2024.11.04

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行く

 2024年11月、東京都美術館で2024年9月19日から12月1日まで開催されている「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行って来た。
 週末及び会期終盤のみ時間指定制となっており、事前予約して週末のお昼過ぎに行ったところ、当日券売り場に列ができていた。
 入場待ちはないものの、会場内は結構な混雑振りで特に入口には人だかりができており、スタッフの方が「先に進んでいただけると比較的ゆっくりとご覧いただけます」的なアナウンスをしていた。

 実のところ、田中一村という画家の名前は、3ヶ月くらい前まで全く知らなかった。
 以前に職場でご一緒した方と飲み会をした際に、奄美大島に旅行した話だったからか、趣味の話だったからか、田中一村という画家の話がでたときにも、まず「ご存命の方?」と聞いてしまったくらいだ。
 スマホで画像を見せていただいたときも、強烈な絵を描く画家さんだなー、という小学生のような感想しか浮かばなかった。

 国立西洋美術館に行った際に、東京都美術館でこの田中一村展が開催されていると知り、これも何かのご縁だろうし行ってみようと早速1週間後には出かけたという次第だ。
 我ながら、珍しく積極的である。

 生前にスポットが当たることはなく(とはいえ、これだけの回顧展が開催できるだけの作品と業績と資料が残っている訳ですが)、亡くなった後に支援者たちが3日間の個展を開催するところから始まり、こうして「大回顧展」が開催されるまでに評価が高まった、ということのようだ。
 しかし、そもそも子供の頃から「神童」として有名だったようで、数えで8歳の歳に描いた絵も展示されていた。
 ちょうど私の後ろにいた小学生くらいの男の子が「8歳だ」「9歳だ」と読み上げていたのが可笑しい。
 絵にも「八童」などと入っており、プロデュースに長けた大人が書かせて絵の売りにしていたんだろうなー、と余計なことを考える。

 よく分かっていないながら、子供の頃の絵はきちんと「お手本」があり、その「描き方」に則って描かれた絵なのではないかという気がした。
 説明に「南画」という言葉がよく出てきていて、「うーん、意味が分からん」と思ってみていた。帰宅してネット検索したら、中国の流派のひとつで、水墨や淡彩で、多くは山水を柔らかな感じに描くことが特徴だという。
 そういう感じだ。

 東京芸術大学に入学したものの2ヶ月くらいで退学し、その後すぐ家族を亡くし、しばらく「空白の時代」とされていたけれど、近年、20代に製作された屏風やふすま絵などが発見されているという。
 支援者がいて、支援者からの発注や紹介に基づいて製作していたということらしい。
 それは個人蔵が多いだろうし、詳細が不明になることもあるだろうなと思う。

 その後、千葉に転居した辺りからまたその画業が伝わっており、青龍展に「白い花」という絵が柳一村名義で入選し、その後で田中一村の雅号を用い始めている。
 この「白い花」はかなりカラフルな画面で、青緑っぽい色をバックに一面に白い花が咲いている。それまでの「南画」とは全く異なる印象である。

 また、小さな写真から大きめの肖像画を描き起こすことも「仕事」として行っていたという。
 好きな絵だけ描いていては食べていけない。農業をしているとはいえそれだけでも食べていけなかったということだと思う。その肖像画がもの凄く精密で、これならほぼ写真なのでは? という感じだった。小さな写真でははっきりしない箇所(肩章の模様)なども何を当たったのかくっきりと描かれている。
 これは、描いて貰った人(モデルになった人ではなく頼んだ人)は有り難かったろうなと思う。

 その肖像画の技術は50歳になって単身移住した奄美大島でのご近所づきあいで発揮され、島の人に受け入れられるきっかけのひとつになったそうだ。
 芸は身を助く、という奴である。その「芸」が規格外な訳だけれども、「良かったね」と親戚のおばさんみたいな気持ちになる。
 奄美大島では染色工として働いて生活費を貯め、ある程度貯まると絵を描くことに専念するという生活を送っていたそうだ。

 この絵画展のシンボルのようになっている「奄美の海に蘇鉄とアダン」「初夏の海に赤翡翠」「アダンの海辺」「不喰芋と蘇鉄」などの絵は、もちろん奄美大島で描かれたものである。
 大柄なインパクトのある、多分「唯一無二」の絵画たちである。
 信奉するに近いファンがいらっしゃることも納得だなと思った。初めて拝見したと思う。行って良かった。「田中一村」という画家を教えてくださった方々に感謝である。

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2024.10.27

「モネ 睡蓮のとき」に行く

 2024年10月、国立西洋美術館で2024年10月5日から2025年2月11日まで開催されている「モネ 睡蓮のとき」に行って来た。
 時間指定制ではなかったものの、夜間開館日の18時半くらいに行ったところ、並ばずに入場することができた。実は外から見たときに庭に行列ができていて「まさか!」と思ったけれど、その待ち行列は企画展限定のミュージアムショップへ入店するためのものだった。外から見ただけで引き返さずに良かったと思う。

 今年は美術展にあまり足を運んでおらず、3月以来、半年振りである。
 もう少し頻繁に足を運びたいと思う。

 昨年の同じくらいの時期に上野の森美術館で開催されていた「モネ 連作の情景」展は「100% モネ」がキャッチフレーズになっていたと思う。
 今回の「モネ 睡蓮のとき」も、モネの作品のみ展示されている。
 流行なのか。モネ人気が常にも増して高まっているのか。あるいは画家ひとりをクローズアップした美術展が常態化してきているのか。あまり美術展に行かない私にはよく分からなかった。
 でも嬉しい。

 今回もモネの晩年、つまりは「連作」にスポットが当てられていたように思う。
 スポットを当てつつ、今回の美術展では、モネの描く絵の変遷を追うように構成されていた。
 また、同じ主題の絵を何枚かずつ集めていたのが楽しかった。

 「1 セーヌ川から睡蓮の池へ」では、章のタイトルにもしてあるセーヌ川や、ロンドンのチャーリング・クロス橋など、モネが旅していた時分の絵が多い。ジヴェルニーにたどり着く前の絵達である。
 チャーリング・クロス橋の何枚かの絵の中に、単色で比較的鮮明に描かれた絵があり、何だか格好良かった。
 最終的には煙だけでその存在が描かれる機関車の姿が比較的鮮明に描かれている。

 この章では、連作ではない(と言っていいと思う)の睡蓮も展示されていた。
 ジヴェルニーの庭で睡蓮が描かれ始めた初期には、睡蓮の絵にも画面の上部の端とはいえ池の縁が描かれ、睡蓮の池は風景っぽく描かれている。その池が、次第に画面の全てを占めるようになり、周りの景色は水面に映り込むだけになり、平面的装飾的になって行く。
 睡蓮の池に夕日が映り込んだ(のだと思う)1枚があり、近くで見ているときには分からなかったけれど、かなり引いて見るとその太陽の光の赤さがより引き立って見えて良かった。

 「2 水と花々の装飾」では、睡蓮以外の花の絵がメインになっている。
 中には「元々のアイデアでは他の花も描かれていたけれど、最終的に睡蓮だけになった絵」も含まれていて、何というか、モネの意識が「睡蓮を描くなら睡蓮に集中!」みたいになって行く過程が面白いと思う。
 壁一面を睡蓮の絵で埋め尽くした連作も、当初の案では上部に藤の花の絵をぐるっと配置する予定だったという。
 その藤の花に紫っぽさがなくて、でも藤の花で、良かった。

 「3 大装飾画への道」のお部屋だけは、写真撮影可になっていて、シャッター音が鳴り響いていた。
 モネは生前に大装飾画関連の絵を売ることはせずにほとんど手元に置いていたそうですが、唯一、松方幸次郎氏に売ったそうです。その絵が(多分)行方不明になり、半分以上が滑落した状態で見つかり、出典されていました。
 何とも痛々しい状態だった、

