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2004.11.21

ペルー旅行記4日目

2004年9月20日(月曜日)

 昨日、標高の高いところを歩いたのが響いたのか、この日は1時間おきくらいに目が覚めてあまりよく眠れなかった。私の場合は、旅行に出て目覚まし時計が鳴るまでぐっすり眠れることの方が珍しいから、これが高地酔いのせいかどうかは判らない。
 6時くらいに起き出し、荷物整理を始めた。2泊したソル・イ・ルナホテルとも今朝でお別れである。
 今日は、オリャンタイタンボの遺跡を見学してからワイポ湖を通ってクスコに戻る。

 セーフティボックスからパスポートを出そうとしたら、何がいけないのかまた開かない。
 到着した日にセーフティボックスがおかしかったのも私が壊したんじゃなくて元々調子が悪いんじゃないかと疑いながら、あとでガイドの道子さんに頼んでホテルの人に開けてもらおうと思う。
 約束の7時半より少し前にレストランに行って朝食をいただき、道子さんにお願いしてセーフティボックス問題も解決したので、出発時間までホテル内を散歩した。
 これまではコテージのある一角だけしか見ていなかったけれど、その奥に建設中のスパや、テニスコート、厩舎まであって10頭を超える馬が飼われている。ウルバンバやユカイはインカ帝国皇帝の保養地だったそうで、今でも滞在型のリゾートなんだな、と思う。

 9時にホテルを出発して、クスコとは反対の方向に向かって川沿いに進む。お天気も良くてドライブ日和だ。
 クスコで有名な「VIVA! PERU」の文字と同じように、道沿いの山肌にも様々な文字が刻まれている。
 数字だけのものは学校のナンバーで、生徒達が作るそうだ。シンボルマークのようなものは政党が選挙活動の一環で作った物らしい。

 一昨日お邪魔したマルガリータさん宅の前を通り過ぎ、川沿いの平らな道をしばらく進んで、オリャンタイタンボの遺跡に到着した。
 村を抜けて、遺跡の入り口まで行く。
 結構な高さの遺跡で、そこを休み休み階段を上って行く。風も強くて帽子が役に立たない。段々畑のようになっていて、その間を階段(ここは石組みから飛び出した階段ではなくて、階段状になった階段だった)でつないである。

 一番上まで上り切ると、そこに有名な6枚の大岩があった。
 眺望も開けていて、近くにペルーレイルの駅が見える。直子さん達一行は今朝早くにオリャンタイタンボ駅からマチュピチュに向かったそうだ。そう聞いて、私たちが参加したツアーはどうしてそういう日程にしなかったんだろうと少し疑問に思う。クスコよりもオリャンタイタンボの方がずっとマチュピチュに近い。

 駅のさらに奥には川を挟んで石切場がある。
 オリャンタイタンボの遺跡を作った石は、その石切場から運んできたそうだ。谷の反対側の山すそに位置するから、距離も結構あるし、そもそもオリャンタイタンボの遺跡自体、高さがある。間には川もあるし、車輪を持たなかったインカの人々が、いったいどうやってこんなに大きな石をこんなにたくさん運んできたのだろう。コロはあったといっても重労働であることに変わりはない。

 オリャンタイタンボの遺跡全体がピューマの形になっていると言われていたり、遺跡から見える反対側の崖には食糧倉庫が並んでいて、その横に見ようによってはひげのおじいさんの顔に見える部分があったりする。道子さんが「そういう説を唱えている研究者がいる」と教えてくれて、写真なども見せてくれる。
 どこがどうとは言えないけれど、オリャンタイタンボの遺跡は気持ちの良い場所だった。
 オリャンタイタンボはインカ最後の皇帝が立て籠もったところで、本当に急な崖に食糧倉庫を造ったのも、盗まれないためだったという。

 遺跡の上部をぐるっと歩き、細い道を伝って一軒だけ離れたところに復元されていた家を見て、遺跡から降りる。
 遺跡の下部には水路が切られていて、小さな川沿いに今も水が流れている。
 「王女の水浴び場」と言われる場所も残っている。
 どういう仕組みになっているのか、水の出口を指で押さえると水が流れなくなったり勢いよく流れるようになったりする。私が試してみても、確かにそうなるのが不思議だ。

 遺跡の入り口にあるトイレを借りる。入り口におじさんがいて、何とかと言っていたけれどよく判らない。
 道子さんに聞いたら「お心のままに」と言っている、と言う。料金が決まっていない有料トイレだ。2ソルを渡したら、紙をくれた。ここのトイレも清潔で問題なかった。

