「夢の泪」を見る
こまつ座 第149回公演「夢の泪」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 ラサール石井/秋山菜津子/瀬戸さおり
久保酎吉/粕谷吉洋/藤谷理子/板垣桃子
前田旺志郎/土屋佑壱/朴勝哲
観劇日 2024年4月28日(日曜日)午後1時開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター
上演時間 2時間50分(15分間の休憩あり)
料金 8800円
見たことがある筈なのに、ほぼほぼ記憶に残っていないということが分かった。
ただ(ネタバレになるけれど)、準備していた東京裁判に参加できなくなった、というところだけ覚えていた。
ガッツリと東京裁判を真っ向勝負で描いた作品である。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台は、新橋にある、ラサール石井演じる伊藤菊治弁護士と秋山菜津子演じる伊藤秋子弁護士の夫婦が営む弁護士事務所である。
その弁護士事務所に、近所にある食堂で働く田中という男性が「自分も弁護士になりたい」とやってきて働くことになる。
秋子の連れ子の永子も弁護士事務所で働いており、父親の浮気癖で両親が離婚しそうになっていることそ心配しているらしい。
そこへ、近くのホテルで歌手として働く二人の女性が「この歌は療養中の夫が自分のために作詞作曲した歌だ。それを勝手に歌っている奴がいる」と相手を罵りながらやってくる。
歌手二人が登場しているし、この「夢の泪」という作品は歌が多い。
確証はないけれど、恐らく出演者の方々はマイクなしで歌っていたのではないだろうか。伴奏は朴勝哲氏のピアノである。マイクなしで歌う舞台を見るのはもの凄く久しぶりのように感じる。
そして、井上ひさしの舞台は、そこで語られる内容の矛盾が深ければ深いほど、歌が多くなっているような気がする。
また、彼女たちから着手金として洋酒をせしめて菊治がご機嫌になっているところへ、秋子が帰ってくる。
緊張した面持ちの彼女は、東京裁判の被告となっている松岡洋右の補佐弁護人を引き受けてきたと告げる。そうすると事務所の仕事ができなくなってしまうため、久保酎吉演じる先輩弁護士の竹上に事務所を手伝ってもらうことにしたとも告げる。
菊治の方は、補佐弁護人として自分の名前が候補にも挙がっていないことにショックを受けているようだ。
そこへ、永子の幼なじみの片岡がやってきて、彼女に手紙を渡して去ってしまう。
手紙には、自分は組を継ぐのでこれからは街中で会っても声をかけないし、声をかけないように、と書かれている。永子は意味が分かっていないようで継父である菊治に読ませ、菊治から「これは恋文だ。大切に取っておくように」と言われる。
こうして伊藤夫婦は東京裁判でいかに松岡被告を弁護するか、日夜勉強し調査することになる。
竹内弁護士は飄々としたおじさんでありつつ、東京裁判に取り組む二人に助言を与え、著作権を争っている歌手の女性二人の言い分を聞いて田中助手に調査を命じる。片岡青年に「父親を撃った相手の証拠もあるのに何故警察は真面目に取り合わないのか理由を知りたい」と相談され調査を始める。
竹内弁護士は大活躍だ。飄々とした感じも、真面目かつ重厚に振る舞う感じも、その落差も、流石の久保酎吉である。
菊治が(恐らく)GHQの日系アメリカ人将校に呼び出され、東京裁判(と自らの生活)のために始めた募金活動を禁止され、代わりに弁護団に米国から給与を支払うという話を持ち出される。
秋子は裁判で戦う相手方から給与をもらうなど公正さに欠けると辞退することを主張するけれど、背に腹は代えられず、菊治の説得に負けて受け取るようにしたようだ。
その弁護士費用が、「一流銀行の部長級の給与」だというところがやけにリアルである。
片岡青年は朝鮮人で、新橋駅前の朝鮮の人達が暮らすエリアは軒先に吊された赤唐辛子で全体が赤く色づいているように見えるくらい勢いがある。
彼らは、終戦後に「朝鮮人」から「日本人」にされており、その結果、菊治たち弁護士が言うところの「放っておいて良い」対象に、片岡青年が感じるところの「捨てられた」状態にある。
だから彼の父親の事件はまともに捜査されないし、彼らと敵対する組には事実上の警察の保護が入っている。
二人の歌手が「持ち歌だ」と争っていた歌は、実は、彼女らの夫が従軍していた際に上官だった人が作詞作曲した曲だったと判明する。
彼に会いに行った田中氏は、その上官が原爆の後遺症ですでに亡くなっていること、未亡人から「大切に歌ってほしい」と伝言があったことを伝える。
彼らの舞台は、広島に原爆が落とされた直後、その「片付け」のために広島市内に入っており、彼女らの夫もそれぞれ療養所で暮らしている。
秋子は、東京裁判で「どこで間違ったのか」「自分たちは何を間違ったのか」が分かる、と期待していたしそうすべく努めてもいた。
すべての出発点はパリ不戦条約にあると考え、そこから弁護の論理を組み立てようとしている。
しかし、日本では終戦の1週間前に関連文書破棄の命令が出されて燃やされ、残った文書はすべて米軍が持ち帰っていて裁判には「都合の良い」文書しか証拠として提出されない。
そうと分かったとき、彼女は多分「松本被告の健康上の理由(もっといえば死期が近いため)審議は行われない」と言われたときよりも酷く絶望していたように見える。
片岡青年が抱える問題について語るとき、片岡青年以外のそこにいる全員は日本人で、であるから加害者の側に立つことになる。
そこを、竹内弁護士ですら無自覚に流しているように見えるのがとても気になる。そして、そのことについては語られないまま「心情」を歌う歌が始まると、何だか自分がもの凄く卑怯なことをしているように感じられる。
片岡青年の今の状況は、移民直後や戦争が始まった直後の米国内の日系人の状況と似ていると語るGHQのウィリアム氏の方が、もしかすると片岡青年の側に立つことができているのではないかと思う。
「疑問があったら聞くことにしている」と言う永子が、片岡青年の話を聞き、ウイリアム氏の話を聞き、両親の話を聞き、竹内弁護士の話を聞いて、そして、東京裁判で連合国に裁いて「もらう」というのは違うのではないか、自分に言い訳ができないよう自分たちで自分達を裁くべきなんじゃないかと言ったのに、歌手の二人が「分からないけど何か凄いことを言っていたような気がする」と呟いたのが、多分、何というか真実なんだという感じがあった。
菊治と秋子は、誰かを弁護している弁護士たちの補佐弁護人のさらに補佐として、この後も東京裁判に関わって行くことを決める。
そして数年後、ウイリアム氏が再来日した際に菊治が建てたビルで彼らは再開を果たす。
「東京裁判がどうなったか」はそこでは語られず、弁護士事務所のその後が語られる。
弁護士3人は健在だ。永子は弁護士として働き始めた。片岡青年は永子と結婚し、朝鮮と日本との文化交流について大学院で学んでいる。田中氏は腕利きの事務方として弁護士事務所で働いている。歌手の二人は、菊治が建てたビルの2階でスナックを経営している。
でも、東京裁判に関わっていた数年間に起きたあれこれは、彼らの中でずっと生き続けている。
その姿が見えるような舞台だった。
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