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2004.12.31

ペルー旅行記8日目

2004年9月24日(金曜日)

 朝6時にロビーで道子さんと待ち合わせする。この日の朝食もマチュピチュに向かった朝と同じ簡易バージョンで、スポンジケーキとクロワッサンとフルーツとコーヒーで済ませた。私としてはこれでも軽いつもりである。

 尾てい骨の痛みも残っているし、4階から重いスーツケースを下げて降りてくる根性はなく、ポーターのお兄さんにお願いする。
 マチュピチュ下山途中でコケたときに骨を折った傘は捨ててしまった。外を見ると普通に雨が降っていて「早まったか」と思う。
 この朝のドライバーは昨日の夜遅くにジャングルから戻ってきたダニエルで、車中を探してくれたのだけれど、やっぱりxdピクチャーカードは発見されなかった。半ば以上諦めていたとはいえ、やっぱり悲しい。

 雨の中を空港に向かう。ロビーはかなり混みあっている。道子さんがチェックインしてくれた。
 そのままロビーの端っこに連れて行かれ、「ここで待っていて。」と言われる。雨のため、リマからクスコに来る(この折り返しに乗る予定だ)飛行機がまだリマを出ていないらしい。
 NAO TOURのお客さんがもう一組、日本人男性の一人旅の方がいて、彼と来ていたペルー人ガイドさんが空港に残ってくれ、私たちはNAO TOURの事務所で飛行機待ちをすることになった。

 車で事務所に戻る途中、道子さんは私たちが泊まっていたホテル・ロス・アンデスで途中下車した。次のお客さんと待ち合わせをしているのだろう。
 そのままNAO TOURの事務所に送り届けられた私たちは、直子さんと、直子さんがやっているペンションのお客さんと一緒にテーブルにつき、NHKの衛星放送など見ながら寛いだ。外は雨が降り続いている。
 空港で一緒になった男性は、一人でトレッキングに来たそうだ。その話が出たからか、テーブルにいた割と年配の男性が、数千メートル級の山に登った話など披露してくれる。

 馬と一緒に行くから登りは馬に揺られていればいいけれど(それだけでも結構な体力を消耗すると思う)、急な下り坂ではとても馬に揺られているどころではなく、歩く必要がある。
 急すぎて馬で下れないような山道を自分の足で下っていくと、あっという間に膝をやられてしまうそうだ。
 それでも引き返すこともできず、とにかく進むしかないらしい。

 日本茶を煎れていただき、犬と遊んだり、お酒を持っていると手荷物検査も厳重になるしスーツケースも開けられるという話を聞いたり、名前を忘れてしまった果物をご馳走になったり、旅のメモを書いたりして過ごす。
 トレッキングの彼は、今日はクスコからリマ、そのままナスカの地上絵の1日ツアーに行く予定だったらしい。この遅延でナスカの地上絵には行けないことが確定し、「頼むから夜の帰国便には間に合って欲しい。」と呟いていた。

 パンフレットで旅程を見たときに、クスコに向かう前ではなく旅の最後にリマの観光とフリータイム(ナスカの地上絵ツアーはオプショナルで申し込んだ)があるのは何故だろうと疑問だったけれど、ここに来て納得した。
 「リマークスコ間の国内線はちゃんと飛ばない」という前提で組んであるのだろう。
 実際に今年の8月にはストで国内線が飛ばない日もあったらしい。
 そうこうしているうちに雨は降り続いているものの空が明るくなってた。雨も止み、空港に残ってくれたスタッフから「飛行機がリマを飛び立った」という電話が入った。直子さんに見送られて再び空港に向かう。

 セキュリティチェックを受けて搭乗口へ向かおうとしたら、私の手荷物が引っかかった。
 そんな怪しいものは入れていないはずなのにと思っていると、係員のお兄さんが「英語しゃべれる?」と聞く。「少しだけ。」と答えると、一瞬困ったような顔をして「Metal?」と聞いてきた。金属??? 
 ハタと思い当たって、S字フックを取り出してお兄さんに渡す。そういえば持参したS字フックははステンレス製だ。ためすがめすしていたものの、危険なものではないと判断されたらしい。「OK.」と返してもらった。

 飛行機はまだ到着しておらず、搭乗口のサテライトの先は空っぽだ。
 何軒かお店もあるものの、長く時間潰しできるほどの品揃えではない。インカクロスのアクセサリに少し魅かれたけれど、銀はすぐ黒くなってしまうので諦める。
 そのうち搭乗のアナウンスがあり、リマから飛んできた飛行機は点検も給油もしないままとんぼがえりする勢いで、定刻の2時間遅れで離陸した。
 リマまで1時間くらい熟睡した。

 リマ到着は11時過ぎくらいだった。空港を出たところでリマでのガイドである秋田さんと会う。
 リマ市内観光の予定も2時間ほど押している。このまま直行すれば衛兵交代が見られるということで、ペルー政庁に向かった。

 衛兵交代は12時からで少し時間があったので、アルマス広場を歩いた。この広場をカテドラルや大統領府、市庁舎が囲んでいる。
 今の大統領がリマ市長だったときに大統領だったのがフジモリさんで、その時代には市庁舎のベランダにある大砲は大統領府に向けてセットしてあったそうだ。フジモリさんが海外に出てしまうと「敵はいなくなった」と言って定位置に戻したそうだから、相当嫌っていることは確かなんだろう。

 ペルー政庁で衛兵交代が始まった。「1mくらい柵から離れなさい。」と言われる。でも、カメラを構えていると柵の近くまで寄って行っても全くOKなのが謎である。観光客へのサービスなのだろうか?
 何となく調子の外れた楽団が演奏している。この曲聴いたことがあるけど何だっけ? と思って聞いたら、友人にあっさりと「コンドルは飛んで行くじゃん。」と言われた。言われてみれば確かにその通りだ。

 旧市街をぶらついて博物館に行きたいというトレッキングの彼とはここで別れた。
 彼の荷物を載せたまま(出発までペンション・カンツータで預かる約束ができていた)、車は教会の多い地域の細い道を走る。ピンク色の可愛い教会や黄色の教会など、本当にたくさんの教会を見た気がする。
 我々は、シーフードレストランでランチである。

 友人が白ワイン(チリワインだったらしい)、私はpilsenというビール、秋田さんはチチャ・モラーダを頼んだ。
 まだ飲んだことがなかったので、お言葉に甘えてチチャ・モラーダの味見をさせてもらう。ムラサキトウモロコシのジュースで、見た目はグレープジュースをドロっと濃くさせたような感じ。見た目よりもさっぱりした味だ。
 「ペルーのワインがなくて残念でしたね。」という話から、イカ・ワインの「TACAMA」という銘柄が美味しい、ピスコでは「サン・アントニオ」という銘柄が美味しい、ピスコサワーにしては勿体ないから自分はロックで飲んでいる、などと教えてもらう。

 お料理は、秋田さんに適当に頼んでもらった。このツアーは、ごはんのメニューが予め決められていないところが良い。
 定番のミックストのセビッチェに、ウニのレモン〆、かに玉(中華風のあんかけではなく炒め物)、シーフードのチャーハン、四谷のペルー料理屋でも食べたトウモロコシのスナックがお通しのような感じで出てきて、あと1、2品あったと思う。
 お酒を飲みながら、ゆっくり時間をかけて信じられないくらいたっぷりとしたランチをいただいた。

 リマは、湿度がもの凄く高いけれどもその分だけ暖かく、海の幸が美味しい。今回は天野博物館にしか行けないけれど博物館も充実している。クスコに比べて暮らしやすいそうだ。
 秋田さんは山登りやパラセーリングなどもするそうで、山系のガイドが必要になると声がかかると言っていた。
 マチュピチュでウエディング写真を撮ったという話から、「マチュピチュでお会いしましたよね。」「ああ、あのとき道子さんと一緒にいたお二人ね。」「ソル・イ・ルナホテルで夕食のときにも会ってるよ。」と話が弾んだ。

 その後は、パラセーリングで一緒に飛びましょうという話になり、恋人達の公園に向かった。
 公園は海沿いの崖っぷちにあって、隣の空き地には、大勢のパラセーラーが集まっていた。今は平日の昼間だぞと思ったけれど、リマではいい風が吹いているとなれば仕事を放っておいて集まってくるのは普通のことだそうだ。

 今はまだ風が弱いなどとおっしゃりつつ、秋田さんは私たちを置き去りに飛ぶ準備を始めている。
 これは太平洋なのね、ずーっとまっすぐ行けば日本に着くんだなぁと思う。
 ペルー人の少年にスペイン語で話しかけられ、「判らないの、ごめんね。」と日本語で言いつつ記念撮影などしている間に、秋田さんが飛んでいた。風がないと言いつつ、結構遠くまで行ってしまう。
 戻って来られるのかしらと思っていると、途中でUターンして飛び立った場所に着地していた。ある程度風がないとタンデムは難しいらしく、飛ぶのは次の機会ということになった。残念である。

 改めて隣の恋人達の公園に行く。今の大統領がリマ市長だったときに作った公園だという。
 公園のど真ん中に抱き合っている恋人同士の巨大な像がある。日本じゃ無理だなという名所だ。
 その像は、グエル公園のようなタイルで飾られてカーブを描いたベンチに囲まれている。ベンチの背もたれや座面にはスペイン語で詩が書かれている。
 そのいくつかを「直訳だよ。」と言いつつ秋田さんが訳してくれたところによると、思いっきりセンチメンタルな愛の言葉が書き連ねられてあるようだ。
 「これって誰が書いたんだろうね。」「工事の人が勝手に書いたのかも。」などと言い合い、「女二人じゃあねぇ。」と言いつつ写真を撮ってもらった。

 15時半から天野博物館の予約が取ってあった。
 住宅街の少し奥まった路地に面して博物館はある。特に目立つ看板も出ていないし、そもそも普段は門が閉められていると思われる。
 アルマス広場で別れたトレッキングの彼も、K社の別ツアーに参加していたらしい女の人も自力でたどり着いていたけれど、私一人だったら無理だったと思う。タクシーの運転手さんも探してぐるぐる回っていた、という話だ。

 入口で名前をチェックしてもらい、サイン帳に記名する。中に天野博士だと思われる人の写真が飾られているのが見える。
 15時半は日本語による説明の回で、お客さんはほぼ全員が日本人だった。30人くらい集まっていただろうか。
 博物館のスタッフによるツアーの最初に、全員に対してペルーの地図と年表を元に、ペルー史のアウトラインの説明をしてくれる。
 チャンカイ文化に着目して調査・研究を始めたのは天野博士が初めてだったこと、インカ帝国の文化はそれまでの数々の文化の土台の上に作られていること、説明の女性がスペイン人を憎んでいることがよく判る。「今でも私、悔しいんですけど。」とスペインの侵略について説明してくれた。

