「桜の園」を見る
シス・カンパニー公演 KERA meets CHEKHOV Vol.4/4「桜の園」
作 アントン・チェーホフ
上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 天海祐希/井上芳雄/大原櫻子/緒川たまき
峯村リエ/池谷のぶえ/荒川良々/鈴木浩介
山中崇/藤田秀世/山崎一/浅野和之 ほか
観劇日 2024年12月21日(土曜日)午後0時30分開演
劇場 世田谷パブリックシアター
料金 12000円
上演時間 3時間(15分間の休憩あり)
ロビーではパンフレット等も販売されていたと思うけれど、チェックしそびれてしまった。
お隣の席の方が開演時間ぎりぎりに来て、さらに上演中ほぼ舟を漕いでいてびっくりした。
ネタバレありの感想は以下に。
チェーホフの「桜の園」といえば有名で、私だって何度か見たことがある。
と思ってこのブログで検索してみたら、感想を書いているのは1回だけだった。そんな莫迦な、と思う。何というか、もっと親しみがあるというか、懐かしい、知っている感じがしていた。
チェーホフの4大戯曲と言われる「かもめ」「桜の園」「ワーニャおじさん」「三人姉妹」の中では、「桜の園」が一番馴染む印象がある。
検索してみて、今回の公演が2020年に新型コロナウイルス感染症の流行により中止になった「KERA meets CHEKHOV Vol.4/4」の公演であることが分かった。そうだったのか、と思う。
2020年のときと同じ出演者は、井上芳雄、鈴木浩介、山崎一の3人だ。同じ配役だったかどうかまでは分からない。
ほぼほぼ破産している家で、「家にも自分にもお金がない」と分かっているのに、施しも浪費も止められない女主人ラネーフスカヤは、お金を使ってしまってからいつでも「仕方がないじゃない。私莫迦なんだもの」と宣う。
これは言われている方は腹が立つだろうなと思う。
どこからどう押しても天海祐希が莫迦な筈がないのに、それでも彼女がそう言うとかなりイラっとする。
演じちゃうよ、多分アプローチはかなり変わった形だと思うけれど、でも演じちゃってるよ、というのがまず浮かんだ感想だった。
ほぼほぼ没落したロシアの地主の一家で、ラネーフスカヤは何故かパリで暮らして、多分どうしようもなくヒモな感じの男に入れあげ、お金を使いまくっている。
彼女の浪費を支え、家の没落を少しでも先に延ばそうと思っているのは、荒川良々演じる農奴の息子であったロパーヒンくらいだ。
大原櫻子演じる母を迎えに行った娘のアーニャは、井上芳雄演じる万年学生で言うことが浮世離れ仕切っているペーチャと非現実的な将来を語り合っているし、峯村リエ演じる養女のワーニャは質素倹約を心がけつつそれ以上のことを考えようとしていないように見える。
山崎一演じるラネーフスカヤの兄ガーエフは、どこからどう見ても「何とかしようと博打を打っては傷を大きくする」タイプのようだ。
ラネーフスカヤは、屋敷森のような「桜の園」を大事に思っているし執着しているけれど、このままではどちらにしても3週間後に競売に掛けられて失うことになると分かっているのかいないのか、ロパーヒンの「桜の園に貸別荘を建てて貸し出したらどうか」という提案に頷こうとしない。それは桜の木を切りたくないからだけれど、このままでは桜の園も屋敷もすべて手放さなくてはいけないんだよ! と大声で言いたい。
競売の日、親戚から借りられた僅かなお金を持って出かけたガーエフは、舞台上の登場人物たちの多くが何故か「競り落とせる」と思い込んで、ラネーフスカヤなど楽団まで呼んでダンスパーティなど開く中、もちろん勝負に負けて帰って来る。
競り落としたのはロパーヒンだ。
何となくロパーヒンがラネーフスカヤ金銭的に助けようとするのは彼女に惚れているからだと思っていたけれど、何故か舞台上の人々はみなワーニャとロパーヒンが相思相愛だと思っている。
ワーニャは「周りが言うだけでロパーヒンから告白の一つも受けたことはない」と言いつつ、ロパーヒンのことが好きらしい。どうにもワーニャと「愛している」という言葉が似合わないのは何故なのか。
結局、ロパーヒンがワーニャに愛を告げることもワーニャを救うこともない。
ワーニャばかり酷い目にあっている気がする。
結局、ラネーフスカヤ達は桜の園も屋敷も手放すことになり、ここを出て行く。
ラネーフスカヤはパリに戻るらしい。ガーエフの行き先は不明だ。何故だかやる気に満ちて前向きなアーニャはペーニャと一緒にどこかでがんばるらしいが、一体何をがんばるのか。何だか続きがあったら、絶対に破局していそうな二人である。
ガーエフの今後も不明だ。
分かりやすいのは、どこかの地主のところで屋敷の管理をする(多分、住み込みで働く)と言うワーニャだけだ。どこまでも堅実な女である。
舞台を見ているときは「何者?」と思っていた緒川たまき演じるシャルロッタは、ラネーフスカヤお抱えの手品師ではなく、アーニャの家庭教師だったらしい。彼女もどこに行って何をするのか不明である。
そもそも、最後までどうにも家庭教師らしくない、享楽的な感じの謎の女だった。こういう正体不明の退廃的な雰囲気を持つ女性を演じたら緒川たまきはピカイチだよと思う。
「時代に取り残された人々」の話だと思うけれど、さて、登場人物たちの中に時流に乗った人はいたのかなと思う。
ロパーヒンは「時流に乗った」人なんだろうか。あと、結局、彼が好きだった人は誰なのか、非常に気になる。
そして、かなりみじめな状況での旅立ちの筈なのに、やけに皆が暢気で明るいことがきになる。借金は返せただろうけれど、生活費はほぼほぼ持っていない筈で、稼ぐ手段を持っているのはワーニャだけである。いや、ロパーヒンに雇われた事務員のエピドーノフも生活は成り立つだろうけれど、どうも彼らが時流に乗れたようにも見えない。
ワーニャとエピドーノフが暗い顔をしている一方で、ラネーフスカヤやアーニャたちは明るい。ラネーフスカヤは「屋敷を失う」「思い出の詰まった屋敷を手放す」ことは嘆いているけれど、野垂れ死にするかもといった悲壮感は全くない。むしろ「何とかなる」と思っているというか、「何とかしなくてはならない状況である」ということすら分かっていないように見える。
ガーエフもべそべそしてグチグチ言っているけれど、彼は多分、宝くじに当たってもこんな感じだろうと思われる。
家人達が全員出立し、屋敷に鍵が掛けられた後、フィールスがどこからか現れる。
皆が「朝のうちに病院に送った」と思っていた彼は、実は屋敷のどこかにいたらしい。ゆっくりと歩き、ソファに横になり、そして眠りに落ちる。
もしかすると、亡くなったのかも知れない。
彼の死は、この家と、一家と、彼らの生活を成り立たせていた時代の終焉を見せてくれているようだ。
結局、時代の移り変わりや一時代の終わりを迎えたこの舞台で、現実を理解していないし理解しようともしていないラネーフスカヤが最強なのではなかろうか。
「桜の園」という作品が目指すところは多分違うけれど、何となくそう思った。
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