「リチャード三世」を見る
パルコ・プロデュース2026「リチャード三世」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 森新太郎
出演 吉田羊/愛希れいか/中越典子/赤澤遼太郎
増子倭文江/浅野雅博/星智也
清田智彦/篠井英介/渡辺いっけい
観劇日 2026年5月16日(土曜日)午後1時開演
劇場 パルコ劇場
上演時間 3時間(20分間の休憩あり)
料金 11000円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
有名すぎる「リチャード三世」である。
吉田羊が主役を張るシェイクスピア作品を3部作で上演することは決まっていて、第1弾がジュリアス・シーザー、第2弾がハムレット、第3弾がこの「リチャード三世」だという。
なかなかのラインアップである。
「ハムレット」は見ていないけれど、恐らく吉田羊はオフェーリアやゲルトルートではなく、ハムレットを演じていたのだろう。
やっぱりなかなかのラインアップだと思う。できれば、吉田羊が演じるハムレットのゲルトルートをいつか見てみたい。
リチャード三世は、そのまま上演すると4〜5時間もかかるそうだ。
4時間と5時間ではかなり違うような気がするけれど、とにかく長尺の芝居だということだと思う。
インタビューで吉田羊が「バッサバッサと切って2時間半を目指している」「バッサバッサと切られたのは残忍な殺戮のシーンだ」というようなことを言っているのを読んでいて、見てその意味が分かった。
要するに「ナレ死」である。
舞台上でも拳銃で人を殺すシーンが演示されつつ、「**が**で死んだ」とか「処刑された」と表示される。
「スピード感」が出て展開が早くなっているのはもちろん、陰惨な殺害のシーンがあるとそれを仕込んだリチャード三世の悪さも強調されるのに対し、その部分を軽くするという効果もあったような気がする。
かといって、リチャード三世に同情する気はおきない。可哀相にも思わない。
皇太子とその弟というリチャード三世にとって甥に当たる二人の少年を操り人形に演じさせたのも、この「陰惨さを薄める」ためだったのかなとも思う。
そして、舞台上の天井がずっと低く、何なら上2/3くらいがずっと黒幕で覆われているのは、このテロップを出すためなんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
多分、違う。
舞台を横に長く見せて移動距離とか人と人の距離を強調するのと、あと、リチャード三世が作り出す罠とか世界に周りの人々が次々と取り込まれ行くのを見せるためだったんじゃないかという気がする。
とにかく低い。
リチャード三世がいかにも悪巧みをしている自分を知っている、歌舞伎で言うところの「色悪」っぽい立ち位置なのは明確で、でも吉田羊が演じるとその「色」の部分がかなり薄まる気がする。そして「確信犯」というか、自分で「色悪の自分」を分かって演じている、という雰囲気が出る。でも悲劇的ではないし、可哀相な感じもしない。
このラインを突く「リチャード三世」は実は結構珍しいのではないかと思う。
シェイクスピアの作品は、そして実際のイギリス王室は、同じ名前の人が多くて混乱する。
リチャード三世の兄のエドワード皇太子の息子がどうしてまたエドワードなんだ! と怒りたくなる。どっちの話をしているのか分からないではないか。
また、重臣たちの名前が覚えられなくて、今話題に上がっている人物はしゃべっている人物の敵だっけ? 味方だっけ?と思ったりしてしまう。
今回、9人の役者さんが一人何役も務めていて、かなりこちらが気付かないくらいに演じ分けていたけれど、それでもときどき混乱してしまった。
物語的に言うなら、リチャード三世で一番納得が行かないのはアンである。あれだけ憎んでいたくせにどうして一瞬でリチャード三世に落とされるのか、本当に解せない。簡単すぎるだろ! と毎回思う。
毎回思うと言えば、ヘンリー王も、リヴァーズとヘイスティングス(だったと思う)の二人に握手させただけでどうして「仲直り」させられたと思って喜ぶのか、本当に解せない。そんな王の一言で積年の対立がほどける訳がなかろうと思う。
何なんだ。リチャード三世の周りには単純な人物しかいないのか。アンなど、リチャード三世が王位に就いた瞬間に殺されてしまうのだから、本当に解せなさすぎる。
解せないといえば、シェイクスピア劇の終盤、何故かフランスから誰かが攻めてきて、結果、王位をもぎ取って行くのはどうしてなのか。
これは「そういう結果になった史実を取り上げて劇作したから」だろうと思いつつ、突然、それまで登場していなかった人物がすべてをかっさらって行くのが本当に謎である。
当時のヨーロッパ王家は政略結婚の繰り返しでお互いの王家の血を持ち合っていて、だからこそ王権が安定せず、勝てば主君、みたいな状態だったのだろうなと思う。思うけれども、見ているときは、唐突感だけ感じている。
戯曲が書かれた当時だったり、何なら現代のヨーロッパであっても、観客がこの辺の違和感を感じることはないのだろうな、と思う。
日本で「翻案」されて上演されることが多いのはそのせいかしら、とも思ったりする。
スピード感があるということはあっさりしているということでもあって、翌日の戦に向けてリチャード三世がウジウジし、リッチモンドが夢見の良さに上機嫌になるところは丁寧に描きつつ、戦いのシーンは最小限、ラストはリチャード三世は敵に囲まれてなぶられ、最後に登場したリッチモンドに討たれて死ぬ。
リッチモンドはいいとこ取りだ。
そして、リッチモンドが戦場を睥睨するところを後ろ姿で見せ、暗転、次に同じ姿勢で現れ衣装を取ると、それまでリッチモンドを演じていた中越典子ではなく吉田羊が姿を現す。
幕だ。
こんなにラストシーンに成功している舞台ってなかなかない。
この芝居のいいところが詰まったラストシーンだった。そして多分、三部作の終わりも示していたのだと思う。
格好良かった。
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