 睡蓮の絵の中でも、大きめ(2m四方くらい?)の絵が3枚、曲線を描いた壁に並べて掛けられている面が爽快だった。
 「睡蓮に囲まれたような」「その場に立ったような」という雰囲気が少しだけ味わえる。
 オランジュリー美術館にぜひ行ってみたいと思ってしまう。
 絵の雰囲気は3枚でかなり違っていても、睡蓮が描かれた大きな絵が真っ白い壁に同じ高さ、同じ重さで飾られているというのは、何とも贅沢な光景だったと思う。

 「4 交響する色彩」という章では、モネの庭の太鼓橋のような橋や、しだれ柳、ばらの小道やばらの庭から見た家が数枚ずつ展示されていた。
 モネは厳密に同じ場所、同じ角度から、日を変え時間を変え、つまりは光の状態を変えながら何枚も絵を描いていたそうだ。
 中には、白内障を患って色彩が混濁していたときに描いた絵も含まれている。
 何と言うか、この章の絵の印象を一言で言うと「赤」である」
 その赤さが凄かった。

 大装飾画の習作も含まれていたためか、今回、出典された絵は余白が目立っていたような気がする。
 本当に少ない色の絵の具、少ない筆の運びで描かれている絵はもちろん、わざとなのかどうなのか、絵の橋に白い余白がある絵が結構目立っていたような気がする。
 どうしてだろう。不思議だ。

 混雑していたけれど、それでも絵と自分との間に誰もおらず、絵と人が重なることなく見ることができる瞬間はどの絵にも必ずあったと思う。
 楽しかった。
 行って良かった。

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2024.03.09

「マティス 自由なフォルム」展に行く

 2024年3月7日、国立新美術館で2024年2月14日から5月27日まで開催されている「マティス 自由なフォルム」に行って来た。
 平日に行った甲斐があって、時間指定制ではなかったけれど、かなりゆったりめに見ることができた。
 また、3日後、NHK「日曜美術館」で「マティス 色彩の冒険 南仏・タヒチへの旅」が放映される。その前にというのもタイミングが良かったのだと思う

 「色彩の道」という最初のセクションでは、「マティス」と聞いて浮かべるのとは違うイメージの絵画が多かったと思う。
 何というか、「その前」のフェルメールみたいな感じといえばいいのか、「らしさ」を獲得する前、時代が求めていたというその時代に普通だった技法で描いた絵という感じがする。
 それでも「マティス夫人の肖像」など反対色で彩られており、「フォービズム」の走りらしい。
 「フォービズム」は「野獣派」などと訳されているそうで、うーん、別に「野獣」という感じはしないけどなぁと思う。むしろ、柔らかい感じすらある。
 その時代に与えたインパクトは野獣級、という意味だと思えばいいのかも知れない。
 そうして、少しずつ色彩が明るく鮮やかになって行く。

 マティスは自らの「アトリエ」を愛していたらしい。この美術展でも一つのセクションを構成している。
 自分の好みのものをコレクションし、実際に絵に描き込んでもいる。
 その「コレクション」していた物と、そのコレクションが描き込まれた絵が並んで展示されていて楽しい。
 肘掛け椅子は、流石に食卓の椅子ではないにしてもそれほど強烈な変わった椅子ではないけれど、マティスの手にかかると画面にはみ出すほどの「椅子が主役」の絵になり、こちらこそ強烈な色彩で描かれている。

 買った物だけでなく、マティスは自身が作った彫像もアトリエに保管していたらしい。
 絵画も彫像もシリーズ物というのか、同じテーマでいくつもの作品を作っていたようで、同じタイトルの作品が二つ三つと並べて展示されているのを見るのが面白い。
 どんどんデフォルメされていったり、ところどころに飾られているアトリエ内部やマティス自身が写されたモノクロ写真の中から、目の前にある彫像を探すのも楽しい。

 そういえば、途中にマティスと彼のモデルを務め後年には助手にもなったリディア・デレクトルスカヤの二人の写真があった。
 マティスというと、ミュージアムショップにも並んでいた「ジヴェルニーの食卓(原田マハ著)」のイメージが強く、あの小説にも登場していたリディアという女性と同一人物かしらなどと思ったりした。

 「舞台装置から大型装飾へ」というセクションでは、「ナイチンゲール歌」というバレエの映像が流れていた。
 マティスは、舞台装置の依頼も受けていて、「ナイチンゲールの歌」というバレエでは衣装も手がけたという。
 衣装の中でも「ナイチンゲール」の衣装は鳥の頭が付いていて、かなりユーモラスである。踊っている姿はさらに楽しい。
 横13mを超えるバーンズ財団の装飾壁画も引き受けていたそうで、その下絵のパターンが次々と現れる動画が壁に映し出されていた。同時に、そのうちのいくつかの下絵は元の大きさで展示されていて、これも楽しい展示の方法だと思う。
 色が付いたりモノクロだったり、ポーズが少しずつ変わったり、試作を重ねている様子が窺える。計算もしつつ、実際に「手を動かして試してみる」タイプの画家だったのかなと思う。

 タペストリの原画や、実際に織られたタペストリも展示されていて、「パペーテ タヒチ」と題されたブルーの地にグレーで海の生き物が浮かび上がるようなタペストリがちょっと欲しくなった。
 その前に「パペーテ オーストラリア」(だったと思う)と題された下絵も描かれていて、しかし技術的な問題でタペストリにはならなかったなどという解説を読むと、ぜひそちらの下絵も見てみたいと思う。

 展覧会のタイトルにもなっている「自由なフォルム」というセクションに入ると、「マティス」と聞いてイメージする強烈な色の切り絵の世界が広がる。
 おぉ! これこそがマティスだよ! と思わせる、切り絵の数々だ。
 特に青を使って人や波を表現した切り絵は、「ザ・マティス」という感じがする。
 何となく切り絵はそのものずばりの形に切り抜いていると思っていたので、ピースを組み合わせるように貼り合わせて形を作り、その重ね方で濃淡やでこぼこもできていると分かったときには、大げさに言うと衝撃だった。

 このセクション以降は写真撮影が可とされている。
 そうなるとやはり「花と果実」のインパクトは強烈だ。
 幅の違う5枚のキャンバスに描かれていて、白地に明快な色の切り絵が規則的に並んでいて、いかにも南仏という感じがする。開放的で温かくて穏やかだ。くっきりとして、南国リゾート風でもある。
 その絵が縦4m、横8mで広がっている。この絵を発注した人は、本当に自宅に飾ることがあったのかぜひ知りたいところである。

 最後のセクションは、マティスの遺作ともいうべきヴァンス礼拝堂がテーマだった。
 壁面に描かれたタイル絵のやステンドグラス、司祭たちが着る制服、そもそも外観も内装もマティスがデザインし、指示したらしい。
 その礼拝堂内部が再現されていて、ステンドグラスを通して入ってくる光が動くところまで見ることができる。
 いつか現地に行ってみたいと思う。
 そういえばシャガールの絵をステンドグラスにした南仏の教会に行ってみたいと思っていたことを思い出した。せめて教会の名前くらい思い出すところから始めなくては、と思った。

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2023.12.09

「モネ 連作の情景」に行く

 2023年12月8日、上野の森美術館で2023年10月20日から2024年1月28日まで開催されている「モネ 連作の情景」に行って来た。
 キャッチコピー「100%モネ」のとおり、本当にモネの作品のみで構成されている美術展だった。
 大抵は、「同時代の画家の作品」とか「**が影響を受けた画家の作品」「**が影響を与えた画家の作品」等々が同時に展示されているところ、である。
 凄い。

 日時指定制で、13時40分くらいに入ったときは全く行列はなかったけれど、15時近くに出てきたときには10人以上20人未満くらいの列ができていた。
 時間によって、混雑具合が異なるようだ。
 ミュージアムショップは別会場で、美術展を見た後、チケットを見せて入ることができる。こちらでも入場制限を行っていて、概ね20〜30分待ちになっていたと思う。

