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2006.07.30

熊野古道旅行記2日目

2006年4月30日(日曜日)

 旅館とちごでの朝ごはんは7時からだ。
 ごはん、わかめと豆腐のおみそ汁、サワラの塩焼き、地卵の卵焼き、さといもと蕗の煮物、ほうれん草のごま和え、キュウリの糠漬け、という「これぞ日本の朝ごはん」というメニューだ。
 お昼のお弁当をいただき、ペットボトルにお茶を詰めていただく。

 今日はここからタクシーに分乗して歩きの出発地点まで向かう。大きな荷物は旅館のお父さんが車に乗せて今日の宿まで運んでくださる。
 お母さんと旅館の前で撮影大会をし、8時に出発した。
 乗せてもらったタクシーの運転手さんがまた面白い人で、「とちごの女将さんはうちのおかんに似てる」などとおっしゃる。和歌山県は格好良いお母さんの宝庫なのかも知れない。

 車で走ること30分、今日の歩きの出発地点に到着した。
 旅程表では、湯川王子から熊野本宮大社まで歩くことになっていたけれど、昨日が雨であまり歩けなかったためなのか、それ以外の理由なのか、昨日のうちに語り部の宇江先生から「予定よりもう少し手前から歩き始めます。30分くらい登りが続きます。」と宣言されていた。
 結局どこから歩き始めたか定かではないけれど、後になって思い返し、地図と照らし合わせてみたところでは、岩神王子手前の女坂付近から歩き始めたのではないかと思う。

炭焼き 8時半に、歩き始めた。
 林道を外れ、川に渡された小さな橋を踏んで、山中の熊野古道を出発である。
 出発してすぐ、炭焼き釜の跡があった。ここから出発した理由のひとつは、宇江先生がこの炭焼きの跡を見せたいと思ったからではないかと思う。先生は若い頃は炭焼きのお仕事をされていたそうだ。

 紀州備長炭は江戸時代から熊野の特産物で、上等の炭なら15kgで7000円くらいするらしい。お米と同じくらいの値段である。
 紀州の特産物だから杉の木から作っているのかと思ったら、炭は樫の木から作るそうだ。杉の木からは作れないらしい。
 窯を作り、運んで来られる範囲の樫の木を全て炭にしてしまうと、その窯を捨て、また次の場所で窯を作る(あるいは、古い窯を作り直して使う)。その繰り返しだ。
 修験道の山伏でもある宇江先生の法螺貝の音の応援を受け、再び出発である。

 最初は、ひたすら上り坂だった。出発前に旅行社から送られてきた案内には「息が切れるような難所はありませんが、踏む距離は長いです。」と書いてあったけれど、大嘘である。
 土の山道はところどころ石が半分埋まっていて、滑らないようになっている(のだと思う)。
 見上げるような結構な急坂が続き、しかも見上げても終点が見えない。
 このまま永遠に上り坂が続くんじゃないかと思いつつ、黙って一歩一歩足を出す。息が切れてしゃべることもできやしない。

沢ガニ 30分くらい登ったところでふと下を見ると、さっき歩き始めた林道が遙か下に見えた。我ながら、よくがんばっている。
 沢ガニを見つけてみんなでのぞき込む。私は「写真を撮る」と称してしょっちゅう自主的に休憩していたけれど、ツアーのみなさんは本当に黙々と歩いている。そんな中、沢ガニ発見はかなりのイベントだ。
 沢ガニと別れて10分くらいで岩神王子に到着した。休憩である。
 とっくに汗だくになっていたので、上に羽織っていたゴアテックスを脱ぎTシャツになる。

 岩神王子は岩神峠からすぐのところにある。今は社も失われ、「岩神王子」と彫られた石が立っているだけだ。
 ここからしばらくは下りとなる。息は楽になるけれど、今度は膝と足の指に負担が来る。
 足の指が痛いのは、私がいわゆるトレッキングシューズではない、紐ではなくマジックテープで締める山用でない靴を履いていたせいだと思う。その靴で踏ん張ると親指に全体重がかかる気がする。
 木を渡して階段状になっているところでは、足の指は楽になるけれど、今度は膝が笑い始める。立ち止まると膝が震えているのが見て判るくらいだ。

 30分くらい歩き、少し道が平らになって楽になったな、と思ったところで、杉林の上の方が開けた。陽が射して若い緑がキラキラ輝いているように見える。
 添乗員さんに「写真、撮るんでしょう?」と言われ、謹んでカメラを構える。そういえば、せっかくリュックを背負って両手を開けていたにもかかわらず、私はこの日、1日中カメラとタオルを手に持って歩いていた。山歩きに慣れていない上に体力も運動神経もないくせに、我ながらふざけた態度である。

 沢に沿って歩いたり、その沢にかけられた黄色く真新しい丸太橋を渡ったり、もう架けられて何年もたつのか土や葉が積もっているような丸太橋を渡ったりして進む。
 10時少し前におぎん地蔵を通過した。この近くの古道が、私たちが通った約1週間後に崩れている。
 もうこの頃からすでに、私は最後尾を歩くことが多くなった。写真を撮っては遅れ、追いつくために急ぐ体力などカケラもない。

 10時15分くらいに蛇形地蔵に到着した。
 遅れ気味の私は、宇江先生のお話も途中から聞いたり、追いつく頃にはお話の中心は終わったりしていたことが多かった。
 しかし、蛇形地蔵では、お手洗いもあって長めの休憩を取ったので、「だるがつく」という言葉を教わることができた。急に疲労困憊して歩けなくなってしまうことを表す言葉である。
 私たちみんなが疲労困憊して見えたらしく、励ますための法螺貝も吹いてくださる。
 ツアーの方があんこのお団子を配ってくださる。甘さが染み渡るようだ。

 法螺貝についてのお話も伺う。
 奥駆けの修行をするときに、勤行をする。勤行と聞いて「滝に打たれるんですか?」と聞き返してツアーのみなさんに笑われてしまった。真言を唱えることを勤行というそうだ。
 その勤行を始める前に「これから勤行します」、歩き始める前に「これから出発します」、宿に着いたときに「これから宿に入ります」ということを知らせるために法螺貝を吹く。山の上で吹くと宿の人が到着を知り、ごはんの用意を始められるという仕組みだ。
 法螺貝には音が五つあって、吹き方によって変えられる。その五つの音で奏でる旋律により、違う内容を伝えられる。ただし、高音を出すのはかなり難しい。

