ペルー旅行記9日目
2004年9月25日(土曜日)
朝6時前に降りていくと、昨日の夕食のときにお給仕をしてくれたペルー人のお姉さんが待ち構えていて、朝ごはんを出してくれた。
ごはんとお味噌汁とお漬物があったことは覚えている。とにかく、完全な和食の朝ごはんだ。
ナスカの地上絵ツアーの迎えの車が来ているはずだけれど、ペンション全体が静まりかえっていて人の気配がない。私たちは玄関の開け方を知らないから外の様子を見ることもできない。
そのままぼーっとソファに座っていたら、朝ごはんを作ってくれた彼女が心配してくれたようだ。いつの間にか現れた早内さん(旦那さん)に玄関から外へ押し出されると、昨日の市内観光のときに乗った車が待っていた。
道はそれほど混雑していなくて、すぐ空港に到着した。
すると、ドライバーさんが「あそこのカウンターに行け。」と指差す。「チケットを持っていない。」と完全にブロークンな英語と身振り手振りで訴えたら、「行けば大丈夫、NAO TOURだと言いなさい。」と言われる。
頭の中をクエスチョンマークが飛び交ったまま、ランチリ航空のカウンターに行き、「NAO TOURから予約が入っています。私は○○××です。」と言うと、カウンターのお兄さんは「OK,OK」という軽いノリで手元のリストと差し出したパスポートを確認し、ボーディングパスを手渡してくれた。
でも、行きのボーディングパスだけ? 帰りは? 遊覧飛行のチケットは? と頭の中をクエスチョンマークが飛び交ったまま、ドライバーのおじさんのところに戻ると、「空港税を払え。」と言われ、空港税を払い終わると「セキュリティチェックに行け。」と言われる。
セキュリティチェックに向かったら、もう後はゲートしか残っていない。
慌てて「イカに到着したらどうすればいいの?」と英語で聞いたけれど、私の英語がブロークンすぎるのか、おじさんの英語も実はブロークンなのか、全く通じない。このままおじさんと別れたら、それ以降どうすればいいか全く判らないままになってしまう。こちらも必死である。
そんなやりとりを何度か繰り返した後で、おじさんがいきなり持っていた携帯電話をこちらに向けてくれた。
とりあえず「もしもし。」と言って出てみると、電話の相手は早内さん(息子さん)だった。安心して日本語で「今は空港にいて、行きのボーディングパスだけ渡されたんですが、この後はどうしたらいいんですか?」と聞いてみる。「もうそこからツアーだから、そのまま指定された飛行機に乗れば、イカの空港には迎えの人がいるから大丈夫。」という返事だ。
釈然としないながらも、他にどうすることもできず、そのままゲートに向かった。
ボーディングパスにゲート番号が書いてあったけれど、指定されたゲートには何の表示も出ていない。
微妙に不安を抱えたまま出来るだけゲートに近い椅子に座って待っていると、いつの間にかゲートのドアが開き、何となく人が集まり出した。人の流れに沿って付いて行き、ボーディングパスを見せるとあっさりと半券を返してくれたので、そのゲートで正しかったことが判った。
自由席のプロペラ機の機内にはちらほらと日本人の姿もあって何となく安心した。
イカの空港に到着し、その飛行機に乗った全員がお兄さんに集められて事務所前まで連れて行かれ、ようやく、そもそもリマ−イカ間を飛んだこの飛行機がツアーのチャーター機であったことが判った。
「地球の歩き方」によると概ね半分はナスカにすぐに飛び半分はイカ市内観光に行くとか、ナスカの地上絵遊覧飛行に参加した人のホームページを見ると日本人だけ集められてまずTBSの世界遺産のビデオを見せられるとか書いてあったけれど、今回はどちらにも該当しなかったらしい。
お兄さんが事務手続きを終了すると、そのまま全員がバスに乗るように促された。
バスが出発すると、「涼しいうちにまずオアシスに行きます。」というアナウンスがあった。
イカの町は砂漠のど真ん中という感じで、道路の両側も白っぽい黄色っぽい砂で、道路上に風に吹かれた砂が薄く舞っている。早朝出発のために着ていたコートが完全に邪魔なくらいの暑さだ。
オアシスに到着すると、15分間の自由行動になった。
池があって、何艘かのボートが浮かんでいる。
その周りにやしの木が植わっていて、お土産物の屋台が何軒か出ていて、すぐそばまで迫っている砂丘で何人かがそり遊びやサーフィンのようなことをしている。
それで全てだ。
