「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行く
2023年7月19日、国立近代美術館で2023年6月13日から9月10日まで開催されている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行って来た。
竹橋の駅を降りて1b出口から地上に出たら、そこにいる人がほぼ同じ方向に歩いており「もしや」と思ったら、ほぼ全員が国立近代美術館に吸い込まれていった。
そんなに人気があるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。
入場時間指定制ではなくなっていたものの、事前にネット購入する人が多いようで、チケット売り場に行列はなかった。
2200円也を支払い、大きな荷物は100円が返却されるコインロッカーに預け、入口に向かう。私はうっかりと持ち込まなかったけれど、この展覧会では一部の展示が撮影可となっていた。
サグラダ・ファミリア関連の模型が撮影可のようだった。なかなか興味深い展示だったので、「持って来れば良かったかも」とちょっと思った。でも、コインロッカーまで取りに戻るほどではない。
「1 ガウディとその時代」では、ガウディの顔写真から展示が始まっていた、と思う。
ガウディは写真嫌いで有名で、かつ、どんなに困窮してもほぼほぼ常に帽子を被っており、無帽の顔写真は数枚しか残っていないそうだ。
その貴重な1枚だ。
結構ハンサム(という言い方がすでに古い)と思う。
「写真」がいつ頃から普及したか知らないけれど、作者の写真が残っていると、存命だったり存命だったころを知っていたりする人以外の場合は、「意外と最近の人だったのだな」と思ってしまう。
よくよく考えたら、アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリアが今も建築中なのだから、それほど昔の人な筈がない、のかも知れない。
今確認したら、ガウディは1852年生まれだった。
展示は、ガウディが学生時代に作成した設計図(というよりも完成予想図?)に続いた。
絵画展ではなく「建築物」と「ガウディ」に焦点が当たっているためか、個々の展示物に説明文が加えられていることが多かったと思う。特にガウディの人となりや、ガウディが勉強した軌跡、時代背景などは「意図」を説明してもらって初めて、その展示物がここにある意味が分かるように思う。
詳細な説明は有難い。
オーディオガイドを借りても面白かったかなと思う。
「2 ガウディの想像の源泉」では、サグラダ・ファミリア以外の、ガウディが設計した建物等が紹介されていた。
その一部に、万博博覧会に関わっていたときの身分証まで展示されていたのが可笑しい。その身分証に、「無帽の写真」が付いていたからだと思う。
30年位前に旅行でバルセロナに行ったときに訪れた建築物もいくつか採り上げられていて、何だか嬉しい。
その中で、グエル公園のとかげがいなかったのが少し寂しかった。建築物ではないものの、グエル公園入口の噴水ととかげはガウディの代表作のひとつだと思うのに。残念である。
グエル公園の一部が「洞窟」をイメージして形作られているということも、確かにその通りだったけれど、改めて説明されて「そうだったなぁ」と思う。
訪れた当時は、割ったタイルで飾られた壁面やトカゲ、やけに座り心地よく作られやはりタイルで覆われていたベンチなどにばかり気を取られていた。
他にもモンセラートの修道院、グエル教会堂などなどの展示もあった。
写真があり、装飾の一部があり、模型がある。
ニューヨークに計画されていたホテルなど、私の身長より大きい模型が展示されていた。
グエル公園とカサ・ミラには入場して見学した。グエル邸は要事前予約、カサ・バッリョには(理由は忘れたけど)入れなかった記憶だ。
「なぜ万難を排して行かなかったんだ、自分!」と思う。
それなのに、カサ・バッリョにあるという木製の椅子にはなぜか既視感があった。
もしかして、入口のドアだけは開けて、玄関ホールくらいは覗かせてもらったろうか。覚えていない。
カサ・ミラは内部が見学できるようになっていて、屋上にも上がり、結構気に入っていたことを覚えている。屋上にある水槽等が白く、雪山の嶺を表しているという説明があり、今頃になって「そうだったのか!」と思った。
「カサ・バッリョ」は海がテーマ、「カサ・ミラ」は山がテーマと紹介されていて、今更「そうだったのか!」と思う。カサ・バッリョが海をテーマにしていることはブルーのタイルで飾られていたり建物の壁面が波打ったりしていて一目瞭然だったけれど、カサ・ミラは一目で「山」と思う感じではなかったと思う。むしろ、砂漠っぽいイメージを持っていた。
