2021.08.15

「もののけ姫」のDVDを見る

「もののけ姫」
監督 宮崎駿
声の出演 松田洋治/石田ゆり子/田中裕子
    小林薫/美輪明宏/森繁久彌 他
日本映画
1997年劇場公開

 昨日、「もののけ姫」がテレビ放映されていて、うっかりぶつ切りで見たら気になって仕方がなくなり、今日(2021年8月15日)DVDを久々に見た。
 「もののけ姫」は3時間近いイメージを持っていたら、実際は133分だった。

 今さらなことを言うと、アシタカは何をしたかったんだろう??? と思う。
 そもそもは、自分が受けた呪いを解いてくれる何者かがいるのではないかと西に旅してきていた筈だ。
 そこで、サンと出会い、惹かれ、で、サンを人間社会に戻したかったのか? 人間と森で共生できないかとずっと言っていたけれど具体的にはどうしたかったのか、何だかよく分からない若者だなー、と思いながら見ていた。

 「もののけ姫」という映画には、もの凄く色々なテーマが詰め込まれていて、最後の最後まで言いたいことは「生きろ」に尽きるのだろうと思う。
 その「生きろ」の前に「**だけれど」という言葉が常についていて、この「**」が多すぎる。
 それは、アシタカやサン、エボシらが抱える問題というよりは、見ている私たちが抱えている問題なんだろうと思う。

 シシ神に腹の鉄砲傷は治してもらえたアシタカは、「呪い」が解かれていなかったことで、結局、そう遠くない自分の死を覚悟している。
 そのシシ神は、エボシに撃たれてジコ坊らに奪われた首を、アシタカとサンによって返されたことで、ギリギリのところで世界を死滅させることなく、しかし自らは消え失せ、消え失せる際に吹かせた風によって一度は枯らせた森や山に緑を芽生えさせる。
 その風を受け、アシタカが受けた呪いの証しであるあざも薄くなっていて、呪い自体も消えたようだ。

 首を返してあげたからお礼に呪いを解いてくれた、というのだったら分かりやすいけれど、分かりやすかったら台無しである。
 でも、分かりやすくない分、未だに分からないままでいる。
 「象徴」しているものが多すぎて分からない。分からなくてもいいか、答えはないかも知れないし、と思った。

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2021.06.27

「マトリョーシカ」のDVDを見る

「マトリョーシカ」
作・演出 三谷幸喜
出演 松本幸四郎/市川染五郎/松本紀保
2002年収録

 若い。
 松本幸四郎(現・松本白鸚)も、市川染五郎(現・松本幸四郎)も若い。
 松本紀保は最近見ていないけれど、女性の方が「いつまでも若い」「若い頃と変わらない」という感じを受ける人が多いと思う。
 もう20年くらい前の作品だ。若くて当たり前である。

 ワンシチュエーションでどんでん返しの連続である。
 舞台も見ていて、もちろんストーリーも覚えていて、でも楽しい。面白い。可笑しい。
 松本幸四郎がチャーミングである。

 ベテラン俳優が新進の俳優に対し、私的オーディションを行っている。
 彼が長年演じてきた役を演じられる後継者を探しているらしい。
 彼のキャスティング権がある訳ではないけれど、キャスティングに彼の意見が尊重されることもまた確かである。

 さて、ベテラン俳優はどうやって、新進俳優の「資質」をみようというのか。
 オーディションを行っている劇場の隣にある花屋の店員はどんな役割を果たすのか。
 新進俳優は果たして役を掴むことができるのか。

 タイトルの「マトリョーシカ」の通り、何重にも入れ子の構造になっていて、それを活かしたり見せたりするために、あちこちで小技を効かせている。DVDではその「小技」をアップにして見せてくれてしまうところが勿体ない。
 ここは全部引きで見て自分で見つけてくすっとしたかったなぁと思う。

 自分大好きだけれど自分よりも芝居が好きそうなベテラン俳優と、まだまだ若いでもその若さで何ごとにも正面からぶつかって行く新進俳優と、様々な「鋭さ」を朴訥さの中に上手に隠し持った若い女と、誰が一番の「くせ者」なのか。
 役者がいて、その場が劇場だからできる「仕掛け」がてんこ盛りで、どこまでも客席を引っ張って行く。
 これだよ! と思う。