 モネ展では、入口を入ったところの美術展タイトルは写真撮影可で、モネの絵の中に入ったような写真を撮ることができる、のだと思う。
 次に続く、床面に睡蓮の池が投影されて歩くと波紋が広がるような映像を見ることができるインスタレーションも写真撮影可だった。
 あと、最後の「睡蓮と時ヴェルニーの庭」と名付けられた展示室も「薔薇の中の家」という作品をのぞき撮影可だった。よく分からないけれど、貸出元の意向なのかなと思う。

 作品リストを見ると、今回の美術展は「100%モネ」だけあって、特定の美術館の作品をテーマを決めてドンと貸してもらう形ではなく、あちこちの美術館からモネの作品を借りてきて開催されているようだ。
 もの凄い情熱でもの凄い労力と時間をかけたのだろうなと、全くよく分からないのに一瞬遠い目になってしまった。

 モネの絵は時代順に展示されていた。
 それは、描いた場所別に展示されているというのと同じことだ。
 「第1章 印象は以前のモネ」は、要するにサロンに挑戦し続けていた頃のモネということになる。
 「昼食」という、モネの家族を描いた大きな絵も、サロンに落選した絵だそうだ。サロンに入選しなくなったことで、モネたちは「印象派展」を開催するようになるのだから、ある意味、転機の一つとなった絵ということになる。

 「後に妻になるカミーユと息子のジャン」という説明に今ひとつ腑に落ちないものを感じる。
 原田マハの「ジヴェルニーの食卓」という小説がとても印象深く、そこに登場するモネは成功して目を病みつつあるモネで、最初の妻のカミーユのことよりも、二番目の妻のアリスの方に重点が置かれている。
 アリスの連れ子のブランシュがもう一人の主な登場人物で、彼女の亡くなった夫がモネの長男のジャンである。
 この子が! と訳の分からない感慨を抱く。

 印象は以前のモネの描く風景画は、勝手な私のイメージだとセザンヌ風というイメージだ。
 もちろん、水辺を多く描いているので水の青や水辺の緑の明るい色が印象的な絵もありつつ、何というか、重厚な感じの絵が多いような気がする。サロンに入選していたということは、当時の流行の絵を描いていただろうから、こういう絵が流行っていたんだろうなと思う。
 後の「印象派」時代の絵とは雰囲気が違う。

 その「第2章 印象派の画家、モネ」の展示室では、同じ場所を同じ角度から違う角度から何枚も描いている様子が強調されている。
 中に、外で絵を描いていたモネが愛用していたらしい「アトリエ舟」を描いた絵もあった。屋根と壁があって、水の上ならどこにでも行けるから、屋外で絵を描くときに都合が良かったらしい。
 この絵を描くときにはアトリエ舟には乗れないわね、と思う。

 連作ではないものの、そのときの「印象」を絵にしているのだから、同じモチーフを繰り返すことに不思議はない。というか、同じモチーフだからこそ、時間や気象や心持ちによる「印象」の差が際立つのだと思う。
 この頃から、「連作」とまでは言わずとも、すでに「同じ場所で同じモチーフを何枚も描くことを繰り返しているらしい。
 そして、「アトリエ舟」「セーヌ河岸」「橋から見た」等々、水辺の登場頻度が高い。

 あと、割と絵に人が描かれていないことが多い中、「ヴェトゥイユの春」という絵には、小さく母と子供(多分男の子)の姿が小さく描き込まれていて印象的だった。
 やはり、この母と子は、「昼食」に描かれていた母と子だろうか。

 「第3章 テーマへの集中」では、何組もの「同じ場所をほぼ同じ場所から描いた絵」が展示されている。
 繰り返しがより際立つ。
 そう展示しているということもあるけれど、そういう風に描いていなければ「際立たせる」こともできない筈だ。
 「ラ・マンヌポルト(エトルタ)」と「エトルタのラ・マンヌポルト」など、タイトルの付け方も対照的だし、ほぼ同じ場所から同じ岩を描いていて、片方は縦長でもう片方は横長にキャンバスを使っている。
 対にすることを目論んでいるようには感じられなかったし、結果としてそうなったということかも知れない。

 第4章は「連作の画家、モネ」のタイトルで、タイトルどおり、「正しく連作」が何組か、時間や気象を変えて描かれた絵が展示されている。
 ジヴェルニーの積みわら、クルーズ渓谷、ウロータールー橋などだ。
 そして、ぼんやりと明るい陽の光の中に対象がくっきりあるいはぼんやりと浮かぶように描かれている。
 所蔵を見ると、あちこちの美術館から集められていて、実物を目にするともはや学芸員の方の執念が漂っているような気すらしてくる。

 そういえば、昔ピアノを習っていたとき「ウォーターローの戦い」という曲を練習したけれど、あれは、この「ウォータールー橋」があるのと同じ場所が舞台だったんだろうか。
 モネが「ウォータールー橋」はロンドンにある橋のようなので、そもそもよくある地名なのかしらと思ったりもした。

 「チャリングクロス橋」の絵が1枚だけあって、大阪会場ではもう1枚、連作の絵が展示されるようだ。
 この絵が、朝日なのか、何かの反射光なのか、水面が1点光っている感じがとても綺麗だった。
 「印象 日の出」よりも、こちらの方がより光を感じられて好きだった。
 この会場で展示された絵の中から1枚だけあげると言われたら、この絵を選びたい。

 最後が第5章で、「睡蓮」とジヴェルニーの庭 と題されている。
 この前の展示室にあった積みわらもジヴェルニーの景色だったけれど、ここにある絵は全てジヴェルニーを描いた絵である。
 そして、ここの睡蓮の絵が3枚あった。
 中でも「睡蓮の池」というどの睡蓮の絵にも使えそうな名前の、全体的に黄色っぽい色彩の睡蓮の絵がとても珍しく感じた。
 そして、大きい。

 「睡蓮の池」は「睡蓮の池の片隅」と「睡蓮」という濃いめの色彩の睡蓮に挟まれて展示されており、より一層、画面の明るさが引き立っているようにも際立っているようにも感じた。
 あとでミュージアムショップで絵はがきを見ていたときに「こんな睡蓮は見てない!」と思った作品が何点かあって「見落とした・・・」と凹んだけれど、どうやら、大阪では東京に出展されていない睡蓮の絵を見ることができるようだった。
 その代わり、「睡蓮の池の片隅」は東京のみの出展である。両方見たい。

 全75点の「全部モネ」を満喫した。

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2023.11.05

「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に行く

 2023年11月3日、国立近代美術館で2023年10月6日から12月3日まで開催されている「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」に行って来た。
 3連休の初日かつ「文化の日」で混雑するだろうと思い夕方16時半くらいに行ったところ、ゆったりと見ることができた。
 一部を除き写真撮影が許可されており、それほど待つことなく写真を撮ることができるくらいである。良かった。

 今年、国立近代美術館のガウディ展に行った際に、この棟方志功展が開催されることを知り、ぜひ行きたいと考えて早々にチケットは購入していた。
 とはいえ、棟方志功について考えてみると、特に知っていることがない。眼鏡をかけてもじゃもじゃ頭の風貌と、おおらかかつ豊満な楊貴妃の版画のイメージがあるくらいである。
 さらに言うと、私は棟方志功と山下清と芹沢銈介の区別があんまりついていない気がする。
 我ながら、かなり駄目な感じだ。

 棟方志功は自身の版画を「板画」と称していたそうだ。
 油絵も描いていたことや、日本画を「倭(やまと)画」と称し多くの作品を残していることを始め、民藝運動と関わりが深いこと、そもそも柳宗悦との関わりは(何かの)美術展に出品しようとして大きさが規定を超えて展示を拒否されようとしていたところに柳宗悦の助けが入ったことがきっかけだったこと、商業デザインも多く手がけていること、外国に何度も出かけていることなど、初めて知ることばかりだった。

