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2006.08.23

熊野古道旅行記4日目

2006年5月2日(火曜日)

雲取温泉のお湯 昨日は20時消灯・就寝などという小学生のようなことをしてしまい、目覚めたのは5時30分過ぎだった。
 ごはんを食べっぱなしビールも飲みっぱなしで寝てしまったのでその辺りを片付け、朝一番で再び温泉を堪能した。30分くらいぼーっとしていたけれど誰も来ない。
 これはチャンスだ! と、お湯から上がって部屋にカメラを取りに戻り、温泉の様子を写真に撮った。こんなことをしたのは初めてだ。お湯は写真よりも実物の方が白っぽいブルーである。

 7時30分に、併設の食堂に頼んであった朝食をいただいた。
 ごはん、わかめのおみそ汁、サンマ(自分で網で焼く)、サラダ、温泉卵、海苔、梅干し、お漬け物という定番メニューだ。
 ごはんを食べた帰り、飲用泉の水道があり紙コップも用意されているのを見つけ、少し飲んでみた。どんな味だったのか覚えていない。多分、そんなにクセはなかったんじゃないかと思う。

 出発までの寸暇を惜しんで友人に絵はがきを書く。和紙で作ったはがきに沢ガニや季節の植物が描かれている可愛い絵はがきで、昨日や一昨日に熊野古道を歩いて見かけた山桜やれんげの絵のものを選んで買っておいた。
 今日は川舟くだりをする。その船に大荷物を担いで乗るのも邪魔なので、宅配便で自宅に送ってもらうように作りし、宿の人にお願いした。

 9時頃に宿を出発し、熊野川川舟センターまで車で送っていただいた。
 途中、私があまりにも「滝が見たかった!」と騒いだせいか、センターのすぐ近くにある鼻白の滝が見えるところまで寄り道してくださった。本当に何から何まで申し訳ない。
 20分くらいで乗り場に到着し、受付までしていただいた。

 お昼前に天候が崩れると断言した朝の天気予報を信じ、上だけゴアテックスのレインコートを着込んだ。貴賤傘(身分の上下に関係なく皆で協力し合わないと熊野三山にたどり着けなかったことからそう名付けられた)と救命胴衣をお借りして身につける。
 同乗してくださる語り部さんの傘は檜で作られている本物だ。檜でこの傘を作れる人はどんどん減ってしまっている。私たちがお借りしたものの原材料を教えてもらったのに忘れてしまった。

 ゴールデンウィーク中の平日だし、もしかして最少催行人員に達しないのではないかと心配したけれど、14人くらい乗れる「八咫烏」という舟と8人くらい乗れる「速玉」という舟との、二艘出るようだ。私が乗ったのは大きい方の舟で、こちらは船頭さんの他にアシスタントの方が付く。
 川舟くだりに使われる舟はちゃんとした和舟で、普通の舟と違って底がすり鉢状ではなく平らになっている。そして、この舟を造れる人は、もう近辺にお一人しかいらっしゃらないそうだ。

舟くだりに出発 上流のダムが放流すると川の水が濁ってしまうけれど、お客さんが多いゴールデンウィーク中はまずやらないでしょう、ということで水も澄んでいる。
 10時に出発した。
 水面はとても静かで水も澄んでいるけれど、熊野川は別名「暴れ川」ともいわれているそうだ。この舟下りも、雨天決行だけれど風が出ると舟を出せなくなってしまうという。

 私が乗った「八咫烏」の語り部さんは女性の方で、キョウコさんとおっしゃる。
 まず、川面の表情、川の水の色から語り起こす。本当に綺麗なブルーだ。彼女は「曲玉のような翡翠色」と言い表していた。この後、川面がまるで流れがないかのように静かに平らになったり、川の水の色が次々と変わっていったりするという。
 舟にはエンジンがついていて、かなり船足は速い。その昔は4時間かけてくだっていた川を1時間半でくだるのだから当たり前かも知れない。
 出発してすぐの辺りで、とてもとても運がよいと野生のニホンカモシカを見ることができると言われ目をこらしたけれど、残念ながら現れてくれなかった。
 代わりにウグイスの声が聞こえる。

