「ハムレット」を見る
彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd vol.1「ハムレット」
作 W. シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
演出・上演台本 吉田鋼太郎
出演 柿澤勇人/北香那/白洲迅/渡部豪太
豊田裕大/櫻井章喜/原慎一郎/山本直寛
松尾竜兵/いいむろなおき/松本こうせい
斉藤莉生/正名僕蔵/高橋ひとみ/吉田鋼太郎
観劇日 2024年5月25日(土曜日)午後2時開演
劇場 彩の国さいたま芸術劇場
上演時間 3時間40分(15分間の休憩あり)
料金 10000円
ロビーではパンフレットの他トートバッグや写真などが販売されていた。
「コレクション用」としてピンバッジがあったり、リニューアル前のさいたま芸術劇場の座席のタグをキーホルダーに仕立てたものが販売されていたり、リピーターやコアなファンの獲得に向けた意気込みが感じられるラインアップだった。
ネタバレありの感想は以下に。
蜷川幸雄演出のシェイクスピア全作品上演の際、第一弾は「ロミオとジュリエット」だった。
吉田鋼太郎演出の今回、第一弾がこの「ハムレット」である。
イギリス王室ものではないんだな、若者が主人公の作品なんだな、やっぱり「シェイクスピア作品を象徴する作品」「代表する作品」というとロミオとジュリエットやハムレットが挙げられるのかな、と思った。
ちなみに、私がこの2作品以外でパッと思いつくのは、「リア王」「マクベス」「ヴェニスの商人」「夏の夜の夢」である。
今回「ハムレット」を見て、「ハムレット」の中に芝居の力を信じる台詞が入っているから、だから選んだのかなという風にも思った。
そして、正直、前半は少しばかり退屈してしまい「長いよ!」と思ったりしたけれど、2幕に入ってから突然スピードアップして、怒濤の展開が待っており、あっという間に時間を忘れてしまった。
「ハムレット」ってこんなに面白かったのか! と思ったくらいである。
戯曲を読んでもいないのに言うと、このハムレットはかなり「削っていない」上演台本ではないかと感じた。
単純に上演時間が長いということもあるけれど、つなぎ合わせのエピソードが全部入っている感じがした。どこも切っていないという感じがする。
そして、因果関係を極力描こうとしているようにも感じた。理路整然としているというか、理屈が全て合うように、突然これまで語られなかった誰かが登場して重要な舵取りをしたり、そういったことが極力ないように、説明を丁寧にするよう心がけている、という印象がある。
とはいえ、シェイクスピア劇だから、もちろんご都合主義は健在である。
そもそもデンマーク王家からして、義弟が夫を殺したことに気がつかない妻がいるのか。
ハムレットが義父の罪を暴き復讐するに当たって狂気を装う必要があったのか。
ハムレットが散々オフィーリアを翻弄しておいて、死んでしまったオフィーリアに「許してくれ」とあっさり言う心情が分からないし、レアティーズとハムレットが最後に「お互い様だから許し合おう」とか言い合うのも意味不明である。ハムレットはレアティーズの父親とレアティーズ自身を殺しているし、レアティーズはハムレットを殺しているのに、お互い毒で死ぬ直前に「許し合おう」とは何なのか。
「To be, or not to be, that is the question.」は存在に気づくことができたけれど(でも具体的な台詞は覚えていない)、「Frailty, thy name is woman.」は言われたかどうかも気づかなかった。
何だったろう。
ただ、聞き逃した言い訳でもあるけれど、こういった名台詞を際立たせようという感じはなかったと思う。有名すぎる名台詞も台詞の一つで、流れの中で自然に発せられていたと思う。
出演する役者さんはカーテンコールで数えたら15人いらした。
その全員の台詞が聞き取りやすく気持ちいい響きを持っているというのはやっぱり凄いことだと思う。
舞台の役者さんはやっぱり声と発生が命だよと思う。
ところどころに笑いを入れ、語呂合わせというか駄洒落的な台詞も多用し、舞台自体は黒く暗く広く使いつつ、最後には主要登場人物がほぼ死に絶える芝居でありつつ、軽やかな芝居に仕上げようという感じがあったと思う。
そして、ハムレットのその苦悩を熱く重く演じつつ、どこか疾走感があって軽やかさをも体現していた柿澤勇人のハムレットが、この芝居の雰囲気というか芯というか指向を決定づけていたと思う。
吉田鋼太郎のハムレットの父王と叔父クローディアスの2役はもの凄く対照的だった。
クローディアスを演じているときと、父王の亡霊を演じているときと、どうしてあんなにも醸し出される雰囲気が違うのか。クローディアスを演じているときは、もう見るからに全身から卑小さがあふれ出ていたと思う。
それなのに、たまに客席に向かって「罪を犯してしまった苦悩」を語っているのが謎だった。元々そういう芝居だっただろうか。
「ハムレットって、確か最後に全然今まで出てこなかったフォーティンブラスとかいう人が出て来た気がすると思っていたら、やっぱり出てきた。
オフィーリアが前半はピンク後半に黄色のドレス、ガートルートが水色のドレスを着ている他はほぼほぼモノトーンの舞台で、フォーティンブラスだけが赤をまとっていて、それが何だか象徴的だった。
ハムレットは、ホレーシオに死ぬことを許さず、フォーティンブラスに後を託すことを伝え、自分の「真実」を語ることを頼み、「あとは沈黙」と呟いて死んで行く。
ここで幕で良かったんじゃない? と、不遜にもシェイクスピアにもの申したくなった。
ハムレットの死後、ホレーシオの嘆きと、フォーティンブラスの「あとはオレがもらってやる」感満載の台詞が続く。デンマーク王家が死に絶えたから、ここでフォーティンブラスに「棚ぼただね」などと言う人はいない。当たり前である。
クローディアスは兄殺しの王位簒奪者ではあるけれど、民を虐げたり悪政を敷いたり無理な侵略を行ったりはしていないし、することを考えていなかったようにも思う。
ハムレットは、だとすると、やはり父を殺され母を犯されたことが許せなかったのか。それは息子としての怒りであって、王子としての怒りではなかったのか。
そうすると、結局ハムレットがやったことは、家族の復讐のためにポローニアスの一家を犠牲にしただけなんじゃないか。
ということは「ハムレット」は王家の物語ではなく、家族の物語だったのか。ハムレットの台詞に「民」という言葉はなかったような気がする。そこにあったのは政治ではなく政争だけだったのかも知れない。
見終わって、何故かそんなことを考えた。
舞台の最後、死んだハムレットが舞台の真ん中に横たわっている。
舞台にはほとんどセットはなく、シーンによって柱が並べられたり取り払われたり、墓掘り人が掘る墓が出たり、それくらいのことだ。
全体として黒く暗く、スポットライトの光で柱の影が床の上に現れることもある。
そんな何もない舞台にハムレットが横たわり、彼の周りに、上から重い音を立ててオフィーリアが抱えていた黄色い花束の花が11本落ちて来る。
そして暗転して幕である。
蜷川幸雄演出舞台の幕開けを彷彿とさせる。
とにかく、よく分からないけど、凄い舞台だった。
見ることができて良かった。
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