サンドバギーみたいな車が何台も停まっていて、サンド・スキーをするにはこの車で砂丘の上まで連れて行ってもらうんだなと思ったものの、遊ぶには時間が足りない。のんびり池を半周して戻ると、ちょうど時間だった。
次に、小さい博物館に向かった。
ガイドさんが「自分は参加しているみなさんに公平なサービスをしたいので、説明はしない。」とおっしゃる。要するに、ツアー参加者には彼が話す英語を解すだけのヒアリング力がないと判断されたらしい。
館内は、土器と布がメインなのは天野博物館と一緒だけれど、こちらはもうちょっとカラフルだ。
「地球の歩き方」の説明によると、ナスカ地方に開けた文化は土器も布もカラフルなのが特徴のひとつである。
そして、天野博物館になくてイカ博物館にあった最大のものは「ミイラ」だった。
砂漠地帯であるこの辺りは乾燥していて、そのためミイラが着衣も含めてかなり良い状態で残っているそうだ。
ひざを抱えた少女のミイラが一番有名かもしれない。
興味深くはあったけれど、ミイラの展示室はシンと冷たくて寒い印象である。早々に出て、織物の展示室に戻った。
見学が終わると、博物館の裏に促された。
何だろうと思いつつ後について階段を上ると、ナスカの地上絵のミニチュアを見ることができるようになっていた。何十分の(何百分の?)一かに縮小し、配置や向きなどを再現してある。
なるほど、こういう風に見えるのね、と予習・復習させることを目的に作られているようだ。
今から思えばここで写真を撮っておけば良かったけれど、「この後で本物を見るんだし」と思って写真は撮らなかった。
実際は、あんなにくっきりはっきりとは見えないし、大きすぎて全体像を見ることもできない。惜しいことをした。
昼食は、ホテルのレストランでのビュッフェだった。
食後すぐにセスナに乗るなら控えめにしておかないと酔うだろうなと思いつつ、色々とお皿に盛ってしまう。
オープンエアのレストランで、中庭にあるプールも見えて、なかなか気持ちよい。
しかし、次の予定にいつ進むのかが判らないというのは意外と落ち着かないものだ。何人かずつ、先にセスナ遊覧飛行に向かう人たちもいて、さらに落ち着かない。
とりあえず、酔い止めの薬をここで飲んだ。
コカ茶を飲みつつ旅行メモを書いていたら、やっと残っていた全員がガイドのお兄さんに集められ、バスで空港に戻ることになった。
四人グループの日本人の女の子たちは小型のセスナ、残りの11人が少し大きめのセスナに振り分けられる。
このセスナは自由席で、何となく早い者勝ちという風情だ。全員が窓際に座れるだけの余裕はない。何とか窓際の席に滑り込んだ。
ガムを噛んでいると酔わないという話を聞いたので、ガムを噛みつつ、セスナに揺られる。
しばらくは一路ナスカ上空を目指して飛んでいるだけなのに、それでも結構揺れる。30分くらいでナスカの地上絵上空に到達した。
パイロットのおじさんが「ウチュウジン」と叫んでいる。「ミギガワ、ツバサノシタ、ツバサノシタ、ウチュウジン。」といった感じで、日本語で教えてくれる。同じことをスペイン語でも叫んでいるようだ。
このツアーは英語ツアーのはずなのにと思っていると、並びの席にいた女の子が「英語でも案内して!」と叫んだ。何度も彼女が訴えて、やっとパイロットのおじさんに通じたらしい。「判った、スペイン語と英語と日本語で案内するよ。」と言って、その後は3ヶ国語で案内してくれるようになった。
最初に見えた「宇宙人」は山肌に斜めに描かれていた。それ以外に見た地上絵は平らなところに描かれているようだ。パンアメリカン・ハイウエイも見える。ミラドールもかなり小さく見える。
宇宙人の他に名指しで見せてくれたのは、ハチドリとサルと手と木と直線くらいだったと思う。
イカからナスカまでの片道の飛行時間よりも、ナスカの地上絵遊覧をしていた時間の方がはるかに短かったと思う。ちょっと悔しい。
確かに、地上に、飛行機に乗らなければ全体像見えない絵が描かれていて、消えかけた世界遺産にも登録されたその絵を見ている、意外とくっきりと見える、石をどけただけの白い線が今も残っている。
それは凄いことだ。
でも、正直に言ってあまり感動はしなかった。
「あー、見えた!」「どこどこ?」「多分、これだ。」の繰り返しで、見えて判読というか判別できたのは嬉しいものの、「感動」という感じではなかったように思う。
そんなあっけない気分のまま、セスナ酔いになることもなく、無事にイカの空港に戻って来た。
