2023.08.18

特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」に行く

 2023年8月16日、東京国立博物館で2023年6月16日から9月3日まで開催されている特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」に行って来た。
 古代メキシコに興味を持っている人なんて少ないよねと思っていたら、博物館入口に「ただいま混雑しています」の立て札が立ち、平成館に向かう人も平成館から歩いてくる人も多く、コインロッカーもかなりの使用率だった。想定外だ。

 15時頃に到着し、少し時間を置いて入ろうと、ロビーで上映されていたテオティワカン、マヤ、アステカの各文明を紹介する映像を先に見ることにした。
 マヤはパレンケ遺跡とチツェンイツァ遺跡、アステカはメキシコシティのテンプロ・マヨール遺跡を中心に展示が構成されていることが伺えた。

 特に、パレンケ遺跡の「13号神殿」で発見された通称「赤の女王」の棺からの出土品はこの展覧会のメインとして扱われている。
 今回取り上げられた遺跡の中でパレンケ遺跡だけは行ったことがあり、パカル王の棺が発見されたという碑文の神殿や、宮殿、赤の女王が発見された13号神殿(私が行ったときは、ガイドさんたちは「赤の女王の神殿」と呼んでいた)も見学している。
 再会でき、メインで扱われていて嬉しい。

 私が2012年に訪れたときは、13号神殿で辰砂に覆われた棺の内部を少し離れたところから見学することができた。
 確か、マスク等を始めとする副葬品はメキシコシティの考古学博物館に所蔵されていると説明を受けた記憶である。
 辰砂に覆われた棺もなかなかインパクトがあったけれど、さらに仮面を始めとしてヒスイなど緑色の石を中心に作られている副葬品が収められている状態は、ビジュアル的に最強である。

 映像を見てから入場し、音声ガイドを借りた。
 音声ガイドにはアプリ版もあるらしい。スマホはともかくとして、イヤホンを常備している人が多いということだろうか。
 音声ガイドは、上白石萌音と、雨の神に扮した杉田智和との掛け合いで進む。

 会場に入ると、結構な混雑ぶりだった。お盆中だからかも知れないが、それにしても、いつの間に「古代メキシコ」がこんなにメジャーな存在になったのだろうと思う。
 絵画展と違い展示物の説明が親切だし、映像での説明も随所にある。それほど身近な存在ではないので説明をしっかり読む人も多い。
 今回、すべての展示物で写真撮影ができたので、もちろん写真撮影する人も多い。
 自分も、絵画展だと概ね1時間くらいで見終わるけれど、今回、1時間半かけていた。
 後になって、一人一人の滞留時間が長いから、入場者数に比して会場が混雑しているのかも知れないと思った。

オルメカのジャガー 入ってすぐの「Ⅰ 古代メキシコへのいざない」では俯瞰というのか、今回取り上げたテオティワカン、マヤ、アステカの三つの文明だけでなく、「古代メキシコ文明」全体を俯瞰するような、それぞれの関係を示すような展示になっていた。
 お願いだから順番に見せて! と一瞬、混乱したけれど、これらの共通点、引き継がれたもの等を最初に示すというのはありだと思い直す。
 例えば、共通して崇められたジャガーを模した翡翠製の石偶(オルメカ運命)や土器(まあ文明)、球技に使われた防具やゴムのボール、ナイフや神の頭像などである。
 何しろ、音声ガイドにも「雨の神」が登場する。

 そして、「Ⅱ テオティワカン 神々の都」である。この三つの文明の中で最も古いテオティワカン文明から始まるらしい。
 私の中でテオティワカン文明は、「テオティワカン遺跡で完結」というイメージだ。もちろん広大な遺跡で、10万人が暮らしていたという。
 その中心は「死者の大通り」とその両側に連なるピラミッド等の建造物だ。と思う。

死のディスク クフ王のピラミッドとほぼ同じサイズの基壇を持つという太陽のピラミッドや、月のピラミッドである。
 「羽毛の蛇神殿」と呼ばれる建造物は、金星を象徴するピラミッドだという。
 太陽のピラミッド前の広場から出土したという「死のディスク」は、そのかなりおどろおどろしい名前や中央のドクロのような意匠に反し、沈んだ太陽の姿であり、再生を象徴しているそうだ。
 確かにドクロの周りのヒダはは太陽のフレアのようにも見える。

 「羽毛の蛇神殿」関連の展示もインパクトがあって、羽毛の蛇神がシバクトリ神を運んだのだったか、その逆だったか、とにかく「神が王を認めて運んだ」とアピールし、王権の正統性を強調するような意味があったらしい。
 それは数も多くなるし、姿が大きくもなるよねと思う。
 また雨の神を描いた壁画があったり、トサカのようなものを持つ鳥の形の土器があったりして、「赤」という色はテオティワカンでも特別な色だったんだなと思う。

 テオティワカンというと遺跡が広大すぎて何だか大雑把なイメージだったけれど、かなり精巧な細工を施された香炉や、モザイクで飾られた神の像なども展示されている。
 遺跡群の地下に通路も発見されているそうで、流石に観光客が入れはしないだろうと思うけれど、行ってみたいなぁと思った。

王族同士の球技の石彫 そして、私としては本日のメインイベントである「Ⅲ マヤ 都市国家の興亡」である。
 世界樹であるセイバを描いた土器のお皿や、織機で布を織っている女性の土偶、糸を紡ぐのに使っていただろう紡錘車、カカオを飲んでいたという土器のカップなど、何となく懐かしい、マヤっぽいよねと思わせる展示品が続いている。
 マヤが統一王朝を持たず、都市国家群がネットワークを築いて緩やかに連携していたというのはよく聞くお話で、この石彫で球技をしているのはカラクムルとトニナの王で、両国の外交関係を示すものと考えられているという。
 戦いでなく儀式であることを祈る。

 マヤ文字の石彫もあって、やっぱりビジュアルのインパクトが凄いよと思う。
 日本語のように、一つの文字が偏と旁があったり、その組み合わせで様々な意味を表したり、同じ内容を表すのに複数の文字があったりするというのが面白い。それは解読も大変だし、「書記」役も大変だったろうなぁと思う。
 内容ではなく文字そのものが展示になるのは、ロゼッタストーンと日本の書道とマヤ文字くらいなんじゃないかと思ってしまう。
 都市国家群の一つであるパレンケのいわば黄金時代を築いたのがパカル王で、その「パカル」が盾を意味していると説明があり、何となく納得した。
 パカル王を表すマヤ文字はいくつもあり、そのうちの一つのマヤ文字の作りの部分は盾の絵だという。

 パカル王の棺は、1954年にパレンケ遺跡の碑文の神殿で発見されている。
 碑文の神殿の隣にある13号神殿で1990年代に発見された棺に眠っていたのは女性で、その後の調査でパカル王とこの女性との間に血縁関係がないことが確認されている。
 元々、隣り合った神殿から発見された棺の中の人物は関係が深いだろうと推測されており、血縁関係がないことからも、13号神殿の棺の人物はパカル王の妃であるという説が有力になったそうだ。

 何となく、昔の王族のご夫婦ならむしろ全く血縁関係がないってことがあるかしらと思うけれど、その辺りはきっと今後の研究で明らかになって行くのだと思う。
 辰砂で覆われた棺に収められていた人が高貴な身分の人だったろうことはほぼほぼ間違いなくて、その「赤の女王」に日本でお会いできるというのが素晴らしい。
 当時、パレンケ遺跡の博物館には行くことができなくて、見学することができなかったので尚更だ。

Photo_20230818122201 赤の女王は、その墓室をイメージした空間を作って展示されていた。
 赤い布で覆われた人形に、マスクや装飾品が装着されている。
 パカル王の棺に納められた仮面は翡翠製だけれど、「赤の女王」の棺に納められた仮面が翡翠製ではないことだけ、ちょっと引っかかる。
 パッと見て、その質感の違いというか、鮮やかさの違いは明らかだ。
 何というか、ザラっとした質感の石である。