 シアターナインス、また上演してくれないかなぁと改めて思った。

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2021.04.04

「真珠の耳飾りの少女」のDVDを見る

「真珠の耳飾りの少女」
原作 トレイシー・シュヴァリエ
監督 ピーター・ウェーバー
脚本 オリビア・ヘトリード
出演 スカーレット・ヨハンソン/コリン・ファース
    トム・ウィルキンソン/キリアン・マーフィ
    エシー・デイビス 他
イギリス・ルクセンブルク映画
2003年製作

 シュヴァリエの原作小説は読んだことがあり、映画も確か1回(私にしては珍しいことに)映画館で見ている。
 確か、絵画「真珠の耳飾りの少女」が来日した際、その公開に合わせて映画も上映されていた機会に見たのだったと思う。

 原作小説の方は何度も読み返していて、映画もほぼ原作に沿ったものと思っていたら、以外と異なるところがあって、ちょっと驚いた。
 どうやら、映画を見た後で小説を何度も再読した結果、映画に出演していた役者さんを想像しながら原作小説を読み、原作小説のあらゆるシーンが映画で見たと誤解したらしい。
 我ながら果てしない妄想力である。

 いずれにしても、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」という絵がどのようにして誕生したか、という一つの謎解きをしている映画である。
 面白い。

 映画では、グリート(小説ではフリートとなっていたような・・・)の家族はほとんど登場しない。
 恐らくは、グリートとフェルメールとの関係に焦点を当ててそこを際立たせるため、他の要素はだいぶ削ったのだと思割れる。
 グリートの家族は、グリートとフェルメールというよりは、グリートと精肉店の息子であるピーターとの関係により影響を与える存在として小説で描かれていた筈だ。

 そして、そのピーターとグリートと二人だけのシーンは悉くセピアカラーだったのも印象的である。
 これはグリートの心象風景なんだろうな、ピーターと二人でいても世界は全くカラフルにならず、むしろ地味に沈んだ景色として彼女の目に映っていたのだろうなという感じが強調されている。

 そうしてグリートとフェルメールの二人の関係に絞った一方で、小説で示唆されていた「ピーターと結婚したグリートが生んだ長男はフェルメールの子供だ」という箇所は見事に削られている。
 グリートはフェルメールに恋していたと思うけれど、フェルメールのグリートへの執着は恋愛ではなく、絵描きとして自分の描く絵の理解者である彼女への執着だったということになっている、のかも知れない。

 ただ、フェルメールの娘のグリートへの執拗な意地悪は、彼女が自分の家族を滅茶苦茶にしようとしていることに敏感に反応していたように見えた。
 この辺りはよく分からない。

 フェルメールのパトロンであるファン・ライフェンは映画では結構な重要人物で、彼のの家に(恐らく)デルフトの眺望だったり、紳士とワインを飲む女の絵がエピソードに使われていたり、真珠の首飾りの女を購入するシーンがあったりする。
 大分、嫌な人物ではあるけれども、一方で金銭面でフェルメールを支えていたという雰囲気も漂わせている。

 グリートと一緒に働いていたエンリケが、フェルメール家を辞したグリートを訪ね、彼女に真珠の耳飾りを渡し、そのまま去って行く。
 渡された、ブルーの布に包まれ、生成りの布でさらに包んで蝋で封をした真珠の耳飾りを見て彼女が何ごとかを悟ったシーンで映画は終わる。

 次に見るときには、ストーリーではなく、フェルメールの家に飾られている絵やカーテン、ドアや床の様子、衣装などなどに「フェルメールの絵」を探してみようと思う。

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2020.12.30

「ふたり」のDVDを見る

「ふたり」
原作 赤川次郎
監督 大林宣彦
出演 石田ひかり/中嶋朋子/尾美としのり/芝山智加
    中江有里/島崎和歌子/吉行和子/竹中直人
    ベンガル/増田惠子/岸部一徳/富司純子
日本映画
1991年製作

 小説を読んだら映画も見たくなってしまい、DVDで「ふたり」を見た。

 懐かしい。
 そして、1991年当時、この映像は相当に新しいものだったんじゃないかしら、と思う。
 石田ひかりと中嶋朋子のアップ連発で、何とも贅沢な感じだ。

 小説は時系列で語られている一方、映画は姉を事故で亡くした実加の様子から描かれている。
 姉の千鶴子が好きだった大学生と、実加の恋の相手を同一人物にしたところも違っている。映画では、その分、千鶴子の感情の揺れがより繊細になっていたように思う。

