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2006.08.05

熊野古道旅行記3日目

2006年5月1日(月曜日)

 旅館よしのやの朝ごはんも7時からだった。温泉で炊いたおかゆが美味しい。
 ツアーとしては13時過ぎに紀伊勝浦駅に戻ることになっていて、今日は移動距離も長く、過密スケジュールだ。そこを案配し、当初予定よりも出発と朝ごはんの時間を早めたらしい。
 朝食前に10分くらい旅館周辺を歩き、湯の峯温泉の風情などを写真に撮った。朝の空気が気持ちよい。

 今日の移動もマイクロバスだ。何時に湯の峯温泉を出発したか覚えていない。8時前だったと思う。
 今日の半日は、宇江先生から替わって榎本先生がガイドを務めてくださる。
 バスは熊野川に沿って、一路、熊野速玉神社を目指す。そのバスの中で、古事記・日本書紀から語り起こし、熊野の起源のお話があったけれど、よく寝た筈なのにいかんせん眠い。しかも、お話が難しい。そういうわけで、あまり覚えていないのが申し訳ない。

 徐福伝説というものがある。
 今から2200年ほど前、秦の始皇帝に仕えていた徐福は、その命により不老不死の霊薬を求めて熊野に渡来し、農法・捕鯨・紙漉などを伝えたといわれている。最近になって、この伝説が史実だと言われ始めているという。
 榎本先生の場合はそこからさらに一歩進め、この徐福の渡来が、イザナギ・イザナミの伝説と繋がっているのではないかと考えているそうだ。

熊野速玉大社の神門 添乗員さんは新宮市内に入る辺りで道が渋滞するのではないかと心配していたけれど、渋滞にはまることもなく、8時30分過ぎに熊野速玉神社に到着した。
 熊野速玉神社は熊野速玉大神(いざなぎのみこと)と熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を中心にお祀りしている。
 それとは別に、熊野本宮大社はスサノオと阿弥陀如来を奉じて未来を司り、熊野速玉大社はイザナギと薬師如来を奉じて過去を司り、熊野那智大社はイザナミと千手観音を奉じて現在を司るというお話を聞いたように思う。
 熊野速玉大社が「新宮」と呼ばれるのは、熊野「本宮」大社に対するものではなく、この後に行く神倉神社を元宮として現在地に社殿を移したことから来ている。

 熊野速玉神社の境内には、ナギの大木があった。胴回りが6m、高さが20mのこの木は日本一のナギの大木で、昭和15年に国の天然記念物に指定されている。今から850年くらい前に平重盛が植えたと言われている。
 昔は、熊野詣でに来ると、このナギの大木の葉をいただいて帰ったものらしい。もちろん、今は保護されていて、葉っぱを取るなどということはできない。
 昔の熊野詣でに倣い、熊野本宮大社に続いて熊野速玉大社でも牛王宝印を買い求めた。「牛王宝印をください。」と言うと巫女姿の方が「500円お納めください。」とおっしゃる。対価として支払うのではないということなんだろう。

 熊野速玉大社では、神門の内側での写真撮影が禁じられていなかった。
 「声をかけてくれれば説明します」という看板が立ち、実際に宮司さん(で呼び方としては合っているんだろうか)に説明を受けているグループもいらっしゃった。
 昨日よりも明るい空の色のせいか、熊野本宮大社よりも何となく明るく開放的な印象がある。しかし、榎本先生は「ここは過去の悪行を反省する場所だからそういうお願いをしてください。」とおっしゃっていた。

 次に熊野速玉大社の元宮である神倉神社に向かった。バスで5分と走らずに到着する。
 そこから、本殿(というかご神体の大きな岩)は、階段を上って登って上ったところにある。鳥居のある階段の登り口からは全く見ることができない。
 また、この階段が、登り始めは高さも奥行きも揃っておらず、えらく上りにくい。息を切らせ、足だけで普通に上ることはできずに手も使って半分よじ登るようにして行く。

