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2022.04.17

「セールスマンの死」を見る

「セールスマンの死」
作 アーサー・ミラー
訳 広田敦郎
演出 ショーン・ホームズ
出演 段田安則/鈴木保奈美/福士誠治/林遣都
前原滉/山岸門人/町田マリー/皆本麻帆
安宅陽子/鶴見辰吾/高橋克実
観劇日 2022年4月16日(土曜日) 午後1時開演
劇場 パルコ劇場
料金 11000円
上演時間 2時間40分(20分の休憩あり)

 ロビーではパンフレット等を販売していたと思うけれど、チェックしそびれてしまった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 パルコ劇場の公式webサイト内、「セールスマンの死」のページはこちら。

 「セールスマンの死」というタイトルは聞いたことがあったし、かなり「有名な」戯曲であり舞台であるとも思うけれど、実際に上演された舞台を見るのは初めてだった。
 初めて見たのに何だけれども、多分、スタンダードな「セールスマンの死」とは趣が異なっていたのではないかと思う。根拠は全くなくて、感じとしてそう思う。

 舞台セットはまっさらで、上方に大きな電信柱が2本、先をとがらせて宙づりになっている。
 それだけで、不穏な感じがする。
 そして、結構上の方に吊ってあるので、舞台が始まって役者さんたちに注目してしまうとほとんど目に入らない。ふと我に返るとそこに電柱が浮いている、という感じだ。
 そして、段田安則演じるウィリーが建てた家のキッチンや庭や息子たちの部屋のセットが出たり入ったりする。

 休憩を挟んで、ある連続する2日間が描かれている。
 行き着くところは、タイトルのとおり、セールスマンである(あった)ウイリーの死で、そこに至る2日間が描かれる。
 2日間だけれど、ウイリーはだいぶ妄想というか幻想というか、今見るとかなり認知症が進んでいるのではないかという印象で、現在と過去がごっちゃになっているようで、ウイリーが思い出している過去の情景が差し込まれる。
 ウイリーはずっとスーツか、シャツにネクタイ姿だけれど、鈴木保奈美演じる妻のリンダや、福士誠治演じる長男のビフ、林遣都演じる次男のハッピー達は、演じている年齢によって衣装を替えているので、それで「今は過去」「今は現在」と分かる。

 ウイリーはセールスマンである。
 36年間、同じ会社でセールスマンをしているらしい。
 ストッキングを売っているようで、いかにもアメリカだなぁという感じがする。

 で、このウイリーという人物が、どうにもダメダメである。
 何というか、「セールスマンの死」という舞台は、主人公のセールスマンが理不尽な扱いを受け、不幸にも死を選ばされるという話だと思っていたせいか、いや、この人だめだろ、と見ながらずっと思っていた。

 若い頃も、息子に工事現場から資材を盗んで来るように平気で命じているし、高校でフットボールのチャンピオンになり損ねた長男に自分の理想をずっと押しつけ続けているし、次男のことはほぼ頭にないみたいだし、妻の話など全く聞こうとしない。
 自分を恃むところ厚いけれど、いや、あなたはそれほどの人物ではないのでは??? という感じしかしない。
 若い2代目社長とのやりとりも、元々は2代目社長の情のなさ的なものを見せるシーンだと思うのに、むしろ2代目社長の言っていることの方が理に聞こえる。

 何だか困ったなぁ、こういう芝居なのかなぁ、私が情がないからそう見えるのかなぁ、とずっと思いながら見ていた。
 何しろ、舞台上の人物の誰にも共感を覚えない。好きな感じの人がいない。
 夫を盲信して、かばって、実の息子に二度と家に帰ってくるな的なことを言い放つリンダも、別に無駄遣いしている訳でもないのに夫にお金ばかり要求しているように見えるし、自分がふらふらして定職に就けないのは父親のせいだと30過ぎても思っているらしい長男は、それでもウイリーの一家では一番同情できるように思ったけれど、それでも言ってることもやってることもむちゃくちゃだ。どうして出資の相談に行った相手から万年筆を盗んでくるのか。
 次男のハッピーは、上手に父親の期待に応えているように見せてはいるものの、見せているだけで、実際のところはお調子者のただのプレイボーイ(という言い方も我ながら古い)である。どうしてお金もないのにプレイボーイでいられるか謎だ。

 何というか酷い目に遭っている一家だけれど、概ねは、自らが招いた「酷い目」なんじゃないの? という感じしかしない。
 だからといって、高橋克実演じるアラスカで石油を当てて真っ白なスーツを着ているウイリーの兄のベンは、ひたすら胡散臭いだけだ。彼を真っ向から拒否したときのリンダにだけは共感と同意を覚える。
 鶴見辰吾演じるウイリーの友人であるチャーリーが中では一番まともに見えるけど、ウイリーと長年付き合っていて、どうしてお金を無心されて毎週言われるままに渡してしまうのか。でも、自分のところで働けるように職を用意しているのだから、やっぱり一番まともなように思える。

 舞台上の人物が愛すべきかどうかと、その舞台の評価とはもちろん一致する必要はないし、一致していないことも多いとは思う。しかし、それにしても、ウイリー一家を気の毒に思うことができない。何というか、正しく因果応報で、ダメなまま過ごして来ちゃったからダメな結果になっているだけなのでは? と見えてしまう。
 何というか、外的要因によるものではないし、ウイリー一家の現状は理不尽ではないのでは? と思えてしまう。
 実際、そういうシーンしか舞台上では展開されていなかったように思う。

 ビフはやっと「事実と向き合う」ことを始めようとし、しかしそのことが決定的にウイリーに「人生の負け」を意識させてしまったことは皮肉に思える。
 職も失い、息子も失い、過去の栄光も失ったウイリーは、幻のベンと「保険金で全てを精算し、リンダにお金を残す」ことを相談し、実行する。

 ウイリーの自殺は、ずっと舞台の真ん中に置き去りにされていた冷蔵庫に入って扉を閉め、スポットライトで冷蔵庫だけが明るく浮かび、そこにウイリーを呼ぶリンダの声を重ねることで表現される。
 そのシーンでも、「アメリカの保険は自殺でも保険金が支払われるのね」とか「保険料を支払えていなかった筈だけど、それでも保険金をもらえるのかしら」とか思ってしまう私は、やっぱり冷たいんだろうなぁと思う。
 何だか自分が真っ当にこのお芝居を観ることができていない感じがして、ちょっと悲しかった。

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