 ピアノの先生の家に行く途中、男に首を絞められて殺されそうになったところに千鶴子が救いの手を差し伸べる。
 それから、幽霊である千鶴子は実加のよき導き手であり話し相手であり相変わらず姉であり続ける。
 姉と一緒に過ごす実加の成長物語である。

 もっとも、今回見返してみて、幽霊であるところの千鶴子の感情がこんなにも細やかに描かれていたことにびっくりした。
 そりゃ複雑だよねとかそりゃ哀しいよねとか、幽霊って哀しいよねとか。
 中嶋朋子の表情の演技が秀逸だと思う。

 「尾美としのりがこんな”格好いい”役をやっているよ」とか、「岸部一徳が若いよ」とか、「竹中直人だってエンドロールまで気がつかなかったよ」とか、富司純子が変わらなさすぎるよ」とか、色々な感想が浮かぶ。
 感想と言うよりも、野次馬だ。

 石田ひかりがほんわかした女の子を気持ち良く演じていて、可愛かったなぁと改めて思う。

 何度も繰り返される、実加言うところの「お姉ちゃんのテーマソング」である「草の想い」を最後に大林監督が歌っているのもいい感じだ。
 しばらく、ついつい口ずさんだ。久石譲、流石だよと想う。

 思っていたよりも長い2時間半、贅沢な映画を贅沢に楽しんだ。

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2020.08.30

「ジパングパンク 五右衛門ロックⅢ」のDVDを見る

「ジパングパンク 五右衛門ロックⅢ」
作 中島かずき
演出 井上ひでのり
作詞 森雪之丞
出演 古田新太/三浦春馬/蒼井優/浦井健治
    高橋由美子/橋本じゅん/高田笙子
    粟根まこと/村井國夫/麿赤兒 ほか
2013年収録

 えいやっと一気に購入した「五右衛門ロック」のシリーズ3本の最後の1本である。
 まだそれぞれのコメンタリー編や特典映像は見ていないので、これからもしばらくは楽しめそうだ。
 また、シリーズとしては轟天とのコラボともいうべき1本があるけれど、あれは「祭」がメインなので、ここでは置いておく。

 7年前に劇場で見たときも思ったとおり、やはり三浦春馬さんが格好いい。
 歌って踊れて殺陣もできて見得も切れる。大活躍である。
 もう映像でしか拝見できないと思うと寂しい。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

 7年前に劇場で見ていて、感想をここに書いている。
 そのさらに3年前に見ている「薔薇とサムライ」は割とストーリーも覚えていたにも関わらず、「ジパングパンク」の方はすっかり展開を忘れ果てていて、我ながら愕然とした。
 お陰でもの凄く新鮮な気持ちでDVDを見た。
 ダメダメな私の記憶力万歳である。

 五右衛門ロックのシリーズ3本を短期間で見て、舞台での映像の使い方がどんどん進化しているなぁという感想を持った。
 この後、さらにIHIの髑髏城の七人などを見たらさらに傲然とすると思う。
 そしてジパングパンクでは、さらに、DVDとしての編集も凝っているように思う。特に舞台上で使った映像とDVD編集で差し込んだ映像と両方使っているところが手が込んでいると思う。
 舞台上での映像の多用は、新感線に限らず、最近の舞台のもはや「流行」ではなく「常識」にすら感じられる。

 時は戦国時代の終焉間近、津雲寺に伝わる弘法大師空海が中国から持ち帰ったと言われる「黄金」を目指して、五右衛門一家に、同じく泥棒稼業の猫の目お銀、「薔薇とサムライ」で大暴れしたマローネご一行までが集結し、マローネの悪事を止めるべくアンヌ女王が派遣したシャルル王太子も来日しているし、そこに五右衛門を捕縛すべく登場した明智心九郎も絡んで大騒動、全てを知っているかのように怪しく振る舞う津雲寺の春来尼もいる。
 さらには、実は心九郎は父親の仇討ちを企てている明智光秀の忘れ形見で、その目的のために堺の大商人やマローネ達と手を結んで豊臣秀吉に対抗しようというのだから、よくここまで絡めたものである。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵を「愚策」とみて、それを「天下統一後に目的を見失った天下人秀吉の”遊び”」と看破する五右衛門はもちろんのこと、その秀吉に「最後の最後まで付き合う」と宣言する石田三成も前田利家も逆方向から格好いい。
 この辺りの史実との絡め方が、中島かずきの真骨頂という感じがする。

