「こんばんは、父さん」を見る
二兎社公演48「こんばんは、父さん」
作・演出 永井 愛
出演 風間杜夫/萩原聖人/竪山隼太
観劇日 2024年12月7日(土曜日)午後2時開演
劇場 俳優座劇場
料金 8000円
上演時間 2時間40分
俳優座劇場に行ったのは数年ぶりだ。
来年の閉館が決まっているそうで、その前に観劇できて良かったと思う。
館内の写真を撮っている方もいらした。
ロビーでは台本やパンフレット等が販売されており、永井愛さんが希望される方にサインをしてくださっているようだった。
ネタバレありの感想は以下に。
「こんばんは、父さん」は2012年が初演で、今回が初の再演である。
チケットを申し込んだとき「タイトルは聞いたことがあるけれど見たことがない」と書いていた自分を呪いたい。平幹二朗、佐々木蔵之介、溝端淳平という出演者陣の二兎社公演だったら私が気がつかない(そして見たいと思わない)筈がない! とこのブログを見てみたら、しっかり初演を観劇していた。
でも、再演の今回の芝居を見た後でも「この芝居を見たことがある」とは思い出せなかった。情けない記憶力である。
舞台は廃工場である。
そして、時系列もそのままで、夕方から夜中までの数時間を1時間40分で見せる。
登場人物は、風間杜夫演じる「父さん」と、萩原聖人演じる「鉄馬」、竪山隼太演じる消費者金融の取立て担当の「若者」の3人だけだ。
まず最初に、割れたガラスの嵌まった窓から、どうにもくたびれた感じの父さんが入ってくる。
風間杜夫、老けたなぁ、年齢って背中に出るんだわ、と思ってしまった。
鉄製の階段を上って(だったか?)太くて白いロープに触ってみると、そのロープの先は輪になっている。
ロープの下辺りには椅子があり、いかにも「首つり自殺の用意万端」と見える。ロープの白さがまぶしい。
父さんが椅子に上がり、輪っかに自分の頭を通してみたところ、いかにも悪そうなスーツを着た若者が同じ窓から入って来て、何故かとうさんのその様子をスマホで撮り始める。訳が分からない。
言い合う二人の様子から、父さんは消費者金融に借金をして返済しておらず、若者は「利子だけでもいいからとにかく払ってくれ」と取り立てに来ているらしい。
全く払おうという様子のない父さんに痺れを切らした若者が、父さんの息子でエリート会社員らしい鉄馬に電話を入れると、何故か呼び出し音も相手の声も廃工場の中から聞こえてくる。
そして、鉄馬が姿を現す。
萩原聖人を舞台で拝見するのは、多分初めてではないけれど、だいぶ前のことだと思う。こんなにいい声の役者さんだったっけ? と思った。
竪山隼太を舞台で拝見するのは多分初めてで、セリフも聞き取りやすいし、安定感のある役者さんだなと思う。
風間杜夫は言わずもがなである。「名優」の貫禄である。
「二兎社の芝居」というところに惹かれて見たところ、もの凄く物語と舞台と役に合った役者さん達の芝居を堪能できて嬉しい。
父さんは、その昔、この廃工場を経営していたらしい。
腕のいい旋盤工で、近所の老若男女にモテモテで、確かな技術力で工場を拡大して第二工場を作った辺りから、その「職人気質」を捨ててしまったようだ。職人として培った己の技術力も職人たちも捨てて「コンピュータ」に走り、「経営は大変だ」と言いながらゴルフなどの接待に注力し、無駄に豪華な家を建て、設備投資した分を稼ぎ出す前に不況で注文が入らなくなって工場を畳むことになった、ようだ。
行方をくらまし、妻の葬儀にも参列できなかったという。
父さんが「町工場の経営なんて大変なことをやらせたくない、ホワイトカラーになれ」とレールを敷いた息子の鉄馬は、「工場で働きたい」という気持ちを持ちつつも父親の敷いたレールに乗っかり、いかにもなエリートサラリーマンになったものの、こちらは大好物だったらしい海老の投資詐欺に引っかかって借金を背負い、義兄に返済してもらえたものの、妻とは離婚となり、今は廃工場で暮らしている、らしい。
要するに父親の借金を返済できるような余裕はどこにもない。
見るからにくたびれた様子である。
それならば、若者はこの場の「強者」「勝者」なのかといえば、全くそうではない。
取り立てのノルマは厳しく、ノルマを達成できないと「研修所」送りになると怯えている。その研修に送られると、心を壊してしまい戻ってこない社員も多かったという。
他にできることもないし、生きていけないと、でも会社を辞めるなんてことは頭にこれっぽっちも浮かばないようだ。
この3人の年代も背景も職業も異なる男たちが、「今現在、切羽詰まっている」という状況だけ共通して持ち、廃工場に集まっている。
時に強気に出、時に全てを誤魔化そうと嘘を吐き、はぐらかそうとし、借金を返す返さないで攻防を繰り返す。
父と息子は、工場や母さんの思い出を語りつつ、「どうして駄目になってしまったのか」「何が駄目だったのか」を話し合うというよりは、息子が避難し、父はとにかく言い訳に走る。
この二人の間に「理解」があるのか、よく分からない。
似たもの親子のようにも見えるし、とことんの悪人のようには見えない。
誰でもが彼らのようになる可能性があり、彼らが躓いたものは誰の前にもあってこれまで回避できているのは単なる幸運であり、その幸運が死ぬまで続くかどうかなんて誰にも分からない。
そう言われ続けている気がする。
でも、この父と子は意外と平静である。飄々としているというか、あまり深刻な感じがしない。
「俺は5万円しか借りてない。返す必要はない」と言っている父さんは元より、鉄馬の方も、何だか「慣れている」感じがある。狼狽えない。何故だ。
一方で、利子の半分を払ってくれたらもう取り立てはしないと言ってみたり、「**さんが来てる。**さんの得意技は指を折ることだ」と脅してみたり、場を支配していたように見えた若者が実は一番追い詰められていて、「とにかく何かを持ち帰らなくては」と狂ったように、父さんが「ある」と嘘を吐いた指輪を探し続ける。
その様子を見ていた鉄馬が「指輪はないが代わりはある」と言い出して隠していた時計(誰も言わなかったけどロレックスな感じがする)を若者に渡し、「これを持ち帰って、そして会社を辞めろ」と言う。
父さんだったか、鉄馬だったか、両方か、若者に「自分達のようになるな」と言った気がする。言わなかったかも知れない。
そうして、若者が時計を持って去り、父さんと鉄馬は若者が買って来てくれていた酒で乾杯をし、母さんに献杯をし、静かに酒盛りを始める。
そして、暗転、幕である。
若者は会社を辞められるのか、辞めるのか、父さんと息子はこの先どうして行くのか、一緒に暮らすのか、酒盛りが終わったらそのまま別々に廃工場を出て行くのか、この先も連絡を取るのか二度と会わないのか、その辺りが語られることはない。
正直なところ、「分からん」と思った。
分からないのが、私の駄目なところで、分からないということが分かって良かったと思う。
分かりやすいのに難しいお芝居だった。
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