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2023.01.16

「ジョン王」を見る

彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」
作 W.シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 吉田鋼太郎
出演 小栗旬/吉原光夫/中村京蔵/玉置玲央
    白石隼也/高橋努/植本純米/間宮啓行
    廣田高志/塚本幸男/飯田邦博/坪内守
    水口テツ/鈴木彰紀/堀源起/阿部丈二
    山本直寛/續木淳平/大西達之介
    松本こうせい/吉田鋼太郎 他
観劇日 2023年1月14日(土曜日)午後0時30分開演
劇場 シアターコクーン
上演時間 3時間10分(20分の休憩あり)
料金 11000円

 ジョン王を演じる予定だった横田栄司が体調不良で降板し、東京公演は吉原光夫が代役を務めている。

 ロビーではパンフレット等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 ホリプロの公式Webサイト内、「ジョン王」のページはこちら。

 シアターコクーンでは舞台奥に搬入口があり、そこを開いて役者が退場して行って幕という演出を私が最初に観たのは蜷川幸雄演出の舞台だったと思う。
 今回は、幕開けから(というか開幕前から)搬入口が開き、外の景色が見えていてちょっと驚いた。
 他の劇場での公演もある筈で、そちらではどんな幕開けとするのだろうと少し気になる。

 その開いている搬入口から、小栗旬が入ってくる。
 役名としては「私生児」だけれど、入ってきたときは「私生児」ではないと思う。Gパンに赤いパーカ、マスクをしているから、やはり現代の日本人という設定だろう。
 その衣装のまま、いきなりシェイクスピア劇に参加し始めて、彩の国シェイクスピアシリーズでは、それほど翻案等はせずにシェイクスピア劇を上演してきたと思うけど、今回は趣向が違っていて、現代日本人がシェイクスピア劇に入り込むというアニメのような設定を取り入れたのか? と戸惑った。

 実際はそういうことではなく、追々、小栗旬の衣装もシェイクスピア劇にふさわしい周りと調和の取れた衣装になって行ったし、舞台上でも「リチャード」として動き、しゃべっていた。
 つまりは、赤いパーカは「掴み」だったということだろう。

 「掴み」と言えば、劇中、時折、上から等身大の人形が「どすん」というか「バタン」というか、そういうかなり重めの音を立てて落ちて来た。
 ほぼ落ちてくるだけで、役者さんたちはその落ちて来た人形に反応することなく芝居を続けて行く。
 その「人形」は舞台上の登場人物たちとは別の時間、別の場所にいたみたいだ。
 何を象徴しているのか、最後まで分からなかった。

 「ジョン王」という戯曲は、現在ではあまり上演されることはなく、サイトに載っていた演出の吉田鋼太郎の言に寄れば「駄作」と評価されているそうだ。
 うーん、どうしてだろう。
 あまり登場人物たちの内面が語られていないからだろうか。シェイクスピア劇がある意味退屈なのは、割とよくあることだと思う。

 横田栄司の降板により、東京公演では吉原光夫がジョン王を演じていた。歌うシーンもあったし、雰囲気は違うけれども劇団四季出身の吉原光夫の代演に違和感はなかった。
 他の劇場では(東京公演以外では)、開幕のシーンだけでなく配役も変わる。フランス王を演じており演出もしている吉田鋼太郎がジョン王を演じ、吉田鋼太郎が演じていたフランス王を桜井章喜が演じるそうだ。聞くだに印象が変わっていそうで、そちらも見たくなる。

 歌といえば、挿入歌はほぼいわゆる「童謡」だったと思う。
 一部、昭和の流行歌っぽい歌もあったかも知れない。幕開けと終幕の演出と合わせ、現代日本との繋がりを示す演出だと思うけれど、それ以上の意図はよく分からなかった。もしかすると、全然違う目的があったのかも知れない。