布引の滝 最初に現れた、橋の奥に見えた滝が「布引の滝」である。距離があるし、少し曇っているのでちょっとぼんやりとしか見えない。それでも、雨が降ったばかりなので水量はある方だという。さらに水量が減ると「白糸の滝」のようになり、さらに水量が減ると「洗濯板」状態になってしまうらしい。
 この布引の滝は熊野川沿いで最も高さのある滝と言われている。

 昨日、熊野川に沿って走る国道から見たときもとても綺麗なブルーに見えていた。川に浮かぶ舟から見ていると、ブルーが濃いのに川底の石も見えるほど澄んでいて不思議だ。
 また、川沿いに滝が多いのも意外だった。「葵の滝」と呼ばれる滝は、徳川頼宣公が「見事だ」と言ったことからそう呼ばれるようになったという。この「葵の滝」は別としても、キョウコさんは、川下りに時間がかかり、皆して暇だったので、滝や岩に名前をつけていったのだろう、とおっしゃる。 

宣旨返り また、熊野川沿いの三重県側には古道が一部残っている。舟に乗れない人々(5〜6人でチャーターして、今のお金で20000円くらいかかったそうだ)は歩いて熊野速玉大社に向かったという。
 宣旨返りと呼ばれる場所は、上皇の手紙(これが宣旨)という大事なお役目を持った人ですらここで引き返したくらい険しいということで名付けられた。舟から見ている分にはそこまで険しい道とは見えない。

 宣旨返りから少し舟足を速めた右側に、今度は奇岩が並んでいる場所が現れる。
 その中には、まな板と包丁に見立てられるような岩や、風になびいているかのように見えることからなびき石と呼ばれている岩もある。この岩は400万年前の火山活動で流れたマグマが収縮する際に亀裂が走り、そのときに風が吹いたから斜めになったといわれている。

 全国をくまなく歩いて熊野信仰を布教したといわれている熊野比丘尼ですら転んだといわれる険しい道や、熊野権現に切られた鬼神の骨だといわれている「骨嶋(実際は島ではなく、川岸に白い背骨のような骨が並んでいる)」、釣り鐘型に岩の割れ目があり今にも川に落ちそうな釣鐘石などが川の両岸に続く。
 釣鐘石は本当に今にも落ちそうに不安定に見えるけれど、「この石が落ちたらこの世が終わる」と言われており、当然のことながら、今まで落ちたことはないそうだ。

 釣鐘石を過ぎ、徳川頼宣公が名付けたという「飛雪の滝」を過ぎた辺りが舟下り一番の難所である。
 川底に岩が多く、強い瀬もある。船頭さんの腕の見せどころだ。道を探しながら、蛇行するように舟を走らせる。毎日そのルートは変わるそうだ。
 確かにそれまで静かなゆったりした流れだったのが、川面が波打ち、白波が立っている。
 ちょうどこの辺りが舟下りを始めてから5km弱、30分というところだ。

昼島上陸 川が蛇行する辺りまで来ると、カヌーが姿を現した。川舟下りもいいけれど、カヌーで下るのもいい感じだ。
 カヌーで行く人たちに手を振っているうちに、昼島が近づいた。ここに上陸して休憩である。
 昼島は、その上部が碁盤の目のようになっていて、天照大神と熊野権現とが碁を闘わせたともいわれている。砂の上を歩き、岩を登って、その上部まで行くことができる。
 この昼島からの眺めがなかなかすばらしい。いかにも「川の流れ」「悠久」という感じがする。

 昼島では10分ほど休憩を取り、熊野川の眺めを満喫した。
 そうしている間に、たまに当たるくらいだった雨がポツポツ落ち始めた。雨が降り始める中、二艘の舟に再び乗り込み、出発する。
 これは本格的な雨になるかもしれないと、リュックからレインコートのズボンを取り出して履く。裾のマジックテープを締めて何とか落ち着いた頃から、雨が段々激しくなってきた。

 頭は笠をかぶり、救命胴衣も着ているからある程度守られているともいえる。しかし、そんなものは相手にしないような、叩きつけるような雨だ。木の舟に雨が当たる音がまるで小豆が降ってきている音のごとく感じられる。
 アウトドア用レインコートで上下完全防水状態だった私はともかく、他の方はかなりびしょぬれになっていたと思う。大きなビニル袋が配られ、それぞれ荷物を覆ったり、体に被ったりしている。
 キョウコさんもびしょぬれになって「ありえなーい!」と叫んでいらした。それくらいの雨だ。

