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2022.03.13

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」に行く

 2022年2月18日、国立新美術館で2022年2月10日から4月3日まで開催されているメトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年に行って来た。
 日時指定制で、ゆっくり見ることができた。

 メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門の常設展ギャラリーが改修中で、そのお陰で65点中46点が初来日という絵画展が実現したそうだ。ラッキーである。
 「西洋絵画の500年」ということで、I. 信仰とルネサンス、II. 絶対主義と啓蒙主義の時代、III. 革命と人々のための芸術、と時代を追って見られるように構成されている。

 最初の「信仰とルネサンス」では、宗教画でありつつ遠近法などを取り入れて現実に即した絵、が中心である。題材をキリスト教に求める一方で、登場する人物がその時代の人々の洋服を着ていたり、背景がその時代の景色だったりする。
 二次元のぺたっとした模様のような絵ではなくて、奥にいる人は小さく奥にあるものは小さく描かれて、絵に奥行きがある。

 そういった解説を読みつつ、「何だかやたらとくっきりした絵たちだな」と思いながら見ていた。
 特に人物を中心にクローズアップしている絵では、やたらとその人物(特に中心人物)がくっきりはっきり、ぼやけたところなど全くないような感じで描かれていて、いっそ浮き出てくるくらいの印象がある。
 明るいといえば明るい画面ではあるけれど、逆に、テーマが宗教であることも手伝って、気持ち悪いくらいに思ってしまった。
 この時代の絵を私が見慣れていない、ということもあると思う。

 ほぼ唯一「確実に聞いたことがあるよ!」と思ったのは、エル・グレコである。
 私の持っている偏ったイメージどおり、やけに暗い、暗い中に光が射して強調されている箇所が激しく強調されている絵である。
 出品された「羊飼いの礼拝」という絵では、説明書きによると、真ん中にいる嬰児のイエス・キリストが白い光を発しているくらいだ。もっとも、私にはこの「光を発している」というのはよく分からなかった。画面中央が明るいのは分かるけれど、そこが光源であると解釈する理由は何なのだろう。

 次の「絶対主義と啓蒙主義の時代」に、私のお目当てのフェルメールがいる。
 絵画が権力によって保護され利用される時代から、市民が台頭して、宗教画からもう少し軽みがある、裕福な商人が家に飾れるような絵に中心が移って行く辺り、という理解でいいのかなと思う。
 この辺りの時代も、私が名前を知っていたのは、フェルメールとレンブラントの二人だけだ。

 そのフェルメールは「信仰の寓意」が初来日している。
 メトロポリタン美術館にある4つのフェルメール作品のうち、出展されているのは、この1点のみだ。
 意外と大きいな、というのが最初の印象である。
 フェルメールの絵は縦横50cmに収まるくらいというイメージがあって、この絵は縦が1mを超えている。かなり大きいという印象だ。

 フェルメールの寓意画は相当珍しいそうで、説明板にもその点が強調されて書かれていた。
 「家の中の隠れ教会」という解釈は、「寓意」にあふれつつ、左手前に布がかけられ、白と黒の市松模様の床、フェルメールブルーの衣装などなど、パーツとしては他のフェルメール作品にも登場するものたちが含まれていることから出てきたのかなと思う。
 「寓意」を生み出しているモノたちについ気をとられ、実は絵全体の印象は散漫である。「窓辺で手紙を読む女」で印象に残った質感の描き分けなど全く記憶にない。

 ただ、こちらの「メトロポリタン美術館展」は、会場も広く、「目玉」と言われるような絵がたくさん出展されていることもあり、そしてこの「信仰の寓意」という絵がフェルメールらしさが少ない絵であるということも手伝い、じっくりゆっくり見られたのが嬉しい。
 そして、このフェルメールの絵から、次の「革命と人々のための芸術」に入り、印象派の絵画にたどり着くまでの長さ(その間に展示されている絵の多さ)に、フェルメールと印象派との間の長い時間を初めて認識したような気がする。
 200年は長い。

 その「革命と人々のための芸術」の舞台は19世紀である。
 やはり19世紀末の印象派の絵がいい。いいと言うか、知っているから嬉しい。単純である。
 しかし、ルノアール、ドガ、ゴッホ、モネ、マネ、セザンヌと言われたら、それは心躍るというものである。

 ゴッホの「花咲く果樹園」という絵は、何というか私の持つゴッホのイメージからはちょっと外れている。
 アルルの絵でありつつ、明るさはあまりない。「花咲く」と銘打っている割に、果樹の足下にある草原に咲く花は慎ましく、緑に隠れるようである。果樹の背景にある曇り空からわずかに青空が覗いている。そういう絵だ。
 何というか、逆に、珍しく穏やかな心持ちで描かれた絵なのかもしれない。

 モネ晩年の「睡蓮」はすでに20世紀に入っている。
 晩年のモネは目が見えなくなっていたそうで、その見えなくなっている目に映った睡蓮は、暗く、何だか模様のようである。睡蓮の絵で飾られ囲まれた部屋を作りたかったそうで、いや、この暗い睡蓮に囲まれるのはいやだよ、どうしてもやるなら窓も大きくとって窓の外は明るい景色にしてください、と思った。

 贅沢な空間で贅沢な絵たちを見た。

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