「ザ・ドクター」を見る
パルコ・プロデュース「ザ・ドクター」
作 ロバート・アイク
翻訳 小田島恒志
演出 栗山民也
出演 大竹しのぶ/橋本さとし/村川絵梨/橋本淳
宮崎秋人/那須凜/天野はな/久保酎吉
明星真由美/床嶋佳子/益岡徹
観劇日 2021年11月5日(金曜日) 午後1時開演
劇場 パルコ劇場
料金 10000円
上演時間 3時間(20分の休憩あり)
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
見ようか見まいか迷っていて、えいやっとチケットを確保し、見に行った。
席に着くと、回り舞台が設られているのが見え、珍しいなと思う。その回り舞台には会議用のテーブルと机が置かれ、シーンによってそれは大竹しのぶ演じるルース所長の自宅にあるダイニングテーブルにもなっていた。
しかし、最初のシーンは病院である。
「エリザベス研究所」という名前でありつつ病院らしい。14歳の少女エミリが敗血症でもはや手の施しようがなく、そこにやってきた益岡徹演じる神父が彼女に臨終の典礼を与えようとしたところ、ルースは「エミリが己の臨終を悟りパニックを起こしかねない、それは患者の”穏やかな死”のためにならない」という理由で拒否する。
この神父が一部始終を録音していた辺りから、すでにきな臭い。
この出来事は神父たちによってネット上で拡散され、署名運動も始まる。
同時に、エリザベス研究所の理事や出資者たちも問題視し始める。
「自分は不当に扱われている」と感じている研究所の医師ポールや、橋本さとし演じる所長代理の「代理」の文字を取りたいと思っているロジャーは、ルースの行動を問題視し、研究所の評判が落ちることを懸念して彼女に謝罪させようとする。
一方、久保酎吉演じるブライアン臨床部長や広報担当のレベッカら、ルースを支持する職員ももちろんいる。
「死に瀕している14歳の少女に臨終の典礼を与えようとする神父の入室を許すか否か」という問題(だけ)だったはずが、彼女が自ら行おうとした人工妊娠中絶に失敗したことが原因で敗血症になったことや、彼女の両親がカトリック信者であったこと、ルースがユダヤ人であること、所内に新教授が誕生するに当たりユダヤ人女性と黒人男性の候補がいたこと等々が絡み合い、また「あわよくばこの事態を利用してのしあがろう」あるいは「この事態を契機に自分はもっと評価されるべきであることを認めさせよう」という上昇志向満々の男たちの思惑も手伝い、ルースはどんどん追い詰められて行くことになる。
何というか、嫌な話だなぁとずっと思っていた。
こちらが「ルースが追い詰められて行く」と思っているから余計である。所長代理やポールらの言動がどうにも利己的という狭いところでの自分の出世だったりルースを追い落とすことだけを目指しているように見え、優秀かつ理性的かつ「何の瑕疵もない」ルースが「不当に」追い詰められているように見える。
それが気持ち悪いし嫌な感じだ。
ただ、それは、そう見せているだけなんだよなとも思う。
この舞台は徹頭徹尾ルースの一人称の芝居で、ルースが登場しない場面はない。恐らく、ルース一人だけが登場する一人芝居に作り替えることもそう難しくはないんじゃないか。そう思わせるくらいだ。
この舞台では、ルースが見聞きしたことだけが客席に届けられる。こちらがルース目線で見てしまうのも当然だ。
この舞台を例えば最初のシーンで看護師の代わりにエミリーについているように言われた若手医師目線で作り替えたら、ルースは相当に嫌な奴に見えるんじゃないかとも思う。
未成年の少女の両親が「娘に臨終の典礼を授けたい」と希望しているからとやってきた神父が、「少女自身の意思が確認できない」という理由でルースに拒否され、少女は結果として苦しみながら亡くなってしまう。ルースは己の信念に基づいて行動しているのだろうけれど、圧倒的に言葉が足りず、説明が足りない。
