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2006.08.30

熊野古道旅行記の入口を作る

継桜王子 ここは熊野古道旅行記への入口である。
 旅行記を書き終えたので、入口を作っておくことにした。
 以下の日程をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

 2006年秋にもほぼ同じ内容で、「熊野古道を歩く」ツアーが開催されるようだ。
 熊野古道の紅葉はどんな感じなのだろう。
 
1日目 2006年4月29日(土曜日) 紀伊田辺駅 -> 近露の里(泊)

2日目 2006年4月30日(日曜日) 近露の里 -> 熊野古道・中辺路 -> 熊野本宮大社 -> 湯の峯温泉(泊)

3日目 2006年5月1日(月曜日) 湯の峯温泉 -> 熊野速玉大社 -> 神倉神社 -> 熊野那智大社 -> 新宮市内 -> 雲取温泉(泊)

4日目 2006年5月2日(火曜日) 雲取温泉 -> 熊野川舟くだり -> 熊野速玉神社 -> 熊野古道・高野坂 -> 紀伊勝浦

 

持ち物リスト(熊野古道編)

2006年4月 熊野古道の写真

 

 熊野古道旅行に当たってお世話になったサイト
 (持って行ったガイドブック等は「持ち物リスト」に掲載)
田辺市の観光

東紀州ほっとネット くまどこ

スカイゲート 熊野古道

JRおでかけネット - 聖なる森 熊野古道を歩く

高田グリーンランド・雲取温泉

熊野川川舟センター

熊野交通株式会社

K社

 

 旅行後に読んだ本

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2006.08.27

修善寺旅行から帰る

 修善寺旅行から帰ってきた。
 2005年に初島旅行に行ったときも同じように書いたけれど、「旅行に行ってきた」というよりも「美味しいものを食べて、温泉に入ってきた」という感じだ。

 1日目は修善寺温泉の宿(鶺鴒荘に泊まった)でゆっくりし、何故か24時間テレビのドラマなど3人揃って見てしまい、翌日は浄蓮の滝まで行ってその後歩くつもりだったのだけれど雨に降られ、早めに修善寺駅に戻って午後2時台の踊り子で帰ってくるという、ゆっくりスケジュールで、のんびりした温泉旅行だった。

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修善寺旅行記2日目(引っ越しました)

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 修善寺旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月26日(土曜日)

2日目 2006年8月27日(日曜日)

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2006.08.26

修善寺旅行記1日目(引っ越しました)

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 修善寺旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月26日(土曜日)

2日目 2006年8月27日(日曜日)

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修善寺旅行に出発する

 モンゴル旅行の乗馬の際に「お猿のお尻」のようになっていたのだけれど、それも(多分)何とか回復し、今から1泊で修善寺旅行に出発である。
 温泉で本格的に回復してこよう。

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2006.08.23

旅行博のワールドトラベルクイズに挑戦する

 昨年は9月の勤労感謝の日辺りで旅行博が開催されていたな、とインターネットで検索したところ、旅行博2006のサイトが開かれていた。
 2006年は9月23日と24日に東京ビックサイトで開催されるそうだ。今年のテーマは中欧らしい。
 昨年に初めて行って、あちこち覗いて歩いているだけでも結構楽しかった。今年はもう少し積極的に楽しめるといいな、と思う。ぜひ行きたいものだ。

 ちょうど、旅行博のサイトで「ワールドトラベルクイズ予選大会が開催されていたので、参加してみた。
 きっと半分くらいしか(半分も、かも)できなかったと思うけど、でも面白かった。
 予選大会は2006年9月1日(金曜日)まで開催されているそうだ。

 旅行博のサイトはこちら。

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熊野古道旅行記4日目

2006年5月2日(火曜日)

雲取温泉のお湯 昨日は20時消灯・就寝などという小学生のようなことをしてしまい、目覚めたのは5時30分過ぎだった。
 ごはんを食べっぱなしビールも飲みっぱなしで寝てしまったのでその辺りを片付け、朝一番で再び温泉を堪能した。30分くらいぼーっとしていたけれど誰も来ない。
 これはチャンスだ! と、お湯から上がって部屋にカメラを取りに戻り、温泉の様子を写真に撮った。こんなことをしたのは初めてだ。お湯は写真よりも実物の方が白っぽいブルーである。

