「モネ 連作の情景」に行く
2023年12月8日、上野の森美術館で2023年10月20日から2024年1月28日まで開催されている「モネ 連作の情景」に行って来た。
キャッチコピー「100%モネ」のとおり、本当にモネの作品のみで構成されている美術展だった。
大抵は、「同時代の画家の作品」とか「**が影響を受けた画家の作品」「**が影響を与えた画家の作品」等々が同時に展示されているところ、である。
凄い。
日時指定制で、13時40分くらいに入ったときは全く行列はなかったけれど、15時近くに出てきたときには10人以上20人未満くらいの列ができていた。
時間によって、混雑具合が異なるようだ。
ミュージアムショップは別会場で、美術展を見た後、チケットを見せて入ることができる。こちらでも入場制限を行っていて、概ね20〜30分待ちになっていたと思う。
モネ展では、入口を入ったところの美術展タイトルは写真撮影可で、モネの絵の中に入ったような写真を撮ることができる、のだと思う。
次に続く、床面に睡蓮の池が投影されて歩くと波紋が広がるような映像を見ることができるインスタレーションも写真撮影可だった。
あと、最後の「睡蓮と時ヴェルニーの庭」と名付けられた展示室も「薔薇の中の家」という作品をのぞき撮影可だった。よく分からないけれど、貸出元の意向なのかなと思う。
作品リストを見ると、今回の美術展は「100%モネ」だけあって、特定の美術館の作品をテーマを決めてドンと貸してもらう形ではなく、あちこちの美術館からモネの作品を借りてきて開催されているようだ。
もの凄い情熱でもの凄い労力と時間をかけたのだろうなと、全くよく分からないのに一瞬遠い目になってしまった。
モネの絵は時代順に展示されていた。
それは、描いた場所別に展示されているというのと同じことだ。
「第1章 印象は以前のモネ」は、要するにサロンに挑戦し続けていた頃のモネということになる。
「昼食」という、モネの家族を描いた大きな絵も、サロンに落選した絵だそうだ。サロンに入選しなくなったことで、モネたちは「印象派展」を開催するようになるのだから、ある意味、転機の一つとなった絵ということになる。
「後に妻になるカミーユと息子のジャン」という説明に今ひとつ腑に落ちないものを感じる。
原田マハの「ジヴェルニーの食卓」という小説がとても印象深く、そこに登場するモネは成功して目を病みつつあるモネで、最初の妻のカミーユのことよりも、二番目の妻のアリスの方に重点が置かれている。
アリスの連れ子のブランシュがもう一人の主な登場人物で、彼女の亡くなった夫がモネの長男のジャンである。
この子が! と訳の分からない感慨を抱く。
印象は以前のモネの描く風景画は、勝手な私のイメージだとセザンヌ風というイメージだ。
もちろん、水辺を多く描いているので水の青や水辺の緑の明るい色が印象的な絵もありつつ、何というか、重厚な感じの絵が多いような気がする。サロンに入選していたということは、当時の流行の絵を描いていただろうから、こういう絵が流行っていたんだろうなと思う。
後の「印象派」時代の絵とは雰囲気が違う。
その「第2章 印象派の画家、モネ」の展示室では、同じ場所を同じ角度から違う角度から何枚も描いている様子が強調されている。
中に、外で絵を描いていたモネが愛用していたらしい「アトリエ舟」を描いた絵もあった。屋根と壁があって、水の上ならどこにでも行けるから、屋外で絵を描くときに都合が良かったらしい。
この絵を描くときにはアトリエ舟には乗れないわね、と思う。
連作ではないものの、そのときの「印象」を絵にしているのだから、同じモチーフを繰り返すことに不思議はない。というか、同じモチーフだからこそ、時間や気象や心持ちによる「印象」の差が際立つのだと思う。
この頃から、「連作」とまでは言わずとも、すでに「同じ場所で同じモチーフを何枚も描くことを繰り返しているらしい。
そして、「アトリエ舟」「セーヌ河岸」「橋から見た」等々、水辺の登場頻度が高い。
あと、割と絵に人が描かれていないことが多い中、「ヴェトゥイユの春」という絵には、小さく母と子供(多分男の子)の姿が小さく描き込まれていて印象的だった。
やはり、この母と子は、「昼食」に描かれていた母と子だろうか。
「第3章 テーマへの集中」では、何組もの「同じ場所をほぼ同じ場所から描いた絵」が展示されている。
繰り返しがより際立つ。
そう展示しているということもあるけれど、そういう風に描いていなければ「際立たせる」こともできない筈だ。
「ラ・マンヌポルト(エトルタ)」と「エトルタのラ・マンヌポルト」など、タイトルの付け方も対照的だし、ほぼ同じ場所から同じ岩を描いていて、片方は縦長でもう片方は横長にキャンバスを使っている。
対にすることを目論んでいるようには感じられなかったし、結果としてそうなったということかも知れない。
第4章は「連作の画家、モネ」のタイトルで、タイトルどおり、「正しく連作」が何組か、時間や気象を変えて描かれた絵が展示されている。
ジヴェルニーの積みわら、クルーズ渓谷、ウロータールー橋などだ。
そして、ぼんやりと明るい陽の光の中に対象がくっきりあるいはぼんやりと浮かぶように描かれている。
所蔵を見ると、あちこちの美術館から集められていて、実物を目にするともはや学芸員の方の執念が漂っているような気すらしてくる。
そういえば、昔ピアノを習っていたとき「ウォーターローの戦い」という曲を練習したけれど、あれは、この「ウォータールー橋」があるのと同じ場所が舞台だったんだろうか。
モネが「ウォータールー橋」はロンドンにある橋のようなので、そもそもよくある地名なのかしらと思ったりもした。
「チャリングクロス橋」の絵が1枚だけあって、大阪会場ではもう1枚、連作の絵が展示されるようだ。
この絵が、朝日なのか、何かの反射光なのか、水面が1点光っている感じがとても綺麗だった。
「印象 日の出」よりも、こちらの方がより光を感じられて好きだった。
この会場で展示された絵の中から1枚だけあげると言われたら、この絵を選びたい。
最後が第5章で、「睡蓮」とジヴェルニーの庭 と題されている。
この前の展示室にあった積みわらもジヴェルニーの景色だったけれど、ここにある絵は全てジヴェルニーを描いた絵である。
そして、ここの睡蓮の絵が3枚あった。
中でも「睡蓮の池」というどの睡蓮の絵にも使えそうな名前の、全体的に黄色っぽい色彩の睡蓮の絵がとても珍しく感じた。
そして、大きい。
「睡蓮の池」は「睡蓮の池の片隅」と「睡蓮」という濃いめの色彩の睡蓮に挟まれて展示されており、より一層、画面の明るさが引き立っているようにも際立っているようにも感じた。
あとでミュージアムショップで絵はがきを見ていたときに「こんな睡蓮は見てない!」と思った作品が何点かあって「見落とした・・・」と凹んだけれど、どうやら、大阪では東京に出展されていない睡蓮の絵を見ることができるようだった。
その代わり、「睡蓮の池の片隅」は東京のみの出展である。両方見たい。
全75点の「全部モネ」を満喫した。
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