「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に行く
2022年2月18日、東京都美術館で2022年2月10日から4月3日まで開催されているドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展に行って来た。
日時指定制で、予約枠に余裕がある場合は当日券での入場も可能である。
始まったばかりということもあり、当日券ですぐ入ることができた。
私の、そして恐らくは多くの人の目当ては、修復後初めて国外に出たというフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」だと思う。
背後の壁が塗りつぶされたのはフェルメールの死後のことであったという調査結果が発表され、その調査に基づいて、元々描かれていたキューピッドの画中画が蘇った、という劇的な絵である。
これは見たい。
そして、「窓辺で手紙を読む女」が所蔵されているドレスデン国立古典絵画館から、17世紀オランダ絵画のコレクションがやってきている。
なかなか豪華版の絵画展である。
とはいうものの、私が名前を知っていた画家は「フェルメール」と「レンブラント」の二人だけである。
しかも、この二人の作品はそれぞれ1点ずつしか出展されていない。
そして、レンブラントが描いた肖像画「若きサスキアの肖像」に描かれた女性は、正直なところ、そんなに魅力的には見えなかった。将来の妻を描いた割に正直な筆致である。
「レンブラントとオランダの肖像画」「レイデンの画家-ザクセン選帝侯たちが愛した作品」「オランダの静物画-コレクターが愛したアイテム」「オランダの風景画」「聖書の登場人物と市井の人々」と巡り、大雑把に言って「お城ではなく、広かったり邸宅だったりするのかも知れないけれど、割と普通の人のおうちに飾られた絵たちだったんじゃないかな」という印象があった。
ものすごく大きな絵はなくて、サイズ感が割と揃っている。
我が家には無理にしても、そこそこお金持ちのおうちに飾ることができる大きさの絵たちなのではなかろうか。美術館の広い壁に飾られていたからこちらの感覚が狂っている可能性もありつつ、印象としてはそういうふうに思った。
そして、「ザクセン選帝侯たちが愛した作品」とその他のコーナーにある絵画に、それほど大きな印象の差がない。貴族とそれこそ「市井の人々」との間に大きな差はなくなってきた、ということなのかしらと思ったりした。
また、フェルメールが選んだ題材や構図は、フェルメールだけのものではなかったんだわ、ということを改めて思った。
スポットライトを浴びたような人物が一人、ちょっと東洋風というかエキゾチックな雰囲気のファブリックのある室内、レース編みをする女、といった雰囲気は当時のオランダ絵画には珍しいものではなかった、のかも知れないし、そもそもフェルメールが自分の周りにある(そして誰の周りにもある)ものを題材として選んでいたということかも知れない。
「窓辺で手紙を読む女」は、まず調査や修復の様子を説明し、写真や動画でも見せる。
その上で、修復された「窓辺で手紙を読む女」が登場である。
若干、「なぜこの位置?」という場所に飾られている。向かって左側のとっつきのような場所に修復前の「窓辺で手紙を読む女」の複製画が飾られており、むしろ、本物がこっちにあった方がいいのでは? いや、修復前後の絵を少し離してでも並べて見せてくれた方が嬉しかったかも、と勝手なことを考えたりした。
それにしても修復技術というのはすごいし、調査技術の進歩というのもすごい。
この絵にキューピッドの画中画が描かれていることは1979年にはすでにX線調査で判明していたということだけれども、修復を進める中で修復師が溶媒への反応が違うことに気づき、サンプル調査で画中画の上に塗られた絵の具がいつ頃塗られたかということが分かるようになったのは最近ということなんだろう。
修復師の気づきがなければ、「フェルメールが塗りつぶした」というそれまでの定説が覆ることはなかったと考えると、やっぱりすごい。
修復された「窓辺で手紙を読む女」は、女の背後にキューピッドの絵が登場する。
その分、絵に奥行きが生まれているように感じられる。
キューピッドの絵が1/3くらい手前にあるカーテンに隠されることで、それまでよりもカーテンの存在感が増し(修復で明るくなったことも理由かも知れない)部屋の奥行きをより感じるようになったと思う。
また、手前にあるテーブルクロス(というには、随分と厚手でもこもこの布地である)の、そのもこもこ感がよりパワーアップしているように思えた。
本当にでこぼこしているように描かれていて、思わず触りたくなる。
逆に、右手前のカーテンはやけに突っ張っているように感じられる。結構、張りのある生地が使われているカーテンで、このシワというか寄せ方をキープできそうな質感の布地である。
不思議だったのは、修復後の「窓辺で手紙を読む女」が、修復前よりもサイズが小さくなっていることだ。
理由はよく分からないし、特に説明もなかったと思う。
修復前の絵は、左側にある窓の手前の木枠が見えていたし、右手前にあるカーテンの輪っかを通している棒が画面を横切っていた。
複製画もそうなっていたし、複製版画(ドレスデン国立古典絵画館の所蔵作品を紹介するために制作された版画)でもそうなっていたから、修復前は、修復後の絵よりも左側と上側がもう少し広かった筈だ。(下は、カーテンのフリンジがぎりぎり下限にあるので変わっていないと思う。右側はよく分からないけれど、絵全体に占めるカーテンの幅からして変わっていない感じがする。)
そこが、どうにも気持ち悪い。
誰か、教えてほしい。
そんなことを考えていたせいか、ど真ん中で手紙を読んでいる女をあんまり見ていなかったことに気がついた。
女の顔よりも、窓ガラスに映った女の顔の方が気になる。
キューピッドの絵が復活したことで、女を見るよりも絵全体を見るように視線が誘導されるようになったのかも知れない。
キューピッドの画中画が復活し、そのキューピッドが仮面を踏みつけていることから、「誠実な愛の勝利」というメッセージが示され、女が読んでいる手紙はラブレターであるという解釈が俄然力を持ち始めるそうだ。
絵画にメッセージを込め、メッセージが込められた絵画を飾り、そのメッセージを社交の端緒とするという、教養溢れることが当時のオランダでは行われていたらしい。
私は、ゆっくり眺めて「美人だわ」とか「このキューピッドは可愛くないし、羽もよく見えないわ」とか、勝手なことを言ったり思ったりするので十分、と思ったりした。
キューピッドの絵の下で手紙を読む女に出会えてよかったし、修復という仕事の一端を見られて興味深かった。。
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