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「A Number―数」/「What If If Only―もしも もしせめて」
作 キャリル・チャーチル
翻訳 広田敦郎
演出 ジョナサン・マンビィ
「A Number―数」
出演 堤真一/瀬戸康史
「What If If Only―もしも もしせめて」
出演 大東駿介/浅野和之/ポピエルマレック健太朗・涌澤昊生(Wキャスト)
観劇日 2024年9月21日(土曜日)午後2時開演
劇場 世田谷パブリックシアター
上演時間 「What If If Only―もしも もしせめて」35分
休憩20分
「A Number―数」65分
料金 11000円
ロビーではパンフレットが販売されていたと思う。
ネタバレありの感想は以下に。
bunkamuraの公式Webサイト内、「A Number―数」/「What If If Only―もしも もしせめて」のページはこちら。
そもそも、何故か「A Number―数」/「What If If Only―もしも もしせめて」が別の芝居だと思っていなかったので、劇場に行って、「What If If Only―もしも もしせめて」を上演し、20分の休憩の後で「A Number―数」を上演するという形であることに驚いた。
間抜け極まりない。
前者が35分後者が65分と、上演時間が倍も違うことにも驚いた。
珍しく、開演前に幕が下りていた、ような気がする。
幕が開くと、舞台の真ん中に銀色の大きなサイコロ状のセットがあり、その壁がするすると上がって行くと、キッチンらしい一室が現れる。
そこがセットで舞台だ。
周りには1m前後の立方体が吊されており、場面転換の際には様々な映像が映し出されていた。
大東駿介が登場し、一人語りを始める。
どうやら彼はつい最近、親しい誰かを亡くしたらしい。
何となく彼のパートナーは男性なのではないかと思いつつ聞いていたけれど、結局、亡くなったその人について具体的なことは語られなかったように思う。
彼が語っていたのは、「どうしていなくなったのか」「今そこにいるか」「自分とコミットしてほしい」という想いだけだったように思う。
そこに、浅野和之演じる人物(?)が現れる。人物ではないのかも知れない。
彼なのか彼女なのかも分からない、人間なのか幽霊なのか別の存在なのかも分からない「それ」は、赤い膝丈のワンピースを着て、白髪の髪を長く伸ばしている。
「それ」は、自分はあったかも知れない未来のうちの一つなんだと自己紹介したような気がする。
その未来を選べば、彼の大切な誰かが生き延びている世界かも知れない、らしい。
彼は、しかし選べない。
そうこうするうちにどうなったのか、何だか分からなくなってしまった。
浅野和之が黒スーツ姿で演じていたのが誰なのか、涌澤昊生が演じていた赤いオーバーオールにキャップ、金髪の、これまた少年か少女か分からない存在が何だったのか、思い出せないしよく分からない。
ただ、彼に向かって、あり得たかも知れない様々な未来が声だけで存在を主張していたことは覚えている。
恐怖でしかない。
20分間の休憩が挟まれていたのは、セット(大きなサイコロ状の壁の内側)を変えるためだったのではないかと思う。
「A Number―数」では、舞台はリビングルームっぽい。
そこでは、堤真一演じる父親と、瀬戸康史演じる息子が語り合っている。
息子は、父親に「自分と全く同じ存在がこの世に何人もいる」ことについて詰め寄っている。
父親の方は何とか誤魔化そうとするけれど、あっという間にボロが出て、昔、自分の息子のクローンを作ってもらったことを認めてしまう。今一緒に暮らしている息子は「クローン」であるらしい。
今ひとつ理屈が分からないけれど、父親の方は自分がとんでもないことをしたという認識はないようだ。
それどころか、契約違反だ、自分は同じ息子をもう一人欲しかっただけだ、それなのに病院は息子を20人も作った、それは「息子」のアイデンティティを薄める行為であり賠償金を請求しよう、とか言い出す。
分からない。
当然、息子の方も大混乱しているし、父親への不信感が見る間に膨れ上がって行くのが分かる。
そして、「息子」の元になった息子が、亡くなった訳ではなく、今も生きていることが分かる。
それなのにどうしてクローンを作ろうと思い、そのクローンと暮らし育てようと思い、本物の息子を死んだものとしてしてきたのか、さらにこの父親の考えていることがよく分からない。
随分とダークなイメージを醸し出すこの「最初の息子」が冷え冷えとして父親を軽蔑しているのもむべなるかな、という気がしてくる。
この「最初の息子」が、「息子」を殺してしまったのだったか、「息子」が自殺したのだったか、そこを覚えていない自分もどうかと思う。
体調が悪い自分には少しばかり重すぎるテーマであり芝居だった、のような気もする。
そして、一番気味が悪かったのは、最後に父親が会った「もう一人の息子」である。
ところで、瀬戸康史がこの3人の息子を自然に演じ分けていたのが凄いと思う。
この「もう一人の息子」は教師で、結婚して子供が二人居て、今の自分は幸せなのだと言い、自分がクローンであり同じような存在がこの世にあと十数人いることについて何も気にしていないと言う。
本当か? と思う。
見るからに品行方正な好青年で、相手の顔と目を真っ直ぐに見て話す人物であるのに、一番得体が知れないという感じがする。
やはり、気味が悪いとしか言い様がない。
父親の方も、あまりにも言いたいことが伝わらないことに髪をかきむしり、焦り、混乱している。
そして、幕である。
「What If If Only―もしも もしせめて」にはカーテンコールはなく、「A Number―数」の幕切れの後に「A Number―数」に出演した二人が挨拶、そして4人で挨拶、していたと思う。
ずしんと来る芝居の二本立てだった。
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