ケニア旅行記7日目
2003年9月19日(金曜日)
5時半に起きて、ナイロビに置いて行く荷物を選んでトートに詰める作業を黙々と行った。
元々そんなにたくさんの荷物を持ってきているわけではないから、買ったお土産と蚊取り線香くらいしか置いていくものはない。
朝食はいつもどおりのビュッフェである。レイク・ナクル・ロッジではパンケーキもその場で焼いてくれるのが嬉しい。
みんながあまりにも「美味しい」というのでパイナップルも食べてみる。どちらかというと苦手だけれど、確かに甘くてみずみずしくてとても美味しかった。
今日はジョージの車で出発である。ジョージがケニアの新聞を見せてくれる。タブロイド判で64ページ。かなりの情報量なのではあるまいか?
英字新聞を読める語学力はないからパラパラとめくっただけだけれど、求人広告が多いのが目に付いた。
ほどなくナイバシャ・カントリー・クラブに到着した。ナクル湖はソーダ性の水だけれど、ナイバシャ湖は純粋な淡水湖だそうだ。
トイレ休憩を取ったツアーの方々がそのまま吸い込まれるようにお土産物屋さんへと流れ込んで行く。お土産に見せるみなさんの熱意は凄い。年輩の方が多かったこともあって「嫁に」とか「娘に」とか、口々に言いながら探している。
お土産購入が一段落し、ボートサファリへ向かった。一艘だけあるという屋根付きのしっかりしたボートに乗ることができてラッキーだ。ライフジャケットを着けて出発する。ペリカンや水鳥があちこちにいる。
岸辺近くでカバを発見した。これまでは遠目に見るだけだったので、カバだとはっきり判るカバを見たのは初めてかもしれない。
カバの大あくびも見ることができた。カバの口の中はやけに鮮やかなピンク色をしている。あまりにもしげしげと見てしまい、写真を撮りそびれた。
お天気も良く、遠くにはロンゴット山やアバーディア山を望め、気持ちよく風に吹かれる。1時間余りでボートサファリは終了となった。
ナクル湖から少し車で走り、アフリカ大地溝帯を望む展望台のようなところでフォト・ストップとなった。
お土産物屋さんがあって、青い揃いのシャツを着た男の人たちは、客引きに余念がない。これまでそんなに「怖い」と思ったことはなかったけれど、ここの人たちは本当にピタリと背後に付いて来るので怖かった。
正直に言うと、昨日ナクル湖に行く途中に見た大地溝帯の方が(もちろん同じものだけれど)格好良く見えた。
写真を撮って早々に車に戻ろうとしたところで「ハイラックスがいる」と言われ、好奇心に勝てずに見に行った。ウサギくらいの大きさの、ウサギのようなネズミのような茶色い生き物である。可愛い。
お店の人が「○○(パン?)をあげれば近くに寄って来るから買え」と添乗員さんをしきりに勧誘していたけれど、添乗員さんは見事に撃退していた。見習いたいものだ。
大地溝帯の展望台からナイロビまで、連日の早起きに負けて車で熟睡した。ナイロビの日本食レストラン「東京」へ行く道筋はスラムの谷のようだったらしい。
私が目を覚ましたのは、車がレストランにまさに入ろうとしているときだった。レストランだというのにそこは門がピタリと閉められ、門衛さんがいる。門衛さんに門を開けてもらわないと入ることもできない。それだけで周辺の治安の悪さが想像できる。きちんと自分の目で見ておきたかったと思う。
添乗員さんが「ケニア風の日本食ですから」と何度も断りを入れるので一体どんな日本食なんだろうと思っていたら、想像していたよりずっとちゃんとした幕の内弁当とわかめスープの昼食で、結構美味しかった。
白いご飯に、お刺身、天ぷら、焼き物(いか、たこ、魚)、煮物(牛肉のしぐれ煮みたいなものと鶏肉)、サラダ、フルーツ、それにそば茶のような風味のお茶がつく。
この日本食レストランの庭からは、ナクル湖で見かけたよりもうちょっと咲いているジャカランダの花が見えた。
