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2023.11.26

「無駄な抵抗」を見る

「無駄な抵抗」
作・演出 前川知大
出演 池谷のぶえ/渡邊圭祐/安井順平/浜田信也
    穂志もえか/清水葉月/盛隆二
    森下創/大窪人衛/松雪泰子
観劇日 2023年11月25日(土曜日)午後1時開演
劇場 世田谷パブリックシアター
上演時間 1時間55分
料金 8800円

 ロビーではパンフレットが販売されていた。
 終演後、パンフレット売り場に列ができていて、他にもグッズがあったかどうかチェックしそびれた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 世田谷パブリックシアターの公式Webサイト内、「無駄な抵抗」のページはこちら。

 直前に「ギリシャ悲劇をモチーフにした作品である」ということを知り、それでも最初のうちは全然ピンとこないまま見ていた。
 場所はずっと駅前広場で、そこはすり鉢状になっていて、そのすり鉢状の周りに座れる場所が用意されているところが円形劇場みたいだなと思っただけだ。
 むしろ、その「駅」は、ある日突然全ての電車が停車しなくなり、説明もないままずっと「通過」され続けているという設定に、最近見た「燕のいる駅」を思い出したくらいだ。もちろん、関連は全くない、と思う。

 その駅前広場に、浜田信也演じる「狂言回し」がやって来る。
 彼はいわゆる大道芸人で、でもその芸は「何もしない」という芸らしい。動きとしてはクラウンのような感じだし、いかにもクラウンといった感じの笑顔を浮かべるけれど、そもそも「人」なのかどうか微妙な感じだ。
 彼に話しかける人もいて、会話も成立していたから、多分、設定として「人」だったと思うけど、彼が実は人ではありませんでした、というオチでも全く驚かなかったと思う。

 話の中心は、松雪泰子演じる元占い師のカウンセラー桜と、池谷のぶえ演じる元占い師の小学校の同級生だった歯医者「芽衣」だ。
 歯医者の彼女は、元占い師にカウンセリングを依頼し、何故か駅前広場でカウンセリングを受けている。
 プライバシーは? とか、何故に屋外? とか、治療費は? とか考えては駄目である。

 メイは、小学校のときに彼女に「人を殺す」と言われたことをずっと抱え込んでおり、人を殺さないように、人となるべく関わりを持たないようにして生きてきたのだと告げる。
 それはもう、占いではないし、メイが言うような「予言」でもなく、間違いなく「呪い」なんじゃないかと思う。
 ギリシャ悲劇を意識して見ていた訳では全くないのに、それでも、彼女たちのやりとりからは「呪い」という言葉しか浮かばない。

 渡邊圭祐演じる、芽衣が半年間に500万円もつぎ込んだらしいホストの「りひと」、清水葉月演じる「りひと」と同じ児童養護施設が育った「りさ」、芽衣の伯父からりひとと別れさせるよう頼まれた探偵と、彼に祖父(芽衣の伯父)からの伝言を持ってきた孫の女子大生、りひと達が暮らしていた頃に児童養護施設に勤めていたらしい駅ビルの警備員、芽衣の兄、駅前広場近くでカフェを経営している男など、その駅前広場には多くの人が行き交い、少しずつ二人のカウンセリングに関わったり関わらなかったりしている。
 何というか、芽衣と個人的な関係がないのは、カフェの店長だけではなかろうか。

 女性っぽくもおばちゃんっぽくもなれる池谷のぶえがショートカットにして、パンツに大きめのジャケットというスタイルをモノトーンでまとめているところからして、いわば「不穏」である。
 その時点で気づけたと後になって思ったけれど、かなり明確に示唆されるまで、ギリシャ悲劇の「オイディプス」がモチーフになっていることに気がつかなかった。

 見ているときはそれで納得してしまったけれど、もの凄く雑な言い方になるけれど「伯父に虐待を受けて中学生で伯父の子供を産み、今、伯父を訴えようとしている」芽衣の物語は、あっさりと「オイディプスだ」と言い切れないような気がする。
 何かも、自分でもよく分からない。
 確かにギリシャ悲劇にそういう物語があったよなという感触と、でも「オイディプス」ではないよな、芽衣と芽衣が28年前に産んだ男の子との間にオイディプスとイオカステのような関係はないし、そこに至らなかった物語だとも言えるような気がする。

 ただ、開き直ると、ギリシャ悲劇をモチーフにしているか否か、モチーフにした物語はギリシャ悲劇の何かということに関わらず、「無駄な抵抗」という舞台は、独特の空気感を持ったままで進んで行く。
 しっかりとした羅針盤があって、それは「ギリシャ悲劇かどうか」に関わらず、舞台をしっかりと支えきっている。

 だから、ギリシャ悲劇云々よりも、「うーん、この舞台に”電車が通過するようになった駅”」は必要だったのか? ということの方が気になっていた。
 少なくとも、芽衣は電車が停まらなくなったことを気にしていないし、桜も気にしていない。
 桜なんて引っ越して来たばかりみたいだし、何なら駅を使ったこともなさそうだ。

 駅に電車が停まらなくなったことを気にしているのは、ほぼ、カフェの店長だけだ。
 売り上げが激減したという現実的な影響もあるけれど、むしろ彼は「説明が全くない」ことの方に憤っている。その憤りから署名活動を始めたり、広場にいた人々に向けて演説を始めたりする。
 そして、ついには駅のポイントを動かして脱線事故まで起こしてしまう。
 それなのに、駅前広場に集う人々はそのことを全く気にしていない。どころか、「電車には人なんて乗っていない、あれは鉄の塊だ」なんて言っている。その設定と状況は何なのか。

 「すべての電車が通過するようになった駅」が何を象徴しているのか、最後までよく分からなかった。
 分からないといえば、実は「無駄な抵抗」というタイトルもよく分かっていない。
 芽衣のことを言っているのであれば、彼女の「人を殺さない」という抵抗は、彼女が人を殺さない限りは「無駄な抵抗」ではない。桜の一言がなければ抵抗しようと頑張る必要もそれに捕らわれて人生を無駄にしたと思うようなこともなかったかも知れないけれど、それでも「無駄な抵抗」ではなかったと思う。
 だとすれば「「無駄な抵抗」は何を指しているのか。

 「全ての電車が通過するようになった駅」はもしかして、そこが現実ではない、空間の捻れとか歪みとか、そういうものの象徴としてあったのかも知れない。
 ふと、そう思った。

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