 展示は「Ⅰ 東京の青森人」「Ⅱ 暮らし・信仰・風土−富山・福光」「Ⅲ 東京/青森の国際人」「Ⅳ 生き続けるムナカタ・イメージ」の4部構成で、そこにプロローグが加わっている。
 油絵を目指し、そこから板画に移る。文字(文章)と絵を組み合わせた作品を多く作成する。戦中の物資不足で彫るための板が手に入りにくくなり、肉筆画を手がけたり、小さな板に彫ったりすることが多くなる。
 最初は、白地に黒い線で表していたが、次第に、黒地に白く彫った線で表すことにより「彫った線」を後に残すことができるようになる。
 挿絵も多く手がけているし、商業デザインも気軽に引き受けていたらしい。
 戦後の復興期、建設ラッシュの中で大柄な作品も多く手がけるようになる。
 海外でも、ヴェネチア・ヴィエンナーレでの受賞などなど、高く評価されている。

 とにかく意外な感じがする。
 何というか、生前から評価され、縦横無尽に活躍した人だったんだなぁと思う。どうも画家の方々は生前は苦労し、死後に評価された人ばっかりという勝手なイメージから抜け出せない。

 作品の印象は、まずは宗教を題材にした作品が多いことが意外だった。神様仏様曼荼羅イエス・キリストに日本武尊などなど、かなり多くの作品が神様の誰かとか仏様の誰かとかを題材にしている。
 かつ、連作というのか、1枚に一人を描いてその全員を並べて展示したり、表装して掛け軸にしたり屏風にしたり、大柄な作品に仕立てていることが多い。
 これは、そうして「一つ」にしてしまえば大きさ制限や点数制限なく出展できるという現実的な理由もあったらしい。

 そもそも、それぞれの作品についている「**の柵」という言い方は、「巡礼のお遍路さんが寺々に納めるお札のことで、一点一点の作品を生涯のお札として納めていく、その想いをこの字に込めている」ものであるらしい。
 信心深い人だったのか、でも信心深いだけだったらこんなに広範囲の神様を描くことはないような気もするし、特定の宗教を信仰しているというよりは、日々の生活の中で八百万の神を意識しているというか、自然にその場その場に合った「神様」に沿う感じの人だったのかなぁと思う。

 一方で、非常に幾何学的な作品が多いなぁとも思った。
 一言で言うと、左右対称が好きなんだなぁということだ。
 複数の絵を組み合わせた作品では、概ね、左右対称になっていたのではなかろうか。それは表装にまで及んでいるから、柳宗悦の趣味なのかも知れないけれど、とにかく「バランス」を保とうとしているように感じられる。

 もちろん、光徳寺にあるというふすま絵「華厳松」のように全く左右対称ではない作品もあるけれど、そもそも並べた襖を1枚の画面として扱っているというだけのことのように思う。
 ちなみにこの「華厳松」の裏側はふすま1枚1枚を一つの画面として使っていて、やはり「並べ方」に意を用いているように見えて、何となく楽しくなった。

 また、棟方志功は裏彩色の技法を多く用いていたそうで、板画の色が淡く穏やかなのはその技法の賜でもあるように思う。
 1枚の板から、モノトーンだけの絵にしたり、裏彩色でカラフルにしたり、彫り直しというか彫り足ししてまた刷ったりということもあったらしい。
 確かに、同じ意匠の板画で背景の色が異なっているものを、掛け軸にして3枚並べたものがあったと思う。タイトルや絵面を覚えていないのに、黄色と緑と青の3色だったような・・・、と数と色しか覚えていないところが間抜けである。

 文字と絵の組み合わせ、文字だけの作品もありつつ、その「文字」が日本語だけでなく英語のものまであったのもちょっと驚いた。
 何故、英語? と思う。
 海外旅行に行った際の印象や思い出を彫ったということなのか、そもそも英語で語られた詩が好きだったということなのか、とにかく意外な組み合わせだった。

 棟方志功が使っていた眼鏡や彫刻刀が展示されていたり、講演の音声が流されていたり、NHKが取材した映像があったり、ほぼほぼトレードマークとも言えるようなカメラを真正面から見た満面の笑みの写真があったりする。
 そもそも、棟方志功は自画像をたくさん作って(描いて)いるし、自伝のような書籍も複数出版している。
 「自分」にももの凄く率直なというか、真っ直ぐな興味を持っていた人なんだろうなと思う。アピール好きなのかどうかまでは分からない。全くないということはあり得ないけれど、さて、どうなんだろう。

 珍しく1時間半近くかけて楽しんだ。

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2023.08.18

特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」に行く

 2023年8月16日、東京国立博物館で2023年6月16日から9月3日まで開催されている特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」に行って来た。
 古代メキシコに興味を持っている人なんて少ないよねと思っていたら、博物館入口に「ただいま混雑しています」の立て札が立ち、平成館に向かう人も平成館から歩いてくる人も多く、コインロッカーもかなりの使用率だった。想定外だ。

 15時頃に到着し、少し時間を置いて入ろうと、ロビーで上映されていたテオティワカン、マヤ、アステカの各文明を紹介する映像を先に見ることにした。
 マヤはパレンケ遺跡とチツェンイツァ遺跡、アステカはメキシコシティのテンプロ・マヨール遺跡を中心に展示が構成されていることが伺えた。

 特に、パレンケ遺跡の「13号神殿」で発見された通称「赤の女王」の棺からの出土品はこの展覧会のメインとして扱われている。
 今回取り上げられた遺跡の中でパレンケ遺跡だけは行ったことがあり、パカル王の棺が発見されたという碑文の神殿や、宮殿、赤の女王が発見された13号神殿(私が行ったときは、ガイドさんたちは「赤の女王の神殿」と呼んでいた)も見学している。
 再会でき、メインで扱われていて嬉しい。

 私が2012年に訪れたときは、13号神殿で辰砂に覆われた棺の内部を少し離れたところから見学することができた。
 確か、マスク等を始めとする副葬品はメキシコシティの考古学博物館に所蔵されていると説明を受けた記憶である。
 辰砂に覆われた棺もなかなかインパクトがあったけれど、さらに仮面を始めとしてヒスイなど緑色の石を中心に作られている副葬品が収められている状態は、ビジュアル的に最強である。

 映像を見てから入場し、音声ガイドを借りた。
 音声ガイドにはアプリ版もあるらしい。スマホはともかくとして、イヤホンを常備している人が多いということだろうか。
 音声ガイドは、上白石萌音と、雨の神に扮した杉田智和との掛け合いで進む。

 会場に入ると、結構な混雑ぶりだった。お盆中だからかも知れないが、それにしても、いつの間に「古代メキシコ」がこんなにメジャーな存在になったのだろうと思う。
 絵画展と違い展示物の説明が親切だし、映像での説明も随所にある。それほど身近な存在ではないので説明をしっかり読む人も多い。
 今回、すべての展示物で写真撮影ができたので、もちろん写真撮影する人も多い。
 自分も、絵画展だと概ね1時間くらいで見終わるけれど、今回、1時間半かけていた。
 後になって、一人一人の滞留時間が長いから、入場者数に比して会場が混雑しているのかも知れないと思った。

オルメカのジャガー 入ってすぐの「Ⅰ 古代メキシコへのいざない」では俯瞰というのか、今回取り上げたテオティワカン、マヤ、アステカの三つの文明だけでなく、「古代メキシコ文明」全体を俯瞰するような、それぞれの関係を示すような展示になっていた。
 お願いだから順番に見せて! と一瞬、混乱したけれど、これらの共通点、引き継がれたもの等を最初に示すというのはありだと思い直す。
 例えば、共通して崇められたジャガーを模した翡翠製の石偶(オルメカ運命)や土器(まあ文明)、球技に使われた防具やゴムのボール、ナイフや神の頭像などである。
 何しろ、音声ガイドにも「雨の神」が登場する。

 そして、「Ⅱ テオティワカン 神々の都」である。この三つの文明の中で最も古いテオティワカン文明から始まるらしい。
 私の中でテオティワカン文明は、「テオティワカン遺跡で完結」というイメージだ。もちろん広大な遺跡で、10万人が暮らしていたという。
 その中心は「死者の大通り」とその両側に連なるピラミッド等の建造物だ。と思う。