 7時30分に、併設の食堂に頼んであった朝食をいただいた。
 ごはん、わかめのおみそ汁、サンマ(自分で網で焼く)、サラダ、温泉卵、海苔、梅干し、お漬け物という定番メニューだ。
 ごはんを食べた帰り、飲用泉の水道があり紙コップも用意されているのを見つけ、少し飲んでみた。どんな味だったのか覚えていない。多分、そんなにクセはなかったんじゃないかと思う。

 出発までの寸暇を惜しんで友人に絵はがきを書く。和紙で作ったはがきに沢ガニや季節の植物が描かれている可愛い絵はがきで、昨日や一昨日に熊野古道を歩いて見かけた山桜やれんげの絵のものを選んで買っておいた。
 今日は川舟くだりをする。その船に大荷物を担いで乗るのも邪魔なので、宅配便で自宅に送ってもらうように作りし、宿の人にお願いした。

 9時頃に宿を出発し、熊野川川舟センターまで車で送っていただいた。
 途中、私があまりにも「滝が見たかった!」と騒いだせいか、センターのすぐ近くにある鼻白の滝が見えるところまで寄り道してくださった。本当に何から何まで申し訳ない。
 20分くらいで乗り場に到着し、受付までしていただいた。

 お昼前に天候が崩れると断言した朝の天気予報を信じ、上だけゴアテックスのレインコートを着込んだ。貴賤傘(身分の上下に関係なく皆で協力し合わないと熊野三山にたどり着けなかったことからそう名付けられた)と救命胴衣をお借りして身につける。
 同乗してくださる語り部さんの傘は檜で作られている本物だ。檜でこの傘を作れる人はどんどん減ってしまっている。私たちがお借りしたものの原材料を教えてもらったのに忘れてしまった。

 ゴールデンウィーク中の平日だし、もしかして最少催行人員に達しないのではないかと心配したけれど、14人くらい乗れる「八咫烏」という舟と8人くらい乗れる「速玉」という舟との、二艘出るようだ。私が乗ったのは大きい方の舟で、こちらは船頭さんの他にアシスタントの方が付く。
 川舟くだりに使われる舟はちゃんとした和舟で、普通の舟と違って底がすり鉢状ではなく平らになっている。そして、この舟を造れる人は、もう近辺にお一人しかいらっしゃらないそうだ。

舟くだりに出発 上流のダムが放流すると川の水が濁ってしまうけれど、お客さんが多いゴールデンウィーク中はまずやらないでしょう、ということで水も澄んでいる。
 10時に出発した。
 水面はとても静かで水も澄んでいるけれど、熊野川は別名「暴れ川」ともいわれているそうだ。この舟下りも、雨天決行だけれど風が出ると舟を出せなくなってしまうという。

 私が乗った「八咫烏」の語り部さんは女性の方で、キョウコさんとおっしゃる。
 まず、川面の表情、川の水の色から語り起こす。本当に綺麗なブルーだ。彼女は「曲玉のような翡翠色」と言い表していた。この後、川面がまるで流れがないかのように静かに平らになったり、川の水の色が次々と変わっていったりするという。
 舟にはエンジンがついていて、かなり船足は速い。その昔は4時間かけてくだっていた川を1時間半でくだるのだから当たり前かも知れない。
 出発してすぐの辺りで、とてもとても運がよいと野生のニホンカモシカを見ることができると言われ目をこらしたけれど、残念ながら現れてくれなかった。
 代わりにウグイスの声が聞こえる。

布引の滝 最初に現れた、橋の奥に見えた滝が「布引の滝」である。距離があるし、少し曇っているのでちょっとぼんやりとしか見えない。それでも、雨が降ったばかりなので水量はある方だという。さらに水量が減ると「白糸の滝」のようになり、さらに水量が減ると「洗濯板」状態になってしまうらしい。
 この布引の滝は熊野川沿いで最も高さのある滝と言われている。

