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「A NUMBER」
作 キャリル・チャーチル
翻訳 浦辺千鶴
演出 上村聡史
出演 戸次重幸/益岡徹
観劇日 2022年10月8日(土曜日) 午後3時開演
劇場 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
料金 7500円
上演時間 1時間15分
ロビーではパンフレット、リピーターチケットが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
開演前の舞台は暗く、シンプルである。
中央部分を正方形に少し高くし、そこにコーヒーポットの載ったテーブルや、椅子、一人がけのソファやオットマンが、一つの部屋のように置かれていて、それだけだ。
奥の壁には大きな窓があるけれど曇りガラスが嵌められ、閉められ、外を見ることはできない。
そこに、益岡徹演じる父親と、戸次重幸演じる息子が現れ、言い合いを始める。
説明らしい説明はなく、いきなり二人の会話から始まる。役者が二人しかいないのだから、説明台詞をしゃべっているヒマはない。とにかく対峙しなくてはならないし、会話しなければならない。
それでも段々と、息子が自分にクローンがいる、自分もクローンの一人であるということを知って大混乱していることが分かってくる。
父親は、何というか情けない感じで、ひたすら言い訳を繰り返す。
最初のうちは「妻と子供を交通事故で同時に失い、その息子が最高の息子だったからまた欲しくなって、クローンを作ってもらった。クローンは一体だけの契約だったのに、クローンを作った医療者が契約違反をして何体もクローンを作ってしまった、これはアイデンティティに対する障害として裁判を起こすべきだ、という感じのことを言いつのる。
それは不安そうでもあり、卑屈そうでもあり、無理をして戦闘モードに自分を駆り立てているようでもあり、何とかして(恐らく)息子をだまくらかそうとしているようでもある。
この息子は、何というか繊細そうな感じに見える。
多分いい人だけど、荒事とかアクシデントには向いていない感じだ。「自分もクローンの一人である」ということに気づきつつ、気づきたくないし、父親に否定してもらいたい。しかし、父親の言うことをあまり信じていないので、父親が否定しただけでは信用できないから、ただ事実を並べるように要求する。
悪い人じゃなさそうだけど、アクシデントに弱いタイプに見える。
とは言え、「もし自分にクローンがいたら」という問いには、別に気にしないかもなぁ、遺伝子が全く一緒でも育つ・暮らす環境が違えば全く同じ人間にはならないだろうし、それならば「顔が異様に似ている他人がいる」のとそれほど変わらない気がする。
だから、自分と同じ遺伝子の人間がこの世にいる、ということはそれほど大した問題ではない。多分。
しかし、この「息子」の場合は、「自分は誰かのコピーに過ぎない」訳で、彼が気にしているのもその部分なのだと思う。それは、どう捉えればいいのか分からないだろうと思う。下手をすれば「自分は人間ではない」とか「自分にはこの世にいる価値がそもそもの最初からない」みたいなところに到達しそうである。
暗転し、次に舞台に登場した戸次重幸は、「オリジナル」だ。
父親と一緒に暮らしていた「息子」はクローンの一人で、しかも、父親が「死んだ」と説明した本物の息子はまだ生きており、かつ、クローン達よりも年上だ。
その「オリジナル」の彼が、これまでどうしていたのかは謎だけれど、「息子」に接触し、「父親」の家にやってきて、父親と対峙している。
舞台奥の窓は片付けられ、ベッドと、誰かが着てきたのだろう洋服達が吊られている。
この「オリジナル」と父親との会話は、正直に言ってよく分からなかった。
結局のところ、この父親は「オリジナル」の何が気に入らなくて、「オリジナル」からクローンを作り出して新しい息子にしたのだろう。
そしてこの「オリジナル」の彼は、その後どうやって生きて来て、今はどういう風に暮らしているのだろう。
決して幸せそうに見えないし、いい人そうにも見えないし、どこか身体を壊しているようにも見える。
この「オリジナル」に対して、父親は流石に懐柔しようという風情は見せない。暴発させないよう、ひたすら下手に出て、「息子」に危害が加えられることだけは避けようとしている。という風に見える。
「息子」が再び登場し、「オリジナル」と会ったことを父親に告げる。
そして、「オリジナル」の彼が近くにいる場所には居たくない、と言う。とにかくどこかに逃げたいのだと、外国にでも行ってしまいたいのだと言いつのる。
「息子」が問題としているところが、「自分と遺伝子が同一の人間が複数いる」ことなのか、「自分は単なるコピーでオリジナルがすぐ近くに存在している」ことなのか、やっぱりよく分からない。
そして、父親がひたすら「オリジナルにとっては悪い父親だったかも知れないが、息子にとってはいい父親だった筈だ」と主張するのが非常にうざったい。
何だか被害者っぽい感じのする息子も、やっぱりどこかダメダメな気がしてくる。
父親はもっとダメである。
そして、父親が危惧していたとおり、「オリジナル」が「息子」を殺してしまった、らしい。
父親は一気に老け込んだように見える。
そこに、「クローン」の一人がやってくる。やってきたというよりは、父親が順番にクローン達を呼んでいるらしい。
この「クローン」は、何故だかよく分からないけれど、谷原章介を彷彿とさせる。谷原章介のような明るさであり礼儀正しさでありいい人っぽさである。
父親は、この「クローン」から、「自分自身の存在をどう捉えているか」ということを聞き出したいらしい。
遺伝子が同じ「クローン」の話を聞くことで、オリジナルの彼や、ずっと育ててきた息子を理解しようとしているように見える。もしかしたら、父親の中で「オリジナル」はすでに死んだものとされていて、父親にとって息子というのは、自分が一人でずっと育ててきた「息子」だけという認識になっているのかも知れない。
父親は、クローンを作るときには必ず複数作ることを知っているようなのに、混乱しすぎである。
しかし、この「クローン」はどこまで行ってもポジティブな人物で、父親が期待したような答えを口にしようとしない。
結局、「父親」は、自分の欲しい答えをくれる「クローン」を探しているのであって、この期に及んでも息子が怒っていた理由も、「オリジナル」が息子を殺した理由も分からないままなのだなと思う。後者については私自身も分からなかったけれども、それでもそう思う。
父親とクローンの彼との会話は、どこまで行っても平行線である。
要するに、二人とも相手の話は聞かず、自分の話だけしたいし、自分が期待した答えしか聞こうとしていないのだから、会話が続く筈もない。
そして、クローンはとにかく自分とこの世を肯定し続ける。
彼が「幸せですよ、すみませんけど」といった意味の台詞を言って、幕である。
そこまで「幸せ」を強調されると、多分「クローン」の彼も幸せではないのだろうな、だけど自分は幸せだと言い続け信じ続けることでいつかはそれが事実になるのじゃないかと思っているのだろうな、という印象になってくる。
そして、彼は「父親」が、クローン達がみな不幸であることを無意識のうちに望んでいることを把握していて、だからこそ「すみませんけど」という台詞が出てくるのだろうなと思う。
「オリジナル」が「息子」を殺してしまったのは、嫉妬だったんだろうか。
そして「クローン」の彼が自分の幸せをどこまでも確信しているのは、「父親」への復讐でもあるんだろうか。
阿呆な私にどうか解説してください、と思った。
意味は分からなかったけれど、この舞台がとてもとても濃密であることは分かったし、重たい手で触れるような空気が舞台上から客席に迫ってきているようだった。
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