「僕と私の遠い橋」を見る
玉造小劇店配給芝居 vol.35「僕と私の遠い橋」
作・演出 わかぎゑふ
■出演 野田晋市/うえだひろし/長橋遼也/松井千尋
澤田紗菜/わかぎゑふ(以上リリパットアーミーII)
八代進一(花組芝居)/大井靖彦、鈴木健介
木内義一(テノヒラサイズ)/楠見薫
観劇日 2024年10月12日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアター711
上演時間 1時間50分
料金 4500円
物販の場所がないということで、開演前と終演後、舞台上でパンフレット(1000円)やDVDの販売が行われていた。
また、併せて「開演時間アンケート」のQRコードが案内されていた。
コロナ禍以降、公演全体として週末夜公演のチケットの人気がないそうだ。また、今回、平日昼に午後2時30分の回を設けたら、週末よりも早いくらいに売り切れたという。
それで、「開演時間は何時が嬉しいですか」アンケート実施となったというお話だった。
「*時45分とか半端な時間は書かないでください」という注意が可笑しい。
色々あるのがいいんじゃないかと思ったのだけれどどうだろう。
平日に、例えば13時開演の日と14時開演の日と15時開演の日があると選べて嬉しいかなと思った。
ネタバレありの感想は以下に。
開演前の前説曰く「けったいな話」だそうである。
けったいと言えばけったいなのかなぁと思うし、どうして「けったい」な印象なのかと言うと、阿弥陀様と12回の人生を生きることになっている人間の二人が話を転がして行くからだと思われる。
阿弥陀様がいるのは死後の世界なのか? 死後の世界という概念が仏教にあるのか? 全く素養のない私はその辺りは特に気にせずに見ていた。詳しい方が見ていたら、全く違う感想が浮かぶ、のかも知れない。
また、日本語ほど多種多様な一人称がある言葉は世界中でかなり珍しいそうだ。珍しいだったか、ほぼ唯一だったか、その辺りが記憶にないけれど、とにかく「もの凄く珍しい」ことは確からしい。
そして、一人称が色々あって、そのうちの一つか二つか三つを意識的か無意識的か問わず選んで使っていることにより、その人の思考や行動や個性がある程度規定されているのではないか、ということがこの舞台の発想の根っこにあるそうだ。
しかし、なかなか一人の人が人生でそんなにたくさんの一人称を使うことはないから、その人が様々な人生を送ることにしよう、生まれ変わるのだったら・・・、ということで「天界」をその繋ぎに使おうという発想になったというお話だった。
なるほど。
確かに、舞台上に「て」「ん」「か」「い」と右から左に横書きで書かれてあった。分かりやすいのか分かりにくいのか、微妙なところである。
理由はよく分からなかったけれど、この公演では、公演用に作ったと思われるTシャツを全員が衣装として着ていた。黒地に緑色で仏様が四体描いてある(ように見えた)Tシャツである。残念ながら、大阪公演で売り切れになってしまったらしい。
Tシャツはお揃いで、下は緩い感じの暑い国でみなが履いているようなエキゾチックな柄のパンツだった。
舞台上、着物やジャケットなどが吊されていて、シーンによってそれを羽織ったり脱いだりしている。舞台だからこそできる業だ。
脱力した感じの阿弥陀様に対し、「12回人生を生きることになっている」女の子、らしき人物は、ずっと「自分の人生に違和感があった」と言い続けている。この後転生してもこの違和感はなくならないんじゃないか、解決しないんじゃないか、だったら別に転生しなくてもいいんじゃないか、と死んじゃっているのに厭世的なことを言っている。
それで、彼女の過去の人生を振り返ることになる。
見終わったときは、一番一人称が変わった太平洋戦争から戦後にかけての物語で2時間のお芝居にするだけでも、4〜5種類くらいの一人称を彼女ひとりで使っていたし、大阪の商家が舞台となっていたのでそこで働く人々の「一人称」も聞けたし、ありだったんじゃないかと思ったけれど、今になって思うと、男性と女性、時代によっても一人称が変わるから、「生まれ変わり」だったのかなという気がしている。
それでも、生まれ変わって送っている人生は同じ魂ではあるかも知れないけれど同じ人ではないので、生まれ変わって色々な一人称を使うのと、色々な人が色々な一人称を使うのと、あまり違いはないんじゃないかとも思う。
そんな感じでぐるぐる考えてしまったけれど、そういう風に「ぐるぐる」考えてもらいたかったのかなという気もしている。
私の一人称は「わたし」でほぼ統一されているけれど、たまに「自分」とか言ってみると面白いかも知れない、と思った。「自分は」と言ったら、その後に続く言葉が「私」のときとは変わるだろうか。
自分では「私」という一人称を自分で選んだつもりでいるけれど、それはいつの間にか何者かから強いられたんだろうか。
そんなことを思ったりした。
そんなことを思わせる、でも「ゆるさ」を忘れていないお芝居だった。
途中のミュージカルシーンで歌詞を間違えたらしく、そのまま何だか変な方向に進んでしまい、阿弥陀様を演じていた野田晋一が呆れたようにストップを掛けているシーンがあった。
そこまで全部仕込みかと思って見ていたけど、そうではなかったらしい。
芝居の醍醐味というものである。多分。楽しかった。
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