「イノセント・ピープル」を見る
CoRich舞台芸術!プロデュース【名作リメイク】「イノセント・ピープル 〜原爆を作った男たちの65年〜」
作:畑澤聖悟(渡辺源四郎商店)
演出:日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)
出演 山口馬木也/川島海荷/池岡亮介/川田希
小日向春平/森下亮(クロムモリブデン)
堤千穂(演劇ユニット鵺的)/三原一太(はらぺこペンギン!)
水野小論(ナイロン100°C)/内田健介
安川摩吏紗/阿岐之将一/大部恵理子
神野幹暁/花岡すみれ/保坂エマ
観劇日 2024年3月20日(水曜日)午後2時開演
劇場 東京芸術劇場シアターウエスト
上演時間 2時間20分
料金 5800円
ロビーでは、パンフレットやクリアファイル等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
2010年に初演、その3年後に再演したことがあると、終演後のアフタートークで畑澤聖悟が語っていた。
最初に書かれて14年後の再演である。
舞台では、原子爆弾の開発を行っていた1945年のロス・アラモスの寮と、20年後くらいから65年後まで終戦後も原爆や水爆の研究を続けるブライアンとその家族が暮らす家でのホームパーティの場面を行ったり来たししながら進んで行く。
アメリカ合衆国側から原子爆弾の開発を描いている芝居だから、そこでば、原子爆弾の開発は「正義」として扱われる。日本上陸作戦を行っていたら失われていたであろう100万人の米国の兵士を救った救世主、という扱いだ。
見ていると違和感と同時に何というか上手く言えないけれども不当に扱われているような気がしてくる。舞台上の登場人物だけでなく、舞台の作り手に対しても「本当にそうだと思ってるの?!」と詰め寄りたい気分になってくる。
それくらい、何というか、この舞台に登場する米国人たちの物の見方は強烈である。
科学者であるブライアンは、1945年当時、ロス・アラモスで原子爆弾の起爆部分に係る製造を担当していたらしい。
そこには、医師であるカール、数学者のジョン、後に海兵隊員となるグレッグ、学生で「計算機の修繕」の専門家のようになってしまうキースがいて、5人で寮で暮らし、原子爆弾の開発に携わっていた。
その後、ジョンは高校教師になったし、キースはGMの営業マンになる。カールは医者を続けているけれどニューヨーク(だったか?)にいるようだ。その中でブライアンだけはロス・アラモスに残っている。何かの節目に集まるのは彼の家だ。
そして、「原子爆弾の開発に携わったこと」の後悔を控えめに表現するジョン以外の人々は、彼らの妻を含め、みな、原子爆弾の開発は「必要」なことで「正義」で、自分達が成し遂げたことは誇らかな成果だと考えている。
終演後のアフタートークで、何というか「製作意図」を作演出のお二人が語っていて、それを聞いてしまうとなかなか自分の感想を持つのも語るのも難しい。
どこまでがアフタートークで知ったことで、どこまでが自分が持った感想だったのか、曖昧になってくる。
この舞台の持つ「米国人の視点」の強烈さとは全く別の意味で、アフタートークで語られていた内容はかなり強烈だった。
製作裏話はもちろん興味深く、戯曲のこのシーンは作家が経験したこういうことが元になっているんだなとか、この強烈な台詞を言うことに役者さん達も相当の葛藤があるのだなとか、本当に興味深いお話をたくさん聞くことができた。
ただ、私としては、ちょっと強烈すぎた、ということである。印象が強すぎる。
この舞台に登場した人々は米国人の代表という訳ではないし、そもそも原子爆弾の開発に携わっていたのだから自分達の行動を肯定するのはある意味で当然のことではある。
肯定できなかったジョンは、日本人側から見れば「まとも」に見える訳だけれど、70歳を超えて自殺してしまう。
日本人だって、彼個人の自殺を求めている訳ではもちろんないし、喝采を叫ぶ訳でももちろんない。でも、だったら何を求めているんだろう、とは思う。どう思っているなら、自分達は満足できるのか。
この舞台では、シェリルの葬儀に参列するために広島に行ったブライアンに対し、シェリルの夫であり被爆二世である高橋は、「謝って欲しい」と強く求める。
自分は死んだらあの世で原爆で死んでいった友人達と会い、話をしなくてはならない。シェリルは謝ってくれた。原子爆弾を開発した(一人である)あなたにも謝って欲しい、と言う。
それに対して、ブライアンは「気の毒だと思う」と一言言う。
ブライアンの「気の毒だと思う」も随分と他人事のような言葉だと思ったけれど、同時に、ブライアン個人に謝罪を強く求める高橋という人物にも違和感を感じる。
上手くは言えないけれど、謝罪を求めることと、謝罪を強要することは違うというか、権利と義務という話なのかというか、この舞台を見ているときは自分は日本人という立場で見ていて、そちらにシンパシーを感じつつ見ていたのに、この場面では高橋の側に立てない感じがあった。
それは、演出の日澤雄介も近いことをアフタートークで言っていて、何だかほっとしたのを覚えている。
そこにシェリルと高橋の娘であるハルカが帰って来る。
彼女は妊娠8ヶ月でお腹が大きくなっている。
その彼女のお腹にブライアンが手を伸ばし、そこで暗転して幕である。
最後にあったのは「希望」だと捉えるべきなのか、生まれてくる赤ちゃんは被爆四世でもあると捉えるべきなのか、そこに答えはなかったように思う。
タイトルになっている「イノセント」という言葉は、私の中では「無垢」が近くて、そういうイメージでこの舞台を見たいたけれど、辞書的には「無実の」という意味だった。
とすると、「どこにも無垢なタイプなんていないじゃないか」と見ていて思っていた私は随分と違う方向に引っ張られていたらしい。
同様に、アフタートークによると「気の毒だと思う」の元の英語は「sorry」で、高橋が求めていた言葉は「applogy」なのだそうだ。この辺りになると己の英語力のなさ故にニュアンスがくみ取れない。
何というか、自分は日本人の代表な訳がないし、平均的かどうか中央値辺りにいるかどうかも分からない。
ここにいた登場人物達が米国人の代表という訳ではないだろうし、みながみな、同じように考えていたとも思わないけれど、もしかすると多数を占めてはいたのかも知れないし、それは分からない。
何を考えねばならないのか、考えるべきなのかから考えなくてはならない、そういう舞台を見たと思う。
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