 この写真でお参りしているこの女性は地元の方だった。「登るのは大変だよ、でも神様が助けてくれるから思うよりも楽に登れるよ。」とおっしゃる。特に私を集中的に助けてもらいたい気分だ。
 神倉神社の神様は火の神様だと教えていただいた。
 また、神倉神社では、毎年2月6日にこの急な階段を駆け下りる「お燈祭」というお祭りが行われており、この女性がまだ子どもの頃に、その「お燈祭」が雨のために中止になったことがあったそうだ。すると、この一帯が火事で燃えてしまったという。以来、雨が降っても雪が降ってもこの「お燈祭」は絶対に行われている。
 「コケる人はいないんですか?」と私としては至極真っ当な質問をしたところ、「いないねぇ。神様に守られているからねぇ。」と苦笑が返って来た。何だか凄い。
 行ってきます! と気合いを入れ、「上に行ったら海の方まで全部見えるわ。」という言葉に励まされて登り始める。

 ところで、その「お燈祭」は、それぞれが小さな松明を持ち、この上の神社から一斉に駆け下りてきて一番を競うお祭りである。
 参加できるのは男性だけで、白装束を着るという。スタート地点の山門では、いい場所を取り合って松明での殴り合いが起こることもあるという。白装束に血がつき、飛ぶように駆け下りてくる人もいる、らしい。なかなか激しいお祭りである。
 もちろん、一番乗りを競わずにゆっくりと降りてお祭りに参加する人も大勢いるそうだから、「一番乗りを競うお祭り」というのは間違ったまとめ方かも知れない。

神倉神社の石段(下から)神倉神社の石段(上から) この「もの凄く大変な階段の登り」を強調するために、下から見上げた写真と上から見下ろした写真を載せてみた。上からは、ほとんど直角に切り立っているように見える。
 踊り場のような、少し平らな広場のようなところが途中に1ヶ所だけあり、そこから上は比較的段差も小さく奥行きも揃って登りやすくなった。しかし、そこまでの階段は、特に前の日にたくさん歩いてくたくたボロボロになっている身としては本当に大変だった。
 太陽まで照りつけて、大汗をかいてしまう。

神倉神社から そうやって息を切らせてたどり着いた神倉神社からの眺めはとても気持ちよかった。
 新宮市内と、熊野川が流れ込む熊野灘まで見える。
 階段の下りは、ジグザグにゆっくりと降りたらそんなに怖いこともなく、安全に下ることができた。

 バスは、大辺路街道を海岸線沿いに、新宮港や九十九王子の一つである佐野王子、補陀洛山寺などを横目に走る。
 大辺路街道を外れると、周りはどんどん「山」の雰囲気になる。大門坂の看板が見えれば、もう熊野那智大社の入口だ。
 大門坂は、熊野古道の中でもポピュラーな名所だと思う。樹齢800年という夫婦杉がその入口にそびえ、石段が那智大社に向かって続く。平安装束の貸し出しもあり、よく古の旅姿の女性が石段を下りてくる写真を見かける、あの場所だ。
 今回は歩けないのが残念だ。あまりに残念過ぎて、今夜は熊野那智大社の隣にある青岸渡寺の宿坊に泊まることにして、ここでツアーから離脱することにしたという方もいらしゃった。

 参道入口でバスを降り、階段を467段上らなければ熊野那智大社にお参りすることはできない。
 那智黒の産地だけあって、参道沿いには碁石はもちろんのこと、硯や置物などを扱うお店が並んでいる。

青岸渡寺 やっと到着した熊野那智大社は、高いところにあるせいか涼しい風が吹き、山の眺めもよいところだった。
 熊野那智大社の成立はおよそ400年頃で、元々は滝がご神体だったそうだ。その後、古来の神道と仏教が合わさり、神仏集合の信仰が始まる。
 また、青岸渡寺は、修験道と真言宗を信じる人たちにより、熊野分社権現としての形態が平安時代に確立されている。江戸時代になって観音信仰が広がり、西国三十三所の第一番の観音霊場となったという。
 青岸渡寺は織田信長の焼き討ちに遭っていて、今の建物は豊臣秀吉が再建したものである。南紀地方では最も古い建造物で、重要文化財に指定されている。