 歌と踊りもたっぷり、殺陣もお腹いっぱい、謎が謎を呼ぶ展開も楽しいし、その謎や思惑やあれやこれやの伏線を鮮やかに回収し、五右衛門が海に出て行くところもお約束でありつつカタルシスがある。
 心九郎が晴れやかに笑って五右衛門とともに西洋目指して出航するラストシーンもいい。

 183分を堪能した。
 また見よう。

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2020.08.22

「薔薇とサムライ 五右衛門ロックⅡ」のDVDを見る

「薔薇とサムライ 五右衛門ロックⅡ」
作 中島かずき
演出 井上ひでのり
作詞 森雪之丞
出演 古田新太/天海祐希/浦井健治/山本太郎
    神田沙也加/森奈みはる/橋本じゅん
    高田聖子/粟根まこと/藤木孝 ほか
2010年収録

 観劇を再開したものの、なかなかチケットが確保できなかったり、確保できたものの諸々の事情があって見送らざるを得なかったりしている。
 それならば自宅で鑑賞できるDVDをこの機会に! とえいやっと「五右衛門ロック」のシリーズ3本を一気に購入した。
 その2本目である。

 もう10年も前のことながら、見たことは覚えている。(感想もここここに書いている。)
 ストーリーも何となく覚えていて、少なくともラストシーンは記憶どおりだった。赤坂ACTシアターで見たことは忘れていたし、この映像が赤坂ACTシアターで撮影したものか、大阪公演を撮影したものかは判断つかなかったところが怪しい記憶力である。

 もうこれは天海祐希にオスカルの格好をさせたかったんだよね、ということに尽きる。
 大体、登場シーンでは黒髪の海賊だったのに、小国の女王様に祭り上げられて、上手いこと悪辣な大臣に載せられて海賊退治に出かけるときには何故か金髪にオスカル風の衣装になっていて、どうして髪の色まで変えるんだよ! とDVDの画面にツッコミを入れてしまった。
 ドレス姿も見せるし、十字に磔になっているときには金髪のショートカットだったし、天海祐希七変化が見どころであることは間違いない。

 それにしても、アップで見てしみじみと天海祐希って美人だなぁと思う。
 美人なのは知っていたけれど、何というか、「格好いい」というイメージの方が強かったので、こんなに綺麗な人だったのねと改めて惚れ惚れと見てしまった。

 古田新太の五右衛門が格好いいのはもちろんである。
 もしかして「髑髏城の七人」の捨之介よりも、「五右衛門ロック」の五右衛門の方が格好いいんじゃないかしら、と思ったくらい格好いい。
 やたらとモテているのも許す、という感じだ。

 この「薔薇とサムライ」でも陰謀万歳で、どんでん返しが続き、息つく暇もない展開である。
 面白い。
 退屈している暇がない。
 五右衛門を追っている「銭形警部」キャラがいるのも、その「銭形警部」が何だかんだ五右衛門に惚れていていざというときには五右衛門を助ける側に回ってしまうのもお約束で、お約束を守りつつもやっぱり意外な展開が続く。

 トータル197分を堪能した。

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2020.08.15

「五右衛門ロック」のDVDを見る

「五右衛門ロック」
作 中島かずき
演出 井上ひでのり
作詞 森雪之丞
出演 古田新太/松雪泰子/森山未來/江口洋介
    川平慈英/濱田マリ/橋本じゅん
    高田聖子/粟根まこと/北大路欣也 ほか
2008年 新宿コマ劇場で収録

 観劇を再開したものの、なかなかチケットが確保できなかったり、確保できたものの諸々の事情があって見送らざるを得なかったりしている。
 それならば自宅で鑑賞できるDVDをこの機会に! とえいやっと「五右衛門ロック」のシリーズ3本を一気に購入した。
 そのうちの1本である。

 もう12年の前のことながら、コマ劇場で見たことは覚えている。(感想もここに書いている。)
 でも、ストーリーも出演者もすっかり忘れ果てていて、DVDを見て唖然とした。
 幕開けの真砂のお竜のシーンは覚えていて、だから松雪泰子が出演していたことも覚えていたものの、あとはほとんど初見のドラマを見るような気持ちで見た。