 そんな激しい雨の中、ちょうど雲取温泉の脇を流れていた高田川が熊野川に合流する地点にさしかかった。2年前に大きな地震があり、雲取温泉は白濁して泉質も良くなった、地震で良かったことはそれだけだ、とはキョウコさんの弁だ。
 雲取温泉は糖尿病にも効くといわれているという。

 30分近く雨は降り続いた。
 それも、本当に叩きつけるような雨だ。笠を被っていても顔を上げるどころではなく、うつむいてなるべく雨が当たる面積が小さくなるように体も小さく丸めて、じーーっとしているしかない。
 キョウコさんは古(いにしえ)の上皇様たちも、こんな大変な思いをして熊野詣でをなさったのだとおっしゃるけれど、ごめんなさい、私はやっぱり晴れて欲しかった。

川霧 嘘のような晴天、とまではいかないものの、河口が近づき、新宮市街地に近づくにつれ、雨足は弱くなり、かすかに陽も射すようになった。
 舟に乗り込んだ頃に「雨の日は雨の日のいいところがある」と説明があったように、両岸の山から霧が立ち上っているのが見える。川面も穏やかになり、色を深めている。いい雰囲気である。

 雨もあがった頃、苞苴渕に差しかかった。
 毎年10月15日・16日に行われる熊野速玉大社の例大祭に、近くにある庄司家の人がこの淵で75匹の鮎を捕まえて奉納することになっているそうだ。
 何故75匹なのか、神社も知らないし、奉納する庄司家の方も判らないというのが面白い。

 雨が降っていた間はやはり舟足も抑え気味だったのか、この辺りから舟は飛ばし始めた。
 畳を立てかけたように見えるところから「畳石」といわれる岩が立ち並ぶところに差し掛かり、一度エンジンが切られる。エンジンを切ってゆっくりと舟が漂い、川の流れる音が楽しめるのもここが最後だ。

 その後、舟は、熊野速玉大社の例大祭で神幸船が3周するという御船島をゆっくりと巡った。どうも、この島の進行方向右側はかなり浅いので、左側に迂回し、結果として島の周りを半周することになるようだ。
 この御船島に、神倉山から熊野速玉大社に向かっていた女性の神様の一人が降り立ったといわれている。
 また、行政区画(というのか)としてはこの御船島は三重県だが、和歌山県の熊野速玉大社の飛び地という扱いになっているという。面白い。

 この島を通り過ぎると「熊野川舟くだり」ももうすぐ到着だ。
 熊野川は、「熊野古道」の一部として、川というよりも道として世界遺産に登録されているという説明も改めて聞かせてもらう。
 前方に大きな橋が見えて来る。
 さて、どこにこの舟は到着するのだろう? と思っていたら、石ころが転がる川原に着けられた。出発点から14km、1時間半の舟旅の予定が、恐らくは雨のせいで2時間近くかかっていた。
 そこは、権現川原といい、昔から熊野参詣の舟の乗降場所であったといわれている場所だ。熊野速玉大社のほんの裏手だった。昨日来たときには、熊野速玉大社がこんなに川のすぐそばにあるとは、まるで気がつかなかった。

 舟が出発地点に戻る方々を乗せて戻っていくのを見送る。バス停に近いところに船を着け直してもらい、語り部さん達と一緒にバスで戻るという。今は、出発地点に戻るマイクロバスが用意されるようになったという記事を以前に読んだけれど、思い返してみると、確かにずぶ濡れになって路線バスを待つのも辛いだろう。
 舟に乗っていた方々が三々五々散る中、川原の石が乾いていたので適当なところを選んで座り込み、レインコートを脱いで畳み、靴を脱いで干し、靴下を履き替える。それだけでも気分はだいぶ違う。

巫女 しばらく(といっても、10分くらいだろう)ぼーっと川の方を眺めながら休憩し、天気も何とかもちそうなので、当初予定通り高野坂に行こうと決めて歩き始めた。
 まず、熊野速玉大社にもう一回お参りする。
 ちょうど、そこに巫女さんが通りかかったので、声をかけて写真を撮らせていただいた。お仕事中のところを、申し訳ない。

