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2024.12.29

「て」を見る

ハイバイ 20周年「て」
作・演出:岩井秀人
出演: 大倉孝二/伊勢佳世/田村健太郎/後藤剛範
    川上友里/藤谷理子/板垣雄亮/岡本昌也
    梅里アーツ/乙木瓜広/岩井秀人 /小松和重
観劇日 2024年12月28日(土曜日)午後2時開演
劇場 本多劇場
料金 6500円
上演時間 1時間50分

 ロビーでは、今回の公演の上演台本やTシャツ等が販売されていた。

 ハイバイの「て」を岩井秀人が演出するのは今回が最後ということだ。
 ネタバレありの感想は以下に。

 ハイバイ 20周年「て」の公式Webサイトはこちら。

 「て」は1回見たことがあって、今回が2回目である。
 「ある家族の1日を、1回目は次男の視点で、2回目は母親の視点で描く」ということまでは覚えていて、あと、その1回目と2回目の間に巻き戻しのような動きが挟まっていたことを覚えていた。
 その巻き戻しのような動きは、何演もした中でその公演での特別な演出だったらしく、今回は挟まっていなくてちょっと寂しい。
 あと、主な舞台はおばあちゃんの部屋で、そのお部屋の周りの廊下が、前回見たときはもう少し「別の空間」っぽく段差があるとか床の色が異なるとか、そういう感じだったような気がする。今回は、上から吊された四隅の柱とノブだけの扉で仕切られている感じに作られていた。

 前回見たときの印象はうっすらとあって、見る前から「1年の締めくくりの観劇としてはハードだわ」と思っていた。見ている最中も思っていたし、見終わってからもやっぱり「1年の締めくくりの観劇としてはハードだったわ」と思った。
 やはり身近な題材でかつ「笑うしかない」という状況は、端で見ているだけでもしんどい。
 それでも、上演中の注意事項を、前半で長女の夫を演じ後半で父親を演じた岩井秀人ではなく、次男を演じる田村健太郎が語っていた。
 「セリフはほぼ同じなんではなかろうか。いや、前回は「真剣に作っている」というような言葉が入っていたと思うけれどそれは作・演出・出演としての岩井秀人の心情だったのかもしれないし、主宰だからこそ言える言葉だったのかもしれない」と思った。
 そして、合わせて、この客席への注意事項というかお願いから「芝居の一部」として、恐らくは台本に書いてあるんじゃないかしらと思った。

 もの凄くもの凄く端折ると、ずっと家庭内暴力を続けていた父親と、その父親と40年別れず(別れられず)に来た母親、それぞれが家を出て独立している4人兄弟、母親の母であるおばあちゃんが、長女の呼びかけで久しぶりにおばあちゃんの部屋に集まる。その日の出来事を、前半は次男目線で、後半は母親目線で描いたお芝居である。
 同じ時間を描いているけれど、前半は次男が見聞きしたことしか出てこないし、後半は母親が見聞きしたことしか出てこない。そして、次男と母親が一緒にいなかった時間の出来事はお互いに知らない。知っているのは観客のこちらだけだ。

 その母親を小松和重が演じているところがポイントだと思う。
 多分、小松和重が演じることで、母親の嘆きの生々しさがある場面では軽くなりある場面では逆にもの凄く重くなる。
 惜しいのは、「離婚の話をできなくなってしまうほどのか弱さ」が若干見えにくいところだけれど、そこは(変な言い方にはなるけれど)嘆きの力強さでクリアしていたように思う。
 彼女の一番のシーンは、ちょうど同じ時間に開催されている同窓会の会場から電話を掛けてきた友人と話し、「もう遅い」「もう40年も経ってしまった」と慟哭するシーンだったようにも思う。

 「おばあちゃん」役の女優さんは、最初の頃は「前に見たときと唯一同じ役者さんが演じているわ」と勝手に思っていたら、全く違う女優さんだった。申し訳ない限りだ。
 でも、何だか似ていると思ったのだ。
 多分、しゃべり方と声が似ていたのだと思う。私は髪型が変わるだけで人の同定ができなくなるようなぼんやりだし、容姿は変わるけれど、意外と声やしゃべり方が変わる人は少ないと思う。
 この芝居の始まりはおばあちゃんのお葬式で、芝居の最後もおばあちゃんの出棺に戻ってくる。舞台となる場所はおばあちゃんの部屋がメインだ。
 この芝居の中心軸は、おばあちゃんなのではないかとも思う。

 次男バージョンだけを見たときは、大倉孝二演じる長男がとんでもなく無愛想で嫌な奴にしか見えないけれど、それは「次男が是」という前提があるからで、母親バージョンを見ると、母と長男が一緒にいる場面が多いこともあって、長男が「不器用だけど悪くない」奴に見えてくる。
 この集まりを呼びかけた長女は、多分、悪い人ではないけれど、いいことをしている、必要なことをしていると思っていて、それに同じだけのものを返してくれて協力してくれて当然と思っているらしいところが辛い。

 その長男と長女が言い争いになり、私はどちらかというと長男の肩を持ちたかったけれど、それは置いておくとして、この二人が「どっちが(自分達が嫌っていることだけはお揃いの)父親に似ているか」で相手を非難して攻撃しているところも辛かった。
 分かる。そうなるんだよ。そここそが相手の一番の弱点だし自分の弱点でもあるから攻撃したくなるんだよ、自分だけは似ていたくない同じになりたくないと思っていても、周りからは似ていると思われていることに我慢ができないし、狂ったように否定したくなるんだよ、とそこだけやけに親近感が湧いた。同じだよ、そうだそうだ、みたいな声を掛けたくなる。

 父親と母親は離婚の話をするけれど、「別れましょうか」と言い出した母親は、父親に「そうするか」みたいに言われて、突然、狂ったように怒り出す。
 離婚することで、これまでの生活や苦しんでいたことや切り捨てたいと思っていたことや酷い目に遭わされたことを全部「なかったこと」にされるような気持ちになって、そちらの方が許せなくなったように見えた。

 そして、その後、どうなったんだろう。
 おばあちゃんのお葬式には父親も母親も参列していた。
 母親目線の後半だけ、岩井秀人が父親が演じていたことにもきっと意味があると思う。前半と後半で演じる役者さんが変わったのは、長女の夫と父親を演じる役者さん二人が入れ替わったこの一組だけだ。

 繰り返すけれど、しんどいお芝居である。
 でも、見て良かったと思う。

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