 遺跡の入口前の広場は少し前までは駐車場だったけれど、今はお土産物屋さんの屋台市のようになっている。
 帰る頃にはぼちぼちと店開きをする屋台が出始めて、クスコやウルバンバの谷の「見立て」を説明している「CUSCO AND THE SACRED VALLEY OF THE INCAS」という本が売っていたので購入した。英語版だからいつになったら読むか自信はないけれど、図版は眺められる。

 その後、少しオリャンタイタンボの村を散歩した。この村は、インカ時代の石組みの中に人が住んでいる唯一の場所だ。
 オリャンタイタンボの村もやっぱり全体的に黄土色だった。街は黄土色で、農村部はアドベの赤茶色なのだろうか。

 車に戻って、クスコに向けて出発する。
 ワイポ湖に向かう途中で雪山が綺麗に見え始め、道子さんに頼んで車を停めてもらう。やっとベロニカ山とチコン山くらいは形で見分けられるようになった。
 遠くに見える雪山と手前の滋味豊かな感じの畑のコントラストがいい。ついでに、近くの畑で牛を使って農作業をしているおじさんもこっそり撮影させてもらった。

 途中から未舗装道路に入った。しばらく走ると小高い丘と水が見えてくる。チンチェーロからモライに向かう途中でもとても青い水面が見えていて、それがワイポ湖だ。
 ワイポ湖の横の道路をダニエルは快調に飛ばし、ワイポ湖をゆっくり眺めることなく通過されちゃいそうな気がしたので、道子さんに頼んで車を停めてもらった。

 湖の周りでは種をまく準備をしているようだ。湖の水をホースとポンプを使って汲み上げて畑に撒いている。
 道路に溝を掘ってホースを通し、車にホースを踏まれないようにしている。道路に溝なんて掘ってしまっていいのだろうか。
 畑仕事をしているのは概ね男の人と男の子だった。女の人たちが集団で歩いていて、彼女たちはお昼ご飯を持って来たところのようだ。途中、お弁当を広げている一家を見かけた。
 ワイポ湖も綺麗だし、ワイポ湖畔から遠くに見える雪山とその手前に畑の広がる風景が気持ち良かった。

 ワイポ湖から離れるとだんだ人家が増えて来て、線路沿いの街に出た。かなりにぎやかな街で、道沿いに屋台がたくさん出ているし、学校帰りらしい集団と何組も出会った。アイスクリームを食べている子が多い。制服が違っていたから、きっと三つの学校がその街にはあったと思う。

 クスコの街に到着したのは14時近かった。
 アルマス広場で車を降り、プカラというお店でお昼ごはんを食べる。ビュッフェじゃないメニューのあるお店(ホテルのレストランを除く)でご飯を食べるのは初めてだ。何を頼んでもいいと言うから太っ腹なツアーである。
 周りのテーブルを見ると、結構なボリュームのお皿が並んでいる。野菜スープを友人とシェアし、私はロモ・サルタードを頼んだ。フライドポテトが牛肉やタマネギやパプリカと一緒に炒めてある。
 まだアルコールを飲んで高山病に負けない自信がなかったので、パパイヤとオレンジのミックスジュースを頼む。

 お昼ごはんの後は、アルマス広場の周りを歩きながら両替のお店を教えてもらい、そこで絵はがきも買う。「ホテルのフロントで投函を頼めますか?」と聞いたら答えはノーだった。両替屋さんで切手も売っているらしく、道子さんが聞いてくれる。
 「切手がいいわよね。」と道子さんに聞かれて何のことかと思ったら、国際郵便の値段が上がったためにちょうど良い額面の切手がなく、今は日本の料金別納郵便のようなスタンプが主流だそうだ。スタンプではなくペルーの切手を貼って手紙を出したいわよね、という意味だった。
 その時点で何軒か回っていたので申し訳ない&図々しいと思いつつ、「はい。」と答える。更に何軒か回ったところで、切手とスタンプの組み合わせで売ってくれるお店があった。こんなに切手を買うのが大変ならと、少し数に余裕を見て切手を買った。

 スーパーにも連れて行ってもらう。スーパーが必ずしも安いというわけではないんだけど、ということだった。そこは韓国系のスーパーで、えびせんも売っていた。とりあえずお水だけ購入する。
 アルマス広場からクスコで泊まるホテル・ロス・アンデス・デ・アメリカまでの道筋を教えてもらい、ここからはフリータイムだ。
 今日の夕食はツアーにはついていないけれど、ホテルで1泊目だけは夕食がつくと教えてもらう。ホテルの1階ロビーではセルフサービスでコカ茶が飲み放題だ。