 今はもうなくなってしまったコマ劇場を見られるのも嬉しい。
 コマ劇場といえば、三重の回り舞台がポイントで、でもあまりにも回り舞台が使われていなかったので「この映像はもしかしてコマ劇場じゃなくて大阪の劇場で撮影したのか?」と途中で首をひねったけれど、島が沈むシーンで「やっぱりコマ劇場だったよ!」と思い出した。
 回り舞台のこの潔い使い方がいいと思う。

 タタラの島にある「月晶石」を狙う五右衛門に、スペインの証人、タタラ島の前王朝の生き残りも返り咲きを狙い、現王であるクガイを母の敵と狙うその息子が登場し、ルパン三世の銭形警部のごとく五右衛門を狙う侍がいて、五右衛門をたき付けた峰不二子ばりの真砂のお竜がいて、五右衛門が伊賀忍であったときに戦った相手がクガイで、クガイから五右衛門を庇って死んだと思っていた女がタタラの島で生き抜いていて、もう因縁のてんこ盛りである。

 だから面白い。

 歌も踊りも殺陣も満載で、見どころしかない展開が続き、息つく暇もない。

 やっぱり舞台は生だよ、とは思う。
 でも、生の舞台がなかなか見られない今、DVDという存在は有難い。

 せっかくなので、そのうち、コメンタリー編も見てやろうじゃないかと思っている。

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2020.06.21

「もののけ姫」のDVDを見る

「もののけ姫」
監督 宮崎駿
声の出演 松田洋治/石田ゆり子/田中裕子
    小林薫/美輪明宏/森繁久彌 他
日本映画
1997年劇場公開

 「もののけ姫」や「ハウルの動く城」、「千と千尋の神隠し」には何となく苦手意識があった。
 このうち、「ハウルの動く城」だけは確か映画館で見たと思う。
 「もののけ姫」は、東京都現代美術館で開催された「男鹿和雄展」で、多くを採り上げられていた、ようなうっすらとした記憶がある。映画は見たことがあっただろうか。

 という訳で、DVDを見た。

 うーん。これは難しい、ような気がする。
 当たり前なのかも知れないけれど、勧善懲悪ではない。
 アシタカが一番「正しい」場所に立っているようにも見えるものの、運動能力と戦闘力の高さ故に、彼は意外と人を殺している。
 彼に限らず、登場人物(神を含む)を善か悪かを分けようとすると、どんどん混乱と渾沌に陥るように思う。

 つまり、そういうことを描きたかったんだろうという気がする。
 正しいと主張するものとか、善を装うものに惑わされるな。いいか悪いかは自分で決めろ、みたいな。

 何とも重い133分を、美しい森の描写がそうでない133分に見せてくれている。
 そういえば、米良美一はこの映画の主題歌を歌ったことで注目を浴び知名度が途轍もなくアップしたのだったなと懐かしかった。

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2020.05.31

「朝日のような夕日をつれて 2014」のDVDを見る

「朝日のような夕日をつれて 2014」
作・演出 鴻上尚史
出演 大高洋夫/小須田康人/藤井隆/伊礼彼方/玉置玲央
2014年 紀伊國屋ホールで収録

 元々あまり映画を見ないので手持ちの映画のDVDは早くも尽きてきている(あと2本、「ベルリン 天使の詩」と「星の旅人たち」がある)一方、舞台のDVDは結構な本数を持っている。
 その中から何となく気分で「朝日のような夕日をつれて 2014」を見た。
 本編と、コメンタリー編と、続けて合計4時間である。

 タイトルだけで「もう6年も前になるのかぁ」と何となく目が遠くなる。

 のっけから東京五輪の話が出てきて「2020年は今年だったもんなぁ」とまた目が遠くなる。
 2014年は、(覚えてないけど多分)2020年オリンピックの開催地が決まった年だったんだろう。
 そういう時事の話題と、そのときに流行っているおもちゃ(初演はルービックキューブ、2014年では・・・、もう忘れている。今見終わったのに。開発されたゲームが「Soul Life」という名前だったのは覚えているのに。)とで時代を追っかけたり先取りしたりし、オープニングや「みよこの手紙」で「朝日」としての連続性(一環性?)を確保している。