この後、我々は国内線の飛行機でマサイ・マラに向かうので、ずっと一緒だったドライバーさん達とはお別れである。添乗員さんはここで彼らにチップを手渡していた。
国内線専用の空港に到着し、マサイ・マラに持って行かない荷物を車に積み直して預かってもらう。ここまで一人一つずつ持っていたスーツケースを二人で一つにまとめているご夫婦が多かった。
15時発の予定だけれど、特にアナウンスもないままマサイ・マラに向かう飛行機は遅延している。
ツアーの方々は、「チャンス!」という感じで大挙して待合室の2階にあったお土産物屋さんへ流れて行った。確かにこれまで見たお土産物屋さんの中で一番品揃えが良い。
マサイの布を買った人が何人かいた。赤というか濃いめのピンクの派手な布だ。
40分遅れくらいで、手荷物検査も受け、何故か空港内に生えているバナナの木を眺め、飛行機まで歩いて行って搭乗した。50人乗りくらいの飛行機は満席である。思っていたより大きな飛行機で安心したけれど、コックピットとの間はカーテンで仕切られているだけだ。
マサイ・マラには四つの空港があり、私たちが降りる空港が何番目になるかは降りてみないと判らないという。
一つ目の空港は違ったらしい。そこには、土の滑走路があって、掘っ建て小屋のようなお土産物屋さんがある。店は開いていなかったけれど、「TAX Free」の文字が見える。謎だ。
ムパタ・サファリ・クラブに近い空港は二つ目の停車場(という言葉がイメージに一番近い)だった。
各ロッジの車が迎えに来ていて、ムパタ・サファリ・クラブの車はランクルだった。荷物を確認し、適当に分乗してロッジに向かう。
添乗員さんは、ドライバーさんから雨季が始まっているのかどうかとか(始まりかけ、といったところらしい)、野焼きのこととか(飛行機から見えた煙はこれのせいらしい)、聞き出している。
途中、トピの親子が道筋にいて、車を停めてくれた。
ムパタ・サファリ・クラブは確かにお金がかかっていそうな空間だった。チェックイン手続きに時間がかかり、その間にロビーやお土産物屋(日本人がオーナーの割に品揃えが薄い)や図書室スペースやレストランを見学する。
チェックインが済んだのは18時半過ぎだった。
ロッジ形式のお部屋までポーターさんに案内してもらった。私は14号室だ。お隣が12号室だったので「13号室は?」と聞いたら、「このロッジには4号室と9号室もない。なぜならオーナーが日本人だからだ」という返事だった。
それならばと「4」は音が「死」につながるから縁起が悪いと言われていると説明したところで、はたと困った。「9」の「苦」は何につながるんだろう。「苦労」って英語で何と言うのか思いつかないまま曖昧なままお茶を濁したので、きっと彼は余計な混乱に陥ったに違いない。本当にお粗末な英語力で申し訳ない限りだ。
ムパタ・サファリ・クラブのレストランでは三國清三 氏監修のフレンチが供される。夕食はアボガドのサラダ、スープ、メインはラムか魚を選べ、マンゴのケーキとコーヒーが食後に出た。
レストランにはステージもあり、歌ったり踊ったりのアフリカ民族ショーがある。出演者はロッジのスタッフだったらしい。
ムパタ・サファリ・クラブでは、電気の供給される時間が決まっている。自家発電なんだろうか。夜は23時で消灯だ。
マサイ・マラは高度が高く蚊がいない代わりに、やはり涼しい。ベッドには可愛い湯たんぽが入れてあった。
明日はバルーン・サファリのため、日の出前に出発である。電気で目覚めようと電気を点けたまま、ジェネレータの停止で勝手に消えるだろうとそのまま就寝した。
2005年6月4日画像追加
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