 ホテルの部屋は4階だった。エレベーターがないので4階まで上ったら息が切れた。私たちのスーツケースを持って上がってくれたホテルのお兄さんもかなり大変そうだった。
 4階は屋根裏のような造りで、天井も斜めだし2部屋しかない。その代わり、部屋を出たところにソファセットとダイニングテーブルがあり、雑誌も置いてあって、リビングスペースとして使える。そのリビングスペースからはアルマス広場のカテドラルも望める。なかなか見晴らしの良い居心地の良い場所だ。

 16時を回っていたけれど、お昼ご飯も大量に食べたばかりだし、腹ごなしも兼ねてクスコの街の散策に出た。
 NAO TOURでもらった地図に載っているジャム屋さんに向かう。道子さんには「Miskyのお店だから、スーパーで売っているのと同じものよ。袋入りのジャムが売っているかも知れないけど。」と言われたけれど、地図を見たときから「ここでジャムを買う」と決めていた我々二人には通じない。

 日が暮れて肌寒くなり始めたクスコの街を歩き出す。
 ジャム屋さんはホテルから見てアルマス広場とは反対の方向にあるらしい。街の中心から離れるせいか、何となく街の雰囲気が悪くなっていく気がする。それは言い過ぎにしても、歌舞伎町っぽい感じになってくる。
 この道で合っているのか、行き過ぎたんじゃないかと思った頃にジャム屋さんを発見した。店構えが小さかったし、周りのお店は歌舞伎町系だし、そのジャム屋さんがMiskyというメーカーのお店だと聞いていなかったら多分発見できなかったと思う。

 お店では女の人二人が店番をしていて、ジャムの味見もさせてくれた。「rico(おいしい)!」と言ったら二人に笑われてしまった。巻き舌が全くできない私がRを発音しようとすると、ペルーの人には物凄くおかしく聞こえるらしい。
 お目当てのアワイ・マント(ほおずきのような果物)のジャムは、ソル・イ・ルナホテルで食べたジャムとちょっと味が違ったけれど、勢いで500g入りの袋を購入した。

 そのままお店を出ようとしたら、お店のお姉さん達に「カメラをしまえ。」と言われた。言っている内容はスペイン語だから全く判らないけれど、身振り手振りでそう言いたいらしいことが判る。
 この辺りはあまり治安が良くないんだなと思い、カメラを首から提げたままコートの中にしまう。「これでいい?」と日本語で聞いたら、笑って頷いていた。親切な二人だった。

 アルマス広場に戻り、お土産を探して広場を一周する。お土産物屋さんよりもレストラン、それもイタリアンが多い。お店の前でお兄さん達が呼び込みをしている。
 ソル・イ・ルナホテルの内装にも使われていたタイル製品を売っているラ・マミータというお店を発見があった。セミナリオさんが制作しているセラミック製品のお店だ。
 スイッチカバーや時計やモビールといった室内装飾品、食器、アクセサリーまで売っている。
 外側がカーブを描いて鼓のようなラインの取っ手のないお花模様のついたマグカップを購入した。お店の人はこれ以上はないというくらい丁寧に包装してくれる。

 お店を出ると外は真っ暗で、アルマス広場のライトアップが始まっていた。相当長い時間、私は迷っていたらしい。友人が焦れていたのにも納得する。優柔不断で申し訳ない。
 黄色っぽい暖かい色のライトアップで、とても綺麗だった。三脚を立てるわけにもいかず、何枚もシャッターを押すけれど手ぶれしてしまう。ホテルに戻り、4階からさらに何枚か撮影した。

 お昼も遅かったし、ホテル内のレストランで食べられるので、今日の夕食も20時くらいに食べ始めた。
 レストランに降りると10人くらいの日本人の団体客もいた。割と日本のツアーでも使われるホテルらしい。
 前菜とメインとデザートから一品ずつ頼めるプリフィクスで、私は、アスパラガスのクリームスープ、チキンの焼いたもの、フルーツカクテルを頼んだ。
 スープは野菜の味が生きていて美味しい。鶏肉も、タマネギとパプリカと一緒に塩こしょうで炒めてあるだけなのに、それがとても美味しかった。

 午後になっても頭痛がしなかったことに安心し、昨夜眠れなかったことも忘れて、二人ともアルコールを頼んだ。
 友人はピスコサワー、私はクスケーニャ・ビールだ。四谷のペルー料理屋さんでもクスケーニャ・ビールを飲んだけれど、クスコで飲むクスケーニャ・ビールは一際美味しい。

 

 明日はマチュピチュに向けて出発である。スーツケースは持って行けないので、1泊用の荷物を準備する。
 6時の電車に乗るので5時半にホテルを出ると道子さんに言われている。ホテルの朝食は5時から食べられるそうなので、4時半に目覚ましをセットし、お洗濯もパスして早めに就寝した。

 

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