正帝」の人となりが果たして、今のスタンダードな解釈なのか、「新解釈」なのかが分からない。
そこが分かっていれば、この舞台の面白さは2倍にも3倍にもなるよなぁと思っていた。
学校で習ったこと以外で覚えていることといえば、10年くらい前に台湾に行ったときに故宮博物院で清朝の皇帝の誰かに注目した特別展が開催されていて、その再現された書斎の雰囲気が、この舞台上の「机と椅子のセット」と似ているなぁと思えたことくらいだ。
それでも「清朝の皇帝の誰か」が誰だったのかは舞台を見ているときは思い出せず、雍正帝自身だったかなぁと思っていたくらいだ。家に帰ってきて確認したら、乾隆帝の書斎だった。
舞台の上で、雍正帝の次の皇帝が乾隆帝であったことが語られていたから、私の「似ている」という感想はなかなか的を射ていたのではなかろうか。
とにかく暴君極まりない人物として描かれて行く雍正帝は、その首尾一貫した暴君っぷりから「これは、実はこのとんでもないパワハラには意味があって、実は名君だったっていう流れになるしかないよなぁ」とも思っていた。
実際、それしかないと思うけれど、なかなか「実は」という展開にならなくて、「まさか、ひたすら暴君である雍正帝を描いて終わるなんてことはないよね」と途中でちょっと心配になったりした。
大体、料理人に鴨料理を作らせ、けちょんけちょんにけなしたりして、地方官ならともかく料理人にまでパワハラすることを「正義」に転換させるのは難しそうではないか。
また、弟だけを可愛がる父母、特に母に対してずっと「寂しい」思いをして来たなんていう思い出話を語られてしまい、この弟が自分の恵まれたところに無頓着でありつつも単純明快で悪い奴でないと示されてしまうと、「そっちか?」と思ったりもした。
何というか、彼が暴君であることには理由があり仕方がない、父母に認められなかった子供時代を取り返すために、皇帝となり我が儘の限りを尽くし、臣下をいじめまくるようになったんだ、というところに落ち着いちゃうのか? と不安になったところはある。
雍正帝が何を求めてオルクを呼び寄せたのか、クーデターを企てた男を断罪するだけであれば、後宮の奥深くにこっそり呼び寄せる必要がある訳もない。
二人の会話から、「オルクを呼び寄せた理由」は分からないながら、雍正帝が皇帝として目指したところは少しずつ伝わり始める。
オルクは、雍正帝が勝手に康煕帝の遺言を書いた上で父帝を殺したと思っていたようだ。
当然、オルクは、中国史上最長の61年という在位期間を保ち、清朝の版図を拡大させた康煕帝を名君と思い、懐かしんでいる。しかし、雍正帝の父帝に対する評価は異なっており、特に「晩節を汚した」と思っているようだ。
この辺りのやりとりだけは、何だか腑に落ちない感じがした。
「君子無朋」の「朋」が「戦友」であることが二人のやりとりから分かってくるだけに、釈然としないともやっとする。
弟である第十四皇子を皇帝とし、弟は軍事に長けているので自分は政治面を支えようと思っていた雍正帝は、その弟が我慢しきれずに叛乱を起こして都に迫っていることを知る。
父帝に禅譲を迫ってきた努力が無に帰したことを知り、父帝を見舞いする。
都に迫ってきた弟の軍に都の人々を殺させないため、父帝を殺し、自分を跡継ぎに指名する遺言書をポケットから取り出して「康煕帝が亡くなった」と叫ぶ。
この次の帝を指名する遺言書は、康煕帝の筆跡だったとどこかで語られていたと思うのだけれど、それがどうして雍正帝が自分の服のポケットから取り出すのか。
弟の叛乱を知ってすぐさま父帝を見舞ったように見えたけれど、弟を皇帝にしようと思っていた雍正帝がいつ、自分を皇帝と指名する遺言を用意したのか。
雍正帝が父帝を見舞ったときの様子を切れ切れに記録する宦官の文書、しかも、雍正帝が主張する「父帝との最後の語らい」の様子と矛盾する経過が書かれた文書を、雍正帝自身が作った理由は何なのか。こちらも、実はピンとこない。
ピンとこないながら、こちらは、オルクのように、文書の矛盾に気づく頭脳と注意深さ、それを武器に皇帝を追い詰めようという正義感と気概を持つ人間に近寄ってきて貰うためだったのかなとは思う。
雍正帝は弟のフリをして、半ばオルクにクーデターを唆すような文を書いたりもしていたようだから、雍正帝が筆跡を誤魔化すのが上手かったということでもいいか、という気もする。
雍正帝の「パワハラ」は、康煕帝の時代に緩んだ綱紀を正し、借金だらけだった財政を立て直し国を建て直すためだったと、やはり最後になって明かされた。
鴨料理を料理人に作らせていたのも、「北京名物」を作り、北京に人を集め、金を集めるためであったと明かされる。料理人には、「皇帝御用達」の看板を掲げることを許し、彼に儲けさせることも忘れていない。
45歳で皇帝になり、長くその地位を保つことは年齢的にも難しい。どうせ短命政権で「繋ぎ」であるならばと何やら怪しげな薬を飲んで不眠不休を可能にして働いてきた皇帝は、血を吐くほどに体をボロボロにしていることも語られる。
ずるいよ、鉄板だよ、と思う。
そして、最期の半年も血を吐きつつ精力的に国のために働き続ける。
「死ぬな」「次の皇帝のためにも働け」と皇帝直々に言われたオルクもその働きに応え、次の乾隆帝の世の大臣となる。
2時間でこれだけ壮大な物語を見せてもらった。
やっぱり、舞台はいい。
舞台の良さを思いっきり堪能させてもらえる舞台だった。見て良かった。
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