お土産物屋ではインカクロスのペンダントやナスカの地上絵生写真が売っていてちょっと魅かれつつ、結局何も買わずに「さあ、飛行機に乗って。」の声でリマに戻った。
イカの空港は、建物は木造だし、ゲートやセキュリティチェックもない。飛行機を降りてそのまま滑走路を歩いて建物にたどり着く感じである。
それなのに、屋台を小さくしたようなカウンターがあり、空港税を支払わされたのが何となく釈然としなかった。
リマに戻ると朝のおじさんが迎えに来てくれていた。
ちょっとほっとして、おじさんの車でペンション・カンツータに戻った。多分、17時過ぎだったと思う。夕食を食べ、シャワーを浴び、荷物整理をするくらいの時間の余裕は十分にある。
今日の夜中にリマを発ち、ペルーともお別れだ。
イカはかなり埃っぽかったのでまずシャワーを浴びて大体の荷造りをし、夕食前に「ポコ・ア・ポコ」でのお買い物に突入した。とにかくペルー中のおみやげ物が揃っていて、お買い物のしがいがある。
2階は主に衣料品である。早内さん(奥さん)が製作したアルパカのガーゼ織りのストールやマフラーを始めとして、その他にもセーター、帽子、手袋、インカっぽい文様のバンダナもあったし、ネクタイもある。子供服もある。
1階は民芸品っぽいものが多い。
印象に残っているものでは、織り途中の布を道具ごと壁飾りにしたものや、ナスカの地上絵の生写真、ピーナツチョコレート(ピーナツはペルー原産で「職場のお土産にどうぞ」というポップがついていた。)、秋田さんご推奨のピスコ、イカ・ワイン、ペンション・カンツータで作ったらしい焼き物もある。
お塩も売っていたし、ケーナなどの楽器もあったし、リャマのぬいぐるみ、ペルー産のコーヒー豆もあった。
私は2階のアルパカのガーゼ織りに夢中になってしまった。
古代のペルーの染物・織物を再現したもので、お土産を買うことにほとんど興味はないけれど、こういうものに私は果てしなく弱い。
あっという間に時間がたち、それでも大体何を買うかが決まった辺りで、夕食に呼ばれた。
夕食が完全手作りの和食だったことは確かだけれど、メニューがどうしても思い出せない。
あんかけの野菜を載せたラーメンが出たのは覚えている。
それから、前日に私が「天野博物館のお姉さんがヒラメがイチ押しだと言っていた。」と口を滑らせたためか、白身のお魚のお刺身があった。気を使わせてしまって申し訳なかったけれど、コリコリしていて美味しかった。
夕食をあまりにもゆっくりいただき過ぎてしまったらしい。恐らく同じ飛行機で帰るのだろう日本人の団体を載せた観光バスが横付けされたのをしおに席を立ち、慌ててお土産の会計をしてもらい、急いで部屋に戻って最後の荷造りをする。
パジャマ代わりにしていたTシャツなどを捨てたので、お土産も全てスーツケースに納まった。
荷造りを終えて下に降りて行くと、そのまま車に押し込まれた。そういえば、ツアーの方々もすでに姿を消している。
早内さんご一家にちゃんと挨拶もできなかったのが心残りだ。
空港に向かう途中で、入国時に返された入国カードの半券の話になる。「地球の歩き方」にも「出国時に必要なので絶対に失くすな」と書いてあるけれど、失くしてしまっても5ドル(だったと思う)で再発行してもらえるそうだ。
失くさないように注意するのは当然のこととして、再発行してもらえるならそういう風に書いておいてくれればいいのに、と思う。
リマの空港では、国際線のカウンターがある一角にはガイドさんも入ることができない。自分達でチェックインをすることになる。秋田さん曰く「上から暖かく見守っていますから。」ということだ。
カウンターの一角は吹き抜けになっていて、カウンターの上あたりから見下ろせるようになっているらしい。ペルー到着時も含めて4回目のリマ空港なのに、そんなことは全く覚えていなかった。
カウンターまでは長蛇の列で、まずスーツケースをセキュリティチェックにかける。ここで友人が呼ばれてスーツケースを開けられた。どうもクスコでどこかの大学の先生が言っていたことは正確な情報で、荷物の中にお酒が入っていると必ず開けられるらしい。
友人がスーツケースの検査に行っている間にチェックインの順番が来てしまったので、彼女のパスポートとチケットを預かって二人分のチェックインをした。
カウンターのお姉さんは、こちらが何も言わないうちに席を決め、ボーディングパスを発券してくれる。
「セキュリティの質問は英語でいい?」と聞かれ、確か日本語でも良かったはずだと「できたら日本語で。」とお願いしたら「ちょっと待ってて。」という返事だった。日本語をしゃべる係員の人はやはり少ないらしい。
