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2023.11.05

「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に行く

 2023年11月3日、国立近代美術館で2023年10月6日から12月3日まで開催されている「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に行って来た。
 3連休の初日かつ「文化の日」で混雑するだろうと思い夕方16時半くらいに行ったところ、ゆったりと見ることができた。
 一部を除き写真撮影が許可されており、それほど待つことなく写真を撮ることができるくらいである。良かった。

 今年、国立近代美術館のガウディ展に行った際に、この棟方志功展が開催されることを知り、ぜひ行きたいと考えて早々にチケットは購入していた。
 とはいえ、棟方志功について考えてみると、特に知っていることがない。眼鏡をかけてもじゃもじゃ頭の風貌と、おおらかかつ豊満な楊貴妃の版画のイメージがあるくらいである。
 さらに言うと、私は棟方志功と山下清と芹沢銈介の区別があんまりついていない気がする。
 我ながら、かなり駄目な感じだ。

 棟方志功は自身の版画を「板画」と称していたそうだ。
 油絵も描いていたことや、日本画を「倭(やまと)画」と称し多くの作品を残していることを始め、民藝運動と関わりが深いこと、そもそも柳宗悦との関わりは(何かの)美術展に出品しようとして大きさが規定を超えて展示を拒否されようとしていたところに柳宗悦の助けが入ったことがきっかけだったこと、商業デザインも多く手がけていること、外国に何度も出かけていることなど、初めて知ることばかりだった。

 展示は「Ⅰ 東京の青森人」「Ⅱ 暮らし・信仰・風土−富山・福光」「Ⅲ 東京/青森の国際人」「Ⅳ 生き続けるムナカタ・イメージ」の4部構成で、そこにプロローグが加わっている。
 油絵を目指し、そこから板画に移る。文字(文章)と絵を組み合わせた作品を多く作成する。戦中の物資不足で彫るための板が手に入りにくくなり、肉筆画を手がけたり、小さな板に彫ったりすることが多くなる。
 最初は、白地に黒い線で表していたが、次第に、黒地に白く彫った線で表すことにより「彫った線」を後に残すことができるようになる。
 挿絵も多く手がけているし、商業デザインも気軽に引き受けていたらしい。
 戦後の復興期、建設ラッシュの中で大柄な作品も多く手がけるようになる。
 海外でも、ヴェネチア・ヴィエンナーレでの受賞などなど、高く評価されている。

 とにかく意外な感じがする。
 何というか、生前から評価され、縦横無尽に活躍した人だったんだなぁと思う。どうも画家の方々は生前は苦労し、死後に評価された人ばっかりという勝手なイメージから抜け出せない。

 作品の印象は、まずは宗教を題材にした作品が多いことが意外だった。神様仏様曼荼羅イエス・キリストに日本武尊などなど、かなり多くの作品が神様の誰かとか仏様の誰かとかを題材にしている。
 かつ、連作というのか、1枚に一人を描いてその全員を並べて展示したり、表装して掛け軸にしたり屏風にしたり、大柄な作品に仕立てていることが多い。
 これは、そうして「一つ」にしてしまえば大きさ制限や点数制限なく出展できるという現実的な理由もあったらしい。

 そもそも、それぞれの作品についている「**の柵」という言い方は、「巡礼のお遍路さんが寺々に納めるお札のことで、一点一点の作品を生涯のお札として納めていく、その想いをこの字に込めている」ものであるらしい。
 信心深い人だったのか、でも信心深いだけだったらこんなに広範囲の神様を描くことはないような気もするし、特定の宗教を信仰しているというよりは、日々の生活の中で八百万の神を意識しているというか、自然にその場その場に合った「神様」に沿う感じの人だったのかなぁと思う。

 一方で、非常に幾何学的な作品が多いなぁとも思った。
 一言で言うと、左右対称が好きなんだなぁということだ。
 複数の絵を組み合わせた作品では、概ね、左右対称になっていたのではなかろうか。それは表装にまで及んでいるから、柳宗悦の趣味なのかも知れないけれど、とにかく「バランス」を保とうとしているように感じられる。

 もちろん、光徳寺にあるというふすま絵「華厳松」のように全く左右対称ではない作品もあるけれど、そもそも並べた襖を1枚の画面として扱っているというだけのことのように思う。
 ちなみにこの「華厳松」の裏側はふすま1枚1枚を一つの画面として使っていて、やはり「並べ方」に意を用いているように見えて、何となく楽しくなった。

 また、棟方志功は裏彩色の技法を多く用いていたそうで、板画の色が淡く穏やかなのはその技法の賜でもあるように思う。
 1枚の板から、モノトーンだけの絵にしたり、裏彩色でカラフルにしたり、彫り直しというか彫り足ししてまた刷ったりということもあったらしい。
 確かに、同じ意匠の板画で背景の色が異なっているものを、掛け軸にして3枚並べたものがあったと思う。タイトルや絵面を覚えていないのに、黄色と緑と青の3色だったような・・・、と数と色しか覚えていないところが間抜けである。

 文字と絵の組み合わせ、文字だけの作品もありつつ、その「文字」が日本語だけでなく英語のものまであったのもちょっと驚いた。
 何故、英語? と思う。
 海外旅行に行った際の印象や思い出を彫ったということなのか、そもそも英語で語られた詩が好きだったということなのか、とにかく意外な組み合わせだった。

 棟方志功が使っていた眼鏡や彫刻刀が展示されていたり、講演の音声が流されていたり、NHKが取材した映像があったり、ほぼほぼトレードマークとも言えるようなカメラを真正面から見た満面の笑みの写真があったりする。
 そもそも、棟方志功は自画像をたくさん作って(描いて)いるし、自伝のような書籍も複数出版している。
 「自分」にももの凄く率直なというか、真っ直ぐな興味を持っていた人なんだろうなと思う。アピール好きなのかどうかまでは分からない。全くないということはあり得ないけれど、さて、どうなんだろう。

 珍しく1時間半近くかけて楽しんだ。

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