死のディスク クフ王のピラミッドとほぼ同じサイズの基壇を持つという太陽のピラミッドや、月のピラミッドである。
 「羽毛の蛇神殿」と呼ばれる建造物は、金星を象徴するピラミッドだという。
 太陽のピラミッド前の広場から出土したという「死のディスク」は、そのかなりおどろおどろしい名前や中央のドクロのような意匠に反し、沈んだ太陽の姿であり、再生を象徴しているそうだ。
 確かにドクロの周りのヒダはは太陽のフレアのようにも見える。

 「羽毛の蛇神殿」関連の展示もインパクトがあって、羽毛の蛇神がシバクトリ神を運んだのだったか、その逆だったか、とにかく「神が王を認めて運んだ」とアピールし、王権の正統性を強調するような意味があったらしい。
 それは数も多くなるし、姿が大きくもなるよねと思う。
 また雨の神を描いた壁画があったり、トサカのようなものを持つ鳥の形の土器があったりして、「赤」という色はテオティワカンでも特別な色だったんだなと思う。

 テオティワカンというと遺跡が広大すぎて何だか大雑把なイメージだったけれど、かなり精巧な細工を施された香炉や、モザイクで飾られた神の像なども展示されている。
 遺跡群の地下に通路も発見されているそうで、流石に観光客が入れはしないだろうと思うけれど、行ってみたいなぁと思った。

王族同士の球技の石彫 そして、私としては本日のメインイベントである「Ⅲ マヤ 都市国家の興亡」である。
 世界樹であるセイバを描いた土器のお皿や、織機で布を織っている女性の土偶、糸を紡ぐのに使っていただろう紡錘車、カカオを飲んでいたという土器のカップなど、何となく懐かしい、マヤっぽいよねと思わせる展示品が続いている。
 マヤが統一王朝を持たず、都市国家群がネットワークを築いて緩やかに連携していたというのはよく聞くお話で、この石彫で球技をしているのはカラクムルとトニナの王で、両国の外交関係を示すものと考えられているという。
 戦いでなく儀式であることを祈る。

 マヤ文字の石彫もあって、やっぱりビジュアルのインパクトが凄いよと思う。
 日本語のように、一つの文字が偏と旁があったり、その組み合わせで様々な意味を表したり、同じ内容を表すのに複数の文字があったりするというのが面白い。それは解読も大変だし、「書記」役も大変だったろうなぁと思う。
 内容ではなく文字そのものが展示になるのは、ロゼッタストーンと日本の書道とマヤ文字くらいなんじゃないかと思ってしまう。
 都市国家群の一つであるパレンケのいわば黄金時代を築いたのがパカル王で、その「パカル」が盾を意味していると説明があり、何となく納得した。
 パカル王を表すマヤ文字はいくつもあり、そのうちの一つのマヤ文字の作りの部分は盾の絵だという。

 パカル王の棺は、1954年にパレンケ遺跡の碑文の神殿で発見されている。
 碑文の神殿の隣にある13号神殿で1990年代に発見された棺に眠っていたのは女性で、その後の調査でパカル王とこの女性との間に血縁関係がないことが確認されている。
 元々、隣り合った神殿から発見された棺の中の人物は関係が深いだろうと推測されており、血縁関係がないことからも、13号神殿の棺の人物はパカル王の妃であるという説が有力になったそうだ。

 何となく、昔の王族のご夫婦ならむしろ全く血縁関係がないってことがあるかしらと思うけれど、その辺りはきっと今後の研究で明らかになって行くのだと思う。
 辰砂で覆われた棺に収められていた人が高貴な身分の人だったろうことはほぼほぼ間違いなくて、その「赤の女王」に日本でお会いできるというのが素晴らしい。
 当時、パレンケ遺跡の博物館には行くことができなくて、見学することができなかったので尚更だ。

Photo_20230818122201 赤の女王は、その墓室をイメージした空間を作って展示されていた。
 赤い布で覆われた人形に、マスクや装飾品が装着されている。
 パカル王の棺に納められた仮面は翡翠製だけれど、「赤の女王」の棺に納められた仮面が翡翠製ではないことだけ、ちょっと引っかかる。
 パッと見て、その質感の違いというか、鮮やかさの違いは明らかだ。
 何というか、ザラっとした質感の石である。

 赤の女王の仮面は孔雀石製である。
 しかし、腕輪や首飾りなどの装飾品はヒスイ製だ。
 腰飾りが翡翠製ではなく、緑色ですらない石灰岩でできていることが何となく不思議である。緑色は生命の色で、だからこそ副葬品等に使われていたという説明があったからなおさらだ。
 ぐるぐると周りを回って堪能した。

Img_0207 パレンケよりも少し時代が下がったチチェンイツァ遺跡で出土したモザイクの円盤や、生け贄を捧げるときに使われたのだろうチャクモールなども展示されている。
 この態勢でお腹にお皿を抱えていたらそれは供物を捧げる台だったのでしょうと思うけれど、展示の説明では「用途は不明」とされていたように思う。
 もしかしたら、何か定説を覆すような発見や知見が出てきているのかも知れない。

 しかし「生け贄を捧げた」と明確に説明されていたのは、次の「Ⅳ アステカ テノチティトランの大神殿」である。
 テンプロ・マヨール遺跡からは、1000人を超える人が生け贄として捧げられたことが分かっているという。
 そのテンプロ・マヨール遺跡は、元々は湖に浮かぶ島に築かれており、現在のメキシコシティはその湖を埋め立てた上に建設されていると聞いて驚いた。
 地理的にも歴史的にも地続きなんだわ、と思う。

Img_0211 そして、アステカ文明は、何だか「戦う文明」という感じで紹介されていたという印象が残っている。
 鷲の戦士像のインパクトが強すぎるからかもしれない。等身大よりも大きく作られたこの像は、顔は怖くないのに「睥睨する」という感じがあった。

 もう一つアステカ文明で印象的だったのは金製品で、テオティワカンとマヤでは翡翠がもの凄く高い地位にあったけれど、アステカではそれが金だったのかなと思う。
 もの凄く薄く延ばされていたから、なかなか手に入らない貴重なものであったことは間違いないと思う。
 それでもまばゆい感じで光っていて、鈴形ペンダントなどちょっと可愛くて欲しいくらいだった。

 1時間半かけて見学したのに時間が足らなかった。
 できればもう1回行きたいくらいである。

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2023.07.22

「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行く

 2023年7月19日、国立近代美術館で2023年6月13日から9月10日まで開催されている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」に行って来た。
 竹橋の駅を降りて1b出口から地上に出たら、そこにいる人がほぼ同じ方向に歩いており「もしや」と思ったら、ほぼ全員が国立近代美術館に吸い込まれていった。
 そんなに人気があるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。

 入場時間指定制ではなくなっていたものの、事前にネット購入する人が多いようで、チケット売り場に行列はなかった。
 2200円也を支払い、大きな荷物は100円が返却されるコインロッカーに預け、入口に向かう。私はうっかりと持ち込まなかったけれど、この展覧会では一部の展示が撮影可となっていた。
 サグラダ・ファミリア関連の模型が撮影可のようだった。なかなか興味深い展示だったので、「持って来れば良かったかも」とちょっと思った。でも、コインロッカーまで取りに戻るほどではない。

 「1 ガウディとその時代」では、ガウディの顔写真から展示が始まっていた、と思う。
 ガウディは写真嫌いで有名で、かつ、どんなに困窮してもほぼほぼ常に帽子を被っており、無帽の顔写真は数枚しか残っていないそうだ。
 その貴重な1枚だ。
 結構ハンサム(という言い方がすでに古い)と思う。

 「写真」がいつ頃から普及したか知らないけれど、作者の写真が残っていると、存命だったり存命だったころを知っていたりする人以外の場合は、「意外と最近の人だったのだな」と思ってしまう。
 よくよく考えたら、アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリアが今も建築中なのだから、それほど昔の人な筈がない、のかも知れない。
 今確認したら、ガウディは1852年生まれだった。