 昨日、熊野川に沿って走る国道から見たときもとても綺麗なブルーに見えていた。川に浮かぶ舟から見ていると、ブルーが濃いのに川底の石も見えるほど澄んでいて不思議だ。
 また、川沿いに滝が多いのも意外だった。「葵の滝」と呼ばれる滝は、徳川頼宣公が「見事だ」と言ったことからそう呼ばれるようになったという。この「葵の滝」は別としても、キョウコさんは、川下りに時間がかかり、皆して暇だったので、滝や岩に名前をつけていったのだろう、とおっしゃる。 

宣旨返り また、熊野川沿いの三重県側には古道が一部残っている。舟に乗れない人々(5〜6人でチャーターして、今のお金で20000円くらいかかったそうだ)は歩いて熊野速玉大社に向かったという。
 宣旨返りと呼ばれる場所は、上皇の手紙(これが宣旨)という大事なお役目を持った人ですらここで引き返したくらい険しいということで名付けられた。舟から見ている分にはそこまで険しい道とは見えない。

 宣旨返りから少し舟足を速めた右側に、今度は奇岩が並んでいる場所が現れる。
 その中には、まな板と包丁に見立てられるような岩や、風になびいているかのように見えることからなびき石と呼ばれている岩もある。この岩は400万年前の火山活動で流れたマグマが収縮する際に亀裂が走り、そのときに風が吹いたから斜めになったといわれている。

 全国をくまなく歩いて熊野信仰を布教したといわれている熊野比丘尼ですら転んだといわれる険しい道や、熊野権現に切られた鬼神の骨だといわれている「骨嶋(実際は島ではなく、川岸に白い背骨のような骨が並んでいる)」、釣り鐘型に岩の割れ目があり今にも川に落ちそうな釣鐘石などが川の両岸に続く。
 釣鐘石は本当に今にも落ちそうに不安定に見えるけれど、「この石が落ちたらこの世が終わる」と言われており、当然のことながら、今まで落ちたことはないそうだ。

 釣鐘石を過ぎ、徳川頼宣公が名付けたという「飛雪の滝」を過ぎた辺りが舟下り一番の難所である。
 川底に岩が多く、強い瀬もある。船頭さんの腕の見せどころだ。道を探しながら、蛇行するように舟を走らせる。毎日そのルートは変わるそうだ。
 確かにそれまで静かなゆったりした流れだったのが、川面が波打ち、白波が立っている。
 ちょうどこの辺りが舟下りを始めてから5km弱、30分というところだ。

昼島上陸 川が蛇行する辺りまで来ると、カヌーが姿を現した。川舟下りもいいけれど、カヌーで下るのもいい感じだ。
 カヌーで行く人たちに手を振っているうちに、昼島が近づいた。ここに上陸して休憩である。
 昼島は、その上部が碁盤の目のようになっていて、天照大神と熊野権現とが碁を闘わせたともいわれている。砂の上を歩き、岩を登って、その上部まで行くことができる。
 この昼島からの眺めがなかなかすばらしい。いかにも「川の流れ」「悠久」という感じがする。

 昼島では10分ほど休憩を取り、熊野川の眺めを満喫した。
 そうしている間に、たまに当たるくらいだった雨がポツポツ落ち始めた。雨が降り始める中、二艘の舟に再び乗り込み、出発する。
 これは本格的な雨になるかもしれないと、リュックからレインコートのズボンを取り出して履く。裾のマジックテープを締めて何とか落ち着いた頃から、雨が段々激しくなってきた。

 頭は笠をかぶり、救命胴衣も着ているからある程度守られているともいえる。しかし、そんなものは相手にしないような、叩きつけるような雨だ。木の舟に雨が当たる音がまるで小豆が降ってきている音のごとく感じられる。
 アウトドア用レインコートで上下完全防水状態だった私はともかく、他の方はかなりびしょぬれになっていたと思う。大きなビニル袋が配られ、それぞれ荷物を覆ったり、体に被ったりしている。
 キョウコさんもびしょぬれになって「ありえなーい!」と叫んでいらした。それくらいの雨だ。