 赤の女王の仮面は孔雀石製である。
 しかし、腕輪や首飾りなどの装飾品はヒスイ製だ。
 腰飾りが翡翠製ではなく、緑色ですらない石灰岩でできていることが何となく不思議である。緑色は生命の色で、だからこそ副葬品等に使われていたという説明があったからなおさらだ。
 ぐるぐると周りを回って堪能した。

Img_0207 パレンケよりも少し時代が下がったチチェンイツァ遺跡で出土したモザイクの円盤や、生け贄を捧げるときに使われたのだろうチャクモールなども展示されている。
 この態勢でお腹にお皿を抱えていたらそれは供物を捧げる台だったのでしょうと思うけれど、展示の説明では「用途は不明」とされていたように思う。
 もしかしたら、何か定説を覆すような発見や知見が出てきているのかも知れない。

 しかし「生け贄を捧げた」と明確に説明されていたのは、次の「Ⅳ アステカ テノチティトランの大神殿」である。
 テンプロ・マヨール遺跡からは、1000人を超える人が生け贄として捧げられたことが分かっているという。
 そのテンプロ・マヨール遺跡は、元々は湖に浮かぶ島に築かれており、現在のメキシコシティはその湖を埋め立てた上に建設されていると聞いて驚いた。
 地理的にも歴史的にも地続きなんだわ、と思う。

Img_0211 そして、アステカ文明は、何だか「戦う文明」という感じで紹介されていたという印象が残っている。
 鷲の戦士像のインパクトが強すぎるからかもしれない。等身大よりも大きく作られたこの像は、顔は怖くないのに「睥睨する」という感じがあった。

 もう一つアステカ文明で印象的だったのは金製品で、テオティワカンとマヤでは翡翠がもの凄く高い地位にあったけれど、アステカではそれが金だったのかなと思う。
 もの凄く薄く延ばされていたから、なかなか手に入らない貴重なものであったことは間違いないと思う。
 それでもまばゆい感じで光っていて、鈴形ペンダントなどちょっと可愛くて欲しいくらいだった。

 1時間半かけて見学したのに時間が足らなかった。
 できればもう1回行きたいくらいである。

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2023.07.22

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行く

 2023年7月19日、国立近代美術館で2023年6月13日から9月10日まで開催されている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行って来た。
 竹橋の駅を降りて1b出口から地上に出たら、そこにいる人がほぼ同じ方向に歩いており「もしや」と思ったら、ほぼ全員が国立近代美術館に吸い込まれていった。
 そんなに人気があるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。

 入場時間指定制ではなくなっていたものの、事前にネット購入する人が多いようで、チケット売り場に行列はなかった。
 2200円也を支払い、大きな荷物は100円が返却されるコインロッカーに預け、入口に向かう。私はうっかりと持ち込まなかったけれど、この展覧会では一部の展示が撮影可となっていた。
 サグラダ・ファミリア関連の模型が撮影可のようだった。なかなか興味深い展示だったので、「持って来れば良かったかも」とちょっと思った。でも、コインロッカーまで取りに戻るほどではない。

 「1 ガウディとその時代」では、ガウディの顔写真から展示が始まっていた、と思う。
 ガウディは写真嫌いで有名で、かつ、どんなに困窮してもほぼほぼ常に帽子を被っており、無帽の顔写真は数枚しか残っていないそうだ。
 その貴重な1枚だ。
 結構ハンサム(という言い方がすでに古い)と思う。

 「写真」がいつ頃から普及したか知らないけれど、作者の写真が残っていると、存命だったり存命だったころを知っていたりする人以外の場合は、「意外と最近の人だったのだな」と思ってしまう。
 よくよく考えたら、アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリアが今も建築中なのだから、それほど昔の人な筈がない、のかも知れない。
 今確認したら、ガウディは1852年生まれだった。

 展示は、ガウディが学生時代に作成した設計図(というよりも完成予想図?)に続いた。
 絵画展ではなく「建築物」と「ガウディ」に焦点が当たっているためか、個々の展示物に説明文が加えられていることが多かったと思う。特にガウディの人となりや、ガウディが勉強した軌跡、時代背景などは「意図」を説明してもらって初めて、その展示物がここにある意味が分かるように思う。
 詳細な説明は有難い。
 オーディオガイドを借りても面白かったかなと思う。

 「2 ガウディの想像の源泉」では、サグラダ・ファミリア以外の、ガウディが設計した建物等が紹介されていた。
 その一部に、万博博覧会に関わっていたときの身分証まで展示されていたのが可笑しい。その身分証に、「無帽の写真」が付いていたからだと思う。
 30年位前に旅行でバルセロナに行ったときに訪れた建築物もいくつか採り上げられていて、何だか嬉しい。

 その中で、グエル公園のとかげがいなかったのが少し寂しかった。建築物ではないものの、グエル公園入口の噴水ととかげはガウディの代表作のひとつだと思うのに。残念である。
 グエル公園の一部が「洞窟」をイメージして形作られているということも、確かにその通りだったけれど、改めて説明されて「そうだったなぁ」と思う。
 訪れた当時は、割ったタイルで飾られた壁面やトカゲ、やけに座り心地よく作られやはりタイルで覆われていたベンチなどにばかり気を取られていた。

 他にもモンセラートの修道院、グエル教会堂などなどの展示もあった。
 写真があり、装飾の一部があり、模型がある。
 ニューヨークに計画されていたホテルなど、私の身長より大きい模型が展示されていた。
 グエル公園とカサ・ミラには入場して見学した。グエル邸は要事前予約、カサ・バッリョには(理由は忘れたけど)入れなかった記憶だ。
 「なぜ万難を排して行かなかったんだ、自分!」と思う。

 それなのに、カサ・バッリョにあるという木製の椅子にはなぜか既視感があった。
 もしかして、入口のドアだけは開けて、玄関ホールくらいは覗かせてもらったろうか。覚えていない。
 カサ・ミラは内部が見学できるようになっていて、屋上にも上がり、結構気に入っていたことを覚えている。屋上にある水槽等が白く、雪山の嶺を表しているという説明があり、今頃になって「そうだったのか!」と思った。

 「カサ・バッリョ」は海がテーマ、「カサ・ミラ」は山がテーマと紹介されていて、今更「そうだったのか!」と思う。カサ・バッリョが海をテーマにしていることはブルーのタイルで飾られていたり建物の壁面が波打ったりしていて一目瞭然だったけれど、カサ・ミラは一目で「山」と思う感じではなかったと思う。むしろ、砂漠っぽいイメージを持っていた。
 当時からこのときまで、カサ・ミラが「山」をイメージしているとは思っていなかった気がする。

 最後に参考出品ということで、「平局面」「双曲線面」「ラセン模型」などが展示されていた。
 併せて、様々に「幾何学的」な観点からの説明がされていたけれど、言葉や漢字の字面を見ただけで私の脳みそが拒否反応を示し、「分からない・・・」とつぶやきながら説明の多くをスルーした。
 サグラダ・ファミリアのコーナーも含め、いくつかの「ナントカカントカ曲線」等の考え方の説明が動画で展開されていて、それを見ると「分かった気持ち」になってとてもありがたかった。

 その流れで「3 サグラダ・ファミリアの軌跡」に入る。
 まず「建設費」の話から始まるところが世知辛い。会誌のようなものを発行し、会員に配ることで「賛助会員」を集めていたらしい。この仕組みは今も続いているんだろうか。

 サグラダ・ファミリアは、ガウディが最初から設計等を担当していた訳ではなく、二人目の建築家だったと初めて知った。
 そして、建設に長い時間がかかっているし、責任者が変わっていたこともあって、サグラダ・ファミリアの設計は結構な規模で変更が重ねられて来たようだ。ガウディ自身も設計の変更を重ねている。

