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「う触」
作 横山拓也
演出 瀬戸山美咲
出演 坂東龍汰/近藤公園/綱啓永
正名僕蔵/新納慎也/相島一之
観劇日 2024年2月23日(金曜日)午後2時開演
劇場 シアタートラム
上演時間 1時間50分
料金 7500円
ロビーでパンフレットが販売されていたと思うけれど、その他物販はチェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
終盤に入った辺りでの感想は「やられた!」だった。
違和感を感じるところはあったし、気がつけるポイントはたくさんあったと思うのに、登場人物のうち二人がすでに死んでいたのか! と思ったのは、もう誤解しようもないほどに言及された後のことだった。
我ながら、情けない。
舞台に大きなスクリーンが降りていて、洋風等のように折られていたスクリーンが開き、瓦礫が転がり、枠で切り取ったような舞台が現れる。
木製の重そうなベンチが一つ置かれている。
新納慎也演じる「根野」が現れ、枕木のような木を地面に立て、無言で去って行く。
そこに、近藤公園演じる、手術着のような服を着た加茂という男が現れ、無言で歩き、そして地面を踏み抜いてはまってしまう。
この辺りまで、BGMもなく、照明も落とし気味で、台詞もない。
印象的すぎる幕開けである。
そこに加茂の後輩であるらしい、坂東龍汰演じる木頭という男が現れて加茂に話しかけ、物語が動き始める。
何だか微妙にシュールな会話を続ける二人は歯科医師の先輩後輩で、この島で開業している根野が「委員会」に派遣を要請し、亡くなった人たちの歯型で個人を特定し、遺族の元に遺骨を返すために働いているらしい。
しかし、彼らが来島した後、2回目のう蝕があって、根野の歯科医院や避難所なども被害に遭い、現在は根野が本土に要請した土木作業員たちを待つしかないようだ。
一方で、コノ島ではこれ以上の犠牲者を出すまいと全島避難が決定され、最後の連絡船がもうすぐ出ようとしている。
そのタイミングで、相島一之演じる「役所から派遣されてきた」という佐々木崎という男が現れる。彼は「歯科医師のみなさまをお世話するために来た」と言う割りにボロボロだし、「お世話って何?」と聞かれるとしどろもどろで、根野が要請した土木作業員や重機の話になると「管轄外です」と胸を張り、「とにかく被害をこれ以上広げないために全員で島を出る」ことを主張する。
意味が分からない上に役に立ちそうにないことこの上ない。
そこに、綱啓永演じる、何故か高級ブランドもので全身を固めた剣持という男がやってくる。
彼は木頭と同期の歯科医師で、最初コノ島への派遣を要請されたのは剣持だったが、木頭言うところの「びびり」だったため、木頭にコノ島への派遣を代わってもらっているそうだ。
折角替わってもらったのに自前のクルーザーでやって来るとか、こちらも何をしたいのかよく分からない。
さらに、正名僕蔵演じる「久留米」と名乗る白衣に診療鞄っぽいものを持った男が現れる。「なんでも」やる「医者」みたいな者で、「西の方」から来たという説明は全てが怪しい。
コノ島の西の先には「カノ島」という島があり、そこは元々は流刑の島で、今は刑務所があるという場所だ。そして、この久留米の「なんでもやる医者のような者で、西から来た」という説明は、色々と足りないながらも嘘ではなかったことが後に判明する。
木頭はひょうひょうとし、加茂は「帰りたい」と主張し、二人で居ると何故か「あると思っているからある物」について語るなど哲学的な会話になっている。
佐々木崎は、自分の名前の発音が「ささきさき」であることに異様に拘っている、三つ目の「さ」は「ざ」ではなく濁らないし、「ささき」と省略されるのは心外だとことあるごとに主張する。
久留米はどこまで行っても正体不明だ。
根野は、飄々とした人物のように見せつつ、彼にとって「この島で遺体の確認を行う」ことは絶対であるらしい。それ以外は、ごく普通の、何ならリーダーシップもある「できた」人物のようにしか見えない。
彼の要請の答えて派遣されてきた二人の歯科医師も、根野のことを尊敬しているように見える。
佐々木崎と久留米が顔を合わせたことで、佐々木崎が実は根野の派遣要請を受けて刑務所から派遣された土木作業員の一人で「あわがき」という名前であり、役所の人間でアル佐々木崎を含めた残りの5人は仲間割れなどですでに死んでしまっていることが明かされる。
だから、佐々木崎は「島を出る」ことに拘り、脱獄を狙っていたのだと語られる。
久留米は、その刑務所の刑務官兼医者であり、送り出した彼らを探しに来ていたらしい。
途中、1シーンだけ時間が巻き戻る。瓦礫が広がる床面が片付けられることで「2回目のう蝕はまだ起きていない」時間であることが示される。
それは、木頭がコノ島にやってきて、加茂と5年ぶりに再会するシーンだ。
会いたいと思ったときに会っておかないと次にいつ会えるか分からない。その通りだ。
また、加茂と木頭は、2回目のう蝕で恐らくはすでに亡くなっており、彼らを呼び寄せる形となった根野も、木頭を自分の代わりに行かせた形になった剣持も、大きな罪悪感を持ってこの島にいることが分かる。
彼らと生者の間には、会話が成立したりしていなかったりしていた、のだと思う。
木頭はすでに自分の「死」を受け入れているようだけれど、加茂の「帰りたい」は「生き返りたい」の意味だったらしい。木頭はすでに遺体が見つかっているけれど、加茂の遺体がまだ発見されていないことも、死者としての二人の対応の違いに表れている、のかも知れない。
木頭は山の上にあるお寺に沈丁花を見に行くことでこの世から離れることを決め、加茂は剣持によって履いていた靴を発見されたことで、雰囲気が変わる。
そして、剣持が加茂の靴を見つけた場所に、根野がもう1本の木を持ってくる。
彼がその木を立てることで、その木が加茂の墓標であり、最初に立てた木が木頭の墓標であったであることが示される。
そこで幕である。
この舞台は、2024年1月1日に起きた能登半島地震を経てあらすじを変更したそうだ。
舞台は舞台だ。そこまで気にする必要があるのかと個人的には思う。表現はもっと自由であるべきだし自由でいいのではないかと思う。
元のあらすじだったとして、舞台を作っている方々に地震で亡くなった方々への哀悼の気持ちや、今も避難をしている方々へのお見舞いも気持ちがないということはないし、そう受け取る人いないだろうとも思う。
気を遣わざるを得なかったということだとしたら、それも悲しいことだと思う。
そして、そういった経過は置いておいて、この舞台を見て良かったと思う。
どうすればいいか分からないなら祈ればいい。その台詞に色々なことや思いが詰められている。いい舞台だった。
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