 そんな激しい雨の中、ちょうど雲取温泉の脇を流れていた高田川が熊野川に合流する地点にさしかかった。2年前に大きな地震があり、雲取温泉は白濁して泉質も良くなった、地震で良かったことはそれだけだ、とはキョウコさんの弁だ。
 雲取温泉は糖尿病にも効くといわれているという。

 30分近く雨は降り続いた。
 それも、本当に叩きつけるような雨だ。笠を被っていても顔を上げるどころではなく、うつむいてなるべく雨が当たる面積が小さくなるように体も小さく丸めて、じーーっとしているしかない。
 キョウコさんは古(いにしえ)の上皇様たちも、こんな大変な思いをして熊野詣でをなさったのだとおっしゃるけれど、ごめんなさい、私はやっぱり晴れて欲しかった。

川霧 嘘のような晴天、とまではいかないものの、河口が近づき、新宮市街地に近づくにつれ、雨足は弱くなり、かすかに陽も射すようになった。
 舟に乗り込んだ頃に「雨の日は雨の日のいいところがある」と説明があったように、両岸の山から霧が立ち上っているのが見える。川面も穏やかになり、色を深めている。いい雰囲気である。

 雨もあがった頃、苞苴渕に差しかかった。
 毎年10月15日・16日に行われる熊野速玉大社の例大祭に、近くにある庄司家の人がこの淵で75匹の鮎を捕まえて奉納することになっているそうだ。
 何故75匹なのか、神社も知らないし、奉納する庄司家の方も判らないというのが面白い。

 雨が降っていた間はやはり舟足も抑え気味だったのか、この辺りから舟は飛ばし始めた。
 畳を立てかけたように見えるところから「畳石」といわれる岩が立ち並ぶところに差し掛かり、一度エンジンが切られる。エンジンを切ってゆっくりと舟が漂い、川の流れる音が楽しめるのもここが最後だ。

 その後、舟は、熊野速玉大社の例大祭で神幸船が3周するという御船島をゆっくりと巡った。どうも、この島の進行方向右側はかなり浅いので、左側に迂回し、結果として島の周りを半周することになるようだ。
 この御船島に、神倉山から熊野速玉大社に向かっていた女性の神様の一人が降り立ったといわれている。
 また、行政区画(というのか)としてはこの御船島は三重県だが、和歌山県の熊野速玉大社の飛び地という扱いになっているという。面白い。

 この島を通り過ぎると「熊野川舟くだり」ももうすぐ到着だ。
 熊野川は、「熊野古道」の一部として、川というよりも道として世界遺産に登録されているという説明も改めて聞かせてもらう。
 前方に大きな橋が見えて来る。
 さて、どこにこの舟は到着するのだろう? と思っていたら、石ころが転がる川原に着けられた。出発点から14km、1時間半の舟旅の予定が、恐らくは雨のせいで2時間近くかかっていた。
 そこは、権現川原といい、昔から熊野参詣の舟の乗降場所であったといわれている場所だ。熊野速玉大社のほんの裏手だった。昨日来たときには、熊野速玉大社がこんなに川のすぐそばにあるとは、まるで気がつかなかった。

 舟が出発地点に戻る方々を乗せて戻っていくのを見送る。バス停に近いところに船を着け直してもらい、語り部さん達と一緒にバスで戻るという。今は、出発地点に戻るマイクロバスが用意されるようになったという記事を以前に読んだけれど、思い返してみると、確かにずぶ濡れになって路線バスを待つのも辛いだろう。
 舟に乗っていた方々が三々五々散る中、川原の石が乾いていたので適当なところを選んで座り込み、レインコートを脱いで畳み、靴を脱いで干し、靴下を履き替える。それだけでも気分はだいぶ違う。

巫女 しばらく(といっても、10分くらいだろう)ぼーっと川の方を眺めながら休憩し、天気も何とかもちそうなので、当初予定通り高野坂に行こうと決めて歩き始めた。
 まず、熊野速玉大社にもう一回お参りする。
 ちょうど、そこに巫女さんが通りかかったので、声をかけて写真を撮らせていただいた。お仕事中のところを、申し訳ない。