その間に彼女の荷物チェックも終了し、荷物を預け入れる。こちらが何も言わないうちに、アトランタではスルーで預け入れが終了する。帰国するだけなんだから、荷物の到着が多少遅れても構わない。
荷物チェックはやはりお酒が目当てだったらしく、「お酒を持っているか?」と聞かれ、スーツケースを開けたら一目散にお酒を探ったらしい。瓶を取り出して「ピスコ?」と聞かれたので「そう。」と答えたと笑っていた。
チェックインは無事に終了し、セキュリティチェックに向かう辺りに移動して待っていてくれた秋田さんにご挨拶し、お礼代わりにミルキーを手渡した。
秋田さんは「周りの人の視線が痛い。」と言っていたけれど、もしかしたらガイドさんも出入できないエリアから荷物を手渡したりするのはいけないことだったのかもしれない。
セキュリティチェックを抜けると、そこは工事中のエリアだった。ベニヤ板でふさがれて通路が狭くなっている。
一度サテライト辺りまで行ったものの、そこの免税店は小さかったので、セキュリティチェック近くのお店まで戻った。秋田さんお勧めのピスコやワインがあったら買おうと思って探したけれど、残念ながら見つからなかった。
その代わり、ピスコが入ったボンボンが売っていて、1箱40個入りだったので「これはちょうど良い!」と職場土産用に購入した。
このチョコレートは物凄く酒臭かった。リュックに入れておいたらリュックからお酒の匂いが漂い出てくるくらいお酒臭い。
空港の免税店はドルで値段が表示されていたけれど、ソルで買い物したいと頼んだら換算してくれた。
ペルーの通貨はドルに戻すこともできたけど、大きな金額でもなかったので、「また来る」という気持ちを込めて、そのまま持ち帰ることにした。。
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コメント
宮田さま、コメントありがとうございます。
地震の後でペルーに行かれたのですね。イカの街ではやはり大きな被害が出ていたのですね・・・。
宮田さんは織物をされていらっしゃるのですね。
それでは、リマの天野博物館にはいらっしゃいましたでしょうか。
私は、今となっては、イカの博物館の織物の印象は遠く霞んでいて、天野博物館で見た織物の方がより印象に残っています。
8月に行かれたということでは、お天気もよく、クスコなどでも青空が広がっていたのではないでしょうか。
また、最近のペルーのお話などお聞かせくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2008.05.19 18:02
2007年8月に、私・宮田信一もぺル-にい行きました。ブラジルからリマ空港に夜中に着き、ホテルに直行、午前4時には起きてリマ空港に着き、6時出発という強行軍でした。7時にはクスコ空港に着いたものの、高山病で一日ホテルでダウン。夕方ようやく起き上がることができたことを思い出します。翌日6時過ぎの汽車でマチュピチュまで行き、マチュピチュの雄大な姿を堪能し、下の宿で一泊し、川沿いの博物館と植物園に行ったことは、とても有意義でした。その際、下からのマチュピチュを見たことも感動的でした。
最終日に、リマ空港からイカ空港までセスナで飛び、同じ飛行機で、ナスカの地上絵を見ましたが、私もそんなに感動はしませんでした。偶然、ペルーに行く前にNHkでマチュピチュを見たし、その前に美術館で地上絵の展示会にも行っていたので、予備知識はありました。確かに見えたものの、写真には写らないし、そんなに形が鮮やかでもありませんでした。ただイカ博物館の織物の展示は、すばらしいものでした。私が「さをり」という織物を20年以上してるので、インカの織りの技法にはびっくりしました。早速織りの技法をスケッチし、帰国後、真似て織ってみました。博物館の裏のナスカの地上絵のミニチュアは、直前にあったピスカの地震で崩壊し、見ることは出来なかった。
イカの町は砂漠のど真ん中でアレキバというアシスにボートが浮かんでいて、その周りにやしの木が植わっていて、お土産物の屋台が何軒か出ていたのは、まったく同じですが、ここもピスカの地震で、鉄筋が入っていない建物は、完全に崩壊していた。
ソルの通貨は、正式にはヌエバ・ソルということですが、お店では、「40ソル」というように言ってていましたね、
投稿: 宮田信一 | 2008.05.18 21:48