 その後、二手に分かれて説明を聞いた。私が入った方のグループは、土器の部屋から説明が始まった。
 空いているときには手にとったりできるようで、すべて開閉可能なガラスケースに入っている。今日は大勢いるせいか、そういう雰囲気ではない。残念だけれど、仕方がないだろう。

 チャンカイ文化は白黒の文化だったこと(あまり赤く塗られた土器などはない)。
 障害者をモチーフにした像や壷などがあり、この頃には「人は平等である」という意識がすでにあり障害者も大切にされていたと伺えること。
 ペルー原産のジャガイモや唐辛子といった植物をモチーフにした壷も多いこと。
 ペルーには何百種類というジャガイモがあり、説明してくれた女性は(多分農業研究所のようなところで)そのうちの数十種類を食べたこと。
 お魚をモチーフにした像もあり、ペルーの魚介類は美味しくて特にヒラメがお勧めなこと。
 この時代の土器は非常に素朴で色遣いも少ないけれど、どの時代の壷よりも早くチチャを発酵させることができること。
 次から次へと説明してくれる。

 技術的にこの時代は非常に高度なものがあって、入口に置いてある壷は底から直角に立っている。底を直角にする技術は他の時代にはほとんど見当たらないそうだ。その壷はガラスケースに入っていなかったので、内側に手を伸ばしてしっかり触ってみたりした。

 次は織物の部屋である。壁にポンチョのような「一切カットしていません」という織物が飾られていたり、顕微鏡が置かれたりしている。
 その顕微鏡はビーズに糸を通すところが拡大されていて、そんなに細い穴に糸を通す技術が400年前にあったなんて信じられない! というレベルの精密さだと説明がある。

 案内のお姉さんの専門は織物らしく、土器の部屋よりもさらに熱心に説明してくれる。
 お客さんの中にも織物を研究しているという方がいらして、専門的な話で盛り上がっている。よく判らないなりに、そんな話を聞いているのも楽しい。

 お姉さんは旅行で立ち寄った天野博物館所蔵の織物に魅せられて何日も通い詰め、そのまま定住して半年後には説明のボランティアを始めていたそうだ。
 ペルーの織物を集めれば世界各地のありとあらゆる織物の種類をカバーできると言われるくらい、様々な織物があるという。
 また、チャンカイ時代のお墓からは、王様から庶民まで等しくしっかりとした織物の服を着て出土しているそうで、庶民にまで行き渡っているということがチャンカイ時代の文化と生活の豊かさを証明しているのだ、と力強い説明がある。

 絣のような布もあり、「この渋さを理解できるのは、チャンカイの人と日本人だけじゃないか。感性に相通じるものがあるのではないか。」とお姉さんが一際熱心に説明していた。
 またキープの実物もあった。今はその読み方は失われて久しいけれど、キープでかなり色々なことを表現できていたらしい。

 天野博物館の展示室は土器と織物の2室のみで、この2室を1時間かけて説明してもらった。 
 スーベニアショップでは、かなり迷った。この博物館は入場無料なので、入場料と寄付を兼ねて何か買いたいし、また秋田さんからもお買い物が推奨される。
 結局、土器の紋様の魚拓(サルカニ合戦のような意匠が浮き彫りになっている)を1枚買うことにした。もうちょっと安かったら何枚も買ったのだけれど仕方がない。確か20ドルくらいだったと思う。

 これでリマ市内観光は終了だ。博物館で会ったお二人も一緒にペンション・カンツータに向かった。
 天野博物館も判りにくいところにあったけれど、初めて明るい時間に行ったペンション・カンツータも相当に判りにくい。看板も出ていないし、表札も出ていないし、外観がペンションらしかったりお土産物屋らしかったりもしない。

 前に泊まったお部屋は深夜着早朝発の人専用だったようで、今回はお土産物屋を抜けた先の3階のお部屋に案内された。今日は宿泊客が2組だけだそうで、ベッド3つのトリプルルームだ。隣にトイレ兼シャワールームがあって、奥にはテレビとソファのあるスペースがある。
 しばし休んだ後で、近所にあるスーパーマーケットに出かけた。大きな荷物は入り口で預けなければいけないそうなのでリュックは置いて行く。
 帰りの目印(柵があるのはうちだけよ、と言われた)とインターフォンの位置を教えてもらって出発である。

 ショッピングセンターと移動遊園地っぽいけれども恐らくは常設の遊園地の横を通り抜けると、その奥に巨大なスーパーマーケット「e-wong」があった。
 入ってすぐのところでお総菜やアイスクリーム、パンなどが売っている。
 少し奥に入ると普通のスーパーマーケットらしい陳列状態になる。

 日用品の棚でコカの歯磨きを友人が探していたけれど見つからなかったらしい。
 スパイスの棚もあって買おうかと思ったけれど、スペイン語会話集を置いてきてしまってニンニクしか判別できなかったので諦めた。
 響子さんが言っていたとおり、お菓子は外国製品がほとんどだった。「スーパーでペルー土産を買う」のはちょっと難しいようだ。

 何より凄かったのは生鮮食品で、お魚は砕いた氷の上に姿のままどんっと置いてある。中には熱帯魚のように綺麗なブルーのお魚もある。
 野菜売場ではジャガイモが何種類も何種類も並んでいる。パパイヤも何種類も売っている。恐らくキロ単位で書かれていると思われる値段も嘘のように安い。りんごなどの日本でも見慣れた果物も売っている。
 結局、ミネラルウォーターだけを買って、もうすっかり暗くなった頃にペンション・カンツータに戻った。

 併設のお土産物屋さんである「ポコ・ア・ポコ」でお土産を探していたら、お夕食に呼ばれた。
 ダイニングスペースには、今日はナスカまで陸路で行ってきたという響子さんがいた。秋田さん、早内さんご夫婦、仕事で長期滞在しているらしい男性がいて、食卓のメンバーはこれで全員だ。

 食卓には完全手作りの和食が並んでいた。お蕎麦があり、天ぷら、ウニのお刺身があり、お漬け物が山盛りである。ビールは? と聞かれたけれど、ごはんがついた完全和食だし、ダイニングテーブルを囲んで完全に「団らんの夕食」という感じだったので、遠慮する。
 デザートにマンゴーが出てきて「時期じゃないんだけど。」と早内さんが言うのを聞き、今までホテルやレストランでお目にかからなかった理由がやっと判った。

 響子さんと秋田さんは早々に食べ終えてお客さん達を送りに空港に向かい、早内さんが翌日の予定をクスコに電話して確認してくれて、明日は朝6時に出発と言われる。朝ごはんは5時半だ。
 その後、お風呂を勧めてもらう。ペルーに来てバスタブでお湯につかるのは初めてで、「やっぱり日本人はお風呂だよね。」と言い合いつつ、のんびりゆっくりさせてもらった。

 窓から入ってくる車のクラクション音が結構大きいのを気にしつつ、明日のナスカの地上絵に備えて0時くらいに寝た。

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2004.12.30

非常食(?)の買い出しをする

 2005年1月1日(つまり、明後日だ)の正月パスの旅は、朝9時から夜11時半まで電車に乗りっぱなしの予定だ。
 今年のお正月にほぼ同じルートで旅をした人のホームページを見ていたら、19時に秋田駅の駅ビルはすでに閉店していて夕ご飯にありつき損ねた、と書いてあった。私は「こまち」でその日のうちに帰ってくる予定だけれど、その人は寝台特急で都内に戻ったらしいので、それはかなり深刻だったろうと思う。
 ここのところ新幹線に乗っていないので(5年前くらいに大阪に新幹線で行ったのが最後ではなかろうか)、新幹線に車内販売があったかどうか、あったとしてそれは1月1日も営業するものなのかどうか、今ひとつ確信が持てない。
 問い合わせてみればいいのだけれど何となく面倒で、近所のスーパーに非常食(?)代わりのお菓子を買い出しに行って来た。
 大掃除も昨日と今日で一段落したので、明日は料理教室で習ったばかりのきんとんを作って、ついでにケーキを焼こうと思う。ケーキが余ったら、それも非常食にしよう。

 それにしても、明日から明後日にかけて、東北から関東の太平洋沿岸は荒れ模様の天気で、積雪もけっこうあるらしい。電車がちゃんと動いてくれるといいのだけれど・・・。

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2004.12.28

「アフターダーク」を購入する

 今日、仕事帰りに本屋さんに寄り道した。
 来年の正月パスのお供にする本を探しに行ったのだ。
 宮部みゆきの「日暮らし」、恩田陸の「黄昏の百合の骨」、「ハウルの動く城」の原作、と悩んで、でも村上春樹の「アフターダーク」を購入した。発売直後に店頭でパラパラめくってみたときに、あまり得意ではない感じがしていたので、こういう機会がないとなかなか自分からは読まないだろうと思ったのが、最終的に選んだ理由である。
 1月1日が楽しみだけれど、その前に大掃除をしなくては!

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2004.12.27

ペルー旅行記7日目

2004年9月23日(木曜日)

 この日は1日フリーのところ、オプショナル(8500円)でクスコ市内と近郊の観光をつけてもらった。ガイドが引き続き道子さんだったのが嬉しい。

 8時出発だったので、7時くらいに朝食を食べに行く。一昨日は朝食のレストランが開いたばかりのところに行ったから、実はメニューの半分も出ていなかったらしい。そのときは出ていなかった温かいもの(スクランブルエッグ、ジャーマンポテトみたいな料理など)があるし、オムレツも焼いてくれる。嬉しくなって、色々な具を入れてもらってオムレツを頼んだ。
 明日リマに戻る飛行機は朝早いので、この日が唯一、ホテル・ロス・アンデスの朝食を堪能できる日である。

 ロビーに出ると、PCが空いていた。一昨日出したはがきはどう考えても友人の誕生日に間に合わないので、二人でメールを送ることにした。
 電源を入れたらWin98だった。それなら特にパスワードを入れなくてもネットワークにつながるだろう。
 IEを起動し、Webメールに接続するサイトのトップページに行くと日本語が表示された。調べてみると、日本語変換ソフトがインストールされている。流石に日本人観光客の姿をたくさん見かけたホテルだけのことはある。

 しかし、ログインし、メールを書こうとしてハタと手が止まった。どういう操作をしたら日本語入力できるようになるのかが判らない。当たり前だけど半角/全角キーなんてものはキーボードのどこを見てもない。
 結局、ほとんどローマ字、「Happy Birthday!」だけ英語の情けないメールになった。まぁ、気は心である。