当時からこのときまで、カサ・ミラが「山」をイメージしているとは思っていなかった気がする。
最後に参考出品ということで、「平局面」「双曲線面」「ラセン模型」などが展示されていた。
併せて、様々に「幾何学的」な観点からの説明がされていたけれど、言葉や漢字の字面を見ただけで私の脳みそが拒否反応を示し、「分からない・・・」とつぶやきながら説明の多くをスルーした。
サグラダ・ファミリアのコーナーも含め、いくつかの「ナントカカントカ曲線」等の考え方の説明が動画で展開されていて、それを見ると「分かった気持ち」になってとてもありがたかった。
その流れで「3 サグラダ・ファミリアの軌跡」に入る。
まず「建設費」の話から始まるところが世知辛い。会誌のようなものを発行し、会員に配ることで「賛助会員」を集めていたらしい。この仕組みは今も続いているんだろうか。
サグラダ・ファミリアは、ガウディが最初から設計等を担当していた訳ではなく、二人目の建築家だったと初めて知った。
そして、建設に長い時間がかかっているし、責任者が変わっていたこともあって、サグラダ・ファミリアの設計は結構な規模で変更が重ねられて来たようだ。ガウディ自身も設計の変更を重ねている。
また、サグラダ・ファミリアが長い時間をかけた建設を許されたのは、(誰が許したのかはよく分からなかったけれども)地下の祈りの場が最初に建設され、その機能を果たしていたから、という説明がされていたと思う。
なるほどと思う。
私が訪れたときは、まだ建物内部が「外」のような状態で、内外の区別もついていなかった。当然、そこで祈りをささげるなんてことはできない状態だったはずだ。
そういういわば「全体設計」の観点と、「自然の摂理を設計に取り入れる」というガウディの方針と、彫刻や装飾などの個別の意匠と、様々な観点から展示がされている。
外尾悦郎さんが担当された「歌う天使たち」が完成する前、仮に設置されていたという像がサグラダ・ファミリアを飾っているのと同じ構図で展示されていた。そういう仮置きの彫刻たちは壊れやすいこともあって、役割を終えると廃棄されているそうだけれども、これらは外尾氏の出身地で保管されているという。
そう言われてみると、ちょっと東洋人っぽい顔立ちの天使たちのようにも見えてくる。
特別に許可を得てNHKがドローンで撮影したという映像が、かなり大きなスクリーンに投影されていた。近くで見ているとちょっと酔うような映像である。
サグラダ・ファミリアにたくさんある尖塔のうち、果物をイメージしたようなブドウのような頭頂部を持つ尖塔がり、カラフルでかわいい。
その「丸い造形の塊」が地上で作成過程にあったことをやけにくっきりと覚えている。
あの白くて大きな丸があんな形であんな高い場所に設置されているなんて! とやけに感激した。
紐の両端を天井に固定して、その紐が描く曲線を上下ひっくり返し、サグラダ・ファミリア等の「アーチ」のラインを決めたという話は前に聞いたことがあって、ガウディによる逆さづりの実験の様子が展示されていたのも興味深かった。
しかし、完全に「自然の形」を設計に活かしていると思っていたら、ガウディは、その紐の途中途中に左右対称になるように錘を吊るし、アーチの形状を調整していたらしいと知って少し驚いた。
その「錘を吊るす場所と錘の重さ」の試行錯誤がまた執念深く緻密という話で、一見して納得できる紐の多さと重なりぐらいだった。なるほど、そういう形で「自然」に干渉もしていたのだなと妙に納得する。
その試行錯誤の過程が「創作」ではなく「発見」と称する所以なのだと思う。
2021年に完成したという、現在は一番高くそびえているマリアの塔の天頂の模型(試作品)もあった。
この「星」は夜になると光るようになっている。最初から明かりを入れるつもりだったのかしら、やはりLEDを使っているのかしら、電球の交換は可能なのかしらなどなど考える。
中心にそびえ立つ予定のイエスの塔が建設中である現在、やはり存在感を放っていると思う。
イエスの塔は2026年に完成予定という。
サグラダ・ファミリア全体の完成はいつになるのだろう。コロナ禍で建設が一時止まり、恐らくは色々と見直しを迫られたのだろうと推測する。
しかし建設が再開され、少しずつ確実に完成に近づきつつあるサグラダ・ファミリアに実際に立ってみたいと思う。
何しろ、まだまだ展示があり、語られていたことがあり、全く消化できていない。実際、美術展等に2時間近くいたのは初めてだと思う。
楽しかった。
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