 熊野速玉大社近くの商店街にあった喫茶店でお昼ごはんにパスタをいただいた。
 ゆっくりお昼ごはんを食べている間に空模様がおかしくなったようで、再び高野坂を目指して歩き始める頃には、パラパラと雨が降ったり止んだりする妙なお天気になっていた。
 いくらも歩かないうちに、昨日登った神倉神社が見えてきた。そういえば、昨日は下から見上げることはしなかったなと思い、振り仰ぎ振り仰ぎ歩く。雨上がり(というか、まだポツポツ落ちていた)の緑がとても綺麗だ。

 そこから新宮駅の近くまで歩いた辺りで、本格的に雨が降り出した。
 すぐそばにあったバス停に屋根とベンチがあったので雨宿りする。地元の方らしい女性も雨宿りなのかおにぎりを食べていらっしゃる。
 「どこまで行くの?」と聞かれ、「高野坂を歩いて三輪崎まで行きたいんです。」と答えたら、何故か肝心の前半は横に置いておかれて「それなら、ここのバス停から紀伊勝浦行きのバスに乗ればいい。」と教えてくださる。
 思えば、この辺りから「高野坂」の知名度について、幾分かの不安を感じるべきだった。
 そんなこんなお話ししているうちに雨も上がってきて、「旅行で来ているので、少し歩いてみます。」とお別れし、再び高野坂を目指して歩き始めた。

 ずっと歩いてきた国道42号線沿いに大きなジャスコがあり、そのとき私が持っていた地図では、ジャスコの裏手を入ってすぐの辺りに高野坂への入口があるように見えた。
 しかし、道の左手が少し小高く緑が濃くはなっているものの、「世界遺産 熊野古道 高野坂」という気配はみじんもない。
 ちょうど向こうから自転車を押した地元の方らしい女性が来たので「高野坂にはどうやって行けばいいんでしょう?」と聞いてみたら、そんなものは知らない、というお返事だ。

 今から思えば図々しいことをしたけれど、ちょうど「南紀州新聞社」という看板が目に入り、新聞社の方だったら世界遺産にも詳しいに違いないというとんでもない理由で、私はその扉を開けて、「すみません、この辺りに世界遺産になっている高野坂はないでしょうか?」と尋ねた。
 ちょうど入口近くにいた若い女性に首を傾げられ、更に不安になっていると、ベテランらしい男性の方が「ここからだと結構距離があるよ。XXさん(この若い女性の名前だと思う)、行ったことない?」と声をかけてくださった。
 あるじゃないか! 

高野坂入口 高野坂入口までの道順を教えていただいたら、これが結構複雑で、どうも「近くにある」という私の認識と地図の表示が誤っていることが判った。
 私があまりにも自信なげに教えていただいた道順を復唱していたせいか、「15時半くらいまでに三輪﨑の駅に着きたいんです。」という私の希望はあまりにも無茶だと判断されたのか、ついに「じゃあ、高野坂の入口まで送ってあげるよ。」とおっしゃっていただき、さらに図々しいことにお言葉に甘えて車で連れて行っていただいた。
 車で5分くらいは走ったから、私の目算はまるっきり的はずれだったということだ。
 今さらながらだけれど、どうもありがとうございました!!

 「世界遺産 熊野古道 高野坂」の看板は造成が続く住宅街のようなところに立っていた。
 そこから歩いてすぐのところに、本当の高野坂の入口がある。看板が立ち、すぐ脇を線路が走っている。海岸沿いの熊野古道の上にこの線路を通してしまったため、今は歩くことができない。
 線路のすぐ向こうは海である。
 さて、歩き始めようとしたところに轟音が近づき、特急くろしおがすぐそばを走り抜けて行った。

 14時10分くらいから高野坂を歩き始めた。
 世界遺産だし、歩いて1時間くらいで三輪﨑に出られるし、それほど急なアップダウンもない、散歩コースとしては最適だ。しかし、知名度が低いせいか、アクセスが判りにくいためか、歩いている人はほとんどいない。
 しかも、語り部の方に先導されて歩いているときには全く気にもしていなかったけれど、「今は全行程のどれくらいのところを歩いている」ということが判らず、「あとどれくらい歩けば目的地に着く」ということも判らず、でも電車の時間があって15時半までには三輪﨑の駅に着きたいという目標だけがある状態は、とても不安だ。