 道子さんの顔を見るやいなや、「カメラの媒体をなくしたんです!」と訴え、ここのホテルのフロントに確認し、サンクチュアリロッジに電話をかけてもらった。どちらにもそういう忘れ物は届いていないらしい。あとはダニエルの車の中なのだけれど、今彼はジャングルに行っていて、今日の夜中にならないと帰って来ないという。
 私が使っているカメラはxdピクチャーカードなので、媒体はケースに入れてもかなり小さい。
 道子さんに「ペルーではまだデジカメとかが一般的になっていないし、ケースも小さいし、ごみと間違えて捨てられてしまったかもしれない。」と言われる。多分彼女にはこの時点で忘れ物は出てこないと予測できていたのだろう。今ならそれが判る。

 打てるだけの手を打ってもらい、観光に出かけた。
 まずは、クスコ近郊のサクサイワマンの遺跡だ。
 ピサックに向かった日に、子供たちがマスゲームのような模擬インティライミのようなことをしていた場所である。もちろん夏至の日には本物のインティライミが行われる。
 今年のインティライミには雨が降ったそうだ。ペルーも天候不順なのかもしれない。

 昨日のマチュピチュ下山途中にコケたのが響いて、足を大きく動かすたびに尾てい骨が痛い。
 この時期にマチュピチュで雨が降るなんて、ここ十数年で一度もなかったことらしい。あまりにも私が「痛い」と繰り返すのに辟易したのか、道子さんに「得がたい経験をしたのよ。」と言われたけれど、そもそもマチュピチュに来たこと自体がものすごく得がたい経験である。得がたさはすでに十分だから普通に雨じゃない日に(晴れた日に、なんて贅沢なことは言わない)マチュピチュにいたかった、と思う。

 とにかく、サクサイワマンだ。
 この遺跡は、ものすごく騒がしかった。
 今日は「学校の日」で、遠足に行ったり運動会をしたりする日だという。石組み以外はだだっ広いサクサイワマンの遺跡は子供たちの遊び場と化していた。ボールを持ってきてサッカーをしている子もいるし、一枚岩の筋を滑り台に見立てて繰り返し滑っている子もいる。「僕たちを撮って!」と身振りで言われ、写真のモデルになってもらったりもした。
 ペルーはそんなに強くはないけどサッカーが人気らしい。アルゼンチンのチームに勝ったクスコのクラブチームが、それ以降国内で負け続けていて、昨日やっと勝てたそうだ。

 サクサイワマンの遺跡は、とにかく広い。広場を囲むように巨石の石組みが波打って続いている。
 スペイン人への反逆を企てたマンコ・インカがここに布陣し、クスコに迫ったそうだ。けれどもインカ軍は夜は闘わないのでその隙をつかれて負けてしまい、この遺跡も大部分が破壊されてしまったらしい。
 そのときに破壊された塔の土台だという円形に組まれた石組みも残っている。その足下からでもクスコの街が一望できるのだから、ここに更に塔が立っていれば作戦を立て戦うために十分な見晴らしが確保されたことだろう。

 うねうねと続く石組みは私の身長の2倍を越す巨石が使われていたり、キューブ上の石を緻密に積み上げてあったり、インカの二重の門も残っていて、戦いの跡の場所なのに、気持ちの良い遺跡だ。
 その他にも、大きな石をそのまま削って階段状にしてあったり、マチュピチュのコンドルの神殿のような感じに上下逆の階段状に刻まれた岩があったりする。
 色々な話を聞きながら、ゆっくりと1時間以上も楽しんだ。

 遺跡を遊び場代わりにしているのはサクサイワマンだけではなく、どこの遺跡でも岩の上を飛び跳ねたり岩の下を潜り抜けたりしている子どもの姿があった。
 サクサイワマンの遺跡からすぐのケンコーでは、そうしてボール遊びをしていた女の子達と一緒に写真を撮ったりもした。

 ケンコーの遺跡は、岩を削って作られている。
 大きな石に水路がジグザグに彫られていて、蛇を象っていると言われているという。水路と書いたけれど、地球の歩き方によると、ここは宗教儀式に使われた場所で、水ではなく生贄の血を流したとも言われているらしい。
 また、石畳として敷かれた石に、リャマの形が彫られたりしている。
 足下の岩は掘り抜かれていて、下を歩いている人の姿が時々見える。降りてみると、体を横にしてやっと通れるくらいの通路が切ってあり、捧げ物を置くような棚も削ってあった。

 奥の方から見ると、この遺跡が一枚岩を掘り出したものだということがよく判る。どうも、こちら側が元々は表玄関だったのではないかと思われる。大きめの岩をモニュメントのように立ててあり、そのモニュメントと遺跡を眺められるような位置に王が座ったと言われる岩(きちんと椅子として座れるように削ってある)がある。
 もちろん、できるだけ偉そうに座って写真を撮ってもらった。

 タンボマチャイは王の水浴場として使われていた場所である。
 タンボマチャイを訪れる前に、インカ王が水浴びしている間の見張り場とされていたと言われるプカ・プカラという遺跡に行く。サクサイワマンやケンコーの石は、グレーの石だったけれど、この遺跡は赤い。アドベの色だ。
 この遺跡は明らかに臣下用の実用的な場所で狭い。でも、少し高くなっていて、王の水浴中に周りを見張るには絶好の場所だということが判る。

 プカ・プカラからタンボマチャイの水浴び場は見えないけれど、タンボマチャイに行くとプカ・プカラの遺跡の頭の部分が見える。
 バス1台分の日本人観光客が先着していて、彼らがかわるがわる写真を撮っているのを眺めながら、どうやってタンボマチャイにいる人とプカ・プカラにいる人が信号を送りあったんだろう、という話になった。
 友人は叫んだのに違いない、と言う。私は糸電話を使ったんじゃないか、弓矢で矢文を送ったんじゃないか、と言ってみたけれど、誰の賛同も得られなかった。
 道子さんによると、インカの人々は少なくとも弓矢という武器は使わなかったらしい。

 道子さんが「ほら。」と指差した先にフィコがいた。昨日は女の子の二人組をマチュピチュで案内し、今日は別の団体を連れてクスコ近郊を案内している。日本語がしゃべれるガイドさんが足りないというのは本当らしい。
 今年の8月と9月は今までにない人数の日本人観光客がペルーに来たそうだ。聞いてみたら、昨日の二人を朝空港まで送り(それを知っているということは道子さんも今朝空港にいたということだ)、リマから来た団体をそのまま案内し始めたらしい。忙しすぎる。

 フィコが「足は筋肉痛になっていない?」と聞いてくる。何故か今日はスペイン語で質問し、道子さんが通訳してくれる。正直に「足は痛くないけど尾てい骨が痛い。」と日本語で答えたら、道子さんは丁寧にスペイン語に訳してくれたみたいだ。
 彼らが出発してから、水浴び場に近づく。今も水が湧いていて、その水源がどこにあるのかまだ判っていないそうだ。
 ちょうど神殿の下に水浴び場があるような形で、段々に上の方から流れている。今でもかなりの水量があるのが不思議である。

 ケンコーの遺跡から白いキリスト像が見えていた。「行ってみますか?」と聞かれたので、もちろん連れて行ってもらう。
 そばに行って見ると、そのイエス・キリストはとてもとても太っていた。きっとクスコ市街から見たときに存在感があってバランスがいいような体型になっているのだろう。
 遠目には真っ白なキリスト像も足元はフェンスで囲まれ、何となく薄汚れている。
 キリスト像のところに車が1台到着してその車から子どもが降りてきたのを見て驚いた。後から後から何人も何人も降りてくるのだ。最初の一人が降りるところを見逃したので数えられなかったけれど、10人は超えていたと思う。もちろん運転手は大人だし、車は普通のバンだった。一体どうやって乗っていたのだろうと思う。

 正午くらいにクスコ近郊の遺跡巡りを終えて、クスコ市街に戻った。
 まずは、太陽の神殿に向かう。学校がお休みのせいか、太陽の神殿周辺に学校があるせいか、アイスクリームをなめなめ歩いている小・中学生の姿が目立つ。
 単純に土台の部分がインカの神殿、建物の壁とか床とか天井とかの部分が教会、と思い込んでいたので、インカの石組みとキリスト教会の壁とか入り組んでいる状態がよく掴めない。
 教会では、インカの石組み部分は写真撮影OKで、教会部分は撮影禁止というのも面白かった。
 私たちはインカの石組みを見るために観光スポットとして入場しているけれど、キリスト教徒の人にとってはこの教会は現役の教会である。

 「この石はこの教会の石組みを構成する中で一番小さい石だ。」「人があまりにも触るから黒ずんでいるんだ。」と道子さんに説明してもらったときには気をつけていたのに、「この穴はここを直角に曲がって向こう側に抜けている。」と聞いて、ついその穴に指を入れて試してしまった。道子さんに「ここは触っちゃいけないのよ。」とやんわりと注意される。申し訳ない。
 この教会にも、マチュピチュの太陽の神殿のようにカーブを描いた石組みがあり、それも見に行く。その石組みは外壁にあって、下は緑の公園のようになっている。今は芝生が植えてあるだけだけど、スペイン人が来た頃は黄金で作られた動物の像が飾られていたと言われているそうだ。

 太陽の神殿から十二角の石まで歩く間中、「靴を磨かせて。」と言う少年に目をつけられることになった。私の黒い革のハイカットシューズは、昨日のマチュピチュ登山(というよりも下山)のときに思いっきり汚れていたからだ。一応「靴磨きティッシュ」を持っていたのである限りのティッシュを消費して靴を拭いたけれど、そんなものでは追いつかないくらい、白茶けた靴になっている。
 一瞬「こんなに声をかけられるんだったら磨いてもらおうか」と思ったけれど、磨かれ終わったときの靴の状態に今ひとつ確信がもてなかったのでやめておいた。

 十二角の石は、細い通りにあった。「見つけにくい」とガイドブックには書いてあったけど、妙な民族衣装のおじさん(どうも石に人が触らないように見張るのが役目らしい)が番をして近くに控えていたので、どこにあるのかすぐ判った。探す楽しみが減ってしまったような、変なおじさんに会えて面白かったような、妙な気分だ。
 十二角の石は、周りと比べると大きかったけれど、何ていうかやっぱり感動がなかった。石組みは細かくて隙間もなくて精緻だけれど、十二角だからという感動はなかったような気がする。これまでに「凄い!」と思わず言ってしまうような石組みを見てきたからかも知れない。