 熊野那智大社にお参りに来たら、何はなくとも那智の大滝を見ないわけにはいかない。
 那智の大滝は高さが133mあり、滝の落ち口が三つに分かれていることから「三筋の滝」とも呼ばれている。延命長寿の神様でもある。
 11時30分を回ってそろそろお腹も空いたけよと思いつつ、滝壺に向かって石段を下る。熊野那智大社から那智の大滝に向かう道は「裏参道」だそうだ。

那智の滝 「この石段を帰りには登らなくちゃいけないのね」と思いつつ下る。歩くこと5分ばかりで滝壺に到着した。滝壺というよりも「滝壺の神社」という感じだ。
 300円也を支払って、さらに深さが10mあるという滝壺に近づき、延命効果があるという滝の水をいただいた。

 那智の滝の上流は自然の川なので、滝の水量の増減が激しい。今日私たちが見た滝は、「比較的水量のある方」だったらしい。
 また、那智の大滝を一番滝として、四十八番の滝まで確認されている。
 滝の上流では、南方熊楠が粘菌の調査も行っていたそうだ。
 神倉神社と同じように、熊野那智大社でも火祭りが行われる。あちらは冬の最中、こちらは夏の盛りだ。また、あちらは小さな松明を使い、こちらは、重さ50kgくらいの檜の割板で松明を作る。対照的だ。

 そんな説明を聞きながらバスは走り、紀伊勝浦駅で13時に解散した。
 ここまでで、K社の「熊野古道を歩く」というこのツアーは終了である。
 でも、私は自主的に1泊延泊したので、熊野古道旅行は続く。

 宿泊は、新宮から車で30分くらいのところにある、雲取温泉グリーンランド高田に予約を取った。交通の便があまりよくないので、16時くらいに駅まで迎えに来ていただくようお願いしている。
 紀伊勝浦駅周辺でお昼ご飯を食べ、足湯に浸かり、お土産を見て、郵便局を探してふるさと切手を買うというゆっくりパターンか、紀伊勝浦駅周辺でお昼ごはんを食べて、紀の松島めぐりの遊覧船に乗るというさらにゆっくりパターンか、どちらかにしようと考えていた。
 のんびりガイドブックを広げて考えていたら、榎本先生に「これからどうするんですか。」と聞かれ、「とりあえず、今日は雲取温泉に泊まるんです。」と話していたら、いつの間にか、これから新宮市内を案内していただけることになった。有り難いお話である。

さんま寿司 もうお一人、今日の予定が決まっていない方がいらして、二人で案内していただくことに決まった。
 13時18分発の電車で新宮に向かう。
 新宮に着いたところでまずお昼ごはんをどうしようかという話になった。ランチタイムはすでに過ぎ、駅前のお店も何となく開いている気配がない。榎本先生に「じゃあ、時間もないことだし、外で食べますか。」と言っていただき、駅前のお寿司屋さんでさんま寿司を包んでもらった。

 そのまま車で海岸線に連れて行っていただき、堤防でお昼ごはんを食べた。
 砂浜と海がずーっと続いているけれど、この辺りは海水浴には向いていない。浅そうに見えて、少し行くとストンと深くなっているので、この辺りの人は「海に行く」というと、磯遊びに行くことが多いという。
 また、この浜は「王子が浜」といって、世界遺産には登録されていないものの、熊野古道の一部である。熊野古道といわれると「山」というイメージが強いので、何だか意外だった。

阿須賀神社 お昼ごはんを食べて海をのんびり眺めた後、隣に竪穴式住居がある「熊野阿須賀神社」に行った。住宅地にポツンとある、でも朱塗りの社殿や拝殿もあって「普通じゃない」由緒ある感じも漂う神社だ。
 熊野速玉大社の例大祭の日には、速玉大社からこの阿須賀神社にお祭神をお迎えする神馬渡御式という古式豊かなお祭りが行われている。
 この神社のご神体は背後の山である。社殿の奥に鏡が祀られているのも見える。神社と鏡というのは似つかわしいけれど、そのご神鏡を一般の参拝客から見えるところに置くのは珍しいように思う。