 また、サグラダ・ファミリアが長い時間をかけた建設を許されたのは、(誰が許したのかはよく分からなかったけれども)地下の祈りの場が最初に建設され、その機能を果たしていたから、という説明がされていたと思う。
 なるほどと思う。
 私が訪れたときは、まだ建物内部が「外」のような状態で、内外の区別もついていなかった。当然、そこで祈りをささげるなんてことはできない状態だったはずだ。

 そういういわば「全体設計」の観点と、「自然の摂理を設計に取り入れる」というガウディの方針と、彫刻や装飾などの個別の意匠と、様々な観点から展示がされている。
 外尾悦郎さんが担当された「歌う天使たち」が完成する前、仮に設置されていたという像がサグラダ・ファミリアを飾っているのと同じ構図で展示されていた。そういう仮置きの彫刻たちは壊れやすいこともあって、役割を終えると廃棄されているそうだけれども、これらは外尾氏の出身地で保管されているという。
 そう言われてみると、ちょっと東洋人っぽい顔立ちの天使たちのようにも見えてくる。

 特別に許可を得てNHKがドローンで撮影したという映像が、かなり大きなスクリーンに投影されていた。近くで見ているとちょっと酔うような映像である。
 サグラダ・ファミリアにたくさんある尖塔のうち、果物をイメージしたようなブドウのような頭頂部を持つ尖塔がり、カラフルでかわいい。
 その「丸い造形の塊」が地上で作成過程にあったことをやけにくっきりと覚えている。
 あの白くて大きな丸があんな形であんな高い場所に設置されているなんて! とやけに感激した。

 紐の両端を天井に固定して、その紐が描く曲線を上下ひっくり返し、サグラダ・ファミリア等の「アーチ」のラインを決めたという話は前に聞いたことがあって、ガウディによる逆さづりの実験の様子が展示されていたのも興味深かった。
 しかし、完全に「自然の形」を設計に活かしていると思っていたら、ガウディは、その紐の途中途中に左右対称になるように錘を吊るし、アーチの形状を調整していたらしいと知って少し驚いた。

 その「錘を吊るす場所と錘の重さ」の試行錯誤がまた執念深く緻密という話で、一見して納得できる紐の多さと重なりぐらいだった。なるほど、そういう形で「自然」に干渉もしていたのだなと妙に納得する。
 その試行錯誤の過程が「創作」ではなく「発見」と称する所以なのだと思う。

 2021年に完成したという、現在は一番高くそびえているマリアの塔の天頂の模型(試作品)もあった。
 この「星」は夜になると光るようになっている。最初から明かりを入れるつもりだったのかしら、やはりLEDを使っているのかしら、電球の交換は可能なのかしらなどなど考える。
 中心にそびえ立つ予定のイエスの塔が建設中である現在、やはり存在感を放っていると思う。

 イエスの塔は2026年に完成予定という。
 サグラダ・ファミリア全体の完成はいつになるのだろう。コロナ禍で建設が一時止まり、恐らくは色々と見直しを迫られたのだろうと推測する。
 しかし建設が再開され、少しずつ確実に完成に近づきつつあるサグラダ・ファミリアに実際に立ってみたいと思う。
 何しろ、まだまだ展示があり、語られていたことがあり、全く消化できていない。実際、美術展等に2時間近くいたのは初めてだと思う。
 楽しかった。

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2023.05.04

「特別展 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716」に行く

 2023年5月3日、根津美術館で2023年4月15日から5月14日まで開催されている「特別展 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716」に行って来た。
 母のリクエストである。

 根津美術館は、時間指定予約が継続されている。
 また、お庭が広くて綺麗ということで、できれば晴れた日、少なくとも雨が降っていない日に行きたいと母が言い、天気予報とにらめっこしつつ数日前に予約しようとしたときにはすでに10時からの1時間枠は売り切れていた。
 予約したのは11時から1時間の枠である。

根津美術館のお庭根津美術館のお庭 11時少し前に美術館に到着したところ、特に問題なく入場することができた。
 美術館入口に「今朝の杜若」という感じで写真が展示されており、ちょうど満開である。
 先にお庭を歩くことにした。今回は使用しなかったけれど、お庭散策用の傘も用意されている。

 根津美術館は、名前は知っていたものの行ったのは初めてである。
 大体、「青山にあるのにどうして根津美術館って名前なんだろう?」と思っていたくらいだ。今回、東武鉄道の社長であった根津嘉一郎氏が設立した美術館だということを初めて知った。

根津美術館のお庭 ついでに書くと、根津美術館のこのお庭は元が大名屋敷跡なのではないかと思っていたのだけれど、よくよく考えれば青山の辺りは(多分)江戸市中には含まれないのではないだろうか。
 であれば、大名屋敷があったとは思えない。
 もしかして、根津氏か後継者の方が庭園造営も一から行ったのだろうか。何だか凄い。

 庭園は広く、高低差もあって見通しが効かない。
 緑が濃く、この日は夏日だったこともあって、木陰が涼しい。
 杜若がちょうど満開で、見応えがある。
 桜も紅葉もあったし、苔で覆われた場所もあったので、いつ来ても楽しめるお庭だと思う。

 庭園にはお茶席やカフェもある。
 11時過ぎだったのにカフェの入口には10人弱くらいの待ち行列が出来ていて少し驚いた。
 きっと、お昼の時間帯ではさらに混雑してとても入れないから、早い時間からカフェに行こうという人が多いのだろうなと思う。

根津美術館のお庭根津美術館のお庭

 お庭を満喫した後、特別展に向かった。
 根津美術館には全部で六つの展示室があり、この日は展示室1と2で特別展が開催されていた。これがいつものことなのか、企画展・特別展のたびに切り替えるのかは分からない。
 いずれにしても、何はともあれ、尾形光琳の「燕子花図屏風」を見ない訳には行かない。

 特別展は尾形光琳の生年から没年までの期間の作品が選ばれていた。
 当然、尾形光琳作の作品は少ない。
 そもそも出展作品も21と小規模な展示だったけれど、その中で尾形光琳作の作品は3点である。圧倒的に少ない。

 その少ない中でも、やはり「燕子花図屏風」の存在感は凄い。
 何しろ、金箔を貼った背景だけでも迫力である。どれだけのお金をつぎ込んだのだろうと思う。
 また、この金色が色あせておらず、今以て輝いている。
 お花の青と葉っぱの緑も鮮明に色が残っている。輪郭線を描かず、むしろべたっという感じで描かれた青と緑の残り具合は、青はラピスラズリですか? と聞きたい。

 大名のお姫様の嫁入り道具だったのではないかという解説のあった源氏物語絵巻や、京都から伊勢神宮までの道筋を双六のように描いた屏風があったり、燕子花図屏風を描いた人と同じ人が描いたとは思えない繊細な筆遣いの「夏草図屏風」も興味深い。
 平家物語絵巻があったり、三十六歌仙の詠んだ短歌を色々な人が書いて、それを貼り付け合わせた屏風もある。
 屏風など大柄なものが多かった記憶である。
 思っていたよりも楽しめた。

 青銅器のお部屋では、饕餮紋のある器などなどが集められていた。
 「饕餮」って何だよと思う。私の頭には十二国記に登場する饕餮しか思い浮かばない。だからこそ「とうてつ」と読めた訳だけれど、そういえば十二国記に饕餮のイラストはなかったし、姿の描写もほとんどなかったような気がする。イメージする助けにならない。

 実は全く見逃していて、ミュージアムショップでやたらと登場するので気になって探しに行った「双羊尊」が、流石にマスコットキャラクターになるだけのことはありとぼけた表情と細かな模様が何だかあったかい感じだった。
 確か同じ青銅器の部屋には銅鏡が展示されていて、再現されたという鏡面があった。覗き込んで見たけれど、ほとんど自分の姿を確認することはできなかった。昔の人はこの写り具合で十分だったのだろうか。謎だ。