 その後、歩いてアルマス広場まで戻った。
 道子さんと広場を一周して、黒板に書かれているレストランの定食メニューがお勧めで安いことを教えてもらい、プカラの通りにアンティークの布を使ってオリジナルのバッグなどを売っているお店があることを教えてもらい、そこのおばさんにお店が何時まで開いているか聞いてもらう。
 「大丈夫?」という問いかけに、自信はないながらも「大丈夫。」と返して、今日の夕食に変更してもらったフォルクローレディナーショーの待ち合わせをホテルのロビーで19時と約束し、道子さんと別れた。

 もう13時を回っている。お腹が空いていたので、お昼ご飯を食べることにする。
 アルマス広場を一周してお店を探したけれど、何故かピザ屋が多い。ペルーまで来てイタリアンというのも何だかしっくりと来ない。
 芸のないことだけれど、昨日もお昼ご飯を食べた「プカラ」に行った。「ランチの定食は安くて美味しい」と教えてもらったけれど、プカラの今日のランチはオムレツで、ペルーまで来てオムレツを食べるというのも何だかしっくりと来ない。
 色々なものを食べたいので、友人と二人で3品とってシェアした。アボガドのサラダと、コロッケと、アンティクーチョの盛り合わせである。高地にも慣れてきた(気が緩んできたとも言う)ので、昼間からクスケーニャビールも頼む。

 コロッケはマッシュポテトの中にひき肉を炒めたものを入れて揚げてある。かなり大きい。マッシュポテト自体に味がついていて美味しい。
 アボガドのサラダは、アボガドの種を除いて、そこに(多分)ツナをベースにマヨネーズで和えたサラダが入っている。
 アンティクーチョの盛り合わせは、定番のハツと、お魚(多分、鱒だと思う)、あともう1本が鶏だったか牛だったかよく覚えていない。全部美味しくて、お腹いっぱいになりながらも完食した。

 そのまま次の予定を相談する。久々に地球の歩き方を取り出した。
 私は「カテドラルに行って、銀の祭壇と、クイを食べている最後の晩餐が見たい!」と希望し、友人は「ビエンナーレ美術館が見たい!」と希望する。とりあえず、その2ヶ所に行くことになった。

 まずは一番近いカテドラルに向かう。正面入口の扉が閉まっていてどこから入ればいいのか一瞬迷ったけれど、向かって左側の建物の入口に椅子に座っているおじさんがいた。
 「地球の歩き方」には、クスコとその近郊の共通チケットで入れると書いてあったけれど、カテドラルを含む3ヶ所が共通チケットから脱退して別の共通チケットを作ったらしい。私たちは他の2ヶ所に行く予定はなかったので、カテドラルだけの入場券を買う。

 中に入ると、石造りの建物はしんとして寒い。ヨーロッパ人(推定)の団体はいるけれど、日本人はいなさそうだ。響子さんも言っていたけれど、欧米人は教会が好きで、日本人はインカが好きなんだろう。
 カテドラルの中はかなり立派で、天井も高く、細かい細工の施された山車のようなものがいくつもいくつも飾られている。写真を撮れないのが惜しい。本当に見事な細工だ。

 カテドラルの中央部分に入り銀の祭壇を目にして、「銀300tを使って作られた」とガイドブックで読んでいたものの、やはり唖然としてしまった。
 その銀の出どころはもちろんインカ帝国で、スペイン人が「銀持ってこい」と言ったら本当に持ってこられて驚いた、というエピソードつきだ。確かに馬鹿馬鹿しいほどの大きさで、流石に近寄れないように柵があったけれど、かなりきらびやかに飾られていて、多分誰かが毎日磨いてピカピカにしているのだろうと思う。
 信者の人が座る席のできるだけ端っこに座り、しばし呆然と眺める。こんなに大量の銀をあっさりと持って来られてしまったら、そりゃあ征服熱も高まるよ、と思う。

 いつまでも呆然と銀の祭壇を眺めているわけにもいかない。さらに先に進もうとしたところで、祭壇の脇に「最後の晩餐」の絵を見つけた。「最後の晩餐」と言えばレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が思い浮かぶけれど、それとはかなり違う。
 まず縦横の比率が違った。最初からこの場所に飾られることを予定していたのか、やけに縦に長い。その壁の位置にピタリと収まっている。
 さらに異なっているのは「最後の晩餐」のご馳走で、話に聞いていたとおり、仰向けにひっくり返ってこんがり焼かれたクイがテーブルの中央に載っている。とはいうものの、必死で思い出そうとしても、教科書にも載っているレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で何を食べていたのかどうしても思い出せなかった。

 後になって調べたら、そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」はつい最近まで洗浄を行っていて、晩餐のメニューが何なのか判っていなかったらしい。聖書のストーリーからしてパンとワインが食卓に上っていたことは確かだ。私が子どもの頃ミラノで見たり、教科書に載っていた絵からはその程度しか見て取れなかったと思われる。
 最近の洗浄で、最後の晩餐の食卓には魚料理があったと判ったそうだ。イエス・キリストも動物性たんぱく質を食べていたのね、と思う。

 クスコの「最後の晩餐」の絵はかなり鮮明で、ご馳走のクイもテーブルのど真ん中に載せられていて、見間違えようがない。
 ちょうどよく絵を眺められる場所に置かれたベンチに座り、「この絵はスペイン人画家が描いたのか、ペルー人画家が描いたのか」という話になった。「宗教を広めるために宗教画家をスペンから連れて来たに違いない」と推測したけれど、後で道子さんに尋ねたところ、描いたのはペルー人画家だそうだ。メインディッシュも、クイだという説と、あのマチュピチュにいたあのウサギネズミだという説とがあるらしい。

 「最後の晩餐」も堪能して出口に向かう途中、地下への階段があった。電灯も煌々と輝いている。カタコンベなのではないかと恐る恐る降りてみたら、地下には白い壁の小部屋があるだけだった。ちょっと肩透かしを食った気分で1階に戻る。

 

 1階に戻った正面に、コートを着込んだお姉さんがPCと一緒に立っていた。近づいてみると、クスコ周辺の遺跡や風物を納めたCD-ROMを売る屋台(?)だった。
 このときには、デジカメのカードは戻って来ないだろうと覚悟も決まっていたので、デモ版の映像でマラスの塩田やモライの遺跡が納められていることも確認できたし、何より日本語版があったので購入した。
 もちろん、購入前に「Macintoshでも見られる?」と確認する。まだ見ていない。お姉さんにきちんと質問の意図が通じていることを祈ろう。

 次に美術館に向かった。カテドラル脇のかなり急な坂道を登って行くと、その中腹の曲がり角に、布をたくさん置いてあるお店があった。まるで招かれているように開かれたドアに「入ってみようか。」と入り込み、二人してハマった。
 広めの店内に、新品とアンティークの布やバッグやベルトが、所狭しとでも整然と並んでいる。値札がないのが気になったけど、物が良いのは完全に素人の私にも見て取れた。

 最初はベルトを見たり、お土産を探したけれど、90cm四方くらいの正方形でブルーを基調にした布に一目ぼれし、本気買いに走ってしまった。
 お店自体も木の床と木の壁で、天井が高くて斜めになっていて、なかなか趣がある。店主らしいおじさんもひげを伸ばしてそれらしい感じで、なかなか味がある。
 バッグを見ていた私たちに「それは自分が作ったんだ。」と多分スペイン語と身振り手振りで話しかけてそのままどこかへ行ってしまう。

 ベルトを見ていると、「それはアンティークだ。でも、アンティークと言っても100年も昔のものではない。30年とか50年前のものだ。」と教えてくれる。多分これは英語で教えてくれたんだと思う。要するに私たちとおっつかっつの英語力である。
 ベルトの模様についても色々とスペイン語で説明してくれようとするけれど、私たちにはちんぷんかんぷんだ。そこに、たまたまお店に一人旅の日本人の女の子が入ってきて、彼女がスペイン語を話すことが判ると、彼女を通訳にして教えてくれようとする。おじさんは、来年にはこのお店を発展させて博物館のようにしたいと考えているそうだ。

 思いついてスペイン語会話集を出してみたけれど、載っている単語が少ない。おじさんが伝えたい単語は悉く載っていなかったらしく、しまいには本を取り上げられて投げるマネをされてしまった。
 おまけに、私の発音は明らかにおかしいらしく、おじさんが言ったとおりに復唱しているつもりなのに(それで覚えておいて、後でスペイン語辞書を引けばいいと思ったのだ)、さらに復唱し返され、爆笑される。

 このとき、チンチェーロの市場で買ったベルトを巻いていたら、その結び方がおじさんのお気に召さなかったらしい。そもそも、市場で買ったベルトとおじさんのお店にあったベルトでは長さが全く違う。市場で買ったベルトは一重で巻いて20cmたらすくらいの長さだけれど、おじさんのお店のベルトは私だったら三重くらいに巻けてしまう。その巻き方も教えてもらった。

 結局「化学繊維じゃない」と太鼓判を押され、「ブルー以外は化学染料を使っていない」と保証され、「普通は30cm幅くらいの布を織ってつないであるんだけれど、この布はこの幅で織ってあるんだ」と説明された(と思われる)一目惚れした布と、アンティークのベルトを購入した。
 お勘定の段になったところで、思ったより(というよりも、値段については考えていなかった)高くて、二人ともお財布に買えるだけの現金を持っていなかった。身振り手振りと英語で「ホテルに戻ってお金を取ってくるから待ってて!」と言ったら、どうにか伝わったらしい。「取っておくからね。」とどこかに隠してくれた。

 ホテルに戻り、慌ててお金を用意して、必死で急いでお店に戻ったらおじさんに笑われてしまった。
 無事に購入して、「一緒に写真撮ってもらえる?」と聞いたら残念ながらそれは断られてしまったけれど、おじさんと握手して別れた。

 そのまま坂を上って、当初の目的であるビエンナーレ美術館に向かった。そこは銀行が作った美術館で、中庭にはガラス張りのレストランがあり、かなり洒落た雰囲気のところだ。小さいけれど、ゆったりと収蔵品を展示していて、スペイン語と英語で説明があって、判らないながらものんびり見ることができた。
 プカラの近くの道子さんに教えてもらったお店の閉店時間も迫っていたし、この美術館を巡ったところでクスコの午後は終了だ。

 アルマス広場まで戻りバッグ屋さんに向かったところ、何故か見つからない。「プカラの並びだったよね。」と何度も行き来して探したのだけれど、どうしても見つからない。
 何度も行き来するうちに、どうもこの閉まった扉があのお店なんじゃないかと思われてきて、「あのおばさん、今日は疲れたから早仕舞いとかしちゃったんだよ。」という結論に達した。「このお店はオリジナルの布でオリジナルの小物やバッグを作っている」という話だったし、並んでいたポーチもなかなか良い感じで、お土産用にまとめ買いしようとしていたのに残念である。
 ホテルに戻って一休みし、ロビーで道子さんと待ち合わせた。

