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2023.07.29

「メトロノーム・デュエット」を見る

奏劇vol.3「メトロノーム・デュエット」
原案・作曲 岩代太郎
脚本・演出 山田能龍
出演 高橋克実/浜中文一/寺西拓人/富田靖子/斉藤由貴
演奏 新倉瞳 (チェロ)/桑山哲也 (アコーディオン)/岩代太郎 (ピアノ)
観劇日 2023年7月29日(土曜日)午後5時開演
劇場 よみうり大手町ホール
上演時間 1時間15分
料金 8400円

 よみうり大手町ホールには初めて行ったと思う。
 コンサートでも行ってみたいと思った。

 ネタバレありの感想は以下に。

tspの公式Webサイト内、奏劇vol.3「メトロノーム・デュエット」のページはこちら。

 正直なところ「奏劇」が何なのか、全く知らないまま出かけて行った。
 よみうり大手町ホールに行ったのも初めてで、客席に入って、「劇場」ではなく「コンサートホール」仕様なことに驚いた。舞台上にピアノも置かれており、「演奏」の方に軸足が置かれているのだなとそこで初めて思った。
 それで次に「役者さんたちが歌うのか?」と思ったら、歌うシーンは一つもなかった。

 役者さん達は台本を手に登場しする。「朗読劇」と言っているけれど、朗読劇と演劇の差が今ひとつ分からない。
 台本を舞台上で「読む」形であれば「朗読劇」になるんだろうか。イメージとしては、「朗読劇」だと役者さんたちは動かないという感じがする。また、「朗読劇」は一人で地の文も台詞も読む感じがするけれど、この「奏劇」はどちらでもない。
 やはり「新しい試み」ということなのだと思う。

 高橋克実演じる芸術大学の教授が「音楽は人を支配できる」をテーマに長年の研究を続けており、イタリア旅行した際に見つけた、その昔は拷問の道具に使われていたという「悪魔のメトロノーム」を大切にしている。
 富田靖子演じる大学の常勤医師を手伝うという名目で、彼女から学生たちのうちメンタル面で問題を抱えている者の情報を入手して面談し、自分の理論を実証しようとしている。
 実証したら、斉藤由貴演じる初恋の女性との恋を成就させようともくろんでいるらしい。

 と、この設定がまず気持ち悪い。
 「音楽と言葉を結ぶ『奏劇』という新しい舞台芸術のカタチ」と謳っておいて、何故に「音楽」をそういう風に扱おうとするのかと思う。
 プラス面だけを語る必要はないけれど、わざわざこちらの方面からアプローチする理由が分からない。
 しかも、浜中文一と寺西拓人が演じる学生二人は、一人は自殺し、もう一人は自暴自棄になってしまう。
 そうなっても大学教授が後悔したり反省したりする様子はみじんもない。むしろ自分の理論が間違っていないと証明されて嬉しそうだ。こういうのを胸くそ悪いというのではないか。

 精神科医の女性があっさりとその雰囲気に飲まれてしまうのも何だか腹立たしい。
 あなたはプロだし、経験も豊富なのだから、この教授の雰囲気に飲まれるんじゃないわよ! と叱咤激励したくなる。

 美しさとか素晴らしさだけを語れとは言わないけれど、やっぱりこのアプローチを選んだ理由が分からない。
 舞台上で演奏されるピアノ(シンセサイザーのような楽器が演奏されることもあった)、アコーディオン、チェロの三重奏は耳に心地よく、この音楽と一緒に何故この設定! とやっぱり思ってしまう。
 一言で言うと、勿体ない。

 斉藤由貴演じる「大学教授の初恋の女性」は、最初は随分と清楚かつ恥じらいを持った感じで文通相手として登場したけれど、実際に彼を訪ねてきた彼女は見るからに「できる女」という雰囲気を漂わせ、彼の研究を知っている、自分は某党の選挙参謀である、愚民(とは直接言っていなかったかも知れない)を率いる人間が必要である等々ともの凄い迫力と形相で教授に迫り、ついには彼を選挙に立候補させる。
 最後は、彼の選挙演説のシーンだったと思う。その様子を、選挙参謀の彼女がたばこを吸いつつ(という風に見えた)見守っている。精神科医の女性も登場するけれど彼女は何を思っているのだろう。
 そういうラストシーンだ。

 できればもう少し幸せなお話で見て聞きたかったように思う。

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