 展示は、ガウディが学生時代に作成した設計図(というよりも完成予想図?)に続いた。
 絵画展ではなく「建築物」と「ガウディ」に焦点が当たっているためか、個々の展示物に説明文が加えられていることが多かったと思う。特にガウディの人となりや、ガウディが勉強した軌跡、時代背景などは「意図」を説明してもらって初めて、その展示物がここにある意味が分かるように思う。
 詳細な説明は有難い。
 オーディオガイドを借りても面白かったかなと思う。

 「2 ガウディの想像の源泉」では、サグラダ・ファミリア以外の、ガウディが設計した建物等が紹介されていた。
 その一部に、万博博覧会に関わっていたときの身分証まで展示されていたのが可笑しい。その身分証に、「無帽の写真」が付いていたからだと思う。
 30年位前に旅行でバルセロナに行ったときに訪れた建築物もいくつか採り上げられていて、何だか嬉しい。

 その中で、グエル公園のとかげがいなかったのが少し寂しかった。建築物ではないものの、グエル公園入口の噴水ととかげはガウディの代表作のひとつだと思うのに。残念である。
 グエル公園の一部が「洞窟」をイメージして形作られているということも、確かにその通りだったけれど、改めて説明されて「そうだったなぁ」と思う。
 訪れた当時は、割ったタイルで飾られた壁面やトカゲ、やけに座り心地よく作られやはりタイルで覆われていたベンチなどにばかり気を取られていた。

 他にもモンセラートの修道院、グエル教会堂などなどの展示もあった。
 写真があり、装飾の一部があり、模型がある。
 ニューヨークに計画されていたホテルなど、私の身長より大きい模型が展示されていた。
 グエル公園とカサ・ミラには入場して見学した。グエル邸は要事前予約、カサ・バッリョには(理由は忘れたけど)入れなかった記憶だ。
 「なぜ万難を排して行かなかったんだ、自分!」と思う。

 それなのに、カサ・バッリョにあるという木製の椅子にはなぜか既視感があった。
 もしかして、入口のドアだけは開けて、玄関ホールくらいは覗かせてもらったろうか。覚えていない。
 カサ・ミラは内部が見学できるようになっていて、屋上にも上がり、結構気に入っていたことを覚えている。屋上にある水槽等が白く、雪山の嶺を表しているという説明があり、今頃になって「そうだったのか!」と思った。

 「カサ・バッリョ」は海がテーマ、「カサ・ミラ」は山がテーマと紹介されていて、今更「そうだったのか!」と思う。カサ・バッリョが海をテーマにしていることはブルーのタイルで飾られていたり建物の壁面が波打ったりしていて一目瞭然だったけれど、カサ・ミラは一目で「山」と思う感じではなかったと思う。むしろ、砂漠っぽいイメージを持っていた。
 当時からこのときまで、カサ・ミラが「山」をイメージしているとは思っていなかった気がする。

 最後に参考出品ということで、「平局面」「双曲線面」「ラセン模型」などが展示されていた。
 併せて、様々に「幾何学的」な観点からの説明がされていたけれど、言葉や漢字の字面を見ただけで私の脳みそが拒否反応を示し、「分からない・・・」とつぶやきながら説明の多くをスルーした。
 サグラダ・ファミリアのコーナーも含め、いくつかの「ナントカカントカ曲線」等の考え方の説明が動画で展開されていて、それを見ると「分かった気持ち」になってとてもありがたかった。

 その流れで「3 サグラダ・ファミリアの軌跡」に入る。
 まず「建設費」の話から始まるところが世知辛い。会誌のようなものを発行し、会員に配ることで「賛助会員」を集めていたらしい。この仕組みは今も続いているんだろうか。

 サグラダ・ファミリアは、ガウディが最初から設計等を担当していた訳ではなく、二人目の建築家だったと初めて知った。
 そして、建設に長い時間がかかっているし、責任者が変わっていたこともあって、サグラダ・ファミリアの設計は結構な規模で変更が重ねられて来たようだ。ガウディ自身も設計の変更を重ねている。

 また、サグラダ・ファミリアが長い時間をかけた建設を許されたのは、(誰が許したのかはよく分からなかったけれども)地下の祈りの場が最初に建設され、その機能を果たしていたから、という説明がされていたと思う。
 なるほどと思う。
 私が訪れたときは、まだ建物内部が「外」のような状態で、内外の区別もついていなかった。当然、そこで祈りをささげるなんてことはできない状態だったはずだ。

 そういういわば「全体設計」の観点と、「自然の摂理を設計に取り入れる」というガウディの方針と、彫刻や装飾などの個別の意匠と、様々な観点から展示がされている。
 外尾悦郎さんが担当された「歌う天使たち」が完成する前、仮に設置されていたという像がサグラダ・ファミリアを飾っているのと同じ構図で展示されていた。そういう仮置きの彫刻たちは壊れやすいこともあって、役割を終えると廃棄されているそうだけれども、これらは外尾氏の出身地で保管されているという。
 そう言われてみると、ちょっと東洋人っぽい顔立ちの天使たちのようにも見えてくる。

 特別に許可を得てNHKがドローンで撮影したという映像が、かなり大きなスクリーンに投影されていた。近くで見ているとちょっと酔うような映像である。
 サグラダ・ファミリアにたくさんある尖塔のうち、果物をイメージしたようなブドウのような頭頂部を持つ尖塔がり、カラフルでかわいい。
 その「丸い造形の塊」が地上で作成過程にあったことをやけにくっきりと覚えている。
 あの白くて大きな丸があんな形であんな高い場所に設置されているなんて! とやけに感激した。

 紐の両端を天井に固定して、その紐が描く曲線を上下ひっくり返し、サグラダ・ファミリア等の「アーチ」のラインを決めたという話は前に聞いたことがあって、ガウディによる逆さづりの実験の様子が展示されていたのも興味深かった。
 しかし、完全に「自然の形」を設計に活かしていると思っていたら、ガウディは、その紐の途中途中に左右対称になるように錘を吊るし、アーチの形状を調整していたらしいと知って少し驚いた。

 その「錘を吊るす場所と錘の重さ」の試行錯誤がまた執念深く緻密という話で、一見して納得できる紐の多さと重なりぐらいだった。なるほど、そういう形で「自然」に干渉もしていたのだなと妙に納得する。
 その試行錯誤の過程が「創作」ではなく「発見」と称する所以なのだと思う。

 2021年に完成したという、現在は一番高くそびえているマリアの塔の天頂の模型(試作品)もあった。
 この「星」は夜になると光るようになっている。最初から明かりを入れるつもりだったのかしら、やはりLEDを使っているのかしら、電球の交換は可能なのかしらなどなど考える。
 中心にそびえ立つ予定のイエスの塔が建設中である現在、やはり存在感を放っていると思う。

 イエスの塔は2026年に完成予定という。
 サグラダ・ファミリア全体の完成はいつになるのだろう。コロナ禍で建設が一時止まり、恐らくは色々と見直しを迫られたのだろうと推測する。
 しかし建設が再開され、少しずつ確実に完成に近づきつつあるサグラダ・ファミリアに実際に立ってみたいと思う。
 何しろ、まだまだ展示があり、語られていたことがあり、全く消化できていない。実際、美術展等に2時間近くいたのは初めてだと思う。
 楽しかった。

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2023.05.04

「特別展 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716」に行く

 2023年5月3日、根津美術館で2023年4月15日から5月14日まで開催されている「特別展 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716」に行って来た。
 母のリクエストである。

 根津美術館は、時間指定予約が継続されている。
 また、お庭が広くて綺麗ということで、できれば晴れた日、少なくとも雨が降っていない日に行きたいと母が言い、天気予報とにらめっこしつつ数日前に予約しようとしたときにはすでに10時からの1時間枠は売り切れていた。
 予約したのは11時から1時間の枠である。

根津美術館のお庭根津美術館のお庭 11時少し前に美術館に到着したところ、特に問題なく入場することができた。
 美術館入口に「今朝の杜若」という感じで写真が展示されており、ちょうど満開である。
 先にお庭を歩くことにした。今回は使用しなかったけれど、お庭散策用の傘も用意されている。