一言謝ればこの問題は沈静化し、病院も安泰だろうに、ルースは己の信念だけを重要視して病院の存続を蔑ろにし、自分が創設者だからといって500人からの職員を抱える病院を私物化しようとしている。そういう風にもなりうる話だよなとも思う。
正解は多分なく、だからルースも家では床島佳子演じるパートナーであるチャーリーに甘え、居場所を求めてルースの家に遊びに来る近所の子に鍵まで渡している。無防備になり、不満や不安を口にする。
このチャーリーがすでに亡くなっているということは、舞台の割りと早いうちに示唆され(そもそも、幕開けで暗闇の中で語られる電話の声はルースがチャーリーの死亡を伝える内容である)、最終盤で明かされる。
チャーリーが女性で、アルツハイマーを患っていて、自殺してしまったことは、ルースの人生にもこの舞台にも重い意味を持っている割に、さらっと流されているようにも、完全に背景に溶け込んでいるようにも見える。
それにしても、彼女がすでに亡くなっていることをどうしてこんなに言葉ではなく分かりやすく伝えることができたんだろうと思う。
ルースは、もうほとんど売り言葉に買い言葉の感じで所長を辞任し、本人の意思とは関係ない感じで病院からも締め出され、テレビの討論番組に出演することを決める。
そこには「コメンテーター」として、各方面の論客たちが待ち構えている。
いや、そこにルースの勝ち目はかけらもないだろう、と思う。彼女の考えや主張がどうこうということではなく、いろいろな立場の人たちに対して等しく負けないというかつけ込まれない言葉なんてあるはずがないと思う。
そもそも、多分、この芝居はそういう芝居だ。
そして、彼女は「小さな友達」まで失うことになる。でも、これは彼女自身が招いた結果である。ディベート番組やそこに出演してルースと対峙した人々の責任ではない。
案の定、彼女はそこで「言葉」で追い詰められ続け、最後は教え子であり味方だと思っていた明星真由美演じる保険担当大臣にとどめをさされる。
大臣が言い出した査問の場で彼女は医師資格を10年間剥奪されることになる。
家にこもっているルースのところに、エミリーに会いに来ていた神父が訪ねてくる。
何だかやけにいい人ぶっている神父だけれど、そもそもあなたが病院での会話を録音し、署名運動など始めたことが原因だろうと思う。いきなり「私は冷静に**する」とか言いつつ、録音しつつ行動しているところなど、この手のことに長けた人物としか思えず、そこに悪意があるとまでは言わないけれども善意があるということでもなく、「私はあなたを理解していますよ」と言いにくるって図々しすぎないか? と思う。
それとも、これが神父としてのあり方なのか? 分からない。
その神父との会話で、ルースはチャーリーの死を(多分、やっと)語り始める。
チャーリーも明確に死者として語る。
そして、最初に流れた電話でのルースの声が流れて幕である。
ルースをはじめとする人々の主張は、なかなか私の耳に入って来なかった。そこが肝だろうに申し訳ない。
己の主張を聞いてもらうことは難しい、届けることは難しい、そして誰にとっても「正しい」とか「当然」ということがあるし、根っからの悪人もいなければ、悪意がなければ何をしても問題ないということでもない。
その他、様々な人が様々に求める正義の話だったのかなと思った。
| 固定リンク
「*芝居」カテゴリの記事
- 「無駄な抵抗」を見る(2023.11.26)
- 「ねじまき鳥クロニクル」を見る(2023.11.19)
- 「ガラスの動物園」「消えなさいローラ」を見る(2023.11.12)
- 「パートタイマー秋子」のチケットを予約する(2023.10.29)
「*感想」カテゴリの記事
- 「無駄な抵抗」を見る(2023.11.26)
- 「ねじまき鳥クロニクル」を見る(2023.11.19)
- 「ガラスの動物園」「消えなさいローラ」を見る(2023.11.12)
- 「終わりよければすべてよし」を見る(2023.10.28)
- 「尺には尺を」を見る(2023.10.22)
コメント