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2022.12.19

「夏の盛りの蝉のように」を見る

加藤謙一事務所 VOL.113「夏の盛りの蝉のように」
作 吉永仁郎
演出 黒岩亮
出演 加藤健一/新井康弘/加藤忍
    岩崎正寛/加藤義宗/日和佐美香
観劇日 2022年12月18日(日曜日) 午後2時開演(千秋楽)
劇場 本多劇場
料金 5500円
上演時間 2時間45分(15分の休憩あり)

 ロビーではパンフレット(550円)が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 加藤健一事務所の公式Webサイト内、「夏の盛りの蝉のように」のページはこちら。

 登場するのは、北斎、娘のお栄、弟子が3人、最初は国芳の絵のモデルを務めていてそのうち失明し、渡辺崋山の妻となる女性の6人である。
 葛飾北斎を描く芝居は多分色々とあって、私も何本か見たことがある。葛飾北斎とあと誰をクローズアップするかによって、随分と雰囲気が変わるのだなと思う。
 今回は、加藤忍演じるお栄、岩崎正寛演じる歌川国芳、加藤義宗演じる渡辺崋山、そして語りも務める新井康弘演じる蹄斎北馬の4人である。

 お栄はともかくとして、他の3人は名前くらいは知っているかも、聞いたことあるかも、だから実在の人物だと思う、渡辺崋山って絵も描いていたのね、というくらいの知識で見始めた。申し訳ない。
 話は、お栄が12歳、絵を描く前のところから始まる。加藤忍が12歳から演じてしまうのだからかなりのものだ。上手い。

 北斎の転居ごとに幕が下り、蹄斎北馬の語りが入り、セットはほとんど変わらず「引っ越し」が表現される。
 幕にはそのときごとに、彼らの描いた絵などが投影される。
 そうして、数年おきに彼らの「現在」が語られてゆく。

 見るからに遊び人の国芳の絵への執着、やたらと「品」を説く渡辺崋山の人品骨柄、とうとう最後まで本人の画業について語られなかった蹄斎北馬と、弟子たちはみなそれぞれである。
 娘のお栄は、「絵が上手いから」と華山を疎んじ、国芳を気に入っているらしい。それは長じてからも続き、北斎も華山も北馬も死んだ後になっても二人の交流は続いている。

 国芳と華山は方向性はかなり違うけれど、ともに「絵」に執着し、自分の絵を描こうと足掻いている。国芳は絵そのものに、華山は絵以外のさまざまなしがらみに振り回されている感じだ。
 ときに頭でっかちになる彼らに、もはや晩年には「巨人」となっていた北斎が「絵は絵だ」と言い切る。そういうときの凄みは、これぞ北斎という感じがある。

 しかし、この芝居の主役は北斎ではないように思う。
 そういうぶれることのない、「110歳まで生きれば何とか描きたいものが描けるようになれる」と語る北斎の周りで、様々に揺れる(お栄を含めた)弟子たちの揺らぎこそが描かれた芝居なのだと思う。
 この芝居での北斎はかなり完成・確立されていて、主役を張るには浮き沈みがなさ過ぎる。多分、北斎の名前を借りて、国芳と華山を描きたかったんじゃないかなと思う。

 しかし、この舞台を締めるのはお栄である。
 北斎、北馬、華山、日和佐美香演じる華山の妻だったおきょうはすでに鬼籍に入り、しかし成仏できずにお栄が暮らす北斎の家に留まっているようだ。
 しかし、まずおきょうが一足先に北斎の家を後にする。
 そこへ、体調が悪いらしいお栄と酒を飲んでいた歌川国芳の帰りがけ、お栄は、まるで今生の別れのような言葉をかける。
 歌川国芳が帰り、お栄は旅支度を始める。

 暗い舞台の中、旅支度に身を固めたお栄が立ち、空を見上げる。どうにも清々しい表情だ。そこで、幕である。

 華山を登場させることで世相を描き、北馬を登場させることで「描けないけれども見える、しかし描きたい」存在を示し、歌川国芳の絵師としての破天荒ぶりと、お栄の「北斎の名前の陰」で自分の絵をなかなか描こうとしない性を描く。
 そういう芝居だったと思う。
 そういう揺らいでばかりの登場人物達を支えるように、揺らぎない北斎を一歩引いて演じた加藤健一の度台あってこそ、と思った。

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