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2023.03.05

「笑の大学」を見る

PARCO劇場開場50周年記念シリーズ「笑の大学」
作・演出 三谷幸喜
出演 内野聖陽/瀬戸康史
観劇日 2023年3月4日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 パルコ劇場
上演時間 1時間55分
料金 10000円

 ロビーでは、パンフレットの他、ノート(だったと思う)などのグッズが販売されていた。
 また、ロビーの喫茶が営業しているところをもの凄く久しぶりに見た気がする。嬉しい。
 開演前の三谷幸喜のアナウンスもうんうんと頷きながら聞いていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 パルコ劇場の公式Webサイト内、「笑の大学」のページはこちら。

 「笑の大学」は一番最初にラジオドラマとして書かれ、(Wikipediaによれば)1996年に青山円形劇場で初演されたそうだ。
 1998年にパルコ劇場で再演され、舞台化はそれ以来らしい。
 そうすると、私は多分、1996年の初演を見ていると思う。青山円形劇場でというか、舞台を取り囲むようにして見たという記憶がある。
 そのときは、西村まさ彦が検閲を担当する警察官を、近藤芳正が検閲を受けている劇団の座付作家を演じていた。
 「笑の大学」は、その劇団の名前である。

 瀬戸康史演じる座付作家「椿 一」は、内野聖陽演じる警察官「向坂」から、新作戯曲の検閲を受けている。
 少し前に戯曲を提出してあり、今日は面接というか呼び出されて警察に来ているようだ。
 これまでは、そこそこ上手く検閲を乗り切って来ているところ、新しい担当者はどうにも勝手が違う。
 「ロミオとジュリエット」をもじった「ジュリオとロミエット」という戯曲は、のっけから「登場人物を全員日本人にして明日までに書き直せ」というほぼ根底から覆すような指示を受けてしまう。

 この向坂という男がまた、融通の利かなさそうな、強面な感じで、やけに質の良さそうなダークネイビーの三つ揃いのスーツを着ている。
 一言で言って、「嫌な感じ」の男である。
 ストーリーを知っているせいなのか、しかし、どこかしら「真面目故の面白さ」みたいなものがにじみ出ている、ような気がしなくもない。

 翌日、椿は、主人公たちを「貫一お宮」に置き換え、かつ横暴な演出家に「ロミオとジュリエットを、主人公を日本人にしてパロディにしろ」と言われたという設定で、入れ子構造の戯曲の外側をも膨らませた戯曲を持ってくる。
 向坂は感嘆して見せつつも、「お国のために」という台詞を3回繰り返させろとか、「接吻のシーンを入れるな」とか、「(劇団の主宰の持ちネタである)さるまたしっけいの数が多すぎる」とか、「警察署長を格好いい役で登場させてくれ」とか、難癖を付けまくり、上演許可を出す素振りも見せない。

 それが分かっているだろうに、椿は向坂の注文を受け、文句を言いつつも書き直し、かつ書き直すごとに戯曲は「面白く」なって行く。
 そのうち、「私は今まで笑ったことがない」「この時節に笑いなどは不要である」と言い切った向坂が、いつの間にか椿とのやりとりを楽しみ、「検閲」というよりは、「自分が納得のゆく」作品にしようというような意見ばかり言うようになって行く。
 向坂の言うことは概ね「ご都合主義は許さない」「筋を通せ」ということなので、それはアドバイスを守った方がより「面白く」なるだろうという気がする。

 ようやく上演許可が下りそうになったところで、「最初は難癖をつけて何としても上演許可を出さないつもりだった」と言う向坂に対し、椿は「そうだと思っていた。しかし、どのような注文にも応え、かつより面白い戯曲を書く。それが喜劇作家としての自分の(お国との)戦い方だ」と告白する。
 それを聞いた向坂は「そんなことを何故自分に言うのか」「聞きたくなかった」と言い、「一切の笑いのない戯曲に直せ」と、椿の全てを否定するような指示を出す。

 翌日、椿が持ってきた戯曲はさらにバージョンアップし、戯曲の1ページめからすでに笑いが溢れるものに仕上がっていた。
 「どうしてこんなものを書いてきたのか」と詰る向坂に、「事情が変わった。自分に召集令状が届いた」と椿は返す。「だから、今までの自分の全てを詰め込んだ渾身の戯曲を仕上げたのだ」と言う。
 そんな椿に、辺りに人がいないことを確かめた上で、向坂は「とにかく生き延びることだけを考えろ」「笑いのことも考えるな。一瞬の気の緩みが死を招く」「生きて戻れ」と伝える。
 やっと「生きて戻りたい」と口に出せた椿が、戯曲を向坂に進呈し、そして部屋を出て行く。
 幕である。