 10時半くらいに休憩を終えて出発した。
 蛇形地蔵を出てすぐ、渓流沿いを歩く。リュックを背負った背中は汗だくだし、この頃から膝が笑ったり足の指に体重がかかるだけでなく、背中が妙に突っ張っているような気がし始めた。それでも、とりあえず気温が少し下がったような気がするし、何より水音が爽やかである。
 蛇形地蔵から10分くらいで、湯川王子に着いた。
 そういえば、元々の予定ではここから歩き始めることになっていたんだよな、2時間かけて出発点にたどり着いたのか、としみじみする。

 湯川王子は九十九王子の中でも比較的格式の高い准五体王子のひとつで、道湯川(多分ここまで沿って歩いてきた渓流の名前だろう)の氏神様である。明治時代に近くの神社に合祀され、昭和30年代以降は無人になっていたけれど、最近、小社殿が再建されている。
 この再建された小社殿の上屋が再び倒れたのは2006年7月上旬のことだ。
 湯川王子近くに後鳥羽上皇が御所を築き、宿泊や休息、谷川で禊ぎをしたと言われているが、その場所は今も特定できていない。

 明治時代からこの地が無人になる昭和30年代くらいまで、この辺りは「義務教育免除地」だったそうだ。
 集落に住む人が少なく学校は維持できない、こちらの学校までは7km、あちらの集落までは10km、しかも山道となると通いきれない、という事情だ。全国的にも珍しいらしい。

 湯川王子から三越峠まで、またしばらく登りが続いた。
 添乗員さんは「軽い登りです。」と説明しているが、登りながら撮った動画には私の息が切れている音だけがくっきりと入っている。しかも「朝より辛い。」と呟く声が入っているから、相当キツかったのだと思う。
 岩神王子までの登りよりもキツく感じたのは、すでに2時間強歩いていることや、坂ではなく階段だったためではないかと思う。
 それでも、登り始めて25分で三越峠に到着した。

 三越峠やはり峠だ。風が通ってとても涼しい。
 休憩所やその周辺に皆して座り込む。水分を補給し、チョコレートなどを囓る。休憩所の近くに水道があったので、思いっきり顔を洗うとサッパリした。
 10分ほどの休憩の後、11時15分、今度は道を下り始める。

 再び渓流沿いの道を歩いていると、急に「ゲッゲッ(と聞こえた)」と声がした。道沿いに石組みが組まれ、苔やシダが生えていて、その辺りから声がしている。立ち止まって目をこらしてみたけれど、蛙の姿は見つけられなかった。
 30分ほど歩いたところに、綺麗な石組みが残っている集落跡があった。結構大きな集落っぽい。しかし、もう建物などは残っていない。石組み跡にも綺麗に植林されていた。

 何となく気後れして写真を撮らなかったしメモも取らなかったのでうろ覚えだけれど、多分この辺りを歩いているときに、宇江先生から「この家では幽霊が出たんです。」というお話を聞いたと思う。
 何軒かの無人の家が集まっているうちの一軒で、もうすでにそのおうちの方は別の場所に引っ越し、無人の家の筈なのに、そこを通りかかった旅人がおうちにいた方に招かれ、お茶を振る舞われたという。

 そんなお話を聞いていたら、ツアーの方が「さっきから、後ろから誰かが付いてきている気がする。」とおっしゃる。今は10人以上の人が固まって歩いているからいいけれど、それでもかなり怖い話だ。その話を聞いていた別の方が「そういうときは、お先にどうぞ、って道を譲るといいのよ。」とおっしゃる。
 少し道が広くなったところで、「お先にどうぞ。」と通して差し上げたら、その後は「後ろから付いてきている」という感じはなくなったそうだ。良かった・・・。
 私はこういう感覚に襲われることはまずない(もしかしたら生まれてから一度もないかも知れない)タイプだけれど、覚えておこうと思う。

 そろそろ正午近くなり、お腹もかなり空いてきた。そんなところにこんな坂(というか階段)はかなりキツい。
 それでも、この坂を登り切った辺りから、道も平坦に広くなり、格段に楽になった。遅れた私たちについていた添乗員さんが、走って先頭にいる宇江先生を追いかけて行く。お昼ごはんの相談に行ったようだ。
 川沿いの山桜を見ながらのんびり歩いて、公園のような広場のようなところに到着した。

 12時15分、待望のお昼ごはんとなった。お弁当は、朝、とちごのお母さんに渡されたもので、おかかの入っためはり寿司のおにぎり、梅干しのおにぎり、めはりを刻んでご飯に混ぜ込んだおにぎり、卵焼きとウィンナと佃煮が入っている。
 普段ならおにぎり(それも結構大きい)三つなんてとても食べられないけれど、歩き続けているせいか、美味しさのせいか、「お腹いっぱいだよ」と思いつつ完食した。

船玉神社 この広場には、川舟が一艘、展示されていた。
 こういう舟を伝馬船というらしい。昭和の中頃までは渡し船として、その後は鮎漁で使われていたものだ。この後向かう船玉神社まで、漁師が鰹を担いでお参りしに来ることもあったという。
 30分ほどのお昼休憩後、出発し、2分くらいでその船玉神社に到着した。この神社から峰沿いを歩いて今日の宿である湯の峯温泉まで3時間くらいで歩ける道があるそうだ。松林が続きマツタケも取れるらしい。心惹かれるけれど、今は熊野本宮大社を目指さなければならない。

 もっとも、「目指さなければ」と力むほどのことはなく、船玉神社から30分弱で猪鼻王子に到着した。この辺りから眺めた山の稜線がイノシシの鼻のように見えたことから「猪鼻王子」と名付けられたそうだ。
 現在は「跡」という感じでほとんど何も残っていない。
 猪鼻王子から発心門王子までの道筋に濃いピンクの山つつじが咲いていた。熊野古道を歩きながら、この時期、この山つつじを一番たくさん見かけたような気がする。

 13時20分、発心門王子に到着した。
 発心門王子は五体王子に列せられていた格式の高い王子であり、ここから熊野本宮大社の境内だと考えていいそうだ。
 「ここから境内」だからか、距離として手頃なためか、観光バスで来たらしいツアーの一団をいくつも見かけるようになった。
 理由はすっかり忘れたけれど、私は発心門王子の写真を一枚も撮っていない。何故だろう? 疲れ果てていた、というのが一番ありそうである。

 発心というのは仏教用語で「菩提心を起こすこと」という意味だ。
 そして、菩提心というのは、「悟りを求め仏道を行おうとする心」という意味だと広辞苑に書いてある。
 どうして「熊野本宮大社」という神社に入るのに「仏道を行おうとする心」なのかというと、熊野信仰は昔から神仏混淆だったからだ。仏様と神様は一緒だと考えられていて、仏様だと考えて般若心経を唱えてもいいし、神様だと考えて祝詞を唱えてもいいらしい。

