「星の降る時」を見る
パルコ・プロデュース2025「星の降る時」
作:ベス・スティール
翻訳 小田島則子
演出 栗山民也
出演 江口のりこ/那須凜/三浦透子
近藤公園/山崎大輝/八十田勇一//西田ひらり
佐々木咲華/秋山菜津子/段田安則
観劇日 2025年5月31日(土曜日)午後1時開演
劇場 パルコ劇場
料金 11000円
上演時間 2時間40分(20分の休憩あり)
ロビーではパンフレットや手ぬぐいが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
江口のりこ、那須凜、三浦透子の3人がいるのに何故か広く感じるパルコ劇場の舞台が不思議である。
江口のりこ演じるヘーゼルの二人の娘もそこにいるし、何なら秋山菜津子演じる3人姉妹の叔母であるキャロルもやってくるのに、やはり舞台が広く感じる。
これはもう狙って空虚な感じを出していたんだと思う。
三浦透子演じる末妹のシルヴィアの結婚式の朝で、長姉のヘーゼルが妹や娘たちの支度を手伝っている。
普段は一緒に暮らしていないらしい那須凜演じる次女のマギーは、ポテトチップでも食べながらカウチに寝転んでいそうな感じだけれど、この物語の舞台はイギリスらしい。
三姉妹の母親はすでに亡くなり、父親は何だか三女に頼りっぱなしという風情である。
不況のせいなのか、炭鉱が閉山したのか、とにかく「景気が悪い」という感じが漂う。
それにしても、結婚式の朝だというのに、花嫁のシルヴィアがどうにも不安定である。彼女の不安定さが舞台全体のあまり良くない方向での緊張感を生んでいて、こちらまで緊張してしまう。
嬉しそうににっこり微笑んでいるときは可愛らしいのに、その表情が不安を醸し出すと、途端に「この子に触れちゃいけない」的な雰囲気が醸し出される。怖い。
このときは、まだ結婚式直前のマリッジブルーなのか不安がる妹を、強気の姉二人が慰め宥め励ましている、というギリギリ微笑ましい情景である。
それは、叔母のキャロルがやってきて「小顔効果を狙って」と着ている紫系のワンピース(ツーピース?)に不釣り合いなヒラヒラの赤い帽子を被って見せたところで、笑いは起こっても安定感は生まれてこない。
やはり不安定である。
この不安定な感じは、場所が結婚式会場(多分、レストラン)に移動しても続いていて、段田安則演じる父親と八十田勇一演じるその弟でキャロルの夫でもあるピートは長年仲違いして口も利いていないようだし、シルヴィアの花婿であるマレクも好青年に見せかけつつ、どうにも裏に激情を隠していて、いきなりキレそうな感じが拭えない。
どうしてこうも不安定な二人がくっつくのか。
そして、近藤公園演じるヘーゼルの夫ジョンは失業しており、そのジョンをポーランド人であるマレクが自分の会社で雇おうと言うと、ヘーゼルが瞬殺で断る。
後になってマレクもシルヴィアも言っていたけれど、ヘーゼルには「ポーランド人に奪われた」という感覚があるようだ。
かつ、ジョンはマギーに惹かれていて、具体的な行動にも出ているらしい。
舞台の始まり頃にはそれは上手く隠されているけれど、こちらも不安定要素しかないという感じである。
そういう脛に傷持つ面々が揃っている場でもめ事が起こらない筈がない。
色々と起こるけれど、マレクがヘーゼルの「ポーランド人を下に見ている」態度に憤慨してシルヴィアを責めたり、ジョンがマギーに迫ったり、マギーがジョンを突き放せなかったり、ヘーゼルの娘のリオンがマレクにキスをして、それを「マレクから無理矢理キスされた」と言い張ったり、この嘘が結局、ジョンがマギーを好きだという事実を隠すためだったり、それを聞いてジョンがマレクを殴ってマレクが大怪我を負ったり、とにかく怒濤の崩壊が続く。
それにしても、江口のりこと那須凜、三浦透子の声は似ているなと思う。
低め安定の声で聞きやすく、しかも姉妹っぽく似ている。
声といえば、ターザンの呼び声(合図の声?)を腹の底から出す声で客席に届けてみせた段田安則も格好良かった。確か「ターザンごっこで子供の頃に遊んだ」という話から派生した話題だったと思うけど、一体その後どこへ行ってしまっていたんでしょう。
そしてラストシーンでは、ヘーゼルが妹二人以外の人間を追い出し、マギーを責めてジョンとマギーが2年前から思い合っていたことを白状させる。マギーは「キスを1回しただけで何もなかった」と言うけれど、前半が余計である。
そして、姉二人のやりとりを聞いたシルヴィアが、「マギー、酷い」とマギーのことだけを責めているのが非常に不思議だった。
いや、この場合一番酷いのは、浮気をしたジョンではないのか。
ヘーゼルは妹を責めるより前にジョンを責めた方がいいのでは。
そして、シルヴィアがヘーゼルの肩を持つのは、自分がこれから「花嫁」になる立場だから、夫を奪うような所業をしたマギーを許せないということなのか。
この辺りが本当に謎だった。
分からない。
ヘーゼルもマギーもシルヴィアも、それぞれ一体何を考えて、どんなしがらみがあってたのだろうと首を傾げたくなる。
舞台は、狂ったように踊る3人のシーンで幕である。
全体にエキセントリックな物語だし進行だし登場人物達だけれど、それでも端正な舞台に見受けられるのは、栗山民也演出の到達したところなのだろうなと思った。
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