 母も私のお庭の散策でかなり体力を消耗していて、仏教美術のお部屋と茶の湯をテーマにしたお部屋はパスし、お庭で咲いている杜若と屏風になった燕子花の両方を見られたことに満足し、美術館を後にした。

 また季節を変えて行ってみたいと思う。

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2022.11.06

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行く

 2022年11月5日、改装されてリニューアルオープンした国立西洋美術館で2022年10月8日から2023年1月22日まで開催されている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行って来た。

 ベルクグリューンというのは画商兼コレクターの方のお名前で、画商を生業としつつ、商売の中で特に気に入った逸品を集めて自らのコレクションを作り上げていったという人だ。
 買ったり売ったりを繰り返し、最終的にはパブロ・ピカソ、パウル・クレー、アンリ・マティス、アルベルト・ジャコメッテ、そして彼らが尊敬していたというポール・セザンヌの作品を主とするコレクションになっているという。

 元々こうした個人コレクションだったもののうち、主要作品をドイツ政府が買い上げ、現在は「国立美術館群の一つ」という扱いになっているらしい。
 その「ベルクグリューン美術館」の改修を機に実現したというこの美術展は、97作品が来ており、そのうち76作品は日本初公開だそうだ。
 初公開でない21作品はいつどういう形で日本に来ていたのか気になる。

 そして、その場では全く気がつかなかったけれども、11作品は日本国内からの出品だったそうだ。
 この美術展は写真撮影が揺るされていて、恐らくは写真撮影が禁止されていた作品たちが日本国内からの作品だったのだと思う。ジョルジュ・ブラックの作品はほぼ撮影禁止になっていた記憶だ。

 日時指定制のチケットで、夕方に入ったこともあり、それほど混雑していなかったのが嬉しい。
 少し待てば、あるいは待たなくとも、一番前で絵画を見ることができる。贅沢な時間である。
 そして、そもそもこの美術展が異様に贅沢な内容だったと思う。何というか、バーターっぽい出品作品がない。全てが主役という作品たちばかりで、うっかり飛ばしたりしたらもの凄く後悔しそうな絵画・彫刻たちだった。ベルリン在住の方は常にこの作品群に会いに行ける訳で、贅沢な街である。

 「序 ベルクグリューンと芸術家たち」では、ピカソの作品とマティスの作品が1点ずつ展示されていた。
 すぐ「I. セザンヌ― 近代芸術家たちの師」に入る。「師」であるセザンヌから始めたかったから、「序」としてこの美術展の主役であるピカソとマティスを配置することが必要だったんだなぁと思う。
 セザンヌはあまり好きではないけれど「庭師ヴァリエの肖像」という絵が、「きらきらひかる」に出てくる”むらさき色のおじさん”みたいでちょっといい感じだった。

 ベルクグリューン氏は、コレクションを20世紀の画家の作品に特価するために、それまでコレクションしていた印象派やポスト印象派の絵を潔く売り払ったけれども、セザンヌの作品だけは何点か手元に残していたそうだ。
 自分がコレクションしようとしている画家達が「師」と仰いでいたというだけでなく、自身も好きだったんだろうなぁと思う。
 そういう完璧じゃない感じも潔くなくて良い。

 「II. ピカソとブラック― 新しい造形言語の創造」では、多分この美術展を企画したキュレーター渾身のラインアップということになると思う。ベルクグリューン氏が収集の対象としていなかったジョルジュ・ブラックの作品を他から借りてきて、対比する形で展示していた。
 パブロ・ピカソの作品も若い内(1900年代から1920年代くらいまで)の作品が集められていて、まだ人はそのままというか、キュビズムに足を踏み入れずに描かれている。静物は少しずつデフォルメされて行っている。
 中で「ギターと新聞」という素っ気ないタイトルの絵が好きだった。地味な画面で寒色しか使われていないところがいい。落ち着く。

 「III. 両大戦間のピカソ― 古典主義とその破壊」は、多分、その名のとおりの時代であり絵たちだったんだろうと思う。
 「座って足を拭く裸婦」という絵があって、何というかあまりにも普通な感じで不思議だった。この絵が古典主義的な裸婦像ということなんだろうか。
 ここにもあったアルルカンの絵が、もう1枚とはアルルカンの描き方が全く違うのに、でも画面のメインになっている色は両方とも赤だった。どちらかというと、こちらの「ギターを持つアルルカン」の方が怖くなくて好きである。

 「IV. 両大戦間のピカソ― 女性のイメージ」よりも前章も方が女性の印象が強いのは、こちらではだいぶ人もデフォルメされて描かれていたからだと思う。
 目が大きくなり、顔が分割されて再合成されたようになり、カクカクしたラインが増えて行く。
 そうなる直前、という感じの「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」のドラ・マールがなかなかの美人で良かった。ピカソはその時々の恋人の絵を描いていたらしい。それは描かれているときは誇らしい限りだろうけれど、分かれた後にその絵がどうなるかが気になる。女性たちは「私を描いた絵は全部返せ」とか言わなかったんだろうか。

 そして、美術展はいったん「V. クレーの宇宙」となる。
 ピカソとクレーって似ているんだろうか。単純にそれぞれ別々の理由でベルクグリューン氏の好みに合っていたということなんだろうか。これは、マティスについてもジャコメッティについてもそう思う。
 この4人に何らかの共通点があるんだろうか。それは他の人の作品に目もくれないような理由なんだろうか。

 クレーは「四角」というイメージがある。四角を組み合わせて描かれている絵が多い、と思う。
 幾何学っぽいし理屈っぽい。
 何というか、使う素材や色の数や構成に全部理屈があって、「(何でも答えてやるから)どうぞ何でも聞いてください」と言われている気がする。多分、気のせいだ。
 そんな中で、「子どもの遊び」という絵が現れたときには、思わず笑顔になってしまった。

 しかし、欲しい絵はまた別で「薬草を調合する魔女達」という線とぼかしで描かれた絵か、「夢の都市」というあんまり幸せそうでもない夢の都市の絵が欲しいなぁと思う。「ジンジャー・ブレッドの絵」でもよい。
 どの絵もこの美術展にあった絵の中では小さいサイズだけれど、例えば家に持って帰ったりしたらびっくりするくらい大きいのだろうと思う。

 「VI. マティス― 安息と活力」でも、マティスは油彩画だろうが切り絵だろうが、何というかぐいぐいと迫ってくる感じがある。絵がというよりもマティス本人が迫ってきている気がする。そして彼が何を言おうとしているかは全く分からないところが間抜けだけれども、とにかく「主張」がある絵のように思う。
 そうやって責められたり攻められたりしているように感じるので、「オパリンの花瓶」のように墨一色でささっと描いたように見える絵があるとほっとする。

 切り絵の作品の方がすでにマティスっぽいというイメージだけれども、雑誌の表紙なども飾っているそうで、同時代的に人気であり認められていたのだなぁと思う。
 ゴッホやフェルメールなど「生前の生活は苦しかった」という画家の方が普通な感じがしてしまい、生前から評価されていた画家たちはもの凄く幸運だし幸せだよなぁと思う。そういうものでもないのだろうか。

 最後に「VII. 空間の中の人物像 ― 第二次大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ」ということで、クレーを除く3人が集い、美術展は終了である。
 ジャコメッティは、「広場 II」というブロンズ像がとにかく格好良かった。この人たちは広場に集って何をしているんだろう? と思わせる。
 メキシコのラ・ベンタ遺跡公園にある、「会議する人々」を何となく思い出した。しかし、こちらは明確に会議をしていたけれど、「広場 Ⅱ」の方の人たちはただ通り過ぎているだけのようにも見えた。

