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2025.03.03

「にんげんたち〜労働運動者始末記」を見る

劇団文化座公演168「にんげんたち〜労働運動者始末記」
作 マキノノゾミ
演出 鵜山仁
出演 米山実/沖永正志/白幡大介/藤原章寛
    高橋未央/兼元菜見子/大山美咲/田中孝征
    桑原泰/季山采加/泉建斗/青木和宣
    神﨑七重/佐々木愛/石橋徹郎(文学座)
観劇日 2025年3月1日(土曜日)午後2時開演
劇場 俳優座劇場
料金 5500円
上演時間 2時間40分(15分の休憩あり)

 この週末にも芝居を見たいなぁと思って探し、「にんげんたち〜労働運動者始末記」を見てきた。
 閉館する俳優座劇場で芝居を見るのはこれが最後になるかしらと思う。

 ネタバレありの感想は以下に。

 文化座の公式Webサイト内、「にんげんたち〜労働運動者始末記」のページはこちら。

 文化座の舞台を見るのは初めて、のような気がする。佐々木愛が代表を務めていることも今回初めて知った、ように思う。
 それなら何故見に行こうと決めたのかというと、作・マキノノゾミ、演出・鵜山仁という組み合わせと、大杉栄と伊藤野枝を描いた作品だったからだ。
 実際、恥ずかしながら、舞台を拝見して佐々木愛以外の役者さんの名前は全く分からなかった。申し訳ない。

 しかし、負け惜しみのようになるけれど、役者さんのキャラクターやこれまでに演じた役などに引っ張られずに芝居を見られるというのは、新鮮だし、面白い。
 出演されていた役者さん全員、通るいい声をしていて、そうすると煩悩が入り込む余地なく台詞や舞台や動きや物語に集中することができる。楽しい。

 物語は、大杉栄と伊藤野枝の仲間であった、村木源次郎と和田久太郎が何やら企てているシーンから始まる。
 そして、「彼らは何故そういう行動に出たのか」を紐解くように時が巻き戻り、明治41年の大杉栄と村木源次郎との出会いから、語り起こされて行く。
 大杉栄と伊藤野枝の物語だと思っていたけれど、この舞台の要は村木源次郎と和田久太郎であるらしい。
 というよりも、「大杉栄と伊藤野枝を囲んでいた、村木源次郎と和田久太郎の物語」という感じがする。
 本当に描きたかったのは村木源次郎と和田久太郎の二人で、この二人を語るには大杉栄と伊藤野枝を外す訳にはいかない、という感じだ。

 この二人の名前には聞き覚えがあって、聞き覚えがあるだけの自分はどうなのかと思わざるを得ないけれど、この時代、彼ら二人やその周りにいた人々を描く作品が鉄板だという感じがあるのは、どうしたって彼らを描こうとすれば人間の欲とか業とかダメダメなところと崇高なところとか、人間関係の難しさ、「自由」を貫くことの難しさなどなど、どうしたって人間を描かざるを得ないからではないかと思う。

 大杉栄が何を考え、何をし、どういう役割を果たしたのか、何故殺されなくてはならなかったのか。伊藤野枝は一体どこを目指していたのか、そして彼女も何故殺されなくてはならなかったのか。
 正直に言うと、それは全く分からなかった。

 ただ、ドイツに行こうとしている大杉栄が、村木源次郎に自分が死んだら実力行使に至ってもいい、でもそれは自分が死んだらだ、自分は必ず生きて戻ってくるからそれまでは実行に移すなと言い置いて出発し、村木源次郎が「そんな風に言われたら、もっと生きていたくなる」と泣くシーンがある。
 また、和田久太郎が父親の葬儀に行き、母と姉に「もう好きにしろ」と言われて故郷を出て行くシーンがある。

 この二人はそれぞれ持病があり、自分の命はもう長くないと思っている。
 そして、大杉夫妻の復讐のために、陸軍大将の暗殺を目論見、失敗して獄に繋がれ、村木源次郎は病でなくなり、和田久太郎は自死する。
 二人はそれぞれ、30代半ばで亡くなっている。
 彼らがもしもっと長く生き、何かをなしていたら、日本の歴史は変わっていたかも知れない。
 死ぬということは、殺すということはそういうことだ。
 「蒙古が襲来」で最後に巫女が言っていたのはこういうことだ。そう思った。

 見て良かった。

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