 「朝日のような夕日をつれて」は、パーツに分解できて、初演からずっと変わらないシーン、音楽、ダンスがある一方、時事ネタを次々と突っ込んで行くシーンももちろんあって、それをバランス良く組み合わせているという感じがある。
 その取捨選択と取り込み方が朝日の朝日たる所以だ。多分。

 6年前の舞台なのに、今年上演されていたとしても不思議でない感じがある。
 実際に今年上演されていたらe−Sportsの話題は出るだろうなぁとか、当時は今ほどインスタグラムって流行っていなかったのかしらとか(wikiによると、日本語アカウントが開設されたのが2014年2月だそうだ)、もちろん6年前に上演された作品であることは間違いなく、2020年に上演されたら全く別のパーツが入ることは間違いない。
 けれど、2014で語られている内容は今を見据えているし、2014で提起された課題は今以て提起されている課題だと感じる。

 そこに進歩はないのか。
 コンピュータやソーシャルネットワークの進化は人間が作り出しているものである一方、人間には追いつけない進化を遂げ始めているのではないかとさえ思う。
 「誰も自分を傷つけない世界」以上の「おもちゃ」はもう生み出されることはないのかも知れない。
 その辺りもまた、昨今の「STAY HOME」や「zoom飲み会」や「あつまれ どうぶつの森」のヒットなどなどに繋がっているように思う。

 一方で、こうやって「預言」は成立しちゃうんだろうなとも思う。崇めてどうする、と自分にツッコむ。
 「朝日」のいいところは、「先見性」ではなく「同時代から半歩先を行く芝居」であり、どこか高みから見下ろすのではなく今に添おうとする姿勢だ。

 DVDで見るのも、コメンタリー編を見る(というか聞く)のも楽しい。
 一番「いい」客席から見ることができたり、舞台を真上から見下ろすようなカメラ・アングルがあったり、役者さんの顔がアップになったり、裏話的な話があったり稽古の様子をうかがい知れたり、そこには舞台を生で見るのとは別の楽しみ方があると思う。

 それでも、舞台はやっぱりDVDじゃなくて劇場で見たいよと痛感した。

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2020.05.24

「木曜組曲」のDVDを見る

「木曜組曲」
原作 恩田陸
監督 篠原哲雄
出演 鈴木京香/原田美枝子/富田靖子/西田尚美
    竹中直人/加藤登紀子/浅丘ルリ子
日本映画
2002年劇場公開

 芝居のDVDよりも映画のDVDを見たい気分が継続していて、「木曜組曲」を見た。
 我ながら,何故このラインアップなんだろうと思う。

 恩田陸の小説「木曜組曲」をかなり忠実に映像化していると思う。
 お料理とか、台詞とか、見覚え(読み覚え)のあるシーンがたくさん出てきて、原作小説のファンとしては嬉しい。
 重松時子を浅丘ルリ子、編集者のえい子さんを加藤登紀子と、キャスティングもかなり贅沢である。

 久々に見返して、こんなにヒリヒリというかピリピリというか、緊張感溢れる映画だったんだ、と驚いた。
 毎年女5人で集まっている家で実は殺人事件があったかも知れない、殺人事件があった場合、犯人はその5人の中にいるかも知れないという状況だからピリピリして当然なのに、小説を読んでいるとそのピリピリ感をうっかり忘れてしまう。
 映画では声音や行動で具体化されているので、頭の中のイメージよりも大分「強い」感じを受けた。

 原作小説と大きく違うのはエンディングだ。
 小説では絵里子が一晩考えて出した推測が「結論」ということで終わっている一方、映画では「その後」が描かれている。
 ただ、これって無理があるんじゃないかしらと思ったのも本当だ。
 映画では、重松時子の親戚の女たち4人が集まる前にえい子が家を空け、その間に時子が服薬自殺を図ったことになっている。
 でも、絵里子は自分が時子の家に到着した後で、(姿は見ていないらしいけれど)時子が台所に入って行く気配を感じたと言っている。
 これって矛盾してるよなぁと思う。
 多分、私が何かを見落としたか聞き漏らしたかしたんだろう。

 ほぼ女5人の家の中の会話劇で、その分、女優さん達のアップが多用されている。
 目の保養だ。
 健啖家で、にな美味しそうに飲み、美味しそうに食べている。
 並んだ料理も美味しそうだ。
 目の毒だ。

 誰か舞台化してくれないかしらと思った。

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