高野坂からの海 高野坂を歩き始めてすぐ、振り返ると王子が浜が見えるポイントがある。昨日は南国調にあんなに綺麗なブルーだった海が、今日は曇天の下グレイに霞んでいる。ちょっと残念だ。

 そこから、山道(といっても息が切れるようなアップダウンはなく、なだらかな道筋だ)を再び歩き始める。木々が遮ってくれるているのか、ほとんど雨は感じられない。念のため、レインウエアのズボンだけは履いたままだ。
 本当に人影がなく、ところどころ、道筋に埋まっている石に苔生していたりする。一昨日歩いた中辺路は、植林されて綺麗に整った美林で、こちらは雑木林といった雰囲気だ。むしろ、熊野古道の雰囲気はこちらに残っているような気さえする。

金光稲荷神社 途中の竹藪がやけに明るくなっていて、張り紙があった。「お礼 4月25日(火)予定されていたイベント「タケノコ掘って古道整備」につきましては、当初計画通り実施し、無事終了いたしました。ありがとうございました」と書いてある。高野坂にもこうして世界遺産を守ろうという取り組みがあるらしい。
 赤い前掛けをしたお地蔵様を過ぎ、14時40分くらいに、金光稲荷神社に到着した。緑と茶色の中に赤い鳥居があるととても目立つし、何だかほっとする。少しお邪魔して、お参りする。

 神社から少し歩いたところに道しるべがあり、「展望台」「三輪崎」と書いてあった。もうここからはそんなに時間もかからないだろうと、展望台に寄り道した。
 2〜3分で到着するだろうと思っていたら、結構歩いた。途中で少し不安になって、向こうから戻ってくる人がいたので「あとどれくらいですか?」と聞いてみたら「すぐですよ。」というお返事だった。
 道しるべから展望台まで、歩いて5〜6分というところだった。
 展望台からは、三輪崎の海が見える。
 晴れていないのが惜しまれる。
 暑くなったのでレインウエアのズボンを脱ぎ、風に吹かれてしばし三輪崎の海を眺める。

 高野坂の終わりには、佐野王子に続く道も示されていたけれど、そこまで行く時間はない。
 三輪崎の駅に向かおうとすると、線路はあるものの、駅がどの辺りにあるのかサッパリ判らない。ちょうど玄関から出てきた女性に尋ねると、「判りやすいのと近いのと、どっちがいい?」と質問された。
 「それはもちろん近い方を。」と言ったけれど、説明を聞く私の表情に不安を覚えたのか、その女性は「やっぱり判りやすい方から行きなさい。」とおっしゃって、海沿いの道を教えてくださった。

 15時15分くらいに三輪崎駅に到着した。
 そこで駅の待合所に貼ってある時刻表を見て気がついた。私はずっと15時32分発の電車に乗るつもりで歩いて来たのに、紀伊勝浦行きの電車は15時21分発である。
 新聞社の方に送っていただいてよかった、途中で焦って歩いてよかった、とほっとした。

紀伊勝浦の港 紀伊勝浦駅前には足湯がある。結構混み合っていたので、駅からまっすぐ伸びる道を港の方に行き、「足湯 海の湯」に浸かった。
 結構広くて20人くらいは入れそうな感じだ。テーブルがあるところもあって、ガイドブックを開いている人たちや家族連れもいる。
 港の風景を眺めながらしばしぼーっとする。ちなみに一番左の山が「ホテルうらしま」である。

 16時30分くらいまで足湯にのんびり浸かり、駅に戻りつつ、那智の滝の水で作った日本酒や、梅酢エキスをしみこませたお塩や、春香柑という「一番もともとの品種」のミカンや、梅干し(お店のおじさんは「保存するのだから、梅干しは元々塩がきついものなのだ。」と言っていた)など、定番のお土産をいくつか購入した。
 特にお塩はどこに行ってもついつい買いたくなるものの一つだ。
 駅の売店でサンマ寿司のお弁当を買い、17時12分発のワイドビュー南紀8号に乗り込んだ。