 昔の人は、今までの道ももちろんのこと、熊野本宮大社の境内であるここからは特に、願いごとを持って歩いていた。生きている今のこととともに、「来世」への願いを強く持って歩いたらしい。
 熊野本宮大社と熊野新宮大社、熊野那智大社のそれぞれに修験道があり、宇江先生は那智大社に所属する山伏である。那智大社から吉野までの山道を1週間で走破する奥駆けもするという。
 昔の山伏は加持祈祷をしてそれで生計を立てていたけれど、今は宇江先生が知っている範囲でそうやって生計を立てている山伏の人は女性が一人いらっしゃるだけだそうだ。

山のさくら 何か願いごとを思いつつ歩こうと思ったし、そうしたと思うけれど、何を願ったのかどうしても思い出せない。こんなことでは、きっと、聞き届けてもらえないだろう。
 ここからの道は、水田などに面した、細いけれど舗装された道が多くなった。昨日のお話にもあった通り、熊野古道(の一部)は生活道でもある。
 道から見上げた山にポツポツと白くぼんやり霞んでいるところがあった。山桜である。目一杯ズームさせてファインダーを覗いてもよく分からなかった。残念である。。

水呑王子 前方に鯉のぼりが見えてきたな、そういえばあと5日で子どもの日だ、とのんびりと歩いて到着したその場所が水呑王子だった。
 もちろん水飲み場(というと、どうも情緒に欠ける)があり、ひしゃくが置いてあって飲むことができる。ついでに、ペットボトルの水が残り少ない人は補給する。美味しい水だ。
 水呑王子は、元小学校分校の敷地跡にある。
 ここから先またしばらくは杉林の中の土の道に戻ったり、舗装道になったりする。

 両脇に水田の広がる舗装道では、あちこちに無人販売所があり、野菜やお茶、梅やミカンなどが売られていた。見つけるたびに覗き込み、「買いたいけど、我慢しよう。」などと言っていたけれど、ついに我慢しきれなくなって梅ジャム100円を購入した。家に帰ってトーストに塗って食べたら、思っていたほど酸味が強くなく、とても美味しいジャムだった。
 庭先の水道で大きなウコンを洗っているお母さんと小さい男の子がいた。「こんにちは。」と声をかけると恥ずかしげに顔を隠してしまった。可愛い。

 この辺りは水田が広がっているけれど、熊野全体をみると山が海際ぎりぎりまで迫っているためお米を作るには不向きである。だからお米は貴重品で、熊野ではずっと茶がゆにして食べるのが一般的だったらしい。
 「茶」はこの場合は番茶で、そういえば道々見かけた無人販売所でも大きな袋に入った番茶が売られていた。

 そうこうしているうちに、また前を歩く方たちとの間が開いてしまう。私が伏拝王子に到着したのは14時30分を過ぎた頃だった。
 伏拝王子は少し小高くなっていて、その10段くらいの階段の向かい側にお茶屋さんがある。梅ジュース(買って飲もうか迷った末買わなかったので覚えている)などなどをその場で座って飲むことができる。このお茶屋さんでお手洗い休憩も兼ねて一休みし、伏拝王子に上がった

 熊野本宮大社は元々は熊野川の中州にあったけれど、明治22年の大水害で流されてしまい、現在の場所に移されている。
 中州にあった頃は、伏拝王子からまさに目の前に熊野本宮大社を望むことができ、「伏拝王子」と名付けられた。
 そう説明してもらったけれど、残念ながら私には、肉眼でも、撮った写真でも、伏拝王子から熊野川中州を確認することはできなかった。

 また、和泉式部が熊野本宮大社にお参りした際に、伏拝王子の地で月の障りになってしまい「お参りできない」と嘆いて歌を詠んだところ、夢に熊野の神様が現れて「お参りしても良い」とおっしゃったという伝説が残っている。
 以来なのかそれ以前からもなのか、とにかく、熊野の神様は男女の別などにこだわることなく万民の神様である、ということである。

 和泉式部の歌について後で調べてみたら、み熊野ねっとというサイトの「熊野の歌」というページが見つかった。その説明によると、
「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」
 と詠んだところ、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、
「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」
 と返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという物語が残っている。
 実際のところ、和泉式部が本当に熊野にお参りしたかどうかは明確には判っていないらしい。

 伏拝王子の近くに、何年か前に放映されたNHKの連続テレビ小説「ほんまもん」の主人公の家のロケ地が残されている。
 家の中の様子はスタジオで撮影し、その家の外観と家の周りの風景を「ロケ地」で撮影したそうだ。今でも、それを目当てに訪れる人がいるという。
 池脇千鶴演じる主人公の祖父を演じていたのが佐藤慶で、山伏という設定だったそうだ。奥駆けのシーンがドラマの中にあって、宇江先生もエキストラで出演したという。「ゆっくりと、でも速く走っているように走ってくれ」と言われて難儀したと笑っていらっしゃった。

 伏拝王子から熊野本宮大社裏手の祓戸王子まで、1時間くらいだった。
 写真を見ると、結構アップダウンがあったようだし、祓戸王子に着くまでに前を歩く宇江先生やツアーの方々を見失って少し焦ったことも覚えている。
 それでも、やっぱり「のんびりと歩いた」という記憶が残っているのは、それまでの道が(私にとって)過酷だったからだろう。

 伏拝王子から熊野本宮大社裏手の祓戸王子までの道のりは、土の道だったり、石畳ぽかったり、階段状だったりで、舗装道はほとんどなかった。
 熊野の山は、昔は雑木林が8割で植林した杉林が2割くらいだったが、現在はその割合が逆転している。確かにこれまで歩いてきた道筋は綺麗に整って植えられた杉の木を多く見てきたけれど、この間は雑木林っぽいところが多かったように思う。

熊野本宮大社裏手 やっと到着した祓戸王子は、熊野本宮大社のすぐ裏手にある。(裏門に当たる?)鳥居もすぐそこに見えている。この鳥居は、木で作られていて、何となくタテヨコのバランスの不思議な地味な鳥居で、意外な感じがする。
 ここで全員が揃うまで少し休憩した。
 祓戸王子自体は石の小さな祠があるだけだ。木に囲まれていて、少し平らに広くなっていて、妙な例えで申し訳ないけれど、田舎のおばあちゃんちのお墓のような感じである。