 フォルクローレ・ディナーショーのお店はホテルから歩いてすぐのところにあった。お店に入ると、ステージのまん前の席に案内される。
 予約客のテーブルに旗が立てているようで、私たちのテーブルにはもちろん日本の国旗が立っていた。日本人のお客さんが多いんだな、ということがよく判る。
 近くに20人くらいの団体がいて、そこにも日本の国旗が立っていた。その人たちは全員が同じメニューのようで、比べるのも失礼な話かもしれないけれど、小回りの効く旅行でよかったと思う。

 前菜にオニオンスープ(他のスープはインスタントだけれど、オニオンスープはインスタントではない、と教えてもらった)、メインはそれまでペルーで食べていなかった豚肉の料理にした。デザートはフルーツサラダにする。お昼にもお酒を飲んだけれど、クスコ最後の夜なので(と理由をつけて)ピスコサワーを頼む。
 フォルクローレショーの始まりに合わせてお店に入ったようで、食事と前後してショーも始まる。

 物凄く激しく上手いわけではないと思うけれど、色々な大きさのケーナなどの楽器を使い分けて演奏される。やる気のなさそうなお兄ちゃんがテクニック的には一番らしい。淡々と演奏している。ダンサーが四人出てきて、お祭りの音楽や収穫の踊りを披露してくれる。
 結構楽しくて、しげしげと見たり拍手したり写真を撮ったりしていたら、食べるのが物凄く遅くなってしまった。
 そのグループの踊りの最後には、何故か手を取られて真ん中に引っ張り出され、一緒に踊る羽目になった。楽しかったけど、お酒を飲んでくるくる回されて、かなり酔った気がする。

 次のグループは「大学のサークルだ」と自己紹介した(と道子さんが教えてくれた)けれど、リーダーの人だけは大学10年生くらいの年齢に見えた。エレキギターを使ったり、逆に民族楽器は一人一つずつくらいしか使っていなくて、最初のグループの方がずっと上手だった。
 彼らの演奏が始まる頃にはお客も半減していたし、後から出てくるグループほど上手くなるというわけではないらしい。ちょっとがっくりする。前のグループのCDを買えばよかったかな、10ドルだったしと思う。

 翌日は朝早くの便でリマに戻る。その荷造りが大変だった。
 どう考えてもスーツケースの重量は増えているはずだ。お土産を外に出すか、詰め込むかで悩んだ挙げく、無理矢理詰め込む。カップうどんを食べたので、重さはともかく嵩はかなり減っている。
 シャワーを浴びて、荷造りもほぼ完了し、0時くらいに寝た。

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2004.12.24

フィンランド・オーロラ旅行計画が一歩前進する

 22日に、友人からフィンランド・オーロラ旅行計画へのGOサインが出た。
 ということに、今日になってメールを受信して気が付いた。
 これから行き先を確定して(今の心はサーリセルカだけれど、調べるうちに心変わりしないとも限らない)、ツアーにするか個人手配にするか決めて、旅行会社も探して、申込をして、防寒対策も考えて、オーロラについて勉強して、フィンランドについてもちょっと勉強して・・・。
 実現に向けてやるべきことはたくさんある。
 ガンバロウ。
 こういうことだけは前向きかつ積極的かつ迅速にがんばるのである。
 

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2004.12.23

正月パスを購入する

 22日の帰りがけに、正月パスを購入した。
 指定券は発売時にえきねっとで予約してあったので、その予約確認メールを持参して、「グリーン用の正月パスをください。えきねっとで予約してあるので、合わせて指定券も発券してください。」と窓口で頼んだら、問題なく発券してもらえた。
 正月パス発売前に予約した指定券でも正月パスと同時に購入できることが実地で確認できて安心した。
 前にあずさ回数券(だったと思う)を買おうとして「VIEWカード以外のクレジットカードではお支払いできません」と言われたことがあったので現金で買うつもりだった。それが「お支払いは現金ですか? カードですか?」と聞かれたので確認したら、カードでの購入も可能だそうだ。その違いは今ひとつ判らなかったのだけれど、ポイントを貯めようとカードで購入することにした。
 正月パスの旅ではほとんど1日中電車に乗っていることになるので、何か新刊のできればハードカバーを持って行って読もうと思っている。年内に本を物色して購入するという楽しみが増えた。

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ベルトの結び方を忘れる

 21日に、以前に職場でご一緒した人々と3人で忘年会をした。
 こういう場にはとりあえずペルー旅行の写真を持って行って自慢することにしているので、もちろん実行した。
 11日間の日程で行ったと言ったら呆れられてしまった。その人は残業と休日出勤を合わせて280時間を超えた月もあったそうだ。何だか申し訳ない気分だった。
 自慢するだけでは心苦しいので、リャマの毛で織った(とチンチェーロの市場で売り子の女の子が言っていた)ベルトをお土産代わりに差し上げた。1本は心臓を表すハートマークの連続模様、1本はインカの動物などの意匠が色々編み込まれているものだ。それを見て「ドンタコスの人がいる!」と言われたときには、反応できなかったけど。
 「Gパンのときなんかにいいかも。どうやって結ぶの?」と聞かれて、ガイドさんに教わった結び方を実演しようとしたのだけれど、酔っ払っていたせいなのか、記憶力が激しく減退しているせいなのか、どうしても教わったとおりに結べなかった。
 結び方を写真に撮っておけば良かった・・・。

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2004.12.19

年賀状の印刷を開始する

 先週末から年賀状の作成に取りかかった。
 ここ数年は旅先で撮った写真を使って年賀状を作っている。今年はもちろんペルー旅行、それもマチュピチュ遺跡の写真で決まりである。
 しかし、来年は酉年である。どうやって「酉」にちなもうか考えて、ナスカの地上絵の「ハチドリ」を使うことにした。どこかでお土産を買ったときの包み紙に地上絵をデザインしたものがあったので、それをお手本にペイントソフトで描いてみた。自慢ではないが私には絵心が皆無なので、必死になってマネしたものの、できあがりはお手本とは似ても似つかないほど歪んでいた。こういう場合は「味がある」と己をごまかすことにしている。そういうわけで、なかなか味のある「ハチドリ」に仕上がった。
 ハチドリの絵とマチュピチュの写真を配置し一応のデザインまでは先週末に完成させていた。
 ところが、今日になって印刷しようとすると、何故か宛名職人がそのたび落ちてくれるのだ。
 仕方がないので、宛名職人を再インストールし、プリンタドライバも再インストールし、Norton先生にもさんざんお世話になって、必死になってPCの修理を試みた。
 とりあえず、何とか印刷はできるようになった。

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フィンランド旅行記を探す

 昨日、青山ブックセンターに行ったので、海外旅行のガイドブックのコーナーに寄ってみた。
 オーロラに関するエッセイや旅行記があるといいなと思ったのだけれど、見当たらなかった。
 フィンランドのガイドブックも探してみたけれど、地球の歩き方も「北欧」でまとめられていた。ついでにサーリセルカやオーロラに関する記述を探してみたけれど全部で10ページもないくらいだったので、購入するのは見送った。

 インターネットをうろうろして探してみたら、フィンランド政府観光局のページがあった。
 

 「旅行記 サーリセルカ」で検索をかけてみたら、このブログまでヒットしてしまった。サーリセルカにオーロラを見に行ってインターネット上で旅行記を公開している人はきっと少ないんだろうな、ということが判った。私の探し方が下手なのかも知れないけれど。
 そんな中で、今年の2月に個人旅行でサーリセルカにオーロラを見に行った方の旅行記が見つかった。貴重な情報である。熟読してしまった。その方のサイトはこちら。
 

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温泉旅行の企画が拡大(?)する

 何だか上手く言えないのだけれど、同い年で一昨年までは職場が近接していて全員が「自分は機械じゃなくて人間である」と力強く主張している4人で15日に集まって忘年会をした。
 機会あるごとに精力的にペルー旅行の話をしてついでに写真も強引に見せている私は、もちろん写真を持参して自慢した。
 自慢するだけではあんまりなので、マラスの塩田で購入したお塩を瓶に詰め直してお土産代わりに手渡したら、「これ、食べられるんだよね」と何故か念を押された。もちろん、食べられる。食用として売っていたのである(多分)。

 先月にロンドン旅行を決行した人もいて、そこからこの4人で海外旅行に行こうではないか、という話が盛り上がった。
 盛り上がったのだけれど、全員がふと手を止め「大丈夫かな?」「みんな好き勝手なことするんじゃない?」と顔を見合わせてしまった。
 それで「まずは国内温泉旅行で様子を見よう」と話が進んだ。
 前後の脈絡は忘れてしまったけれど、行き先は日光ということになっている。私が「日光に行ったことがない」と主張したせいかもしれない。
 果たして、温泉の支度は実現に向けて前進したのだろうか・・・。

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2004.12.13

温泉旅行の企画を考え始める

 先週の金曜日、今年の5月に白骨温泉に一緒に行った友人から「また行こう!」というメールが入った。
 行きますとも!
 このストレス満載の日常から逃げる、モトイ、日常を癒すのに温泉ほど霊験あらたかなものが他にあろうか、という感じである。

 先月末にあった、最初の職場でお世話になった人の披露宴で、「温泉研究家の人が言っていたが、本州の温泉で本物なのは草津と四万だけだそうだ」という話を聞いた。本当だろうか?  大体「温泉研究家」という肩書きが果てしなく怪しくはないか? 
 怪しみつつも、白骨温泉に行って割とすぐに「草津温泉の温泉の素を入れて白濁させていた」というニュースに驚愕した私としては、非常に気になる情報である。

 実は日光東照宮に行ったことがない(正確には赤ちゃんのときに行っているらしいが全く記憶にない)ので中禅寺湖温泉もいいな、とか、寒いときに温泉に行くなら一緒に海の幸も味わいたいぞ、とか、雪見酒ができるところがいいかも、などなど、夢と企画は広がるのであった。
 あとは企画倒れにならないようがんばるのみである。

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フィンツアーのサイトをチェックする

 先週の金曜日、久しぶりに本屋さんに寄ったら、オーロラを見に行こう!という趣旨の本が平積みになっていた。
 パラパラとめくってみた中でやけに印象に残ったのが「カナダのイエローナイフまで20時間かかる。フィンランドのサーリセルカなら13時間で到着する。」という事実だった。それまで私は、オーロラを見に行くならイエローナイフ、日本からも近いし、と何の根拠もなく信じていたのだ。