 「ジョン王」という戯曲は、「ジョン王」というタイトルでジョン王も出てくるからジョン王が主役なのかと思ったら、サイトの説明では、ジョン王は「タイトルロール」で、私生児フィリップを演じる小栗旬が「主演」と表記されていた。
 微妙すぎてよく分からない。
 そして、舞台を見た印象だと、ジョン王はともかくリチャードの出番はそれほど多くない。かといって群像劇という感じでもなく、シーンによって次々と主役が変わっている、という感じだった。

 かつ、登場人物たちの人間関係とか、背景とかこれまでの経過みたいなものの説明があまりないので、俯瞰したストーリーが掴みづらい。
 ジョン王は多分、前王の弟で、前王にはアーサーという息子がいる。何となく劇中で匂わされた感じでは、ジョンは皇太后の息子ではあっても王の息子ではないのかも知れない。フランス王はアーサーの母コンスタンツェの依頼と自身の利益のために、アーサーのイングランド王位継承を主張してイングランドに進軍する。
 そこが物語の発端だけれど、ローマ教会とか、枢機卿とか、色々と横から登場人物が出てきて、客席から見ているとどんどんぐちゃぐちゃになって行く。
 ジョン王も最後は逃げ込んだ修道院の修道士に毒を盛られて死ぬけれど、修道士の動機は全く語られない。

 ところで、「ジョン王」は、彩の国シェイクスピアシリーズで時々採用されていたオールメールによる上演だった。
 元々、シェイクスピア劇に女性の登場人物は少ない。「ジョン王」も少なくとも今回の上演では女性の登場人物は3人しかおらず、ジョン王の母の皇太后を中村京蔵が、フランス皇太子の嫁となったブランジェを植本純米が、ジョン王が簒奪した(らしい)イギリス王位の正当な継承者であるらしいアーサーの母コンスタンツェを玉置玲央が演じていた。

 シーンごとに主役が変わる中で、このコンスタンツェと、ジョン王にアーサー暗殺を命じられて苦悩する高橋努演じるヒューバートが印象に残った。
 何というか、別の方向で二人ともインパクトのある役柄だったと思う。玉置玲央の「女性」はきれいではない。というか、きれいな女性は追求していない感じで、むしろ息子を正当の王位に就けようという妄執にかられた悪女に近いイメージである。悪女どころか鬼だったかも知れない。
 でも、息子を愛する母親であることは伝わってきた。

 一方のヒューバートは、舞台上の登場人物たちの中でほとんど唯一の「いい人」だったと思う。
 方言っぽく語らせることで、その善人ぶりというか朴訥とした感じを出していたと思う。
 コンスタンツェとヒューバートは、何というか、「いい役」だったと思う。

 ラストシーンで、フィリップが王位を目指すのかと思ったら、あっさりとジョン王の息子のヘンリーに忠誠を誓っていた。
 そして、ふっと目を離した隙に芝居が終わっていて、拍手が聞こえて来た。
 今でもあの拍手が何をきっかけに起きたのか、よく分からない。拍手をしていた方々は、どうして「ここで幕」と分かったのだろう。
 役者さんたちが一列に並んで挨拶を始めてやっと、あぁ、終わったんだ、と思った。

 ただ、そのカーテンコールの間も、小栗旬演じる私生児フィリップは、その列に加わらず、ただそのまま立ち尽くし、シェイクスピア劇の時間の中にそのまま残っているように見えた。
 そして、カーテンコールを終えて他の役者さんたちがはけると、そこには機関銃を構えたヒューバートが残り、私生児に照準を合わせている。フィリップの目にそれが入っているかどうかは分からない。

 やがて小栗旬は身につけていた鎧や長靴を脱ぎ、最初に登場したときの衣装に戻り、再び開けられた舞台奥の搬入口から去って行く。
 そして、扉が閉められ、終演のアナウンスがあった。

 やっぱりよく分からなかった。
 彩の国埼玉芸術劇場での公演も見たら少しは分かるだろうか。気になっている。

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