 何はともあれ、朝8時半に出発して歩くこと7時間20分、15時50分に熊野本宮大社に到着した。

 熊野本宮大社がいつの時代に祀られたのかは判っていない。古い古い、記録に残るよりずっと以前から信仰を集めていたのだろうという。
 熊野本宮大社は、家津美御子大神(私には「スサノオ」と言ってもらった方がまだ馴染みやすい)と阿弥陀如来をお祀りしている。元々の信仰の最初は、熊野川の流れを崇拝していたのだろう、というお話だ。
 明日行く予定の熊野速玉神社は、今の神倉神社の大岩を、熊野那智大社はもちろん那智の大滝を、ご神体としていた。熊野三山は自然崇拝を元にした信仰から始まっている。

牛王符 昔から熊野詣でをする人は、牛王符をいただくことを目的としていた。大事にいただいて帰り、魔除けとして貼っていたという。
 授与してくれた巫女さんに伺ったところ、南面または東面するように飾るとよいそうだ。または、玄関に貼っておけば泥棒よけになるという。
 この牛王符は熊野三山にそれぞれあり、異なるデザインではあるものの、いずれも八咫烏を図案化し並べている。

 熊野本宮大社の神門の中には、本殿(というか、四つの社)がある。元々は十二神が祀られていたけれど、あと八つの社は明治の水害で流されてしまい、この地に移されたのは、格の高い神様がいらっしゃる四つの社だけである。
 この移設を手伝ったのが浅草寺だというのも何だか面白い。
 本宮大社では神門の中は撮影禁止だった。だからなのか、何故かここでだけメモを取っていて、第一殿が「夫須美大神」、第二殿が「速玉大神」、第三殿が「家津御子大神」、第四殿が「天照大神」をそれぞれ祀っている。

 四人の神様にそれぞれお参りした。でも何をお願いしたのかやっぱり覚えていない。「熊野古道を歩く」ことは考えていたけれど、「熊野詣でをする」ことは全く考えていなかったのだ。
 せっかくたどり着いたというのに、熊野本宮大社についての記憶はもの凄く曖昧である。
 集合が熊野本宮大社の正門といえる大鳥居の前で、そこまで長く続く階段を降りながら「これを上がらなくて済んでよかった」と思ったことや、その大鳥居の下で法螺貝を吹く宇江先生をデジカメの動画で撮影したこと、鳥居の横に八咫烏の意匠がついた幟が掲げられていたこと、バスを待っている間にその幟が降ろされてたたまれてしまったことくらいしか覚えていないのが情けない。

八咫烏 湯の峰温泉行きのバスの時間まで少しあったので、大齊原まで皆で行ってみた。緑とれんげの花と鯉のぼりが何とものどかである。
 熊野川の中州には、今はこの真っ黒な大鳥居と「世界遺産」の碑が立つだけである。後鳥羽上皇や後白河法皇が詣でたのは、もちろんこちらにあった熊野本宮大社である。
 そんな昔から川の中州にあってびくともしなかった本宮大社を移転させた明治の水害というのがもの凄い天変地異だったことが想像できる。
 鳥居の真ん中の金色の印は八咫烏だ。

 熊野本宮大社前のバス停で宇江先生とはお別れし、湯の峯温泉行きの路線バスに乗った。運良く全員座れてほっとする。終点の湯の峯温泉まで290円だ。
 30分くらい揺られ、17時15分に今日の宿である「旅館よしのや」に到着した。すぐにお風呂をいただき、18時30分から夕食である。
 夕食のメニューは、お刺身、鮎の塩焼き、酢の物、温泉で炊いた湯豆腐、茶碗蒸し、煮物、フライ、ごはん、お吸い物、山ももである。
 これでお酒を飲んだらすぐ寝ちゃうよね、と同じお部屋になったお姉さんと意見が一致してアルコールは自粛する。お腹は空いているし、とても美味しいごはんだった。

 ツアーの中に、湯の峯温泉に到着すると同時に「つぼ湯(小栗判官を甦らせたという温泉で、世界遺産にも登録されている)」を予約した方がいらっしゃり、ちょうど予約時間になって向かっているところに行き合わせた私は、ちょっとだけ中を覗かせていただいた。岩風呂と岩の洗い場(水道などはなさそうだった)に木の小屋をかけてある感じだ。
 もちろん源泉に近いところにあり、効能がありそうでちょっと雰囲気のあるお湯だった。

 宿から歩いて2〜3分のところに公衆浴場があり、ツアーに一人参加していた女性4人で行ってみることになった。
 券売機で、普通のお風呂と薬湯のお風呂のどちらかを選ぶようになっている。係のおじさんに「どこが違うんですか?」と尋ねると、「薬湯」というのは源泉そのままの薄めていないお湯だと言われ、もちろん、そちらを選ぶ。
 お風呂には先客がお二人いらっしゃった。この近く(といっても車で30分くらいかかるらしい)から毎週のようにいらしているそうだ。何か持病をお持ちで、定期的にこのお湯を使っていると大丈夫だけれど、少し時間をおいてしまうと大変なのだ、と語っていらっしゃった。
 小栗判官を甦らせたお湯だ。霊験も効能もあらたかなのだろう。
 しかし、かなり熱いお湯で、我々は3分とは浸かっていられなかったと思う。

湯の峯温泉 公衆浴場からの帰り道、暗い中に浮かび上がる湯の峯温泉の源泉の流れ(だと思われる)の写真を撮った。
 この写真の左奥に写っている木枠のところでは、タマゴやさつまいもをゆでることができるように網をひっかける釘が打ってあり、熱そうなお湯がこんこんと沸いていた。お風呂からあがったら試してみようと思っていたら、その時間には売店がすでに閉まっていて挑戦しそびれてしまったのが残念だ。

 明日の午前中いっぱいで、このツアーは終了する。
 4人それぞれに翌日の午後以降の予定を話し(青岸渡寺の宿坊に泊まって翌日伊勢神宮に行く方、大阪の実家に寄り道される方、京都でおいしいものを食べる方)、熊野本宮大社のバス停横のお店で買ったという夏みかんをご馳走になる。
 おまけに、私はその後、同じお部屋になったお姉さんに足のマッサージまでしていただいた。「痛い〜。」とか「膝が笑う〜。」とか騒いでいたからだろう。申し訳なかったけれど、でもとても気持ちよかったし、翌日かなり楽になっていた。

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2006.07.27

「旅サラダ モンゴル特集」を見る(予定)

 テレビ朝日系列で放映されている「旅サラダ」という番組で、2006年7月29日(土曜日)に「モンゴル特集」が放映されることを知った。

 番組ホームページを見たところ、「登山家としての活躍も目覚しいレーサーの片山右京がモンゴルを訪れる旅。」だそうだ。
 ウランバートル市内の自然史博物館を訪れたり
 馬が中心のサーカスを見たり
 「ナーダム」という相撲・競馬・弓射の3種目を国全体から集まった人々が競うお祭りを見たり
 乗馬トレッキングに挑戦したり
 ゴビ砂漠に野生馬を見に行ったり
 ラクダに乗って砂漠を遊牧するツアーに参加してゲルを建てたり
 ロシア国境近くのフブスグル湖を訪れたり
 古都・ハラホリンにも行ったり・・・。
 とにかく、超ハードな旅の模様が放映されるようだ。一体、何日間かけて撮影したのだろう?
 忘れないように見たいと思う。