 根津美術館は、名前は知っていたものの行ったのは初めてである。
 大体、「青山にあるのにどうして根津美術館って名前なんだろう?」と思っていたくらいだ。今回、東武鉄道の社長であった根津嘉一郎氏が設立した美術館だということを初めて知った。

根津美術館のお庭 ついでに書くと、根津美術館のこのお庭は元が大名屋敷跡なのではないかと思っていたのだけれど、よくよく考えれば青山の辺りは(多分)江戸市中には含まれないのではないだろうか。
 であれば、大名屋敷があったとは思えない。
 もしかして、根津氏か後継者の方が庭園造営も一から行ったのだろうか。何だか凄い。

 庭園は広く、高低差もあって見通しが効かない。
 緑が濃く、この日は夏日だったこともあって、木陰が涼しい。
 杜若がちょうど満開で、見応えがある。
 桜も紅葉もあったし、苔で覆われた場所もあったので、いつ来ても楽しめるお庭だと思う。

 庭園にはお茶席やカフェもある。
 11時過ぎだったのにカフェの入口には10人弱くらいの待ち行列が出来ていて少し驚いた。
 きっと、お昼の時間帯ではさらに混雑してとても入れないから、早い時間からカフェに行こうという人が多いのだろうなと思う。

根津美術館のお庭根津美術館のお庭

 お庭を満喫した後、特別展に向かった。
 根津美術館には全部で六つの展示室があり、この日は展示室1と2で特別展が開催されていた。これがいつものことなのか、企画展・特別展のたびに切り替えるのかは分からない。
 いずれにしても、何はともあれ、尾形光琳の「燕子花図屏風」を見ない訳には行かない。

 特別展は尾形光琳の生年から没年までの期間の作品が選ばれていた。
 当然、尾形光琳作の作品は少ない。
 そもそも出展作品も21と小規模な展示だったけれど、その中で尾形光琳作の作品は3点である。圧倒的に少ない。

 その少ない中でも、やはり「燕子花図屏風」の存在感は凄い。
 何しろ、金箔を貼った背景だけでも迫力である。どれだけのお金をつぎ込んだのだろうと思う。
 また、この金色が色あせておらず、今以て輝いている。
 お花の青と葉っぱの緑も鮮明に色が残っている。輪郭線を描かず、むしろべたっという感じで描かれた青と緑の残り具合は、青はラピスラズリですか? と聞きたい。

 大名のお姫様の嫁入り道具だったのではないかという解説のあった源氏物語絵巻や、京都から伊勢神宮までの道筋を双六のように描いた屏風があったり、燕子花図屏風を描いた人と同じ人が描いたとは思えない繊細な筆遣いの「夏草図屏風」も興味深い。
 平家物語絵巻があったり、三十六歌仙の詠んだ短歌を色々な人が書いて、それを貼り付け合わせた屏風もある。
 屏風など大柄なものが多かった記憶である。
 思っていたよりも楽しめた。

 青銅器のお部屋では、饕餮紋のある器などなどが集められていた。
 「饕餮」って何だよと思う。私の頭には十二国記に登場する饕餮しか思い浮かばない。だからこそ「とうてつ」と読めた訳だけれど、そういえば十二国記に饕餮のイラストはなかったし、姿の描写もほとんどなかったような気がする。イメージする助けにならない。

 実は全く見逃していて、ミュージアムショップでやたらと登場するので気になって探しに行った「双羊尊」が、流石にマスコットキャラクターになるだけのことはありとぼけた表情と細かな模様が何だかあったかい感じだった。
 確か同じ青銅器の部屋には銅鏡が展示されていて、再現されたという鏡面があった。覗き込んで見たけれど、ほとんど自分の姿を確認することはできなかった。昔の人はこの写り具合で十分だったのだろうか。謎だ。

 母も私のお庭の散策でかなり体力を消耗していて、仏教美術のお部屋と茶の湯をテーマにしたお部屋はパスし、お庭で咲いている杜若と屏風になった燕子花の両方を見られたことに満足し、美術館を後にした。

 また季節を変えて行ってみたいと思う。

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2022.11.06

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行く

 2022年11月5日、改装されてリニューアルオープンした国立西洋美術館で2022年10月8日から2023年1月22日まで開催されている「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行って来た。

 ベルクグリューンというのは画商兼コレクターの方のお名前で、画商を生業としつつ、商売の中で特に気に入った逸品を集めて自らのコレクションを作り上げていったという人だ。
 買ったり売ったりを繰り返し、最終的にはパブロ・ピカソ、パウル・クレー、アンリ・マティス、アルベルト・ジャコメッテ、そして彼らが尊敬していたというポール・セザンヌの作品を主とするコレクションになっているという。

 元々こうした個人コレクションだったもののうち、主要作品をドイツ政府が買い上げ、現在は「国立美術館群の一つ」という扱いになっているらしい。
 その「ベルクグリューン美術館」の改修を機に実現したというこの美術展は、97作品が来ており、そのうち76作品は日本初公開だそうだ。
 初公開でない21作品はいつどういう形で日本に来ていたのか気になる。

 そして、その場では全く気がつかなかったけれども、11作品は日本国内からの出品だったそうだ。
 この美術展は写真撮影が揺るされていて、恐らくは写真撮影が禁止されていた作品たちが日本国内からの作品だったのだと思う。ジョルジュ・ブラックの作品はほぼ撮影禁止になっていた記憶だ。

 日時指定制のチケットで、夕方に入ったこともあり、それほど混雑していなかったのが嬉しい。
 少し待てば、あるいは待たなくとも、一番前で絵画を見ることができる。贅沢な時間である。
 そして、そもそもこの美術展が異様に贅沢な内容だったと思う。何というか、バーターっぽい出品作品がない。全てが主役という作品たちばかりで、うっかり飛ばしたりしたらもの凄く後悔しそうな絵画・彫刻たちだった。ベルリン在住の方は常にこの作品群に会いに行ける訳で、贅沢な街である。

 「序 ベルクグリューンと芸術家たち」では、ピカソの作品とマティスの作品が1点ずつ展示されていた。
 すぐ「I. セザンヌ― 近代芸術家たちの師」に入る。「師」であるセザンヌから始めたかったから、「序」としてこの美術展の主役であるピカソとマティスを配置することが必要だったんだなぁと思う。
 セザンヌはあまり好きではないけれど「庭師ヴァリエの肖像」という絵が、「きらきらひかる」に出てくる”むらさき色のおじさん”みたいでちょっといい感じだった。

 ベルクグリューン氏は、コレクションを20世紀の画家の作品に特価するために、それまでコレクションしていた印象派やポスト印象派の絵を潔く売り払ったけれども、セザンヌの作品だけは何点か手元に残していたそうだ。
 自分がコレクションしようとしている画家達が「師」と仰いでいたというだけでなく、自身も好きだったんだろうなぁと思う。
 そういう完璧じゃない感じも潔くなくて良い。

 「II. ピカソとブラック― 新しい造形言語の創造」では、多分この美術展を企画したキュレーター渾身のラインアップということになると思う。ベルクグリューン氏が収集の対象としていなかったジョルジュ・ブラックの作品を他から借りてきて、対比する形で展示していた。
 パブロ・ピカソの作品も若い内(1900年代から1920年代くらいまで)の作品が集められていて、まだ人はそのままというか、キュビズムに足を踏み入れずに描かれている。静物は少しずつデフォルメされて行っている。
 中で「ギターと新聞」という素っ気ないタイトルの絵が好きだった。地味な画面で寒色しか使われていないところがいい。落ち着く。

 「III. 両大戦間のピカソ― 古典主義とその破壊」は、多分、その名のとおりの時代であり絵たちだったんだろうと思う。
 「座って足を拭く裸婦」という絵があって、何というかあまりにも普通な感じで不思議だった。この絵が古典主義的な裸婦像ということなんだろうか。
 ここにもあったアルルカンの絵が、もう1枚とはアルルカンの描き方が全く違うのに、でも画面のメインになっている色は両方とも赤だった。どちらかというと、こちらの「ギターを持つアルルカン」の方が怖くなくて好きである。