 「戯曲がどんどん面白く変貌していく」ことと、「面白くなった戯曲だけれど、上演できなくなって終わった」ことは覚えていたけれど、ラストシーンは覚えていなかったので、最後に面接の場面はもう大泣きしてしまった。
 こんな終わり方だったか・・・、と思う。
 この前の日に上演許可が下りていたらどうなっていたのだろうと思っている時点で、かなりやられていると思う。

 瀬戸康史が30代半ば、内野聖陽が50代半ば、どちらも登場人物とほぼ近い年齢としてあり得るなぁなどということも考えていた。
 どれくらいの年齢差がこの戯曲を一番面白くするだろう、年齢は全く関係ないだろうか、同い年という設定のときと、20歳の年の差があるという設定のときと、台詞が変わったり面白さが変わったりするだろうか。

 暗転はあるがセットは変わらず場所も変わらない。登場する役者は二人だけ。
 そうしたら、役者二人が役を入れ替えて演じるというのもありだろうか。そうしたら、多分、面白さは変わる。台詞も変わるだろうか。敢えて「全く台詞を変えない」ということもできるだろうか。
 何だかそんなこともつらつらと考えていた。

 見終わって外を歩いていたら、泣きすぎて頭が痛くなっていたけれど、泣きすぎてすっきりもしていた。
 見られて良かった。

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コメント

 みずえ様、コメントありがとうございます。

 みずえさんは映画版をご覧になっているのですね。
 私は映画をほとんど見ないこともあって、映画版は見ていないのです。
 そういえば、三谷幸喜監督作品を映画館で見たことはないような・・・。飛行機の中で「ステキな金縛り」を見たことは覚えているのですが(笑)。

 みずきさんから、これまでの上演とラストシーンが異なることを教えていただいたところですが、今回の終わり方にはかなり泣かされました。
 再演で戯曲が変わることもありますし、出演者が変わることもあります。おっしゃるとおり社会情勢によっても、観る我々の側の受け取り方も公演をされている方々の思うところも変わってくるでしょうし、その相乗効果もあると思います。だから舞台が好き。
 次の上演のときには、みずえさんもぜひご覧になってくださいね。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2023.03.06 23:59

 みずき様、ご無沙汰しておりました&コメントありがとうございます。
 そして、96年、98年版とラストが違っているとのこと、教えていただいてありがとうございます。

 そうだったのか! 私の記憶力だけの問題ではなく(記憶力にも問題は大ありなのですが)、見覚えがなかったのはそもそも見ていなかったからなのだわ! と腑に落ちました。
 同年代の西村さんと近藤さんのコンビでしたら、おっしゃるとおり、今回のラストシーンにはならなかっただろうと思います。
 内野さんと瀬戸さんだからこそ、向坂が前途有為かつ自分が期待している若者の出征を見送るに際して「生きて戻れ」と言うラストが生まれたのだわと納得しました。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2023.03.06 23:49

姫林檎さま
私はこれは、映画版で観ました。
なので、ストーリーわかってるし、観なくてもいいかな、と思ってチケットを取らなかったのですが、これを読んで、やっぱり観ればよかった…と悔やみました。
いろんな役者が演っている本作ですが、きっと印象も、それぞれ全然違うんでしょうね。
そしてそのラスト。
読んだだけで泣きそうです。
特に今は、ウクライナのことを考えてしまいました。
世界中の人がこれを観て、戦争って何?この舞台の前提がわからない、と思う世の中になって欲しいと切に思います。

投稿: みずえ | 2023.03.06 17:45

お久しぶりです。
私も『笑の大学』を観ました!
私は96、98年版を観ていないのですが、今回はラストを変更してあるとパンフレットに書いてありました。
脚本の修正は続く、という終わり方だったそうです。
初演のキャストはほぼ同い年だそうですね。きっとかなり雰囲気が違うことでしょう。
98年版のBlu-rayを販売してましたが、買っておけば良かったかなと今更思っています。

投稿: みずき | 2023.03.06 14:43

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