2006年7月29日(土曜日)午前8時から
テレビ朝日系列 旅サラダ
番組のホームページはこちら。

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「てくてく歩き 7 伊豆」を購入する

 友人と修善寺旅行の相談をして、ほどほどにお天気が良かったら、浄蓮の滝周辺を歩いてみようということになった。
 でも、私が買った「タビリエ 12 伊豆」は、浄蓮の滝そのものや周辺の情報が余り載っていなかった。
 それで、今日、再び本屋で各ガイドブックを読み比べ、「てくてく歩き7 伊豆」を購入した、サブタイトルに「気ままに電車とバスの旅」とついていて、公共交通機関を利用して移動する者に優しいガイドブックのようだ。
 運転免許は持っているものの、近所の慣れた道をごくたまに走るくらいで、二車線以上の道路に出るのも怖いし、車線変更も怖いし、できるだけ右折をしたくない私には、レンタカーの旅はとても縁遠いものなのだ。

 インターネットで情報収集すれば十分な気もするのだけれど、でも「本」という形になっていることは大好きだし、画面を見るよりも本を読む方が(例え同じ情報が載っていたとしても)楽しい。
 今のところ、国内旅行に行くなら必ずコレ! という定番のガイドブックがないので、何だか散財したような気もするけれど、準備も旅の楽しみのひとつだと思う。

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2006.07.23

「絶景!これは見たい ベスト30」が発表される

 毎週土曜日の午後8時からNHKで放映されている「探検ロマン 世界遺産」という番組で、昨日(2006年7月22日)「絶景!これは見たい ベスト30」が発表された、らしい。
 見よう、見ようと思っていたのに、昨日は1日出かけ、ビデオをセットするのを忘れていた。
 今朝になって、ココログのアクセス解析を見ていて、「絶景!これは見たい ベスト30」を見る(予定)にアクセスしている人が多いのは何故だろうと考えて、やっと放映されたことに気がついたのだ。情けない。
 7月26日(水曜日)の深夜25時55分からと、7月28日(金曜日)の16時05分から、再放送が予定されているので、どちらかは必ずビデオをセットして見ようと思う。

 再放送を待ちきれず、「探検ロマン 世界遺産」のWebサイトの中でベスト30を確認してしまった。
 昨年行われた「世界遺産ここに行きたい! ベスト30」での投票数は2296で、今回の「絶景! これは見たい ベスト30」の総投票数(去年は1人1票だったけれど、今回は1人3票まで投票できたから、こういう表現になっているんだろう)は22070だそうだ。
 番組も、世界遺産も、浸透してきているということだろう。

 実は昨年と今年とでランキングがどれくらい変わるものか気になっていた。
 比べてみると、こんな感じである。

 2006年              2005年
 「絶景!これは見たい! ベスト30」  「世界遺産ここに行きたい! ベスト30」
1 マチュピチュ            1 マチュピチュ
2 モン・サン・ミシェル        2 モン・サン・ミシェル
3 イグアス国立公園          3 ピラミッド群
4 九寨溝               4 九寨溝
5 ピラミッド             5 アンコール遺跡群
6 アンコール遺跡群          6 ペトラ
7 グランド・キャニオン国立公園    7 アルハンブラ宮殿
8 ナスカ地上絵            8 カナイマ国立公園
9 タージ・マハル           9 バチカン市国
10 ベネチア             10 フィレンツェ

11 フィレンツェ歴史地区       11 ベネチア
12 ラパ・ヌイ国立公園(イースター島)12 ナスカ地上絵
13 ガラパゴス諸島          13 タージ・マハル
14 グレート・バリア・リーフ     14 イグアス国立公園
15 ウルル(エアーズ・ロック)    15ダージリン・ヒマラヤ鉄道
16 バルセロナ・ガウディ建築群    16 ラパ・ヌイ(イースター島)
17 アルハンブラ宮殿         17 カッパドキア
18 黄龍               18 ウルル(エアーズ・ロック)
19 万里の長城            19 イスタンブール
20 イエローストン          20 屋久島

21 屋久島              21 ガラパゴス諸島
22 カナイマ国立公園         22 黄龍
23 ローマの歴史地区         23 ベルサイユ宮殿
24 カッパドキア           24 シェーンブルン宮殿
25 アルベロベッロ          25 ルウェンゾリ山地
26 サンタ・マリア・         26 ポンペイ
    デッレ・グラチエ修道院
27 ヨセミテ国立公園         27 グランド・キャニオン
28 ペトラ              28 知床
29 カナディアン・ロッキー山岳公園  29 プラハ
30 メテオラ             30 テーベ(ルクソール)
 
 この2つのランキングをどう見るか、考えてみるのもちょっと面白いかも知れない。

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2006.07.22

細々したものを買い集める(モンゴル)

 友人と修善寺旅行の計画を練った後、そのまま、モンゴル旅行で必要そうな細々したものを買い集めた。普段使わないようなものばかりなので、大したものではないけれど、結構時間がかかってしまった。
 購入したものは以下のとおりである。

  水のいらないシャンプー
  正露丸糖衣A
  シャワーシート
  CAP RETAINER(帽子が飛ばないように留めるもの)
  EYEWEAR RETAINER(めがね・サングラスが落ちないように留めるもの)

 あと、多分必要そうだと思っているのは、共同シャワーに行くときに細々したものを入れて持って行くケースか袋、くらいだろうか。

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2006.07.21

「タビリエ 伊豆」を購入する

 明日、急遽、修善寺旅行に行く3人で集まり、旅行計画を立てることになった。
 インターネットで修善寺情報を探してはいたのだけれど、「これ!」という感じの情報に当たらずにいたところだったので、ガイドブックを慌てて買うことにした。

 そんなに大きな本屋さんではなかったせいか、周辺に夏の伊豆旅行を計画している人が多いせいか、いくつかのシリーズでは「伊豆」が売り切れてしまっていた。
 それでもまだたくさんあるガイドブックの中から、JTBパブリッシングの「タビリエ 12 伊豆」を購入した。いかにも女の子チックな装丁のガイドブックである。