 「IV. 両大戦間のピカソ― 女性のイメージ」よりも前章も方が女性の印象が強いのは、こちらではだいぶ人もデフォルメされて描かれていたからだと思う。
 目が大きくなり、顔が分割されて再合成されたようになり、カクカクしたラインが増えて行く。
 そうなる直前、という感じの「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」のドラ・マールがなかなかの美人で良かった。ピカソはその時々の恋人の絵を描いていたらしい。それは描かれているときは誇らしい限りだろうけれど、分かれた後にその絵がどうなるかが気になる。女性たちは「私を描いた絵は全部返せ」とか言わなかったんだろうか。

 そして、美術展はいったん「V. クレーの宇宙」となる。
 ピカソとクレーって似ているんだろうか。単純にそれぞれ別々の理由でベルクグリューン氏の好みに合っていたということなんだろうか。これは、マティスについてもジャコメッティについてもそう思う。
 この4人に何らかの共通点があるんだろうか。それは他の人の作品に目もくれないような理由なんだろうか。

 クレーは「四角」というイメージがある。四角を組み合わせて描かれている絵が多い、と思う。
 幾何学っぽいし理屈っぽい。
 何というか、使う素材や色の数や構成に全部理屈があって、「(何でも答えてやるから)どうぞ何でも聞いてください」と言われている気がする。多分、気のせいだ。
 そんな中で、「子どもの遊び」という絵が現れたときには、思わず笑顔になってしまった。

 しかし、欲しい絵はまた別で「薬草を調合する魔女達」という線とぼかしで描かれた絵か、「夢の都市」というあんまり幸せそうでもない夢の都市の絵が欲しいなぁと思う。「ジンジャー・ブレッドの絵」でもよい。
 どの絵もこの美術展にあった絵の中では小さいサイズだけれど、例えば家に持って帰ったりしたらびっくりするくらい大きいのだろうと思う。

 「VI. マティス― 安息と活力」でも、マティスは油彩画だろうが切り絵だろうが、何というかぐいぐいと迫ってくる感じがある。絵がというよりもマティス本人が迫ってきている気がする。そして彼が何を言おうとしているかは全く分からないところが間抜けだけれども、とにかく「主張」がある絵のように思う。
 そうやって責められたり攻められたりしているように感じるので、「オパリンの花瓶」のように墨一色でささっと描いたように見える絵があるとほっとする。

 切り絵の作品の方がすでにマティスっぽいというイメージだけれども、雑誌の表紙なども飾っているそうで、同時代的に人気であり認められていたのだなぁと思う。
 ゴッホやフェルメールなど「生前の生活は苦しかった」という画家の方が普通な感じがしてしまい、生前から評価されていた画家たちはもの凄く幸運だし幸せだよなぁと思う。そういうものでもないのだろうか。

 最後に「VII. 空間の中の人物像 ― 第二次大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ」ということで、クレーを除く3人が集い、美術展は終了である。
 ジャコメッティは、「広場 II」というブロンズ像がとにかく格好良かった。この人たちは広場に集って何をしているんだろう? と思わせる。
 メキシコのラ・ベンタ遺跡公園にある、「会議する人々」を何となく思い出した。しかし、こちらは明確に会議をしていたけれど、「広場 Ⅱ」の方の人たちはただ通り過ぎているだけのようにも見えた。

 もう本当に贅沢な美術展だった。
 仕事の後で行って、その仕事が上手く行かずかなりモヤモヤしていたのだけれど、見ているうちにココロが落ち着いてきて、帰る頃には仕事のことなど忘れていた。有り難いことである。
 行って良かったと思う。

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2022.09.04

「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」に行く

 2022年9月2日、久々に会う友人に声をかけてもらい、国立新美術館で2022年8月10日から11月7日まで開催されている「国立新美術館開館15周年記念 李禹煥」に行って来た。
 ルートヴィヒ美術館展からのハシゴである。二つ合わせて1時間半で回った。なかなか贅沢な時間だ。

 こちらの美術展は時間指定制にはなっていないようだった。
 金曜日の18時半に入ったためか会場は空いていて、全く密になることはなかった。この美術展は人が少ないときにゆっくりゆったり見る方が楽しいと思うので、時期と曜日と時間を選んで行くといいと思う。

 李禹煥氏は韓国で生まれ、ソウル大学校美術大学入学後に来日し、日本で「もの派」を牽引したことで広く知られている、そうだ。
 「もの派」という言葉も初めて聞いたし、李禹煥氏の名前も今回初めて知った私にはちんぷんかんぷんの説明である。
 2010年に、香川県の直島に「李禹煥美術館」が開館しているそうだ。

 本展には、油彩画あり、絵ではない「何か」ありで、不思議な空間である。
 何というか、説明が難しい。
 なーんにも知らず分からないまま、置いてあった「李禹煥鑑賞ガイド」も面白そうだともらったもののその場では読まずに進んだ。
 それでも面白いって凄いと思う。

 「大きなキャンバスに蛍光塗料をスプレーでがーっと吹きつけまくったでしょう!」という絵に三方から囲まれるとかなりふわっとした感じになる。
 小砂利を敷き詰めた部屋に入って歩くと、自分の足音が何と大きく響くのだろうとびっくりする。

 大きな岩が厚いガラスの上に置かれていて、しかしガラスにはヒビが入り一部は割れている。大きな岩を大きなガラス板に落としたように見えるけれど、どうやって持ち上げたのよ! と思う。
 思っていたら、公式サイトにメイキング映像が掲載されていた。迫力だ。ぜひこの映像は音入りで見たかった。

 長瀞の岩畳みたいな石が一面に敷き詰められたお部屋に入ると、足下でその石が揺れたり鳴ったりする。これはこの音も「作品」だよなと思う。よく分からないけど、敷き詰められた石よりも、「音」が作品のように感じられる。
 何となく友人と点対称の位置にで外周をゆっくり回ってしまった。可笑しい。そして楽しい。
 この美術展には、ハイヒールで来てはいけないと思う。

 屋外展示もあって、かなり広い面積に小石が敷き詰められていた。どうやって持ってきたんでしょう、どうやって持って帰るんでしょう、新作だそうだけど、この後この展示はどこに行くのでしょう、と思う。
 この屋外展示は、夜見たときと昼みたときと夏見たときと雪の日に見たときと雨の中見たときと、それぞれで印象が異なるのだろうなぁと思う。できれば、雪景色を見てみたかった。

 恐らくは制作年代順に展示されており、進むにつれて、油彩画が戻り、点が延々と押されていたり(消しゴムはんこのようだと思った。多分、違う)、線が延々と引かれていたり、そういうシステマティックな絵が続いたかと思うと、ランダムにしゅっと筆を走らせたかのような絵が出てくる。
 あまりタイトルを見なかったので定かではないけれど、「風より」だったか「風とともに」というタイトルのモノクロでランダムに線をシュッと走らせたような絵が好きだった。「私の部屋の壁紙、これでいいわ」とか不遜なことを考える。

 グラデーションでどうみても湯飲みの形を描いた絵が続き、最後には、キャンバスではなく、この美術展の壁に湯飲み(に見えて仕方がない)が直接描かれていた。
 この作品の制作過程も、メイキング映像で見ることができた。
 この作品も、この美術展終了後にどこへ行くのか気になるところだ。

 会場の外にも作品があり、そちらも小石が敷かれた作品の中に「入る」ことができる。
 国立新美術館の煌々とした明かりをバックに、お隣の建物の明かりが木々の影を作っていたりして、こちらも昼と夜とでは雰囲気が全然違うのだろうなぁと思う。

 静かで面白い美術展だった。
 彼女に誘ってもらわなければ行くことはなかったと思う。
 めちゃくちゃ、得した気分である。ありがとう!

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