「尺には尺を」を見る
新国立劇場の演劇 シェイクスピア、ダークコメディ交互上演「尺には尺を」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
演出 鵜山仁
出演 岡本健一/浦井健治/中嶋朋子/ソニン
立川三貴/吉村直/木下浩之/那須佐代子
勝部演之/小長谷勝彦/下総源太朗/清原達之
藤木久美子/川辺邦弘/亀田佳明/永田江里
内藤裕志/須藤瑞己/福士永大/宮津侑生
観劇日 2023年10月21日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場
上演時間 2時間55分(20分の休憩あり)
料金 8800円
ロビーではパンフレットや戯曲本などが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
「尺には尺を」は、彩の国シェイクスピアシリーズで見てから7年ぶりくらいで見たらしい。
その前はさらに10年くらい前に、子どものためのシェイクスピアシリーズで見ているようだ。
でも、見たことすら覚えていない。自分で書いた感想を今読み直してみたけれど、それでも全く思い出せない。
我ながら素晴らしすぎる記憶力である。
そんな訳で、「尺には尺をってタイトルは聞いたことがあるけど見たことあったっけ?」と思いながら見に行った。
過去2回、見たときにはどうやらほぼ同じ感想を持っていたようで、前回のときは、以下のような感想を書いている。
***** ***** ***** ***** ***** ***** *****
やっぱり部下に自分の尻ぬぐいをさせるのと同時に試すようなことをするヴィンセンショーは主として全く尊敬できないし、自分の悪口を言っていたからといってルーチオを極刑に処すなんて、人間として小さすぎやしないか。
クローディオが生きているのにイザベラに死んだと思わせるのも残酷なやりようだと思う。
それに、イザベラの身替わりにマリアナをアンジェロのところに行かせようというヴィンセンショーは女性全体を人間とは思っていないんじゃないかという気がするし、自分ではない女性を好きになって抱こうとしている男のところに身替わりとして行こうというマリアナの発想は全く理解出来ないのは今回も同じだ。
***** ***** ***** ***** ***** ***** *****
それが今回は、ここに書いたような感想はほぼほぼ浮かばなかった。
理由はよく分からない。
同じ事象に対して受けた印象を言うとすると、ヴィンセンショーは一体何がやりたくて自分が統治するウィーンから離れた振りをして若者に統治を任せてみたんだろうとは思ったものの、尊敬云々は全く思わなかったし、ルーシオを極刑にするのももちろん当然だとは思わなかったけれど酷すぎるという感想も何故か浮かばなかった。クローディオの命が助かったことをイザベラに隠していたことの意味は不明だし、マリアナをアンジェロのところに行かせたのはイザベラの貞操の危機を救うだけにしてはやりすぎじゃないか、と思ったりはしている。
「尺には尺を」は、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」と同じことを言っていて、ヴィンセンショーからウィーンの統治を任されたアンジェロが古くさい法律を盾に姦淫罪を犯したクローディオを死刑に処そうとしたところ、兄の助命嘆願に来た修道尼候補のイザベラに恋をし、兄の命と引き換えに自分に身を捧げるように強要し、イザベラから相談を受けたヴィンセンショー扮する神父が、アンジェロに実家の船が沈没して家族を失い持参金も失ったため捨てられたマリアナをイザベラの身代わりに仕立て、併せてアンジェロに対して「おまえが罰したクローディオと同様に死刑だ」と言い放ったことを差しているようだ。
そして最初に戻るけれど、ヴィンセンショーという統治者は一体何がしたかったんだろうと思う。
分からない。
分からないけれども、何というか、怒りは湧かないし、嫌悪感もあまりない。
どうしてなんだろうか。
総じて「他人事」な感じで見ていたのかもしれない。
とはいえ、何というか、ストーリーとしてあり得ない感じのことではない。
同じシチュエーションはないだろうけれど、勧善懲悪で白黒はっきりしているよりも、特に目的もなく行動することも、ある人がいい人だったり嫌な奴だったりすることも、日常生活では普通である。
その普通の感じが舞台上で展開されているから「変わっている」とか「分かりにくい」という感想が生まれるのだと思う。
物事は極端なくらいに単純な方が理解しやすい。
「尺には尺を」では、ルシオは神父に扮した侯爵本人に向けて侯爵の悪口を言ったために死刑に処せられるし、でもそれってそもそもヴィンセンショーが自らを偽っていたのが悪いんじゃないかという気がするし、被害者っぽい立ち位置にいるイザベラだって「自分の操のためには兄は死んでくれると思う」みたいなことをキッパリと言い切って兄に向かって同じことを言っちゃうし、持参金を持って来られなくなった婚約者を捨てるのは当然と言い放ったアンジェロはちゃっかりその元婚約者と結婚することになって裁かれもしないし、腑に落ちないことだらけだけれど、何というか同時に「そういうこともあるよね」みたいな印象も強く受ける。
舞台上の様々な理不尽に真正面切って怒るには、あまりにも綺麗に整っているし、ついうっかり笑いすぎている。
この舞台では言葉遊びというかだじゃれが頻出していて、そのおかげなのか、舞台全体が軽やかになっている気がする。
そして、装置という意味でも、密度という意味でも、かなりすっきりとした舞台である。
舞台お国書き割りの建物の外観が吊されていて、ドアは開くようになっている。
(そういえば、舞台の途中でこの書き割りの扉が開かなくなり、舞台上の役者さんが焦っていた。最初は演出と思ったけれど、余りにも開かないドアに諦めて書き割りの横を回り込んで退場していき、少しして何故か開いたドアを慌てて閉めていたことからもトラブルだったのだと思う。分かりやすく舞台上の空気を壊すこともなく乗り切った役者さんたちに拍手である。)
ベンチっぽい椅子が二つ置いてあって、舞台装置はこれでほぼ全てである。
そして、毎回書いているような気がするけれど、この舞台も出演の役者さんたちの声が一人残らずクリアに聞き取れた。
気持ちいい。
劇場の音響もいいのだろうし、役者さん達の発声や滑舌もいいのだと思う。
そのお陰なのか、3時間弱の上演時間があっという間だった。退屈している暇もない。
すっきりしたクリアなステージに引き込まれた。
戯曲構造の立体化というのはこういうことを言うのかと思ったくらいだ。(多分違うと思う。よく知らない。)
終わり方としては勧善懲悪ではない分ごにゃっとしている。
それはそれとして、何故かヴィンセンショーに求婚されたイザベラが思いっきり戸惑いつつ、知り合いに視線で助けを求めても全く無視されつつ、ヴィンセンショーに腕を取られて彼の屋敷に連行されて行くラストシーンが可笑しかった。
このヴィンセンショーという男、やろうと思えば、例えば「ユダヤの商人」のシャイロックや「リチャード三世」のように分かりやすく、思いっきり極悪人に描けるのではないかと思う。
面白かった。見て良かった。
「終わりよければすべてよし」もとても楽しみである。
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