 帰りの電車で熟読した。
 でも、ガイドブック自体がそれほど大判でも厚いわけでもないところにもってきて、伊豆の中でも中伊豆というのはどうも地味めのエリアらしい。割かれているページ数も東伊豆や西伊豆に比べて少ないのは気のせいだろうか。やはり伊豆といえば海なんだろうか。

 明日、忘れずに持って行こう。

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2006.07.20

修善寺行きの電車を予約する

 夏の修善寺温泉旅行まであと1ヶ月になった。
 修善寺まで電車で行くには、特急踊り子の修善寺行きで乗り換えなしで行くか、三島まで新幹線で行き伊豆箱根鉄道に乗り換えるか、概ねどちらかになる。
 友人たちに行き帰りの足の希望を募ったところ、とりあえず行きは踊り子で行き、帰りはその場で決めようということになった。

 夏の終わりとはいえ夏休み中だし、仕事を抜け出してみどりの窓口に並ぶわけにも職場から指定券争奪をするわけにもいかないので、えきねっとで予約を入れた。指定券は1ヶ月前から発売され、さらにその1週間前から予約を入れることができる。

 多分、大丈夫だろう。

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2006.07.17

熊野古道旅行記1日目

2006年4月29日(土曜日)


 今回私が参加した「熊野古道を歩く」というツアーは、現地(紀伊田辺駅)集合、現地(勝浦駅)解散で、往復の交通手段は各自に任されている。
 東京から新幹線で新大阪に出て、特急スーパーくろしお13号に乗ると集合時間にちょうど良く現地に着ける。しかし、何となく疲れそうな気がしたのと、早割で航空券が安く購入できたので飛行機で行くことにした。


 9時10分離陸予定の南紀白浜行きJAL1381便は、羽田空港が混雑していたため30分近く遅れて離陸した。その時点で何となく嫌な予感がしていた。案の定、予定より10分遅れで到着した飛行機を、空港から白浜駅に行く空港連絡バスは待っていてくれなかった。
 そもそも、南紀白浜空港に到着した観光客は、ホテルから迎えのバスが来ているかレンタカーを借りるかする方がほとんどで、連絡バス利用者は少ないようだ。
 仕方なくタクシーで白浜駅に向かった。


 午前11時くらいに白浜駅に到着した。
 時刻表を眺めていたら、駅員さんが「どこへ行きたいの?」と声をかけてくださる。紀伊田辺駅に行きたいと答えると、11時25分発の特急なら890円、12時2分発の各駅停車なら190円だと言う。
 駅のバス停で確認すると、11時12分発のバスがある。こちらを選択し、30分くらいで紀伊田辺駅に到着した。500円。途中、通りかかった市立美術館でシャガール展をやっていて、事前に知っていれば立ち寄ったのにと少し悔しい。


梅ひろめ寿司 お昼ごはんを食べようと田辺駅前をぶらぶらしていると雨が降り出した。るるぶ和歌山に載っていた、駅から5分くらいのところにある宝来寿司に入る。
 このお店では、サバを芯にして田辺近海でしか育たない珍しいわかめの一種である「ひとはめ」で巻いたひとはめ寿司が味わえる。私は、迷った末、同じひとはめだけれど梅酢でご飯に味と色を付け海老を芯に巻いた梅ひろめ寿司と赤だしのおみそ汁を頼んだ。ちょっと少なめだけれど、美味しかった。


 南方熊楠旧邸は工事中だし、雨も本格的に降ってきたし、コインロッカーは見つけられないしで、仕方なく駅で集合時刻を待った。
 雨が小降りになったので駅から徒歩10分くらいのところにある闘鶏神社に行こうかと思ったけれど、私自身はともかく荷物を雨に濡らしたくない。
 闘鶏神社は元は新熊野権現社という名前であり、田辺から先の熊野古道があまりにも辛いので、ここにお参りすることで参詣したことにしてしまった人も多かったという神社だそうだ。何となく私に似つかわしいと思ったけれど、結局行かず仕舞いだった。


 新大阪からの特急が15分ほど遅れ、集合時刻の13時20分を少し過ぎて、添乗員さんも含めて全員が集合した。総勢15人、添乗員さんを含めると16人の一行だ。うち9人は女性である。
 そのままマイクロバスに乗り、出席を取りつつ熊野三山聖域の入口として重視され、そのそばに熊野古道館も建つ、滝尻王子に向かった。
 滝尻王子で、今日と明日の2日間お世話になる、修験道の山伏でもある語り部の宇江先生と合流した。
 熊野古道館に立ち寄った後、簡単な予備知識を授けてもらう。


 例えば。
 熊野古道の沿道に祀られている「王子」(この滝尻王子もそのひとつである)は、簡単に言うと熊野三山の神様の子どもの神様であること。
 白河院や後鳥羽院が参詣したときには各王子で定められた儀式を行い、滝尻王子でも歌会が催され、そのとき作られた短歌も残っていること。
 こうした儀式は信仰心を高めるために行うもので熊野三山に詣でるまでの行きの道筋で行われ、帰りには行われない。したがって京都から行きは12〜13日、帰りは7日くらいの行程であったこと。
 ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」という名前で登録されており、「霊場」には熊野三山の他に高野山や吉野山も含まれていること。
 参詣道のひとつである中辺路は、地元では「なかへち」と読み、世界遺産にも「なかへち」と登録されていること。
 参詣道として登録されている道は総延長500kmにも及ぶこと。
 和歌山県は人口108万人、和歌山市の人口が30万人で最も多く、その次がこの(今いる)田辺市で人口8万人くらいであること。
 田辺市は「熊野」の西の入口に位置し、東の入口は三重県の紀伊長島町であること(奈良県はすぐ隣だけれど、熊野に含まれないこと)。
 熊野は山岳地帯で暖かく、雨が多く、農業はあまり奮わず、林業と漁業が盛んなこと。平地が少ないため大きな工場なども進出しておらず、自然が守られていること。


 そんなお話を聞きつつ、歩けば滝尻王子から高原の里を通って5時間の道のりをマイクロバスは走り抜けてしまった。そこから今日は少しだけ歩いてみましょうと言う。
 牛馬童子を目指す。
 雨がぽつぽつ降っているのでみんなレインコートを着たり傘を差したりしたものの、実は熊野古道に入ってしまえば木立が雨を遮ってくれる。


牛馬童子 歩き始めて15分くらいで、熊野古道を歩く人々に大人気の牛馬童子に到着した。いくら運動不足の私とはいえ、これくらいなら楽勝である。
 向かって左側が牛で、右側が馬、2頭を並べてその上に跨って旅した花山法皇の姿を写したといわれているが、普通の人にこんなことをできるわけがない。実際は、「熊野古道をゆくときには、馬のように早く、牛のようにねばり強く」ということを表しており、花山法皇も牛と馬それぞれが適した場所で適した方に乗って旅をしたらしい。
 牛馬童子の隣に建っているのは、役の小角という熊野古道を開いた修験者の像である。


