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2023.07.31

「兎、波を走る」を見る

NODA・MAP第26回公演「兎、波を走る」
作・演出 野田秀樹
出演 高橋一生/松たか子/多部未華子/秋山菜津子
    大倉孝二/大鶴佐助/山崎一/野田秀樹 他
観劇日 2023年7月29日(土曜日)午後2時開演
劇場 東京芸術劇場プレイハウス
上演時間 2時間10分
料金 12000円

 ロビーでの物販等々、全く見逃してしまった。
 当日券に並ぶ長い行列に驚き、チケットを確保できたことの幸運に感謝した。

 ネタバレありの感想は以下に。

 野田地図の公式Webサイト内、「兎、波を走る」のページはこちら。

 NODA MAPのお芝居なので、ストーリーを追うのはほぼほぼ不可能だ。
 可能かもしれないけれど、あまりにも重層的というか様々な意味が重ねられたり込められたりしていて、全貌を把握できない。
 とりあえず、タイトルのとおり「兎」は出てきて、舞台を縦横無尽に走り回っていた。
 主演の高橋一生も、とりあえず「兎」である。ただ、「波」の上は走っていなかった、ような気がする。

 タイトルが「兎、波を走る」であるのは、ここのところ(最初に見たのは「逆鱗」のときだったような気がするけれど、多分違う)NODA MAPの舞台で使われていることが多いような気がするアナグラムが、この舞台でも縦横無尽に使われているから、という理由があると思う。
 何だか我ながら回りくどい書き方である。でも、NODA MAPのお芝居にこういう回りくどさは似合うと思う。
 そして、自分で書いていて思ったけれど「縦横無尽」という言い方もよく似合う。NODA MAPの舞台では、役者さんは縦横無尽に走り、跳び、叫ぶ。

 高橋一生が兎なら、松たか子は「迷子になった娘を探すお母さん」である。
 その迷子になった娘がアリスである。多部未華子演じるアリスは、いかにも「不思議の国のアリス」の格好をしている。金髪で、青いワンピースを着ている。このワンピースのスカートの後ろが黒のチュールになっていて、その水色と黒の対比が酷く不安な感じを醸し出している。ただの水色のサテンぽい布地と黒いチュールを重ねた感じが切り替わっているだけなのに、どうしてここまで不穏になるのか、不思議だ。

 彼ら3人は、秋山菜津子演じるハートの女王が経営している遊園地にある劇場で上演されようとしている舞台の登場人物、らしい。
 この辺りからもうしっちゃかめっちゃかである。
 その舞台の台本を書いているのが、大倉孝二と野田秀樹が演じる作家たちである。チェーホフっぽい名前と、ブレヒトっぽい名前の作家だ。ブレヒトっぽい作家を演じている野田秀樹が「自分は社会派の作家だ」と台詞をしゃべっていて、おぉ! とうーん、 と両方の感想が浮かんだ。

 秋山菜津子演じるハートの女王は、何だか「桜の園」の女主人のようでもあって、大鶴佐助演じる側近の男に競売で遊園地を買われてしまった、らしい。
 そうしたら、山崎一が演じていたのはどんな役柄だったのか、衣装は覚えているのに立ち位置がどうしても思い出せない。我ながらどうにも情けなさ過ぎる記憶力だし理解力だ。

 前から3列目だったので、舞台が近い。役者さんたちが滅茶滅茶近い。
 舞台の前方に出てきて演じていると、もう顔とか手とかに手が届きそうである。
 まるっきり阿呆な感想だと思うけれど、本当に肌が綺麗だなぁと思う。ドーランを塗っているのだろうけれど、厚塗りな感じはしないし、シワ一つシミ一つないように見える。

 そして、松たか子の表情がくるくると変わる様子をこんなに近くから見られて、もの凄く得をした気持ちになった。
 こんなにもくるくると表情を変えていたのか! と思う。客席後方からではこのくるくるさは堪能できない。NODA MAPの舞台では、舞台全体を使って表現されるので、その全貌を俯瞰で見たいという気持ちもありつつ、近いところで役者さんの演技が見られるというのはやはり幸福である。

 一方の高橋一生は表情を変えることはあまりしない。表情だけで「**という心持ちなのね」と察することは結構難しいと思う。
 この舞台ではもう声のいい役者さんたちしかいなくて、聞きやすく気持ち良くストレスなく聞くことができて、もはや「台詞が届いて当たり前」みたいな感じになっているけれど、そもそもそれが凄いことだし、中でも高橋一生の声は凄いと思う。顔の表情よりも声の表情で伝えてくる。
 高橋一生のしゃべり方というかイントネーションは時に独特な印象を与えるけれど、この舞台ではそれは封印されているようにも聞こえた。不思議だ。

 兎と母親は「アリス」を通して繋がっている。
 母は娘のアリスを探しているし、アリスは「兎」を追って行方不明になっている。
 そして「兎」は「USAGI」であり、「USA-GI」で、彼は元々北朝鮮(とは一度もはっきり言っていないと思う)でアリスのことを知っており、しかしアリスを置いて脱出してきた「兎」である。
 その「舞台」を「38度」を連発することで伝えて来ようとする。

 そうして、兎と母とアリスの関係は、北朝鮮の拉致問題へと繋がって行く。
 恐らく、他にも様々な要素が詰め込まれ、さりげなくあからさまに表現されていると思うけれど、私はここまでで精一杯である。
 そして、そうと気づいたときの心情としては、「そうだったのか!」というよりは「そう来たか!」という方が近い。理由は分からない。
 彼らが「舞台上の登場人物」であることや、繰り返される「さっと見たら兎に見える」という言い方は、多分、「他人事」のように「鑑賞」している我々への警鐘なのだと思う。
 全然違うかもしれないけれども。

 お腹いっぱいだし、消化不良だ。
 ちゃんと味わえていない、受け取らなくてはいけない何かを受け取め切れていない焦燥を感じるのはNODA MAPの舞台ではいつものことだ。
 そのまま忘れていることもあるし、ある日突然「あぁ!」となることもある。
 でも、それは、舞台を見たからこそだ。
 見られて良かった。

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