 南紀8号の車内で松阪牛を使ったお弁当が販売され、そちらも食べてみたかったと思ったり、南紀8号が遅れて名古屋駅でのぞみへの乗り換えのためにダッシュしたりしつつ、無事かつ平和に熊野古道を歩く旅行は終了した。

 熊野古道旅行記3日目<-

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2006.08.20

無事、帰国する(モンゴル)

 2006年8月20日、モンゴルから無事、帰国した。

 モンゴルは、風の気持ちいい、流れ星とたくさん出会える、空の青と大地の緑と白いゲルが調和した場所だった。
 まだとても消化できないけれど、頭が空っぽになる旅行だったことだけは力強く断言できる。

 それにしても、乗馬と長時間のバス移動で体中がギシギシのバラバラだ。
 家に帰って来て、洗濯して一寝入りして起きたところなのだけれど、体が悲鳴を上げているのを感じる。
 体が悲鳴を上げているのを感じつつ、JALマイレージバンクの「JAL国内線2倍マイルプレゼント!」に登録した私は相当がめついようだ。

 さて、これからツアーメンバーの住所録を作らねば。

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2006.08.19

モンゴル旅行記8・9日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


持ち物リスト (モンゴル編)


2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.18

モンゴル旅行記7日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


持ち物リスト (モンゴル編)


2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.17

モンゴル旅行記6日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


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2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.16

モンゴル旅行記5日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


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2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.15

モンゴル旅行記4日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


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2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.14

モンゴル旅行記3日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


持ち物リスト (モンゴル編)


2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.13

モンゴル旅行記2日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 (モンゴル旅行記2日目にいただいたコメントは、ここにそのまま残してありますのでご了承ください。)
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


持ち物リスト (モンゴル編)


2006年8月 モンゴルの写真

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2006.08.12

モンゴル旅行記1日目(引っ越しました)

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 モンゴル旅行記は引っ越しました。
 (モンゴル旅行記1日目にいただいたコメントは、ここにそのまま残してありますのでご了承ください。)
 以下のリンクからご覧ください。

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1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


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2006年8月 モンゴルの写真

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持ち物リスト(モンゴル編)を作る その3

 持ち物リストのさらに続きで、これが最後である。
 ここには<食べ物>の類と、<その他>のものを載せている。

 大荷物になりすぎたような、まだ足りないものがあるような、何だか不安だ。
 今、ヘルスメーターで測ったら、15kg強だった。キャリーケースそのものの重さが5kg弱だから、10kg以上も荷物を詰め込んだことになる。
 一体、私は何を詰め込んだのだろう・・・。きっと荷造りの根本を間違えているに違いない。

 とにかく、行って来ます。

続きを読む "持ち物リスト(モンゴル編)を作る その3"

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持ち物リスト(モンゴル編)を作る その2

 持ち物リストの続きである。
 <洗面用具・化粧品>の類、<薬など>の類、<カメラ等>の類を載せてある。

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持ち物リスト(モンゴル編)を作る その1

 今回のモンゴル旅行(2006年8月12日から20日まで)は、荷造りが出発直前になったので、リストを作っている余裕がなく、これまでの旅行で作ったリストや、旅行社さんから送られてきたチェックリストを横目に見つつ荷物を詰めた。

 3日間は乗馬をする予定だし、何だか見落としがありそうで不安なので、リストを作りながら点検しようと思う。
 リストには、着ていったものや機内用バッグで持って行ったものも含まれている。

 3つに分けた持ち物リストの一番目のここでは、<必需品>の類、<バッグ>の類、<書籍等>の類、
<着替え等>の類を載せてある。

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2006.08.08

「蒼き狼」を購入する

 「蒼き狼 井上靖著(新潮文庫)」を購入した。
 モンゴルでの「蒼き狼」という言葉の「蒼き」という部分は、実際の語感やイメージでは灰色のような色のことを表しているらしい。それを「蒼い」と最初に翻訳したのが井上靖氏で、これは名訳だ、という文章を最近読んだのだけれど、どこで見かけた文章だったのかどうしても思い出せない。