 また、宇江先生から、この辺りの珍しい風習を教えていただいた。
 毎年11月23日に熊野古道の峠から月を見ると、月が三つに割れて見えるという言い伝えがあり、真冬に月の鑑賞会を開かれているという。
 さまざまな自然条件が揃って初めて見ることができる。宇江先生もまだ二つに割れた月までしか見たことはないそうだ。


 牛馬童子から歩くこと10分くらいで、暗い木々の向こうにぱっと明るい田園風景が開けた。
 曇っている今日でも鮮やかだったから、晴れていたらかなり印象が強かっただろうと思う。そこが近露の里だった。
 この「近露」という名前にもいわれがあり、この上の箸折峠で花山法皇がお昼ごはんを食べようとしたところ、お箸がなかったので、萱を折って箸の代わりに差し上げたという伝説が残っているという。その際、お箸から落ちた露が赤かったので花山法皇が「これは血か露か」と言った、らしい。
 いわれというよりダジャレである。


 近露の里は、田辺から歩いて来た場合に熊野本宮大社までのちょうど中間点に位置する。そのため大正時代くらいまで(一般の人が歩いて熊野詣でをしていた時代まで)は、宿場町として栄えていたそうだ。
 里の中に「近露王子」もある。元は社があったけれど、今は残っていない。


 熊野神社は、熊野だけにあるのではなく、日本全国に点在している。特に関東以北に多いらしい。
 人々は、それぞれの地域の熊野神社を氏神様としてお祀りし、一生に1回は熊野詣でをしたいと願い、熊野講を作って熊野詣でを行ってきたそうだ。熊野講では、うち一人か二人を「宿取り」として先行させ、その「宿取り」の人は代々伝えられてきた宿の評判帳を見て宿を決め、交渉する。宿が決まると、その「講」の旗を宿の玄関に立てて目印とし、さらに先行して次の里に向かったという。
 この辺りでは、関東から来た人々を「関東べえ」東北から来た人々を「奥州べえ」と言う。関東や東北から来た人々が「**べぇ。」と必ず語尾に「べえ」を付けることから来た呼び名だそうだ。


 元々は近露から継桜王子まで2時間くらい歩く予定だったけれど、この日は雨で足下もよくないということで、バス移動に変わった。ちょっとほっとする。
 継桜王子は、杉の古木に囲まれている。明治39年に神社合祀令によって伐採されようとしたときに、南方熊楠が保護運動を起こして守った鎮守の森である。他の王子では杉の巨木はことごとく切られて売られてしまったらしい。
 この階段を上るのは結構大変だったけれど、上りきったところにお社がちゃんと残っていて、そこには狛犬が並んでいた。何となく珍しいような気がする。単に私が見落としただけかも知れないけれど、他の王子で狛犬を見た記憶がない。


 継桜王子は野中の一方杉とも呼ばれ、9本の古木の枝は日の出る方向にしか伸びていない。樹齢は800年くらいの杉だ。中には、裏から見ると全く洞のようになって空っぽの木もある。
 継桜王子という名前の割に桜の木はなく、杉の木の話題ばかりだ。不思議に思って聞いてみたら、明治時代までは、継桜王子には継桜という名前の桜の銘木があったという。850年くらい前の文献にも「継桜」の名前が出ているらしい。
 明治22年の水害で倒れてしまい、その桜の木は近くに移植したそうだ。
 その継桜(秀衡桜)に向かおうとして、継桜王子の前にも牛馬童子がいることに気がついた。


秀衡桜 秀衡桜は、藤原秀衡夫妻が熊野詣でをした際に滝尻王子で出産し、その子を残して野中まで来て、杖にしていた桜の木をこの地で突き刺して子の無事を願い、その桜の木が育ったのが継桜だという伝説を持つ。本当なんだろうか。
 事実かどうかはともかく、この桜はかなり大きくて立派なものだった。花の時期が終わってしまい、葉桜だったのが残念だ。
 そして、その足下には高浜虚子から続く親子孫三代の句碑が立っていた。


 継桜王子、秀衡桜、これから向かう野中の清水の辺りは、熊野古道がそのまま生活道として機能している。最近まで、隣町まで続く道は熊野古道だけだった、というところもあるそうだ。
 生活道でもあるので舗装されて車も通れるようになっており、そういった場所は世界遺産登録からは外されている。
 民家の庭先から伸びる桜の枝を見つけた。こちらは山桜らしく薄い何重にもなった花びらが雨に濡れて、とてもいい感じだった。


野中の清水 野中の清水は、秀衡桜から歩いてすぐのところにあった。環境省の名水百選にも選ばれている。
 もちろん皆して飲んでみる。とても美味しい。ペットボトルに汲んでいる方もいる。
 宇江先生のお宅を含めた30軒くらいでこの水を簡易水道で引いて使っているそうだ。こんな美味しいお水を毎日飲めるなんて羨ましい。
 雨が降っても濁ることはないし、雨が降らなくても枯れることはないそうである。不思議だ。


 ここで、本日の行程はほぼ終了となった。
 宇江先生が車で先導してくださり、マイクロバスで本日の宿である「旅館とちご」に到着したのは17時くらいだった。もう既に膝が笑っている。明日は6時間は歩くというのに大丈夫だろうか。不安になる。
 旅館とちごは、川べりにある一軒宿といった感じの旅館で、どちらかというと「お母さん」という感じの女将さんがとても元気でちゃきちゃきしている。格好良い。


とちごの夕食 18時30分くらいから夕ごはんだ。本当は19時からだけれど、我々一行のあまりの欠食児童振りに食事開始時刻を30分早めてくれたらしい。もうお腹はぺこぺこである。半分くらいの人がお風呂を済ませていたようだ。
 夕ごはんのメニューは、あまごの煮付け(10時間くらい煮込んだそうで骨ごと食べられる)、いたどり、行者にんにく、鰹のたたき、鴨なべ、レンコンと海老の揚げ物、ごはん、である。
 そんなに歩いてはいないのに結構くたびれていて、お酒を飲んだらお風呂にも入らないまま寝ちゃいそうだったのでアルコールはパスする。


 本当に山の中の一軒宿だから、ごはんを食べ終わってお風呂にも入ってしまうと、やることが何もない。
 私は、一人参加の女性4人が集まったお部屋だった。4人でおしゃべりしたり(関東から来た人が多いこと、新大阪からの特急が振り子走法でとても揺れること、今日の行程が結構辛かったこと、荷造りのこと、3日目に解散した後の行動予定、屋久島や白神山地などのこれまでの旅行の話、ストックが優れものであることなどなど)、真っ暗な外に出て星を眺めたり(最初は何も見えなかったけれど、少しずつ目が慣れてくると星がたくさん見えるようになった)、星が見えたから明日のお天気は大丈夫だろうと安心したりした。
 多分、みんなで早めに寝たと思う。何て健康的な旅なんだろう!