 熊野速玉大社近くの商店街にあった喫茶店でお昼ごはんにパスタをいただいた。
 ゆっくりお昼ごはんを食べている間に空模様がおかしくなったようで、再び高野坂を目指して歩き始める頃には、パラパラと雨が降ったり止んだりする妙なお天気になっていた。
 いくらも歩かないうちに、昨日登った神倉神社が見えてきた。そういえば、昨日は下から見上げることはしなかったなと思い、振り仰ぎ振り仰ぎ歩く。雨上がり(というか、まだポツポツ落ちていた)の緑がとても綺麗だ。

 そこから新宮駅の近くまで歩いた辺りで、本格的に雨が降り出した。
 すぐそばにあったバス停に屋根とベンチがあったので雨宿りする。地元の方らしい女性も雨宿りなのかおにぎりを食べていらっしゃる。
 「どこまで行くの?」と聞かれ、「高野坂を歩いて三輪崎まで行きたいんです。」と答えたら、何故か肝心の前半は横に置いておかれて「それなら、ここのバス停から紀伊勝浦行きのバスに乗ればいい。」と教えてくださる。
 思えば、この辺りから「高野坂」の知名度について、幾分かの不安を感じるべきだった。
 そんなこんなお話ししているうちに雨も上がってきて、「旅行で来ているので、少し歩いてみます。」とお別れし、再び高野坂を目指して歩き始めた。

 ずっと歩いてきた国道42号線沿いに大きなジャスコがあり、そのとき私が持っていた地図では、ジャスコの裏手を入ってすぐの辺りに高野坂への入口があるように見えた。
 しかし、道の左手が少し小高く緑が濃くはなっているものの、「世界遺産 熊野古道 高野坂」という気配はみじんもない。
 ちょうど向こうから自転車を押した地元の方らしい女性が来たので「高野坂にはどうやって行けばいいんでしょう?」と聞いてみたら、そんなものは知らない、というお返事だ。

 今から思えば図々しいことをしたけれど、ちょうど「南紀州新聞社」という看板が目に入り、新聞社の方だったら世界遺産にも詳しいに違いないというとんでもない理由で、私はその扉を開けて、「すみません、この辺りに世界遺産になっている高野坂はないでしょうか?」と尋ねた。
 ちょうど入口近くにいた若い女性に首を傾げられ、更に不安になっていると、ベテランらしい男性の方が「ここからだと結構距離があるよ。XXさん(この若い女性の名前だと思う)、行ったことない?」と声をかけてくださった。
 あるじゃないか! 

高野坂入口 高野坂入口までの道順を教えていただいたら、これが結構複雑で、どうも「近くにある」という私の認識と地図の表示が誤っていることが判った。
 私があまりにも自信なげに教えていただいた道順を復唱していたせいか、「15時半くらいまでに三輪﨑の駅に着きたいんです。」という私の希望はあまりにも無茶だと判断されたのか、ついに「じゃあ、高野坂の入口まで送ってあげるよ。」とおっしゃっていただき、さらに図々しいことにお言葉に甘えて車で連れて行っていただいた。
 車で5分くらいは走ったから、私の目算はまるっきり的はずれだったということだ。
 今さらながらだけれど、どうもありがとうございました!!

 「世界遺産 熊野古道 高野坂」の看板は造成が続く住宅街のようなところに立っていた。
 そこから歩いてすぐのところに、本当の高野坂の入口がある。看板が立ち、すぐ脇を線路が走っている。海岸沿いの熊野古道の上にこの線路を通してしまったため、今は歩くことができない。
 線路のすぐ向こうは海である。
 さて、歩き始めようとしたところに轟音が近づき、特急くろしおがすぐそばを走り抜けて行った。

 14時10分くらいから高野坂を歩き始めた。
 世界遺産だし、歩いて1時間くらいで三輪﨑に出られるし、それほど急なアップダウンもない、散歩コースとしては最適だ。しかし、知名度が低いせいか、アクセスが判りにくいためか、歩いている人はほとんどいない。
 しかも、語り部の方に先導されて歩いているときには全く気にもしていなかったけれど、「今は全行程のどれくらいのところを歩いている」ということが判らず、「あとどれくらい歩けば目的地に着く」ということも判らず、でも電車の時間があって15時半までには三輪﨑の駅に着きたいという目標だけがある状態は、とても不安だ。

