2023年8月16日、東京国立博物館で2023年6月16日から9月3日まで開催されている特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」に行って来た。
古代メキシコに興味を持っている人なんて少ないよねと思っていたら、博物館入口に「ただいま混雑しています」の立て札が立ち、平成館に向かう人も平成館から歩いてくる人も多く、コインロッカーもかなりの使用率だった。想定外だ。
15時頃に到着し、少し時間を置いて入ろうと、ロビーで上映されていたテオティワカン、マヤ、アステカの各文明を紹介する映像を先に見ることにした。
マヤはパレンケ遺跡とチツェンイツァ遺跡、アステカはメキシコシティのテンプロ・マヨール遺跡を中心に展示が構成されていることが伺えた。
特に、パレンケ遺跡の「13号神殿」で発見された通称「赤の女王」の棺からの出土品はこの展覧会のメインとして扱われている。
今回取り上げられた遺跡の中でパレンケ遺跡だけは行ったことがあり、パカル王の棺が発見されたという碑文の神殿や、宮殿、赤の女王が発見された13号神殿(私が行ったときは、ガイドさんたちは「赤の女王の神殿」と呼んでいた)も見学している。
再会でき、メインで扱われていて嬉しい。
私が2012年に訪れたときは、13号神殿で辰砂に覆われた棺の内部を少し離れたところから見学することができた。
確か、マスク等を始めとする副葬品はメキシコシティの考古学博物館に所蔵されていると説明を受けた記憶である。
辰砂に覆われた棺もなかなかインパクトがあったけれど、さらに仮面を始めとしてヒスイなど緑色の石を中心に作られている副葬品が収められている状態は、ビジュアル的に最強である。
映像を見てから入場し、音声ガイドを借りた。
音声ガイドにはアプリ版もあるらしい。スマホはともかくとして、イヤホンを常備している人が多いということだろうか。
音声ガイドは、上白石萌音と、雨の神に扮した杉田智和との掛け合いで進む。
会場に入ると、結構な混雑ぶりだった。お盆中だからかも知れないが、それにしても、いつの間に「古代メキシコ」がこんなにメジャーな存在になったのだろうと思う。
絵画展と違い展示物の説明が親切だし、映像での説明も随所にある。それほど身近な存在ではないので説明をしっかり読む人も多い。
今回、すべての展示物で写真撮影ができたので、もちろん写真撮影する人も多い。
自分も、絵画展だと概ね1時間くらいで見終わるけれど、今回、1時間半かけていた。
後になって、一人一人の滞留時間が長いから、入場者数に比して会場が混雑しているのかも知れないと思った。
入ってすぐの「Ⅰ 古代メキシコへのいざない」では俯瞰というのか、今回取り上げたテオティワカン、マヤ、アステカの三つの文明だけでなく、「古代メキシコ文明」全体を俯瞰するような、それぞれの関係を示すような展示になっていた。
お願いだから順番に見せて! と一瞬、混乱したけれど、これらの共通点、引き継がれたもの等を最初に示すというのはありだと思い直す。
例えば、共通して崇められたジャガーを模した翡翠製の石偶(オルメカ運命)や土器(まあ文明)、球技に使われた防具やゴムのボール、ナイフや神の頭像などである。
何しろ、音声ガイドにも「雨の神」が登場する。
そして、「Ⅱ テオティワカン 神々の都」である。この三つの文明の中で最も古いテオティワカン文明から始まるらしい。
私の中でテオティワカン文明は、「テオティワカン遺跡で完結」というイメージだ。もちろん広大な遺跡で、10万人が暮らしていたという。
その中心は「死者の大通り」とその両側に連なるピラミッド等の建造物だ。と思う。
クフ王のピラミッドとほぼ同じサイズの基壇を持つという太陽のピラミッドや、月のピラミッドである。
「羽毛の蛇神殿」と呼ばれる建造物は、金星を象徴するピラミッドだという。
太陽のピラミッド前の広場から出土したという「死のディスク」は、そのかなりおどろおどろしい名前や中央のドクロのような意匠に反し、沈んだ太陽の姿であり、再生を象徴しているそうだ。
確かにドクロの周りのヒダはは太陽のフレアのようにも見える。
「羽毛の蛇神殿」関連の展示もインパクトがあって、羽毛の蛇神がシバクトリ神を運んだのだったか、その逆だったか、とにかく「神が王を認めて運んだ」とアピールし、王権の正統性を強調するような意味があったらしい。
それは数も多くなるし、姿が大きくもなるよねと思う。
また雨の神を描いた壁画があったり、トサカのようなものを持つ鳥の形の土器があったりして、「赤」という色はテオティワカンでも特別な色だったんだなと思う。
テオティワカンというと遺跡が広大すぎて何だか大雑把なイメージだったけれど、かなり精巧な細工を施された香炉や、モザイクで飾られた神の像なども展示されている。
遺跡群の地下に通路も発見されているそうで、流石に観光客が入れはしないだろうと思うけれど、行ってみたいなぁと思った。