 家に帰って来てから、確か北欧を専門にした旅行会社があった筈だとうろ覚えの名前をいくつも試して、やっとフィンツアーのサイトにたどり着いた。
   サーリセルカ直行5日間のツアーがあった。
 2月、3月は、オーロラを観測できる確率も高いらしい。
 真剣に検討を始めてしまった。

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2004.12.09

正月パスのチラシを入手する

 今日、来年の「正月パス」のチラシを駅で初めて見つけた。
 人混みを逆流してたどり着き、1枚入手した。初日の出を模したはやてが赤い背景のど真ん中で光り輝いている、かなり目立つデザインだ。
 2005年の正月パスは、函館や下田までエリアが拡大したのが「売り」らしい。だから値上げなのだな、と納得する。
 これでまた、こっそり気分が盛り上がってきた。

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2004.12.07

正月パスの発売を確認する

 職場に時刻表の12月号が届いた。
 昨日届いていたのかも知れないけれど、とにかく私が気が付いたのは今日だった。
 お昼休みにこっそり借り出して「とくとくきっぷ」のページを開いたら、正月パスの発売が高らかに(?)宣言されていた。発売期間は2004年12月15日から31日まで、使用期間は2005年1月1日のみ。これで、私のお正月の野望に王手がかかったも同然である。
 去年より2000円ずつ値上がりして、普通車用は12000円、グリーン車用は15000円だった。王手は少し後退したかも知れない・・・。
 今さっきJR東日本のWebページに行ったけれど、そちらではまだ正月パスの発売に関するアナウンスは掲載されていないようだった。

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2004.12.05

アワイ・マントのジャムを食べる

 ペルーで買ってきたビニル袋入りのアワイ・マントのジャムを入れるちょうどよい大きさの瓶がなかなか見つからず、ずーっと封を開けないままで2ヶ月以上たってしまった。大は小を兼ねると考え直し、無印良品で大きめの瓶を買ってきて、今日やっと袋から瓶にあけた。
 早速、ヨーグルトに混ぜて食べた。
 ジャムのお店で味見させてもらったときは、実は「甘味だけが強い。ソル・イ・ルナホテルの朝食で食べたジャムの方が美味しかった」と思ったのだけれど、今日じっくり食べてみたら強烈な甘さの中にも酸味がしっかり生きていて、やっぱり美味しかった。
 味がしっかりしているのでヨーグルトに混ぜたのは正解だった。
 カリカリに焼いたトーストに薄〜く塗って食べても、きっと美味しいと思う。

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「ちょっと贅沢したいとき、宿を予約する本」を購入する

 ちょうど温泉に行きたいと思っていたので、本屋さんで「ちょっと贅沢したいとき、宿を予約する本」というこの雑誌を見かけて、つい買ってしまった。
 じゃらんの臨時増刊号なのだそうだ。
 衝動買いした挙げ句になかなか捨てられないので、この手の本や雑誌は何冊も部屋にある。
 眺めているだけで楽しかったり美味しそうだったり温まったりするのだけれど、でも、温泉に限らず、宿は自分で泊まってみて自分が好きだったりくつろげたりしたらそこがいい宿なんだよな、とも思う。

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2004.12.02

「アジアの屋台でごちそうさま」を読む

 友人から借りた「アジアの屋台でごちそうさま」という本を読んでいる。
 この本を書いた浜井幸子さんは、ヴェトナムとラオスとミャンマーを旅して屋台で食事をし、食べ物や屋台の主人や食事や台所やお料理をしている人や食卓を写真に撮ったりスケッチしたりして、色々な人に会ったり色々な目に遭ったり色々なものを食べたりする。もちろん、この「色々なものを食べる」というのが(いや、食べるだけじゃなくて食に対する飽くなき好奇心が)彼女の旅の最大のテーマだ、と思う。
 写真やイラストもたっぷり入っている、楽しい本である。
 この本を読んでいたら、ラオスでご飯を食べてヴェトナムのホーチミンでデザートを食べたくなってきた。

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2004.12.01

ペルー旅行記6日目

2004年9月22日(水曜日)

 朝はかなり早く起きた。目覚まし時計は5時半にセットしたけれど、目覚ましより早く目が覚めた。「朝日に輝くマチュピチュ遺跡を見る」というのも、今回のペルー旅行で私が抱いた野望の一つである。
 中庭に出ると、地面もデッキチェアもたっぷりと水を吸っていた。瑞々しいとも言えるし、緑も綺麗だ。ただし、雨が降っていないとはいえかなり怪しげな空模様で曇っている。ワイナピチュも、かなり濃い、霧のような雲のような白さに覆われている。
 昨日の夕方と同じように、日の出前の5時半過ぎ頃にワイナピチュを撮影した。

 もともと朝食はマチュピチュの日の出を堪能した後で食べようと思っていたし、「早いけど行こうか。」と6時前に部屋を出て遺跡に向かった。今日の分のチケットは昨日のうちに道子さんからもらってある。
 遺跡の入口は5時半に開くそうで、「もうすでに開いてだいぶたっています」という風情で入場券を切ってくれた。切符もぎりの横に小さな部屋(家というほど立派ではない)があり、係の人は泊まりこんでいるそうだ。

 まずは見張り小屋方面を目指す。この階段が結構急で息が切れる。
 見張り小屋周辺にはかなりの数の人が集まっていた。サンクチュアリ・ロッジに泊まった人はもちろん、3泊4日のインカ道トレイルを歩いて来た人たちは遺跡近くで1泊し、朝一番で遺跡に到着する行程になっているようだ。
 見張り小屋の方はかなりの混雑だったので、昨日道子さんに連れて行ってもらった、もうちょっと上のアンデネス辺りに陣取る。

 振り仰いだマチュピチュ山方面は雲もかかっていない一方で、東の空はかなり厚い雲に覆われている。これは日の出は無理かな、と思いつつ、しばらくじーっと待つ。地面が濡れているせいか、シンとした寒さというか底冷え感が足元から這い登ってくる。
 リャマ達はもう起きていて、草を食べている。

 日が差し始めるところは残念ながら見られなかったけれど、それでも刻一刻と明るくなってくる遺跡の全景はとても不思議だった。
 周りを緑の木々で囲まれているマチュピチュ遺跡は麓からのぼってくる朝霧の通り道になっていて、白く濃い朝霧が次々と遺跡を横断していく。
 ワイナピチュにも、遺跡にも、少しずつ日が当たり始めている。寝ぼけながら目覚めつつあるという感じだ。
 莫迦みたいにシャッターを押し続けた。

 最初は遺跡の全景にばかり気をとられていた。
 しかし、考えてみればこれだけ人が少ない遺跡内部を見られることはこの先ないだろう。そう思い当たって、主神殿やインティワタナの辺り主神殿やインティワタナの辺りの写真も撮る。
 一人旅らしいお姉さんに身振りで「写真を撮ろうか?」と言ってもらい、友人と二人でファインダーに収まる。お返しに彼女の写真も撮る。
 アグアス・カリエンテスからの始発バスが到着する時間が過ぎ、どんどん人が増えて来る。

 7時過ぎ、そろそろ朝食を食べに戻ろうと階段を降り始めた。やっと日が当たり始めた遺跡に見とれ、しばしば足を止めてしまう。
 そして、ロッジに戻る帰り道でしっかりと道に迷った。「どこから戻れば入口に戻れるんだっけ?」「こんなところを昨日は通った?」と言い合いつつ、太陽の門を通り、朝日を浴びた太陽の神殿も見て、何とか遺跡の入口に戻ることができた。
 道に迷って遺跡を彷徨った時間も含めると、2時間近く朝のマチュピチュを堪能した。

 ロッジに戻る途中、フィコとすれ違った。「ワイナピチュに登ってきたの?」と聞かれ、その手もあったかと思いつつ、「これからマチュピチュに登るんだよ。」と返事をする。昨日のビスタドームの中で、道子さんもフィコもワイナピチュよりもマチュピチュの方に登ることをお勧めしていた。
 フィコの言うことがまた振るっていて、「マチュピチュ山頂にはクスコ州の旗が立っているから、カメラを持っているのならそこで写真を撮るんだと思うとがんばれる」そうだ。

 そのまま直接レストランに入って朝食を摂る。ビュッフェで、コーヒー・紅茶と卵料理は別に頼んでサーブしてもらう。そういえば、(一部とはいえ)ビュッフェではない朝食はペルーに来て初めてだ。
 チーズオムレツを頼む。本当は「チーズとハムとたまねぎを入れて」と言ったつもりが理解してもらえなかった。多分、色々と入れるオムレツは「スパニッシュオムレツ」という名前になるのだと思う。
 窓際に陣取り、外を眺めながらのんびりと朝食を食べた。

 部屋に戻って荷物を整理し、約束の時間にロビーに下りて道子さんと落ち合い、チェックアウトの手続きをしてもらう。私がお手洗いに行っている間に、荷物もフロントに預けてくれた。この時点では結構涼しかったので、私は半そでTシャツに長袖のシャツを羽織り、かつカーディガンもリュックに入れてある。
 さて、マチュピチュ登山に出発だ。

 道子さんは昨日から「マチュピチュの方が緩やかで登りやすいけど、時間が倍くらいかかります。」と言っていた。それもあって、私たちは多分かなり「マチュピチュ登山」をナメていたと思う。
 遺跡の入口からまず見張り小屋方面に向かう。その階段ですでに息切れするのはいつものことだ
 見張り小屋の横を通り過ぎ、インティプンクに向かう道を少し行ったところに「ここからマチュピチュ山頂まで2時間」という看板があった。ここで時計を見たら、ちょうど9時だった。自分の体力のなさにはかなり自信があるので、多分コースタイムの1.5倍くらいかかるだろう、どれくらいかかるのか測ってみようと思う。

 平らな道はすぐに終わり、マチュピチュ山頂に向かう道は石段になった。道子さんの「穏やか」という言葉から、石段ではなくすぐに傾斜の緩やかな坂道に変わるだろうと思っていたらとんでもない。どこまでも階段が続く。実は、コースの(推定)50%以上は石段である。
 少し登ったところで、前を行く道子さんが「あら」と声を上げた。何かと思ったら、フィコと彼のお客さんの日本人の女の子二人連れが前を登っている。道子さんは「珍しく登っている人がいると思ったら。」と笑っている。
 横を通り過ぎて先に上に向かったけれど、階段が踊り場のようになっているところで休憩しているときに抜き返され、その後は追いつくことはできなかった。

