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2025.03.09

「デマゴギージャス」を見る

MONO第52回公演「デマゴギージャス」
作・演出 土田英生
出演 金替康博/水沼健/奥村泰彦
    尾方宣久/渡辺啓太/石丸奈菜美
    高橋明日香/立川茜/土田英生
観劇日 2025年3月8日(土曜日)午後2時開演
劇場 吉祥寺シアター
料金 4800円
上演時間 1時間55分

 ロビーでは、パンフレットや上演台本等が販売されていた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 MONOの公式Webサイトはこちら。

 これまでずっと場が動かず、時は未来に向かって動いているという前提で、MONOの芝居は動いてきていたと思う。
 だからこそ、一人称が「わい」になったり、言葉遣いというか方言というか、そういうところで「これは現実ではありません」感を出すようにしていたと思うけれど、今回のお芝居は、場は動かないものの明治と現代という二つの時を行ったり来たりしてのぞき見する、という感じの仕組みになっていた。
 うん、珍しい。これだけでもう、相当珍しい。

 現代では、「裏山の石を観光名所にして町作りを活性化しましょう。」「ついては、子孫のみなさまを探し集めましたので、まずは意思疎通を図り、共通見解を持ってください」的に、国から役人がやってくる。
 抗言っては何だけど、あまり出世しそうな感じはしない。むしろ、ご本人のしゃべりを聞いていると、公務員から見放されている、という言い方の方が事実に近いのでは? という気がする。

 一方、明治時代のこの家では、突然降ってきたこの岩について、実は何でもない石だと分かっているけれど村内で威張っている元名主の男が気に入らないので騙してやろうと、この岩は神から送られたものだと言い張り、村中にその噂をばらまき始める。
 そして、いつしかその噂は村人達に信じられるようになり、信仰が一つ生まれ、一つ消えて行く。
 その様子を見に来た明治政府の役人と、まずは舞台となっている歴史資料館の成り立ち等々が説明される。

 それにしてもMONOの若手女優さんたちは、気の強い役が過ぎるほど似合っているし、若手男優さんは気弱げなナサケナイ感じが本当に似合っている。当て書きということもあるかと思うけれど、綺麗にハマっていて本当に見応えがある。
 そしてオリジナルメンバーと言えばいいのか、個性的かつ味のあるおじさま達と上手くかみ合っていると思う。
 今回で言うと、町の議員で開発反対派一人、その知り合いの医師兼郷土史家の開発反対派一人、国から来た気弱げかつ要領悪そうな開発を進めたい役人、石の関係者の子孫で資料館の館長かつ中立と見せかけて開発賛成派一人、最初は「よく分からない」と言っていたのにいつの間にか開発反対派に回った石の関係者の子孫A、こちらがオリジナルメンバー組である。

 若手の4人は、いかにも気の強そうかつ要領の良さそうな資料館の職員、石の関係者に子孫ですべて「エナジー」で話を片付ける女性、町で鉄工所を経営している男性、その妻で嫉妬深く怪しい会合を開いていると噂されていたけれど実は夫が浮気していてかつ正式の資格を持ったセラピストだったという女性を演じている。
 そして、多分、全員が当て書きだ。
 いつか、当て書きバージョンと、シャッフルしたバージョンを上演したのを連続で見てみたい。

 明治時代では「石の出自」がデマの対象となり、現代ではこの妻の行動がデマの対象になっている、ということかも知れない。
 何となく断言しにくいのは、見ていて「このお芝居ってデマを扱っているかな」という疑問が浮かんだからだ。
 デマと言われると、もっと大々的で、最初から世界転覆を狙っている内容のようなイメージがある。
 しかし、考えてみれば、**さんの悪い噂を広めてやろう、というのもデマだなと思う。
 それでもやっぱり、この芝居で語られていたのはデマについてではない気がする。では何なのか、という答えが出ない。

 この舞台に出てくる人達は、(浮気をしていた男性一名はとりあえず置いておいて)概ねみな悪い人ではない。
 気が強かったり、人の話を聞かなかったり、やや柔軟性に欠けてない? という風に感じる場面もありつつ、悪人ではないし悪意もない。
 それでも、悪い噂を流そうとしたり、嘘の話を広めようとしたり、嘘の話を広めることで特定の人物に報復し(というのが強すぎる言い方ならば「ぎゃふんと言わせ)ようとする。
 狙っても狙っていなくてもデマはデマということか。

 少しばかり薄ら寒くなる話だけれど、それを、ちょっと独特の方言というのか言葉遣いというのか、MONOの舞台では割とお馴染みの感がある台詞回しや一人称でそれを和らげている。
 そして、今回の舞台はいつもより笑いが多めだった気がする。
 きっと内容が「薄ら寒くなる」話だったからだと思う。

 現代まで生き残っていた石は、子孫たちに拝まれたり特別扱いされるようになったりした挙げ句、町会議員選挙に落ちた男によって粉々に破壊される。
 大本が破壊されてしまえば、デマだって生き残らないだろう、多分。石がその場にあるときよりは少しだけ早く、デマも落ち着く筈だ。
 そもそも「観光資源としましょう」みたいなことを言い出した国がデマの発信元のようにも思うけれど、そこは突っ込んではいけない気がする。
 最後まで姿を現さず、最後には粉々になった「石」が、吉祥寺シアターにあるカフェのタイアップメニューの中でスコーンになって登場しているのが可笑しくも楽しい。

 楽しんで、ちょっとゾっとして、楽しんだ。

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