そして、私としては本日のメインイベントである「Ⅲ マヤ 都市国家の興亡」である。
世界樹であるセイバを描いた土器のお皿や、織機で布を織っている女性の土偶、糸を紡ぐのに使っていただろう紡錘車、カカオを飲んでいたという土器のカップなど、何となく懐かしい、マヤっぽいよねと思わせる展示品が続いている。
マヤが統一王朝を持たず、都市国家群がネットワークを築いて緩やかに連携していたというのはよく聞くお話で、この石彫で球技をしているのはカラクムルとトニナの王で、両国の外交関係を示すものと考えられているという。
戦いでなく儀式であることを祈る。
マヤ文字の石彫もあって、やっぱりビジュアルのインパクトが凄いよと思う。
日本語のように、一つの文字が偏と旁があったり、その組み合わせで様々な意味を表したり、同じ内容を表すのに複数の文字があったりするというのが面白い。それは解読も大変だし、「書記」役も大変だったろうなぁと思う。
内容ではなく文字そのものが展示になるのは、ロゼッタストーンと日本の書道とマヤ文字くらいなんじゃないかと思ってしまう。
都市国家群の一つであるパレンケのいわば黄金時代を築いたのがパカル王で、その「パカル」が盾を意味していると説明があり、何となく納得した。
パカル王を表すマヤ文字はいくつもあり、そのうちの一つのマヤ文字の作りの部分は盾の絵だという。
パカル王の棺は、1954年にパレンケ遺跡の碑文の神殿で発見されている。
碑文の神殿の隣にある13号神殿で1990年代に発見された棺に眠っていたのは女性で、その後の調査でパカル王とこの女性との間に血縁関係がないことが確認されている。
元々、隣り合った神殿から発見された棺の中の人物は関係が深いだろうと推測されており、血縁関係がないことからも、13号神殿の棺の人物はパカル王の妃であるという説が有力になったそうだ。
何となく、昔の王族のご夫婦ならむしろ全く血縁関係がないってことがあるかしらと思うけれど、その辺りはきっと今後の研究で明らかになって行くのだと思う。
辰砂で覆われた棺に収められていた人が高貴な身分の人だったろうことはほぼほぼ間違いなくて、その「赤の女王」に日本でお会いできるというのが素晴らしい。
当時、パレンケ遺跡の博物館には行くことができなくて、見学することができなかったので尚更だ。
赤の女王は、その墓室をイメージした空間を作って展示されていた。
赤い布で覆われた人形に、マスクや装飾品が装着されている。
パカル王の棺に納められた仮面は翡翠製だけれど、「赤の女王」の棺に納められた仮面が翡翠製ではないことだけ、ちょっと引っかかる。
パッと見て、その質感の違いというか、鮮やかさの違いは明らかだ。
何というか、ザラっとした質感の石である。
赤の女王の仮面は孔雀石製である。
しかし、腕輪や首飾りなどの装飾品はヒスイ製だ。
腰飾りが翡翠製ではなく、緑色ですらない石灰岩でできていることが何となく不思議である。緑色は生命の色で、だからこそ副葬品等に使われていたという説明があったからなおさらだ。
ぐるぐると周りを回って堪能した。
パレンケよりも少し時代が下がったチチェンイツァ遺跡で出土したモザイクの円盤や、生け贄を捧げるときに使われたのだろうチャクモールなども展示されている。
この態勢でお腹にお皿を抱えていたらそれは供物を捧げる台だったのでしょうと思うけれど、展示の説明では「用途は不明」とされていたように思う。
もしかしたら、何か定説を覆すような発見や知見が出てきているのかも知れない。
しかし「生け贄を捧げた」と明確に説明されていたのは、次の「Ⅳ アステカ テノチティトランの大神殿」である。
テンプロ・マヨール遺跡からは、1000人を超える人が生け贄として捧げられたことが分かっているという。
そのテンプロ・マヨール遺跡は、元々は湖に浮かぶ島に築かれており、現在のメキシコシティはその湖を埋め立てた上に建設されていると聞いて驚いた。
地理的にも歴史的にも地続きなんだわ、と思う。
そして、アステカ文明は、何だか「戦う文明」という感じで紹介されていたという印象が残っている。
鷲の戦士像のインパクトが強すぎるからかもしれない。等身大よりも大きく作られたこの像は、顔は怖くないのに「睥睨する」という感じがあった。
もう一つアステカ文明で印象的だったのは金製品で、テオティワカンとマヤでは翡翠がもの凄く高い地位にあったけれど、アステカではそれが金だったのかなと思う。
もの凄く薄く延ばされていたから、なかなか手に入らない貴重なものであったことは間違いないと思う。
それでもまばゆい感じで光っていて、鈴形ペンダントなどちょっと可愛くて欲しいくらいだった。
1時間半かけて見学したのに時間が足らなかった。
できればもう1回行きたいくらいである。
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