 道子さんは長袖シャツに手袋の完全防備体制だ。「山登り仕様ですね。」と聞くと、「虫に刺されることがあるから。」と言う。そういえばと思い出し、リュックから虫除けスプレーを取り出して、みんなでスプレーしまくる。アロマオイルで作った虫除けスプレーなので大量に使っても大丈夫だ
 道子さんの足取りを見ているとかなりゆっくりで「どうしてこんなにゆっくり歩くんだ」と思うくらいなのに、自分は同じ足取りで登ることすらできない。すぐに息が切れてしまう。さらにゆっくりゆっくりとしか足が上がらない。それでもなるべく同じペースで足を動かすようにする。

 「この道が穏やかなんて! 道子さんのうそつきー!」と心の中で叫びつつ一歩ずつ登って行く。
 「あと少し登ったら休憩しましょう。」「もう少し登るとマチュピチュ遺跡が見えるわよ。」「これは○○というお花よ。」と励まされながら、本当に少しずつ少しずつ登って行く。
 「こんな山道を整備して石段を作ったインカの人たちって凄いでしょう。」と言われたけど、そんな感想を持てる余裕はない。ただひたすら足元を見て、できるだけ段差の少ない道筋を選んで一歩ずつ無理やり足を上げるだけだ。

 45分くらい登ったところで、マチュピチュ遺跡を見下ろすポイントにたどり着いた。階段の踊り場のようになったところで岩に座り込み、休憩する。 
 この頃には汗だくになって、長袖のシャツを脱いで腰に巻いた。半袖Tシャツになっても全く寒くないし、日差しもほとんどなくて日焼けする心配もなさそうだ。改めて虫除けスプレーを吹き付ける。
 飴玉を取り出して3人でなめる。糖分が体中に染み渡る。

 いつの間にか足下が石段から土の道(ところどころ土止めなのか石畳風に石がまばらに埋めてある)に変わっていた。
 お花の写真を撮るふりで立ち止まり、休憩する。石段ではなくなって、山道のすぐそばにお花が見られるようになった。
 鬱蒼とした感じの道で、枝がときどき山道の上まで張り出している。半袖になっていたので「この葉っぱはかぶれたりしないだろうな」と思いつつ腕で避けながら進む。

 1時間半くらい登ったところで、またマチュピチュ遺跡を望むことができた。
 ワイナピチュが下の方に見え、かなり登ってきたことが実感できる。
 ワイナピチュは下から見上げていたときは「とんがっている山」という感じだったけれど、上からはやけに平べったく横に広がった山に見える。
 マチュピチュ遺跡がマチュピチュ山とワイナピチュ山との間の山の背に作られていることが一目瞭然だ。

 そこから更に15分ほど登って、やっと頂上に立つ旗が見えた。
 ほっとするよりも、「まだあんなに高いところまで登るの!」と思う。まだまだ遠く見えたし、まだまだ登らなくちゃいけないように感じる。
 道子さんは「ここは急だから後ろを回りこんで登っていくのよ。」と言う。一体どれくらいかかるんだろう?
 下に見えるマチュピチュ遺跡は雨が降り出しているのか白く霞んでいるけれど、マチュピチュ山頂の空にはかすかに青空ものぞいているのが救いだ。

 その「旗が見えるポイント」から頂上までは見た目よりも近く、15分くらいだった。
 頂上近くの山道にインカの石組みの門があった。石段の道は疲労のあまり「凄い」と思わなかった私だけれど、山頂が近くなって余裕が出てきたせいか、こんな上の方まで石を持ち上げて(周辺の石を使ったのかも知れない)わざわざ門を作ったインカの人たちは凄いと思う。
 インカの門を通過すると尾根筋に出て景色が見えるようになった。勾配も心なしか緩くなったようだ。
 コースタイムより5分だけ早い1時間55分で、マチュピチュ山頂に立つことができた。

 山頂にはフィコとさっきの日本人の女の子たちの3人しかいなかった。登山途中で欧米人らしき年配のご夫婦とすれ違ったから、本日のマチュピチュ登山者は8名、登頂者は6名だったのだろう。
 彼らは、座り込んでしまった私たちとは対照的に元気で、旗の下で写真を撮ったりマチュピチュ遺跡をバックに写真を撮ったりしている。「少し休めば元気になりますよ。」と言ってくれる。
 体を動かさないと、風を遮るものがないせいもあって汗が冷えて寒くなってくる。腰に巻いていたシャツを羽織ったら、そのシャツまでが濡れていて気持ち悪い。それでも着ないよりは暖かいような気がする。

 かなり消耗した私は、荷物を軽くすべくリュックに入れておいたウィダーインゼリーを食べる。
 座り込んでいたら雨がポツポツ降り出して来た。
 やっと歩き出して周りを見る元気が出てくる。クスコ州の虹色の旗の下で記念撮影もする。
 雨に霞んだマチュピチュ遺跡をバックに写真を撮る。見慣れないアングルのマチュピチュ遺跡は生きているようだ。
 マチュピチュ山頂を6人で独占し、ここからの眺めも6人で独占だ。静かで不思議な感じがした。

 ふと見るとフィコが旗の下でジャンプしている。「なんてことをするんだ!」と思わず言ったら、「自分が生まれた村は標高が4000mくらいのところにある。ここなんて自分が生まれた村から見れば谷のようなものだ。」などと言う。
 私が言いたかったのは、そんなに広いとは言えない山頂でジャンプなんかして着地のときに滑って転んだら危ないじゃないか、ということだったけれど、今ひとつ伝わらなかったらしい。

 ポツポツ程度だった雨がかなり強くなってきた。マチュピチュ山頂を30分くらいで切り上げて(残念!)、傘を差して下山を始める。「ペルーは乾季」と思っていたので、昨日の夜にあれほど凄い雨音を聞いていたのに「雨に降られる」という発想がなかった。それでも折りたたみ傘をリュックに入れていたのは私にしては上出来だ。
 道子さんも友人も傘をさしている。
 山歩きをしない私の感覚からすると手がふさがる傘よりもレインコートの方が上等の選択肢だったので、道子さんが傘をさしているのに驚く。聞いてみたら「レインコートは蒸れるから。」と言っていた。

 足元を水が流れるほどではないけれど、水溜りはあちこちにできているし、石段も濡れて滑りやすくなっている。
気温も下がったようで、汗で濡れたままの服を着ているせいもあってかなり寒い。
 石段の下りはかなり膝にも負担が来ているようで、歩いているときは大丈夫でも少し体重をかけて立ち止まるととたんに膝が笑い出す。なるべく慎重に二人よりかなり遅れて歩く。

 こんな山中でもつながるのか、フィコが携帯電話で電話をかけている。その横を通り過ぎてしばらくした頃、後ろから何かが近づいてくる気配に振り返ったら、フィコが山道を駆け下りてきたところだった。
 思わず「びっくりした!」と言ったら、「ごめんなさい。ミチコかと思った。」という返事である。「急いでロッジまで行かないといけない。」と言うので、慌てて少し広くなったところまで行って道をあけた。フィコは本気で山道を駆け下りて行き、あっという間に見えなくなった。

 フィコは多分コケずに最短時間で山を降りたと思うけど、私は下山途中で見事にコケた。
 傘が木に引っかかり、それを外そうと少し変な体勢を取ったら、負担が来ていた膝が耐えられなかったらしい。踏ん張り切れずに足を滑らせ、そのまま思いっきりお尻から落ちてしまった。足元の結構大きめの岩に思いっきり尾てい骨を打ち付けてしまう。特に怪我はしなかったけれど、物凄く痛かった。

 1時間半かけて見張り小屋まで降りてきた頃には雨はだいぶ小やみになっていた。帽子もTシャツも汗だか雨だか判らない状態でぐっしょり、靴もズボンの裾も濡れている、という酷い状態だ。
 体も冷え切っていたし、もう歩きたくない、という心境だ。山頂で会った女の子と「ここがペルーじゃなかったら絶対に途中で登るのをやめてましたよね。」と言い合ったほどだ。
 でももちろん道子さんは元気で、もう少し遺跡を見てみましょう、と言う。

 見張り小屋の辺りから遺跡を見ると、あちこちにカラフルなレイン・ポンチョを着た集団がいる。
 雨もまだ降っているし、ワイナピチュは雲だか霧だかの中にその姿を完全に隠してしまっているのに、遺跡の中は結構な人出だ。
 もう1回、太陽の門から遺跡の中に入り、軽く1周する。
 マチュピチュ山から降りてきたばかりのぼろぼろの二人、という感じで写真を撮ってもらったときにはまだ山頂が見えていたのに、そうこうしているうちにマチュピチュ山頂も雲の中に隠れ、遺跡も完全に白い雲の中に沈んでしまった。
 長いようで短いようでとても濃いマチュピチュ1泊2日が終了した。

 ここで終われば物語になるけれど、現実はその後も続く。
 マチュピチュ山に登り始めるまですっかり忘れていたけれど、チェックインのときにロッジに預けたパスポートが戻って来ていない。海外では命の次に大切を言われるパスポートなのに我ながら無頓着すぎる。
 ロッジのフロントに預けておいた荷物を受け取ったときに道子さんにパスポートについて聞いてもらうと、荷物にくくりつけてある、という返事だ。確かにバッグのもち手のところにビニル袋に入れてくくりつけてあった。

 びしょぬれのままいたら風邪をひいてしまう。ロッジのロビーのお手洗いを借りて、着替えのあるTシャツだけでも乾いたものと取り替える。昨日の夜に洗濯して正解だった。
 友人のTHE NORTH FACEのリュックはアウトドア仕様なので中に入れたものは濡れなかったらしい。一方、私の新潮社の全員プレゼントのリュックは中にまで雨水が染みこんでいる。ジップロックを多量に持ってきていながらどうして着替えを入れるという知恵が働かなかったのか、しみじみと反省する。

 お手洗いの順番待ちのときに、一緒にマチュピチュ山に登った女の子が「ガイドさんを雇いはったんですか?」と話しかけて来た。
 関西の人なんだな、と思いつつ、「いえいえ、とんでもない。ツアーに申し込んだら参加者が私たち二人しかいなかったんです。」と答える。彼女たちも同じくツアーに申し込んだら二人しかいなかったそうだ。
 2名催行のツアー会社がそうたくさんあるわけもなく、もしかして同じK社なんじゃないかと思ったけど、それを聞く前に順番が来て別れてしまった。

 荷物を持ってバスに乗り込み、マチュピチュを後にする。
 「雨の中を下山」のインパクトが強すぎて、雨に濡れた体が冷え切りすぎて、はるばる来たマチュピチュを後にするというのに何の感慨も沸かない。
 20分の九十九折のハイラム・ビンガム・ロードはなかなかハードで、もともと乗り物酔いに弱い友人はかなり堪えたようだ。線路沿いのレストランに入った頃にはぐったりしていた。ナスカの地上絵遊覧用に酔い止めを持って来ていたけれど、まさかマチュピチュ遺跡で必要になるとは思わずにスーツケースに入れたままだ。