 もう本当に贅沢な美術展だった。
 仕事の後で行って、その仕事が上手く行かずかなりモヤモヤしていたのだけれど、見ているうちにココロが落ち着いてきて、帰る頃には仕事のことなど忘れていた。有り難いことである。
 行って良かったと思う。

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2022.09.04

「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」に行く

 2022年9月2日、久々に会う友人に声をかけてもらい、国立新美術館で2022年8月10日から11月7日まで開催されている「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」に行って来た。
 ルートヴィヒ美術館展からのハシゴである。二つ合わせて1時間半で回った。なかなか贅沢な時間だ。

 こちらの美術展は時間指定制にはなっていないようだった。
 金曜日の18時半に入ったためか会場は空いていて、全く密になることはなかった。この美術展は人が少ないときにゆっくりゆったり見る方が楽しいと思うので、時期と曜日と時間を選んで行くといいと思う。

 李禹煥氏は韓国で生まれ、ソウル大学校美術大学入学後に来日し、日本で「もの派」を牽引したことで広く知られている、そうだ。
 「もの派」という言葉も初めて聞いたし、李禹煥氏の名前も今回初めて知った私にはちんぷんかんぷんの説明である。
 2010年に、香川県の直島に「李禹煥美術館」が開館しているそうだ。

 本展には、油彩画あり、絵ではない「何か」ありで、不思議な空間である。
 何というか、説明が難しい。
 なーんにも知らず分からないまま、置いてあった「李禹煥鑑賞ガイド」も面白そうだともらったもののその場では読まずに進んだ。
 それでも面白いって凄いと思う。

 「大きなキャンバスに蛍光塗料をスプレーでがーっと吹きつけまくったでしょう!」という絵に三方から囲まれるとかなりふわっとした感じになる。
 小砂利を敷き詰めた部屋に入って歩くと、自分の足音が何と大きく響くのだろうとびっくりする。

 大きな岩が厚いガラスの上に置かれていて、しかしガラスにはヒビが入り一部は割れている。大きな岩を大きなガラス板に落としたように見えるけれど、どうやって持ち上げたのよ! と思う。
 思っていたら、公式サイトにメイキング映像が掲載されていた。迫力だ。ぜひこの映像は音入りで見たかった。

 長瀞の岩畳みたいな石が一面に敷き詰められたお部屋に入ると、足下でその石が揺れたり鳴ったりする。これはこの音も「作品」だよなと思う。よく分からないけど、敷き詰められた石よりも、「音」が作品のように感じられる。
 何となく友人と点対称の位置にで外周をゆっくり回ってしまった。可笑しい。そして楽しい。
 この美術展には、ハイヒールで来てはいけないと思う。

 屋外展示もあって、かなり広い面積に小石が敷き詰められていた。どうやって持ってきたんでしょう、どうやって持って帰るんでしょう、新作だそうだけど、この後この展示はどこに行くのでしょう、と思う。
 この屋外展示は、夜見たときと昼みたときと夏見たときと雪の日に見たときと雨の中見たときと、それぞれで印象が異なるのだろうなぁと思う。できれば、雪景色を見てみたかった。

 恐らくは制作年代順に展示されており、進むにつれて、油彩画が戻り、点が延々と押されていたり(消しゴムはんこのようだと思った。多分、違う)、線が延々と引かれていたり、そういうシステマティックな絵が続いたかと思うと、ランダムにしゅっと筆を走らせたかのような絵が出てくる。
 あまりタイトルを見なかったので定かではないけれど、「風より」だったか「風とともに」というタイトルのモノクロでランダムに線をシュッと走らせたような絵が好きだった。「私の部屋の壁紙、これでいいわ」とか不遜なことを考える。

 グラデーションでどうみても湯飲みの形を描いた絵が続き、最後には、キャンバスではなく、この美術展の壁に湯飲み(に見えて仕方がない)が直接描かれていた。
 この作品の制作過程も、メイキング映像で見ることができた。
 この作品も、この美術展終了後にどこへ行くのか気になるところだ。

 会場の外にも作品があり、そちらも小石が敷かれた作品の中に「入る」ことができる。
 国立新美術館の煌々とした明かりをバックに、お隣の建物の明かりが木々の影を作っていたりして、こちらも昼と夜とでは雰囲気が全然違うのだろうなぁと思う。

 静かで面白い美術展だった。
 彼女に誘ってもらわなければ行くことはなかったと思う。
 めちゃくちゃ、得した気分である。ありがとう!

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2022.09.03

「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」に行く

 2022年9月2日、久々に会う友人に声をかけてもらい、国立新美術館で2022年6月29日から9月26日まで開催されている「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」に行って来た。
 ルートヴィヒ美術館は、ドイツのケルン市が運営する美術館で、「市民のコレクターたちによる寄贈を軸に」形成されたコレクションを持っているという。
 ・・・と説明してくれた彼女も「私もよく分かっていないんですけど」と笑っていた。
 コレクションの多くは20世紀の作品のようだ。

 日付指定制だったけれど、招待券をいただいたので、事前予約は必要なかったようだ。その辺りの仕組みはよく分からなかったものの、金曜日の18時半に入ったためか会場は空いていて、全く密になることはなかった。
 金曜夜の美術館もいいものだわと思った。
 最初は並んで見始めたものの、話しながら見るのも憚られ、そのうち夫々のペースで勝手に見るようになった。この辺りの呼吸が有り難い。

 「序章 ルートヴィヒ美術館とその支援者たち」では、アンディ・ウォーホルの描いた、この美術館の館名にもなっている「ペーター・ルートヴィヒの肖像」がカラフルで大きくてなかなか優しそうな顔のおじさまで目を引いた。
 ルートヴィヒ夫妻はどちらも美術史を学んでいて、妻の家の事業に成功し、早くから美術品収集を始めていたという。
 この美術館だけでなく、世界各地の美術館にコレクションを寄贈しているらしい。お金持ちって凄い。

 「第1章 ドイツ・モダニズム 新たな芸術表現を求めて」というタイトルで、油絵から写真から彫刻まで、時間と変化を追えるようになっている。
 眠り猫のような猫の像(意思に見えたけれど木製だったらしい)がなかなか可愛らしい。
 もの凄く地味な「陶酔の道化師」というタイトルのクレーの油彩画があって、このセピアな地味な感じの絵だったら、我が家に持ち帰って飾れるんじゃないかしらと勝手なことを考えた。

 第1章でもう一つ気に入ったのが、「菓子職人」というタイトルのモノクロ写真で、かなりでっぷりとしたコック服のおじさんがオーブン(だったような気がする)の前に立ち、カメラをにらみつけている写真である。
 ぜひこの絵はがきが欲しかったのだけれど、意外と「絵はがき」の種類が少なくて、残念ながら入手できなかった。
 会場から出てみたら、大きく引き延ばされて宣伝というか目印に使われていて、やっぱりいい写真だよなー、としみじみ眺めた。

 「第2章 ロシア・アヴァンギャルド−芸術における革命的確信」では、今の時期にロシアというのは何となく微妙な感じがする、という気持ちと、アヴァンギャルドって言葉は聞いたことあるけど意味知らないよ、という二つの感想がまず浮かんだ。
 今調べたら、アヴァンギャルドは「前衛」という意味らしい。「前衛」も、耳にはするけど意味がよく分からない言葉の一つだ。
 アレクサンドル・ロトチェンコという人の写真が多く飾られていて、絵を描くより写真を撮る方が少なくとも時間はかからないし、たくさん作品を生み出せるよなぁと当たり前のことを思ったりした。

 「第3章 ピカソとその周辺ー色と形の解放」の最初の1枚がシャガールで、それが版画ではなく油彩画だったのがびっくりだった。
 「妹の肖像」というタイトルのその絵は、地味で暗くてデフォルメはほぼなくて、シャガールと聞いて頭に浮かぶあの絵の感じとは全く似ても似つかない。
 章タイトルのとおりピカソ絵も何点かあって、これまた地味にモノクロの「グラスとカップ」という絵が気になった。持ち手がついた形はカップとして、グラスはどこかしらと探してしまった。いや、でも持ち手が付いていた器はガラスっぽい感じに描かれていたから、そちらがグラスかも知れない。