高野坂からの海 高野坂を歩き始めてすぐ、振り返ると王子が浜が見えるポイントがある。昨日は南国調にあんなに綺麗なブルーだった海が、今日は曇天の下グレイに霞んでいる。ちょっと残念だ。

 そこから、山道(といっても息が切れるようなアップダウンはなく、なだらかな道筋だ)を再び歩き始める。木々が遮ってくれるているのか、ほとんど雨は感じられない。念のため、レインウエアのズボンだけは履いたままだ。
 本当に人影がなく、ところどころ、道筋に埋まっている石に苔生していたりする。一昨日歩いた中辺路は、植林されて綺麗に整った美林で、こちらは雑木林といった雰囲気だ。むしろ、熊野古道の雰囲気はこちらに残っているような気さえする。

金光稲荷神社 途中の竹藪がやけに明るくなっていて、張り紙があった。「お礼 4月25日(火)予定されていたイベント「タケノコ掘って古道整備」につきましては、当初計画通り実施し、無事終了いたしました。ありがとうございました」と書いてある。高野坂にもこうして世界遺産を守ろうという取り組みがあるらしい。
 赤い前掛けをしたお地蔵様を過ぎ、14時40分くらいに、金光稲荷神社に到着した。緑と茶色の中に赤い鳥居があるととても目立つし、何だかほっとする。少しお邪魔して、お参りする。

 神社から少し歩いたところに道しるべがあり、「展望台」「三輪崎」と書いてあった。もうここからはそんなに時間もかからないだろうと、展望台に寄り道した。
 2〜3分で到着するだろうと思っていたら、結構歩いた。途中で少し不安になって、向こうから戻ってくる人がいたので「あとどれくらいですか?」と聞いてみたら「すぐですよ。」というお返事だった。
 道しるべから展望台まで、歩いて5〜6分というところだった。
 展望台からは、三輪崎の海が見える。
 晴れていないのが惜しまれる。
 暑くなったのでレインウエアのズボンを脱ぎ、風に吹かれてしばし三輪崎の海を眺める。

 高野坂の終わりには、佐野王子に続く道も示されていたけれど、そこまで行く時間はない。
 三輪崎の駅に向かおうとすると、線路はあるものの、駅がどの辺りにあるのかサッパリ判らない。ちょうど玄関から出てきた女性に尋ねると、「判りやすいのと近いのと、どっちがいい?」と質問された。
 「それはもちろん近い方を。」と言ったけれど、説明を聞く私の表情に不安を覚えたのか、その女性は「やっぱり判りやすい方から行きなさい。」とおっしゃって、海沿いの道を教えてくださった。

 15時15分くらいに三輪崎駅に到着した。
 そこで駅の待合所に貼ってある時刻表を見て気がついた。私はずっと15時32分発の電車に乗るつもりで歩いて来たのに、紀伊勝浦行きの電車は15時21分発である。
 新聞社の方に送っていただいてよかった、途中で焦って歩いてよかった、とほっとした。

紀伊勝浦の港 紀伊勝浦駅前には足湯がある。結構混み合っていたので、駅からまっすぐ伸びる道を港の方に行き、「足湯 海の湯」に浸かった。
 結構広くて20人くらいは入れそうな感じだ。テーブルがあるところもあって、ガイドブックを開いている人たちや家族連れもいる。
 港の風景を眺めながらしばしぼーっとする。ちなみに一番左の山が「ホテルうらしま」である。

 16時30分くらいまで足湯にのんびり浸かり、駅に戻りつつ、那智の滝の水で作った日本酒や、梅酢エキスをしみこませたお塩や、春香柑という「一番もともとの品種」のミカンや、梅干し(お店のおじさんは「保存するのだから、梅干しは元々塩がきついものなのだ。」と言っていた)など、定番のお土産をいくつか購入した。
 特にお塩はどこに行ってもついつい買いたくなるものの一つだ。
 駅の売店でサンマ寿司のお弁当を買い、17時12分発のワイドビュー南紀8号に乗り込んだ。

 南紀8号の車内で松阪牛を使ったお弁当が販売され、そちらも食べてみたかったと思ったり、南紀8号が遅れて名古屋駅でのぞみへの乗り換えのためにダッシュしたりしつつ、無事かつ平和に熊野古道を歩く旅行は終了した。

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