 昼食に入った線路沿いのレストランはビュッフェ式で、窓際(ということは川沿い)の席を道子さんが確保してくれる。
 どんどん外が晴れて来て、「どうして晴れてくるかな。悔しー!」と叫んでいたら、「今日、日帰りで来た人たちなんて、ほとんど遺跡の姿は見られていないわよ。」とたしなめられた。
 しかし、日頃から運動からもっとも遠いところにいて、倉岳山に登った後「二度と山登りなんてするまい」と決心していた私にとって、マチュピチュ登山も下山中に雨に降られたことも、かなりのダメージだ。

 それでも温かいものを食べているうちに少しずつ元気が出てきて、マッシュしたジャガイモにレモン風味をつけて、アボガドなどとケーキのようにした料理(ソル・イ・ルナホテルで響子さんに味見させてもらって以来、結構気に入っていた)や、鶏肉の焼いたものなどもちょっとずつ頂く。
 珍しく食欲を示さない私たちを心配して、道子さんがフルーツを持ってきてくれる。オレンジは見て判るけど、もうひとつ持ってきてくれたフルーツがよく判らない。
 外見は口をあけていないざくろみたいな感じで、ナイフで半分に割ると皮は発泡スチロールのように乾いている。パッションフルーツに似ていて、パッションフルーツの実は黄色いけど、こちらは白い。やっぱり中に黒い粒があってそれは種のようだ。「種ごと食べちゃっていいのよ。」と言われる。
 つるんと食べられて、パッションフルーツほど酸っぱくなくて程よく甘い。お土産にもう1個もらう。そんなに気に入ったのに、このフルーツの名前を覚えていない。聞いたのは確かなのに、困ったものだ。

 我々二人のあまりの憔悴振りに驚いたのか、道子さんから、今日のフォルクローレ・ディナーショーは明日の夜に回しましょうか、と言ってくれる。「明後日の朝、早起きしなくちゃいけないから、今日の夜に設定してあるのだけれど。」と気遣ってもらったけど、早起きよりもこの体調の悪さと疲労の方が問題である。ありがたく、明日の夜に変更してもらう。

 早めに駅に行きましょうと、アグアス・カリエンテスの駅に向かった。
 駅は庭付きで、その庭に入るためにはチケットを見せないといけない。そして駅の入口の周りにはお土産物屋の屋台がテント村のように並んでいる。
 ベンチに荷物を置き、靴下を履きかえる間だけ待ってもらい、道子さんに荷物を見ていてもらうことにして、電車の切符を忘れずに持って屋台を見に出かける。

 お土産の屋台村を1周すると、インカコーラTシャツとクスケーニャビールTシャツの品揃えがここがダントツであることが判った。一方、特に「マチュピチュ・グッズ」や「アグアス・カリエンテス・グッズ」はないようだ。
 屋台村やそばを流れる川の写真を撮る。
 この川を上流に向かったところに温泉がある。次回マチュピチュに来ることがあったら、ぜひペルーの温泉に入りたい。

 電車は15時半発の予定だったので、15分前くらいに待合室へ戻った。
 帰りの電車では、寒くなるに従ってどんどん体調が悪くなってくる気がした。飲み物サービスがあってインカコーラをもらって飲んだけど、あとは2席を占拠してひたすら寝ていた。
 途中でベロニカが綺麗にまるで浮き上がっているかのように見えたけど、そのときも寝ていたせいで出遅れ、写真を撮り損ねた。104km地点の橋も帰りこそ写真に収めようと思っていたけど、どうもぐったりと寝ている間に通り過ぎたらしい。

 森の中で電車が止まったなと思っていたら、そこは単線複式の「複」の部分で、アグアス・カリエンテスに向かう電車とすれ違った。
 外も暗くなり、窓からの風景も楽しめなくなってきた頃、車内に流れるBGMがそれまでのセミ・クラシック調から民族調に変わった。
 通路で軍手のような生地の白いマスクをかぶったお兄さんが民族衣装風かつ白っぽいちんどんや風の格好で、踊りだす。そろそろ寝に入っていたお客さんたちもさすがに目を覚まして、手拍子を打ったり写真を撮ったりし始める。こうやって寝入ったお客さんを強引にでも楽しげに起こした後に始まるのはもちろんファッションショーだ。

 客室乗務員のお兄さん・お姉さんがモデルになって、アルパカのセーターなどを着て車両の中を練り歩く。
 ビスタドームのアナウンスは英語とスペイン語だったけれど、このショッピングタイムの説明だけは日本語が加わったのには笑った。とりあえず笑うしかない。
 お兄さん・お姉さんが次々と着こなしていたそのセーターは20%OFFだったらしい。ファッションショー終了後にお姉さん達がワゴンに山盛りにして売り歩き、結構な勢いで売れていた。なかなか商売上手だ。

 クスコに近づいて標高が上がり、夜になってくるにつれ、車内もだんだん寒くなってくる。
 半そでTシャツの上に赤いコートを羽織っただけの身体はどんどん冷えてきて、パジャマ用の長袖Tシャツをバッグから引っ張り出して着る。それでも寒い。
 アグアス・カリエンテス駅前の屋台か、ビスタ・ドームの車内で上に羽織るものを買えば良かったなぁと後になって思った。

 ポロイの駅が近づくと、何となく周りの様子が慌ただしくなった。道子さんも、携帯電話を取り出してしきりと電話をかけたり、乗務員のお兄さんと話したりしている。
 どうしたのかと思って聞くと、クスコ市内で午前中にコカの摘発があったからか、午後にカーレースがあったからか、理由ははっきりしないけれど、とにかくクスコでは道路を封鎖されていたらしい。今はその封鎖も解かれたけれど、クスコから来るはずの迎えの車がポロイに来ていないかもしれないそうだ。

 ポロイからクスコまでは車の方が断然早いので、ポロイまで車で迎えに来てもらい、そこで電車から乗り換えて帰る手はずになっていたそうだ。
 ポロイ駅に到着後、道子さんが様子を見に行ってくれたところ、大型観光バスが1台と他何台かの車がいるだけで迎えの車は来ておらず、そのまま電車でクスコまで戻ることになった。

 そうして偶然に目にすることができた、クスコの夜景が本当にきれいだった。全体的に黄色っぽい暖かい感じの光がとても美しく、寝ていた私たちを道子さんがわざわざ起こしてくれる。
 電車でのんびり戻るのも悪くなかったな、と思った。スイッチバックがあるから、時間はかかるけど逆に夜景をたっぷりと見ることができた。

 クスコ駅に到着したのは何時ごろだったか覚えていない。
 道子さんのすばやい行動で一番最初くらいに駅の外に出て、迎えの車を発見する。今日はダニエルではないらしい。車の色も赤に変わっている。
 駅からホテルまでは車ですぐだ。「今度は1階の部屋がいいね。」などと言い合ったけれど、二日前と同じお部屋だった。部屋自体は全く問題ないけれど、4階まで階段で上るのがつらい。

 道子さんに「近くに金太郎という日本食レストランもある。」と教えてもらったけれど、外にごはんを食べに行くのはパスしたい気分だ。友人に「カップうどんがあるからそれでいい?」と聞いたらOKだったので、ホテルのお兄さんにポット一杯のお湯と毛布をお願いする。
 お兄さんは、口の開いたポットでお湯を持ってきてくれた。そもそも標高が高いクスコでは沸点が低いのにさらに冷めてるんじゃなかろうかと思いつつ、カップうどんを作り、ついでにお茶を煎れる。お昼を食べたビュッフェレストランからもらってきたフルーツとで今夜の夕食にした。
 とてもじゃないけど、この日にフォルクローレ・ディナーショーに行っても楽しめなかったと思う。体調を見かねて変更を提案してくれた道子さんに感謝である。

 マチュピチュ山からの下山でびしょぬれになった服を一気に洗って干す。帰りの車中では「ランドリーサービスにまとめて出してやる!」と思っていたけれど、ホテルに着いてランドリーサービスの値段表を確認し、もうすっかり乾いたズボンを見たりするうちに「まあ、いいか」という気分になってきて、Tシャツと長袖シャツと下着類を洗うにとどめた。

 ホテルに預けて行ったスーツケースや1泊用のバッグを整理しているときに、撮り終わったXDピクチャーカードがケースごとないことに気がついた。最後に見たのはどこだろうと思い返そうとしてもはっきりしない。スーツケースと1泊用のバッグとリュックを全部ひっくり返してもどこにもない。
 オリャンタイタンボの遺跡でカードを交換しているので、失くしたとすると、ワイポ湖を通ってのドライブ中(車の中)か、クスコのホテル、マチュピチュのホテルのどこか、ということになる。

 とにかく荷物の中にないことだけを確認し、友人に「カードがない。ショックを受けたから寝るね。明日の朝にもう1回探してなかったら、道子さんにホテルの人に聞いてもらうわ。」とだけ言って寝てしまった。
 友人が言うには「寝るね。」と言ってから本当にあっという間に寝息をたてていたらしい。今にして思うと申し訳ない限りだ。
 もちろん、ショックだけじゃなく、昼間の登山の疲れが出たのだと思う。やっぱり慣れないことをするとその揺り戻しが激しい。多分、寝たのは22時半過ぎだったと思う。

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2005年5月22日 写真へのリンクを追加

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えきねっとで正月パス用予約を入れる

 ここ数年の「お正月版野望」のひとつに「1月1日に正月パスを使って白神山地を望む旅に出る」というものがある。
 去年は確か年末年始の休暇に入ってから指定席の売れ行きをネットで検索して、めぼしいところは概ね満席だということが確認できただけだった。
 Webページを色々と見ているうちに「確実に指定席券を取るには、えきねっとで指定席を予約し、正月パスの購入と同時に発券してもらえば良い」という記述を見つけた。
 正月パスの発売もまだアナウンスされていないのに危険な賭けだと思いつつ、キャンセル料が莫迦みたいに高いわけではないということが確認できたので、上野 > 八戸 > 青森 > 秋田 > 上野というルートの指定席をグリーン車で(青森−秋田を除く)押さえてしまった。グリーン車用(それも指定席は4回使えるもの)の正月パスが発売されなければ全く意味を持たないルートである。
 上野から八戸までは「はやて」、八戸から青森までは「スーパー白鳥」、青森から秋田までは「リゾートしらかみ」、秋田から上野は「こまち」である。これでほぼ15時間、電車に乗りっぱなしということになる。2005年の幕開けに相応しいではないか!
 気に入ったハードカバーを1冊、この日のために用意しようと思う。
 ところで、肝心の「正月パス」は発売されるのだろうか。

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