 新宮駅前にある徐福公園は門構えがやけに立派な公園だった。不老不死の薬として探し求められたという天台烏薬の木に囲まれた徐福のお墓や、徐福の重臣7人を祀った塚などがある。
 売店もあって、天台烏薬のお茶を試飲させてもらった。想像していたよりも漢方薬臭くなく、クセがないとは言わないけれど、美味しいお茶だったと思う。冷やした方が美味しく飲めるように思った。

 浮島の森は、新宮市街地の中央に突然現れる、こんもりと緑の茂った一角だ。
 その一角が丸ごと沼の中に浮いている浮島だというから驚く。国の天然記念物にも指定されているものの、市街地開発で沼がどんどん小さくなり、浮島もどんどん元気をなくしているらしい。
 隣の土地では、埋め立てた沼を元に戻して浮島を元の姿に戻そうというプロジェクトが進行していた。

 この辺りで、私の宿からのお迎えの時間と、ツアーで一緒だった方の電車の時間とが時間切れとなり、駅前でお二方とお別れした。
 今日の夕食を調達する必要があり、駅弁を買って行こうと予定していた。しかし、駅の売店は閉まって布までかけてある。電話で夕食の話をしたときに、宿の方に「お迎えに行ったときにスーパーにでも寄りましょうか。」と言われたのは、この事態を見越していたのだろう。
 スーパーマーケットで食料調達というのも何となく味気ない。お昼ごはんにさんま寿司を買い求めたお寿司屋さんに再び入り、握り寿司の折り詰めを作ってもらった。今日は炭水化物と魚類しか摂取していないような気もするけれど、1日くらいまあ大丈夫だろう。

グリーンランド高田_1 16時くらいに宿の方がお迎えに来てくださった。30分くらいで今日の宿である「雲取温泉グリーンランド高田」に到着だ。
 新宮市の第三セクターが運営していて、部活の合宿などに使えそうな運動場が併設されている。名前のとおり日帰り温泉もあり、宿泊客は無料で利用できる。日帰り温泉のお客さん用に売店があり、お土産なども売っている。
 私は洋室に泊まった。お茶セットもあって、昼間に試飲した天台烏薬のお茶もついている。なかなかいい。

 この近くに、日本の滝100選にも選ばれた滝があるけれど、今からでは暗くなってしまって危ない。明日もあることだし、滝までのハイキングは諦めて、宿周辺を少し散歩した。
 月曜日は併設の喫茶も閉まっているくらいだから、日帰り温泉のお客も少なめなんだろうと思う。静かだ。
 裏手に流れている高田川も綺麗で、少し早めに来て周りをゆっくり散歩してもよかったな、と思った。

 雲取温泉という名前は、宿から雲取峠が眺められることから付けられている。
 お湯は青みかかった乳白色である。西日本で乳白色のお湯の温泉は非常に少ないらしい。貴重だ。この温泉が、この宿を選んだ一番の理由である。
 宿の人の話では、地震があって、お湯の色が少し変わったという。「前はもっと本当に真っ白だったんです」とおっしゃっていた。

 日帰り温泉のお客さんが大方帰ったころを見計らって、温泉に行った。
 内湯は乳白色の温泉の他に、キハダの薬草風呂と天台烏薬の薬草風呂もある。露天風呂までは木製の屋根付き通路を結構歩く。乳白色の温泉がなみなみとあって、すぐそばを高田川が流れる音がして、とても気持ちいい。
 夕方のまだ陽が残っているうちから、外が暗くなるまで、ほとんど独占して温泉を堪能した。歩き疲れた体がほぐれた気がする。

 売店で絵はがきやお土産やビールを買い、夕ごはんにした。
 このビールが効いた。お腹が空き、温泉に浸かりまくって喉が渇き、しかも歩き疲れているとくれば回らない筈がない。
 お寿司を食べながらビールを飲んでいるとどんどん眠くなってきて、歯磨きだけは何とか済ませ、せっかく買った絵はがきを書く暇もなく、20時にはストンと眠ってしまった。

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