 「第4章 シュルレアリスムから抽象へー大戦後のヨーロッパとアメリカ」の辺りから、「何か、分からない感じのタイトルが多くなってきたわー」と思っていた。
 特にこの辺りは、名前を知らない作家の作品ばかりだったからかも知れない。
 個人からの寄贈という作品も多くて、寄贈を受け入れて美術館に飾るか否かの基準は何なのかしらと思ったりした。

 「第5章 ポップ・アートと日常のリアリティ」には、全く「日常のリアリティ」を感じないまま通り過ぎた。
 「女たちは美しい」というシリーズの写真があって、街中にいる女性の写真が並べられてあった。うーん、この女性たちって、真正面からカメラを見ている人はいいとして、歩いているところを横から撮られている人とか、写真を撮られることとか発表されることとか、ちゃんと了承しているとは思えないよなぁ、と見ていた。
 1960年代の写真だから、当時は「肖像権」もそれほど厳密には扱われていなかったのだろう。

 「第6章 前衛芸術の様相−1960年代を中心に」も、やっぱりよく分からないよと思いながら通り過ぎ、「第7章 拡張する美術−1970年代から今日まで」では、最新で2016年作品が飾られていた。
 コロナ禍前だわと思う。
 ここで「ハシビロコウ」という作品だけ、写真撮影がOKになっていた。
 最後の最後は映像作品で、何だかよく分からなかったけれど何だか面白かった。

 たまに気にすると「**からの寄贈」という記載があって、本当に個人が寄贈した作品のコレクションなんだわと再確認した。
 なかなか我々には持ちにくい感覚だと思う。
 その感覚が何よりの展示物なのかなと思った。
 前にも書いたけれど、現代に近い時代の作品が多いためか、絵はがき等のグッズになっている作品が多くなく、ちょっと残念だった。

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2022.06.26

「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」に行く

 2022年6月26日、改装されてリニューアルオープンした国立西洋美術館で2022年6月4日から9月11日まで開催されている「国立西洋美術館リニューアルオープン記念 自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」に行って来た。

 正直なところ、リニューアル前後の違いはよく分からない。
 庭にある彫刻の配置は変わっていて、美術館入り口に向かって右手にいた「考える人」が左手に移動していた、と思う。
 あと、庭にあった門のような彫刻が姿を消していた、ような気がする。
 その他はよく分からなかった。

 美術展は日時指定制で、比較的ゆっくり見ることができた。
 「比較的」と付けたのは、コロナ禍で訪れた美術館(美術展)の中では、人が多いように感じられたからだ。同じ日時指定制であっても、1単位当たりの人数を増やしているのかも知れないと思った。

 展示室に入る前に広めのスペースがあって、そこで、今回の美術展でコラボしているドイツのフォルクヴァング美術館と国立西洋美術館とを紹介する動画が上映されていた。
 このスペースには、順路どおりに美術展を見て行って、1回、途中から戻れるようになっていた。このスペースに隣接してお手洗い等があるからだと思う。

 ここで上映されていた動画は、美術館の紹介というよりは、むしろ、それぞれの美術館の所蔵品の核を集めた個人コレクター「松方幸次郎」と「カール・エルンスト・オストハウス」を紹介する内容だった。
 何故リニューアルオープンに当たって何故フォルクヴァング美術館とのコラボをその企画に選んだか、という問いに対する答えになっていたと思う。
 この動画がなかなか興味深くて、途中から見た後、もう1回最初から全部見てしまった。

 この二人のコレクターは、ともに「人々に提供したい」という、「何となく偉そうだわ」と思ってしまった動機で美術品を集め、美術館の建設を夢見ていたそうだ。
 若干「これだからお金持ちって」という気分にもなりつつ、そういう人がいたからこそ、こういう美術館が今ここにあるというのも事実なんだよなぁと思う。

 事前にサイト等を見たときは、この美術展のメインテーマというか核になる絵は、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒが描いた「夕日の前に立つ女性」なのかなと思っていた。
 実際に見て回ったら、決してこの絵が「押し」という訳ではない感じで、非常にさりげなく展示されており、そこがちょっと意外だった。

 意外といえば、今回の美術展では、展示作品の多くが写真撮影可でそれも驚いた。
 割と、日本の美術館・美術展では珍しいと思う。
 今回の美術展に出展されていた絵の半分(実際の数は分からないけれども)が国立西洋美術館自身の所蔵作品だということも理由の一つなのかしらと思う。

 今回の美術展で思ったのは、「美術展でどの作品をどういう順番でどこに展示するのか」は、その美術展のセンスを端的に示すし、キュレーターさんの腕の見せどころなんだろうなということだった。
 普段、美術展に行ってもそんなことは特に思わないのに、何故か今回はそう思った。
 単純すぎる理由は自分で分かっていて、同じ画家の作品が違うテーマの部屋に飾られていること再々だったからだ。

 この美術展は「1 空を流れる時間」「に <彼方>への旅」「3 光の建築」「4 天と地のあいだ、循環する時間」「の4つのテーマに分けて展示されていた。
 例えば、ルノアールの作品は、「1 空を流れる時間」に「オリーヴの園」と「風景の中の三人」があり、「4 天と地のあいだ、循環する時間」に「木かげ」が飾られている。

 また、ゴッホの作品は2作品とも「4 天と地のあいだ、循環する時間」にあったけれど、隣同士という訳ではなく、このコーナーの最初と最後にあった、というくらいの位置関係だった。
 松方氏が直接モネのアトリエを訪ねて購入したという繋がりがあるからだと思うけれど、この美術展でもモネの作品はかなり多い。そして、やはり「1 空を流れる時間」と「4 天と地のあいだ、循環する時間」に分けられている。

 「1 空を流れる時間」と「4 天と地のあいだ、循環する時間」というのは、かなり似たテーマだと思う。むしろ、同じテーマの言い換えとも言えそうである。
 なのに、別のテーマとして、美術展の最初と最後に配置し、同じ画家の作品を両方に飾る。意図的である。

 その「意図」を私は察することができない。でも、何らかの意図があったのだろうなぁと思うことはできる。どうしてなんだろうと思うこともできる。
 その意図を考えることは残念ながらできないけれども、これはなかなか興味深い美術展の印象だし楽しみ方なんじゃないかと思う。
そう思えただけでも良かった。

 また、今回の美術展では部屋によって壁の色が違っていた。
 紺だったり、黄色だったり、白だったりした。茶色というのもあったような気がしつつ、私の記憶は定かではない。
 どの絵をどの色の壁に飾るのか、壁の色をどう変えるのか。それもやっぱりセンスだし主張だよなぁと思う。

 出展された絵画ももちろん楽しめたと思うけれど、印象としては「美術展」についてつい考えてしまうような美術展だった。
 「刈られている麦が人のように思える」とゴッホが書き残してるということもあって、「刈り入れ」というその絵が印象に残っている。でも、逆に、そう聞いてしまうと、例えば家に飾って毎日見るのは辛いなぁと思う。
 家に飾るならクレーの「月の出」というタイトルの絵(版画だったかも知れない)が欲しいなぁと思った。

 ところで、美術展の入り口辺りに大抵は置いてある展示作品リストを、今回、いただきそびれてしまった。
 どこに置いてあったのだろう? 素通りしてしまった音声ガイドの受付辺りにあったのだろうか。
 どこかにないかなぁと思いつつ歩いていてするっと出てしまい、スタッフの方に「展示作品のリストをいただけませんか?」と聞いたところ、「チケットをお持ちですか?」と尋ねられ、インフォメーションでチケットを提示していただくことができた。
 チケットを持っていなければ展示リストはもらえないということを、今回初めて知った。
 そういえば、これまでも、美術展の受付を入った後(大抵は、美術展の入口でコンセプトを説明している説明板の辺り)に置いてあったような気がする。
 次回から、気をつけようと思う。

