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2023.10.28

「終わりよければすべてよし」を見る

新国立劇場の演劇 シェイクスピア、ダークコメディ交互上演「終わりよければすべてよし」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
演出 鵜山仁
出演 岡本健一/浦井健治/中嶋朋子/ソニン
    立川三貴/吉村直/木下浩之/那須佐代子
    勝部演之/小長谷勝彦/下総源太朗/清原達之
    藤木久美子/川辺邦弘/亀田佳明/永田江里
    内藤裕志/須藤瑞己/福士永大/宮津侑生
観劇日 2023年10月28日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場
上演時間 3時間5分(20分の休憩あり)
料金 8800円

 ロビーではパンフレットや戯曲本などが販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 新国立劇場の公式Webサイト内、「シェイクスピア、ダークコメディ交互上演」のページはこちら。

 もちろん舞台は一緒で、交互上演だからそれぞれにセットを作り込むことは不可能だ。
 「尺には尺を」では、赤い書き割りのお屋敷の外観が中央に下げられていた一方、「終わりよければすべてよし」では白っぽいグレーかなという色合いの大きな1枚の布が舞台中央に菱形に吊され、様々に形を変えて使われていた。
 両方を見る観客を意識したセットである。

 そもそも「尺には尺を」と「終わりよければすべてよし」をセットで上演するという企画は、この二つの戯曲が似ていて、「ダーク・コメディ」と分類されることから来ていると思われる。
 この二つの戯曲は、不実な夫に最初から見捨てられていた妻が、純潔を奪われそうになった娘の身代わりとなって夫と一夜をともにする、というシチュエーションが全く同じで、単純な私はそれだけで「なるほどね」と納得してしまった。

 そして、見捨てられていた妻を両作品で中嶋朋子が演じ、娘をソニンが演じている。同じ立場の二人を同じ役者が演じることで、ますます二つの作品の「対」となっている性質が強調される。
 不実な夫を、「尺には尺を」では岡本健一が演じ、「終わりよければすべてよし」では浦井健治が演じているのとは対照的だ。

 それにしても、この「不実な夫」達のクズ男っぷりが半端ない。
 ここまでクズなのに、どうしてそこそこ賢そうでそこそこ貞淑そうな妻たちが執着するのか、今ひとつ理解できない。
 考えてみれば、「夫を騙して夫に抱かれて夫を陥れる」ということを妻たちはたった一つのことで成し遂げている訳で、見方を変えれば相当の悪女である。
 お互い様ということなのか。

 特に「終わりよければすべてよし」のヘレナは、そもそも夫であるバートラムと結婚するに当たって、本人は無自覚だろうけれどかなりの策略を用いている。
 父の遺言に従って自分を引き取ってくれたバートラムの母である伯爵夫人を籠絡し、医者であった父が残した処方を用いてフランス王の病を治してその報償としてバートラムとの結婚を望む。
 バートラムとしては、ほぼほぼだまし討ちにあったようなものである。

 とは言え、バートラムだってもちろん清廉潔白な人間ではない。
 清廉潔白どころか、浮気性の不誠実極まりないチャラい男である。
 しかも嘘が下手だ。ペラペラとその場しのぎの嘘を吐いて自らの墓穴を掘って行く、頭が悪すぎる感じの人間である。腹立たしい。
 そこをチャーミングに演じてしまう浦井健治は豪腕だと思う。

 この2作品で主要登場人物を演じている岡本健一、浦井健治、中嶋朋子、ソニンは、それぞれしゃべり方に特徴のある役者さん達だと思う。
 いい意味で癖が強い。
 そして、その癖の強さを、それぞれが演じている登場人物たちの特徴を際立たせるように最大限利用している感じがする。キャスティングの段階からもちろん狙っていたのだろうし、役者さんたちも何というか開き直って切り札を切りまくっている感じがする。楽しい。

 善悪がはっきりしていて、例えば「ユダヤの商人」のシャイロックは分かりやすく悪人だし、「リチャード三世」のリチャード三世だって分かりやすく嫌な奴である。
 それに対して、誰が善人で誰が悪人なのか、最初からどうとでも受け取れるように書かれているからこそ、この2作品はシェイクスピア作品の中では異色と言われ、分かりにくくスッキリしないから上演回数が少ないということなのかしらと思う。
 中でも「終わりよければすべてよし」のヘレナは本当に釈然としなかった。もうちょっと同情させてくれるキャラでいてくれた方がスッキリしたのに、と勝手なことを考えてしまった。

 そして、実のところ一番腑に落ちないのは、妻に陥れられたと悟った夫たちがあっという間に改心する点である。本当に秒単位で改心している。全く以て理解できない。
 ただ、その部分は、何故か「シェイクスピアがご都合主義ってこういうことなのね」という我ながら明後日の方向にストンと納得できてしまった。何というか、そこは気にしても仕方がないという感じが盛大に漂っている気がした。

 ストーリーの中でも後半になるにつれ何度も「終わりよければすべてよし」という台詞が言われ、ラストシーンでは、王冠を置いたフランス王がいきなり「役者」「作者」のような存在を演じ始め、客席に向けて「ご満足いただけましたか」と語り始める。
 ここはもう少し分かりやすく切り替えてよ、と思ってしまった。
 それはそれとして、こういう現実と舞台上の物語が混ざり始め最後に登場人物が現実世界に飛び出て来たり、役者さんが一人で客席に向かって語るモノローグのような場面が多かったり、「終わりよければすべてよし」の方がより実験的な作品なのだと思う。

 私が見たときは、両作品ともカーテンコールで客席で立つ人がいて、「終わりよければすべてよし」の方が盛大だったと思う。客席からは「ブラボー」の声も飛んでいた。
 ただ、私自身の好みで言うと、「尺には尺を」の方が好きである。ハラハラドキドキ感が強いように思う。
 いずれにしても、この両作品の交互上演、面白かった。両方見て良かったし、この順番で見て正解だったなと思っている。

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