「正三角形」を見る
野田地図「正三角形」
作・演出 野田秀樹
出演 松本潤/長澤まさみ/永山瑛太/村岡希美
池谷のぶえ/小松和重/野田秀樹/竹中直人
秋山遊楽/石川詩織/兼光ほのか/菊沢将憲
久保田武人/後東ようこ/近藤彩香/白倉裕二
代田正彦/八条院蔵人/引間文佳/間瀬奈都美
的場祐太/水口早香/森田真和/吉田朋弘/李そじん
観劇日 2024年8月10日(土曜日)午後7時開演
劇場 東京芸術劇場プレイハウス
上演時間 2時間25分
料金 12000円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
また舞台セットの模型が置かれ、撮影のための列ができていた。
ネタバレありの感想は以下に。
チケットを取ったときには当然、野田秀樹自身が書いているだろうイントロダクションを読んでいて、そこには「カラマーゾフの兄弟」を入口にした物語であると書いてあったのに、観劇直前に見返すことをしなかったら、頭からすっかり抜けていた。
我ながら、相変わらずの記憶力のなさである。
舞台の最後の方で「唐松族の兄弟」的な台詞があって、それで初めて「カラマーゾフの兄弟がベースだったのか!」と気がついた。
小説を読んでいればこうなる筈もなく、「カラマーゾフの兄弟」を読んだことはないし、あらすじも知らない。タイトルだけ知っている、という体たらくである。
だから、舞台が自ら明かしてくれるまで「唐松」という三兄弟の名字は何度も連呼されるし、次男の名前なんて「イワン」(と聞こえた)だったのに、全く気がつかなかった。
あらすじを読んでくるよりは良い観客だった、ということにしたい。
「カラマーゾフの兄弟」というヒントを知らずにこの舞台を見ていて、最初に浮かんだのは「これはパンドラの鐘だな」ということだった。
野田地図で、野田秀樹演出版と蜷川幸雄演出版を同時に上演した公演だ。そこは覚えていて、内容はほとんど覚えていないのに、何故か見ているときに「パンドラの鐘」という単語がずっと浮かんでいた。
次男が物理学者になると宣言し、この舞台の時代が太平洋戦争中であることを察せられれば、原爆を描こうとしているのだろう、日本でも行われていたという原爆開発も描こうとしているのだろうということは早い内に想像できる。そこからの連想だったのかも知れない。
花火師である長男を松本潤、物理学者の次男を永山瑛太、聖職者を目指して教会でまかないを担当している三男を長澤まさみが演じる。
竹中直人演じるこの3兄弟の父親も花火師で、しかし代々花火師である家に婿入りしてきた彼はあまり腕が良くないらしいし、性格も悪いっぽい。
三兄弟の関係が、まず「正三角形」なのかも知れない。
次男が最初の頃の台詞でピタゴラスの定理の説明をしていたけれど、それは正三角形じゃなくて直角三角形の話では? と思ったのは私だけなのか。
幕開けは、この花火師の長男が父親を殺したかどうかを争点とする裁判である。そして検察側は殺人の動機を「**」という名の女性を争ってのことだと主張している。
竹中直人が検察官役も務め、弁護人には野田秀樹が扮している。
弟二人は兄の無実を信じて弁護側の証人として出廷している。
長男は「番頭は殴ったが、父親を殺してはいない」と主張し、次男は「もし殺したのだとすれば、それは自分だ」と主張する。
この「長男は父親を殺す尊属殺人を犯したのか」ということと、「父親と長男が争っていたのは本当に女性だったのか(実は花火師の命である火薬だったのではないか)」ということの、二つの謎解きが物語の軸、と言えるかも知れない。
そして、「正三角形」は、この父親と長男と女性(あるいは火薬)を頂点とする三角形でもあるのかも知れないと思う。
長澤まさみが、父親と長男が争う「女性」を演じている。美脚を惜しげもなく披露し、左肩が落ちている着物の襟元のような衣装で、艶っぽい筈なのに健康的な印象の方が強かった。
「テープレコーダー」を持ち出して時を行き来する道具として使ったり、次男の研究がロシアとの共同研究だったことからロシア外交官夫人が戦況に係る秘密をぽろぽろ明かしたり、火薬を統括している役人の娘が長男の婚約者として登場したり、検察官と弁護人がどうやら裏で繋がっていたり、花火師である長男に「発火装置」の開発を依頼したい機関があったり、とにかく仕掛けが満載である。
ふわっと見ているからしっちゃかめっちゃかに見えるし、個々のエピソードの繋がりは徐々に明かされて行くようになっている。
それでも、この「正三角形」という舞台は、ストレートだし分かりやすい、と感じた。何故だろう。
分かりやすいと感じたからと言って「分かっている」わけではない。
何というか「これが決め台詞だよ!」「これが言いたかったんだよ(きっと)!」という台詞がいくつかあって、その台詞は何度か繰り返し語られていたと思う。
超高速の台詞の中に入れ込まれているのではなく、スポットライトを浴びた役者がゆっくり「これが大切なこと」と分かるような、特別の台詞として語っていたと思う。
それが「分かりやすい」と感じた理由の一つだと思うけれど、例によって全く覚えていない。だめじゃん! と思う。
花火師の長男に新型爆弾の起爆装置という「最後の仕上げ」をさせたい国の思惑で、有罪となった長男は、次男の手によってあっさりと解放され、その代わり、ウラン鉱山に行くことを強要される。
次男は「1週間もしないうちに自分も行く」と言い、三男は「浦上が好きだからここに残る」と言う。
長男が旅立ってすぐ、長崎に原子爆弾が落とされる。
長崎に戻ってきた長男は、弟たちが死に、焼け野原となった故郷に慟哭し、一人立ち尽くす。
いや、一人ではない。
そこにもう一人「立っている」人物がいる。彼女は、物語の端々で「手紙」や「電報」という形で、重要なお知らせをもたらしてきた人物だ。
彼女は自転車に乗り、背中に赤ん坊をくくりつけて、配達をしていた。
その彼女が赤ん坊を下ろし、無言で焼け野原に立っている。
長男と同じ場所にいるのか、違う場所にいるのか、彼と彼女がいるのは同じ時なのかは分からない。違うのかも知れない。
しかし、舞台上、最後まで見えているのは、長男ではなく彼女である。
そのことが、やけに印象に残った。
印象に残ったといえば、布の使い方も印象に残っている。
大きな舞台全体を覆うような紗のの布を吊したり、棹にくくりつけて舞台の前後に揺らして舞台上を隠したり、ラストシーンでは亡くなり倒れた人々を覆ったりしている。
その布の動きが美しい。
量子力学のイメージを赤や青のボールを持ったアンサンブルの動きで表現していて、新体操のボールやリボンの動きが取り入れられていたから余計にそう感じたのかも知れない。
ある意味、野田秀樹の芝居の「鉄板」だと思う。
分かりやすく伝わりやすくしているのは、観客というか世間というか社会が、伸びしろというか余裕というかそういうものを失くして来ているからではないか。
それでも受け取ってもらいたい何かがあるからではないか。
終演後、若い女性二人組が興奮して感想を語っているのを聞きながら、そんな風に感じた。
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