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2022.03.13

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」に行く

 2022年2月18日、国立新美術館で2022年2月10日から4月3日まで開催されているメトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年に行って来た。
 日時指定制で、ゆっくり見ることができた。

 メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門の常設展ギャラリーが改修中で、そのお陰で65点中46点が初来日という絵画展が実現したそうだ。ラッキーである。
 「西洋絵画の500年」ということで、I. 信仰とルネサンス、II. 絶対主義と啓蒙主義の時代、III. 革命と人々のための芸術、と時代を追って見られるように構成されている。

 最初の「信仰とルネサンス」では、宗教画でありつつ遠近法などを取り入れて現実に即した絵、が中心である。題材をキリスト教に求める一方で、登場する人物がその時代の人々の洋服を着ていたり、背景がその時代の景色だったりする。
 二次元のぺたっとした模様のような絵ではなくて、奥にいる人は小さく奥にあるものは小さく描かれて、絵に奥行きがある。

 そういった解説を読みつつ、「何だかやたらとくっきりした絵たちだな」と思いながら見ていた。
 特に人物を中心にクローズアップしている絵では、やたらとその人物(特に中心人物)がくっきりはっきり、ぼやけたところなど全くないような感じで描かれていて、いっそ浮き出てくるくらいの印象がある。
 明るいといえば明るい画面ではあるけれど、逆に、テーマが宗教であることも手伝って、気持ち悪いくらいに思ってしまった。
 この時代の絵を私が見慣れていない、ということもあると思う。

 ほぼ唯一「確実に聞いたことがあるよ!」と思ったのは、エル・グレコである。
 私の持っている偏ったイメージどおり、やけに暗い、暗い中に光が射して強調されている箇所が激しく強調されている絵である。
 出品された「羊飼いの礼拝」という絵では、説明書きによると、真ん中にいる嬰児のイエス・キリストが白い光を発しているくらいだ。もっとも、私にはこの「光を発している」というのはよく分からなかった。画面中央が明るいのは分かるけれど、そこが光源であると解釈する理由は何なのだろう。

 次の「絶対主義と啓蒙主義の時代」に、私のお目当てのフェルメールがいる。
 絵画が権力によって保護され利用される時代から、市民が台頭して、宗教画からもう少し軽みがある、裕福な商人が家に飾れるような絵に中心が移って行く辺り、という理解でいいのかなと思う。
 この辺りの時代も、私が名前を知っていたのは、フェルメールとレンブラントの二人だけだ。

 そのフェルメールは「信仰の寓意」が初来日している。
 メトロポリタン美術館にある4つのフェルメール作品のうち、出展されているのは、この1点のみだ。
 意外と大きいな、というのが最初の印象である。
 フェルメールの絵は縦横50cmに収まるくらいというイメージがあって、この絵は縦が1mを超えている。かなり大きいという印象だ。

 フェルメールの寓意画は相当珍しいそうで、説明板にもその点が強調されて書かれていた。
 「家の中の隠れ教会」という解釈は、「寓意」にあふれつつ、左手前に布がかけられ、白と黒の市松模様の床、フェルメールブルーの衣装などなど、パーツとしては他のフェルメール作品にも登場するものたちが含まれていることから出てきたのかなと思う。
 「寓意」を生み出しているモノたちについ気をとられ、実は絵全体の印象は散漫である。「窓辺で手紙を読む女」で印象に残った質感の描き分けなど全く記憶にない。

 ただ、こちらの「メトロポリタン美術館展」は、会場も広く、「目玉」と言われるような絵がたくさん出展されていることもあり、そしてこの「信仰の寓意」という絵がフェルメールらしさが少ない絵であるということも手伝い、じっくりゆっくり見られたのが嬉しい。
 そして、このフェルメールの絵から、次の「革命と人々のための芸術」に入り、印象派の絵画にたどり着くまでの長さ(その間に展示されている絵の多さ)に、フェルメールと印象派との間の長い時間を初めて認識したような気がする。
 200年は長い。

 その「革命と人々のための芸術」の舞台は19世紀である。
 やはり19世紀末の印象派の絵がいい。いいと言うか、知っているから嬉しい。単純である。
 しかし、ルノアール、ドガ、ゴッホ、モネ、マネ、セザンヌと言われたら、それは心躍るというものである。

 ゴッホの「花咲く果樹園」という絵は、何というか私の持つゴッホのイメージからはちょっと外れている。
 アルルの絵でありつつ、明るさはあまりない。「花咲く」と銘打っている割に、果樹の足下にある草原に咲く花は慎ましく、緑に隠れるようである。果樹の背景にある曇り空からわずかに青空が覗いている。そういう絵だ。
 何というか、逆に、珍しく穏やかな心持ちで描かれた絵なのかもしれない。

 モネ晩年の「睡蓮」はすでに20世紀に入っている。
 晩年のモネは目が見えなくなっていたそうで、その見えなくなっている目に映った睡蓮は、暗く、何だか模様のようである。睡蓮の絵で飾られ囲まれた部屋を作りたかったそうで、いや、この暗い睡蓮に囲まれるのはいやだよ、どうしてもやるなら窓も大きくとって窓の外は明るい景色にしてください、と思った。

 贅沢な空間で贅沢な絵たちを見た。

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2022.02.20

「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に行く

 2022年2月18日、東京都美術館で2022年2月10日から4月3日まで開催されているドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展に行って来た。
 日時指定制で、予約枠に余裕がある場合は当日券での入場も可能である。
 始まったばかりということもあり、当日券ですぐ入ることができた。

 私の、そして恐らくは多くの人の目当ては、修復後初めて国外に出たというフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」だと思う。
 背後の壁が塗りつぶされたのはフェルメールの死後のことであったという調査結果が発表され、その調査に基づいて、元々描かれていたキューピッドの画中画が蘇った、という劇的な絵である。
 これは見たい。

 そして、「窓辺で手紙を読む女」が所蔵されているドレスデン国立古典絵画館から、17世紀オランダ絵画のコレクションがやってきている。
 なかなか豪華版の絵画展である。

 とはいうものの、私が名前を知っていた画家は「フェルメール」と「レンブラント」の二人だけである。
 しかも、この二人の作品はそれぞれ1点ずつしか出展されていない。
 そして、レンブラントが描いた肖像画「若きサスキアの肖像」に描かれた女性は、正直なところ、そんなに魅力的には見えなかった。将来の妻を描いた割に正直な筆致である。

 「レンブラントとオランダの肖像画」「レイデンの画家-ザクセン選帝侯たちが愛した作品」「オランダの静物画-コレクターが愛したアイテム」「オランダの風景画」「聖書の登場人物と市井の人々」と巡り、大雑把に言って「お城ではなく、広かったり邸宅だったりするのかも知れないけれど、割と普通の人のおうちに飾られた絵たちだったんじゃないかな」という印象があった。
 ものすごく大きな絵はなくて、サイズ感が割と揃っている。

 我が家には無理にしても、そこそこお金持ちのおうちに飾ることができる大きさの絵たちなのではなかろうか。美術館の広い壁に飾られていたからこちらの感覚が狂っている可能性もありつつ、印象としてはそういうふうに思った。
 そして、「ザクセン選帝侯たちが愛した作品」とその他のコーナーにある絵画に、それほど大きな印象の差がない。貴族とそれこそ「市井の人々」との間に大きな差はなくなってきた、ということなのかしらと思ったりした。