 ->熊野古道旅行記2日目

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2006.07.14

「絶景!これは見たい ベスト30」を見る(予定)

 NHKで放映されている「探検ロマン世界遺産」という番組で、2006年7月22日(土曜日)に「絶景!これは見たい ベスト30」が発表される。
 番組ホームページで投票してから2ヶ月近くもたっているので、実はすっかり忘れていた。
 せっかく思い出したのだから、忘れずに見ようと思う。私が投票した世界遺産はベスト30に入っているだろうか?

2006年7月22日(土曜日)午後8時から
NHK 探検ロマン世界遺産 「絶景!これは見たい ベスト30」
番組のホームページはこちら。

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2006.07.10

旅行社に必要書類を送る(モンゴル)

 本来は、ツアー申し込みのときにパスポートのコピーも一緒に旅行社に送る必要があった。
 出発日には既にこれまで使っていたパスポートの有効期限が切れてしまうことが判り、申込書を送ってからパスポートの申請をし、今日取りに行って来た。

 折良く、インターネットで申し込んだ海外旅行保険の契約証も今日郵送されてきたので、そのコピーとパスポートの顔写真ページのコピーを旅行社に送った。

 旅行代金の残金振り込みの手続きもしたし、あとは2週間前に最終案内が来て、出発するだけだ。

 しかし、あと1ヶ月なんてあっと言う間だ。
 まだ何の準備もしていない。どんな準備が必要なのだろう???

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パスポートを受け取りに行く

 今日、パスポートを受け取りに行って来た。

 新しいパスポートは10年用にしたので、まず以前の5年用とは色が違う。やっぱり赤より紺の方が良かったのにと思う。

 パスポートの真ん中のページに、ICチップが納められた厚紙(なのか?)が挟み込まれ、その分、分厚く固くなっている。
 そして、パスポートの表紙に、恐らくIC旅券であることを示すマークが付け加えられている。
 ところで、パスポートと一緒にもらった「パスポートの取扱い上のご注意」という紙に、「ICが壊れても旅券が無効になる訳ではなく、その有効性には変わりはありません。」と書いてある。ということは、ICチップが壊れただけでは再発行等はできないのだろうか?

 それから、顔写真が大きくなった。
 元々、提出する写真のサイズも大きくなったのだけれど(正確に言うと、写真のサイズは変わらないけど、そこに写っている顔の大きさの指定が大きくなった)、その上さらに拡大されている。
 我ながら変な顔である。
 この顔のパスポートと10年付き合うのかと思うと、ちょっとイヤだ(笑)。

 10年用だからなのか、ページ数が32ページから52ページに大増量されている。
 査証のスタンプを押すページ全体にページ数を示す数字が書かれ、旅券番号も書かれている。

 2006年6月27日に申請に行って、7月4日から受け取り可能だったので、てっきり発行日も7月4日になるのかと思っていたら、発行日は6月30日だった。こういうキリのいい数字は何となく嬉しい。

 とにかく、このパスポートと10年のおつきあいが始まる。

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2006.07.08

海外旅行保険に申し込む(モンゴル)

 海外旅行保険については、大抵はカード付帯の保険で大丈夫だろうと決め込んで、あまり改めて加入することはして来なかったような気がする。
 仮に加入するにしても、成田空港に到着してチェックインも済ませ、出発間際になっていきなり小心になったときが多かった。

 ペルーに行ったときや、フィンランドにオーロラを見に行ったときは、旅行社から特に注意を受け勧められて、予め海外旅行保険に加入し、どちらのときも旅行社に勧められたものとは別会社の保険に加入したので、事前に契約書のコピーを旅行社に提出していた。

 今回のモンゴル旅行でも、旅行社から「治療費用と救援費用が無制限のものをお勧めします」というかなり強めの文書が来ている。出発1ヶ月前までに、保険の加入申込書か保険の契約書を送付するようにと書いてあったことを確認し、慌ててインターネットで申し込んだ。
 でも、無制限に補償されるものは当然に保険料も高い。
 しかも、インターネットでは申し込めない会社が多いようだ。
 考えた末、目についた何社かを比較し、治療費用と救援費用が一番高額だった保険会社で、バラがけすることにした。

 来週早々には契約書が郵送されてくる筈だ。
 パスポートもそろそろ取りに行かなくてはいけないし、パスポートと海外保険証書のコピーを一緒に旅行社に送るようにしよう。

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2006.07.05

平成18年度国内旅行業務取扱管理者試験に申し込む

 平成18年度国内旅行業務取扱管理者試験の受験料5800円を払い込み、願書を簡易書留で郵送した。
 
 ところで、願書の記入でまた去年と同じ失敗をした。
 「正式な住所を書け」と書いてあったのでつい習慣で「一丁目1番1号(仮)」と書き直し、それから「数字は算用数字で」という注意書きを見つけて「1丁目1番1号(仮)」に直した。修正液の使用が許されていて本当に良かった。

 そして、封筒の表に「受験願書在中 ○名分」と赤で書かなくてはいけないという注意事項の「赤」を見逃して黒で書いてしまい、仕方がないので赤線で囲っておいた。これで大丈夫だろうか。

 そして、慌てていたもので、配達記録郵便の方がずっと安いのに簡易書留で郵送してしまった。間抜けである。

 せめて、今回は(少なくとも去年よりは)真面目に勉強し、受験料+簡易書留料金分くらいは取り戻すべく合格を目指そうと思う。

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2006.07.04

「モンゴルは面白い」を購入する

 少し前から書店で見かけて気になっていた、「モンゴルは面白い 金岡秀郎著(株式会社トラベルジャーナル)」という本を購入した。
 1993年に第1刷が発行されたこの本のはしがきに「ようやくこの頃、モンゴル・ブームとでもいえるような空気がテレビは出版界に出始め」と書かれている。多分、この時よりも、13年後の今の方が「モンゴル・ブームとでもいえるような空気」がかなり濃くなっているように思う。

 第1章は、モンゴルを知るために必要な基本的なキーワードが解説されている。
 第2章は、チンギス・ハーンを訪ねる旅の紀行文である。
 第3章では、モンゴルの文化を「研究編」として紹介している。

 ゆっくり読んでみようと思う。

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