 また、フェルメールが選んだ題材や構図は、フェルメールだけのものではなかったんだわ、ということを改めて思った。
 スポットライトを浴びたような人物が一人、ちょっと東洋風というかエキゾチックな雰囲気のファブリックのある室内、レース編みをする女、といった雰囲気は当時のオランダ絵画には珍しいものではなかった、のかも知れないし、そもそもフェルメールが自分の周りにある(そして誰の周りにもある)ものを題材として選んでいたということかも知れない。

 「窓辺で手紙を読む女」は、まず調査や修復の様子を説明し、写真や動画でも見せる。
 その上で、修復された「窓辺で手紙を読む女」が登場である。
 若干、「なぜこの位置?」という場所に飾られている。向かって左側のとっつきのような場所に修復前の「窓辺で手紙を読む女」の複製画が飾られており、むしろ、本物がこっちにあった方がいいのでは? いや、修復前後の絵を少し離してでも並べて見せてくれた方が嬉しかったかも、と勝手なことを考えたりした。

 それにしても修復技術というのはすごいし、調査技術の進歩というのもすごい。
 この絵にキューピッドの画中画が描かれていることは1979年にはすでにX線調査で判明していたということだけれども、修復を進める中で修復師が溶媒への反応が違うことに気づき、サンプル調査で画中画の上に塗られた絵の具がいつ頃塗られたかということが分かるようになったのは最近ということなんだろう。
 修復師の気づきがなければ、「フェルメールが塗りつぶした」というそれまでの定説が覆ることはなかったと考えると、やっぱりすごい。

 修復された「窓辺で手紙を読む女」は、女の背後にキューピッドの絵が登場する。
 その分、絵に奥行きが生まれているように感じられる。
 キューピッドの絵が1/3くらい手前にあるカーテンに隠されることで、それまでよりもカーテンの存在感が増し(修復で明るくなったことも理由かも知れない)部屋の奥行きをより感じるようになったと思う。

 また、手前にあるテーブルクロス(というには、随分と厚手でもこもこの布地である)の、そのもこもこ感がよりパワーアップしているように思えた。
 本当にでこぼこしているように描かれていて、思わず触りたくなる。
 逆に、右手前のカーテンはやけに突っ張っているように感じられる。結構、張りのある生地が使われているカーテンで、このシワというか寄せ方をキープできそうな質感の布地である。

 不思議だったのは、修復後の「窓辺で手紙を読む女」が、修復前よりもサイズが小さくなっていることだ。
 理由はよく分からないし、特に説明もなかったと思う。
 修復前の絵は、左側にある窓の手前の木枠が見えていたし、右手前にあるカーテンの輪っかを通している棒が画面を横切っていた。
 複製画もそうなっていたし、複製版画(ドレスデン国立古典絵画館の所蔵作品を紹介するために制作された版画)でもそうなっていたから、修復前は、修復後の絵よりも左側と上側がもう少し広かった筈だ。(下は、カーテンのフリンジがぎりぎり下限にあるので変わっていないと思う。右側はよく分からないけれど、絵全体に占めるカーテンの幅からして変わっていない感じがする。)
 そこが、どうにも気持ち悪い。
 誰か、教えてほしい。

 そんなことを考えていたせいか、ど真ん中で手紙を読んでいる女をあんまり見ていなかったことに気がついた。
 女の顔よりも、窓ガラスに映った女の顔の方が気になる。
 キューピッドの絵が復活したことで、女を見るよりも絵全体を見るように視線が誘導されるようになったのかも知れない。

 キューピッドの画中画が復活し、そのキューピッドが仮面を踏みつけていることから、「誠実な愛の勝利」というメッセージが示され、女が読んでいる手紙はラブレターであるという解釈が俄然力を持ち始めるそうだ。
 絵画にメッセージを込め、メッセージが込められた絵画を飾り、そのメッセージを社交の端緒とするという、教養溢れることが当時のオランダでは行われていたらしい。

 私は、ゆっくり眺めて「美人だわ」とか「このキューピッドは可愛くないし、羽もよく見えないわ」とか、勝手なことを言ったり思ったりするので十分、と思ったりした。
 キューピッドの絵の下で手紙を読む女に出会えてよかったし、修復という仕事の一端を見られて興味深かった。。

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2021.12.26

「ザ・フィンランドデザイン展」に行く

 2021年12月24日、Bunkamura ザ・ミュージアムで2021年12月7日から2022年1月30日まで開催されているザ・フィンランドデザイン展に行って来た。
 土日祝日は時間指定の予約制を採用しているが、平日はそういった制限はない。金曜日の午後3時頃という時刻だったせいか、場内はゆったりしていて、マイペースでゆっくり見ることができた。

 フィンランドの50人前後のアーティストの作品が、1890年台のアアルトに始まって年代順に展示されている、いってみればシンプルな美術展である。
 その「デザイン」の範囲は幅広く、ガラス製品、陶磁器、家具、ファブリック、テーブルクロス、ドレス、ラグ、おもちゃまである。

 「イッタラ」「アラビア」「マリメッコ」とメーカー名は知っていても、それぞれで活躍してきたデザイナーの名前は全然知らないし、その存在を考えたこともなかったよ、と思いながら見る。
 デザイナーの一人一人(全員ではなかったかもしれない)の顔写真がその作品の近くに飾られ、デザイナー本人についての説明が作品の説明よりも長いくらいに丁寧に書かれている。面白い。

 スタッキングがしやすいように収納しやすいように考えられたガラスの食器や陶磁器の食器が並んでいる。
 ガラス製品では、大量生産のときにできやすい気泡が目立たないようにという点が工夫されているそうだ。その工夫がそのままデザインに直結している。
 また、結核患者が呼吸をしやすいように背もたれの角度を調節した木製の椅子があったりする。

 機能性を追求しつつ、あるいは、機能性を追求したからこそ、そのデザインは「洗練されている」という印象を強烈に残す。
 だからこそ、日常生活ではあまり聞くことのない、工業製品のデザイナーの名前がここまでしっかり残り、確認できるようになっているのかなと思う。

 一方で、花瓶などのガラス製品や「布」は、実用性や機能性よりも「自然を写す」ことの意識が強い作品が展示されていたように思う。
 北極圏にも入るフィンランドでは、夏はとことん日光を楽しみ野外を楽しむ。トーベ・ヤンソンが夏の休暇を過ごしているときに、家族(弟だったかも)が撮ったという写真は、開放感に溢れている。
 冬をテーマにした写真は、雪の結晶をアップで撮っていたりして、むしろ、内へ内へと入っていく感じがある。

 割とそういう「日常的に使うもの」である展示が多い中、ビーズで作られたシギのオブジェが面白かった。
 ビーズと陶器に文字盤が描かれた時計を組み合わせて、田んぼに立っていそうな鳥のオブジェが作られている。
 一般家庭には置けなさそうな大きさの置物で、これはある程度以上の広さがあるところに置いてこそ映えるんだろうなぁと思う。冬は家に押し込められてしまう北欧のおうちは、もしかしてこのオブジェを普通に置ける大きさのお宅が多いのだろうか。

 ムーミンの絵があったのも楽しかった。
 病院の壁に飾られた絵で、ムーミンと仲間たちが楽しげに階段を上がっているような絵だ。この絵を病院の階段の壁に置き、子供たちが絵を見ながら楽しく階段を上がって診察室に辿り着く、というものだという。
 どこまでも実用的な発想だ。
 同時に、何しろムーミンである。心楽しくなる工夫でもある。

 ところで、自分でも意外だったのは、ミュージアムショップで物欲がほぼ生じないことだった。
 食器や布製品など品数は少ないながら揃っていたのに、「これは欲しい!」というものが見つからなかった。
 フィンランド展だし、ミュージアムショップで爆買いしたくなったらどうしようと少しばかり心配していたところ、全く無用の心配に終わった。

 がつがつ見るのではなく、雰囲気や、フィンランドデザインに囲まれるという気分を味わう美術展だったと思う。
 ゆったり味わった。

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