 ゆっくり読んでみようと思う。

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2006.08.06

「ダーウィンが来た! 生きもの新伝説 "大追跡! 草食動物は強かった"」を見る

 毎週日曜日の午後7時30分から、NHK総合で「ダーウィンが来た! 生きもの新伝説」という番組が放映されている。
 毎週欠かさず見ているわけではないのだけれど、今日チャンネルを合わせたら、ちょうどケニアのマサイ・マラからタンザニアのセレンゲティに向けて大移動する草食動物(主にシマウマとヌー)がテーマだったので、ついそのまま見てしまった。サブタイトルは、題して「大追跡! 草食動物は強かった」である。

 タイトルのとおり、大移動するシマウマとヌーの合わせて8頭に発信器を着け、その様子を追っている。2ヶ月以上にわたる大移動に密着取材だ。
 ライオンに襲われたシマウマが逆にライオンを川に倒して逃げおおせるシーン、マラ川を大集団で渡るヌーが襲ってきたワニを蹴散らすシーンなど、草食動物の強さにポイントが置かれていた。
 それでも、やっぱりマラ川の川渡りはこの大移動で最も危険なポイントで、番組で追っていた群は川に到着してから渡り始めるまで1週間をかけていた。

 3年前にケニアでやはりヌーの大集団がマラ川を渡るシーンを見たのだけれど、あれは本当に僥倖だったのだな、と改めて思った。

 番組の公式Webサイトはこちら。

 ヌーの川渡りを見た、私のケニア旅行記9日目(2003年9月21日)はこちら。
 ヌーの川渡りの写真はこちら。

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2006.08.05

熊野古道旅行記3日目

2006年5月1日(月曜日)

 旅館よしのやの朝ごはんも7時からだった。温泉で炊いたおかゆが美味しい。
 ツアーとしては13時過ぎに紀伊勝浦駅に戻ることになっていて、今日は移動距離も長く、過密スケジュールだ。そこを案配し、当初予定よりも出発と朝ごはんの時間を早めたらしい。
 朝食前に10分くらい旅館周辺を歩き、湯の峯温泉の風情などを写真に撮った。朝の空気が気持ちよい。

 今日の移動もマイクロバスだ。何時に湯の峯温泉を出発したか覚えていない。8時前だったと思う。
 今日の半日は、宇江先生から替わって榎本先生がガイドを務めてくださる。
 バスは熊野川に沿って、一路、熊野速玉神社を目指す。そのバスの中で、古事記・日本書紀から語り起こし、熊野の起源のお話があったけれど、よく寝た筈なのにいかんせん眠い。しかも、お話が難しい。そういうわけで、あまり覚えていないのが申し訳ない。

 徐福伝説というものがある。
 今から2200年ほど前、秦の始皇帝に仕えていた徐福は、その命により不老不死の霊薬を求めて熊野に渡来し、農法・捕鯨・紙漉などを伝えたといわれている。最近になって、この伝説が史実だと言われ始めているという。
 榎本先生の場合はそこからさらに一歩進め、この徐福の渡来が、イザナギ・イザナミの伝説と繋がっているのではないかと考えているそうだ。

熊野速玉大社の神門 添乗員さんは新宮市内に入る辺りで道が渋滞するのではないかと心配していたけれど、渋滞にはまることもなく、8時30分過ぎに熊野速玉神社に到着した。
 熊野速玉神社は熊野速玉大神(いざなぎのみこと)と熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を中心にお祀りしている。
 それとは別に、熊野本宮大社はスサノオと阿弥陀如来を奉じて未来を司り、熊野速玉大社はイザナギと薬師如来を奉じて過去を司り、熊野那智大社はイザナミと千手観音を奉じて現在を司るというお話を聞いたように思う。
 熊野速玉大社が「新宮」と呼ばれるのは、熊野「本宮」大社に対するものではなく、この後に行く神倉神社を元宮として現在地に社殿を移したことから来ている。

 熊野速玉神社の境内には、ナギの大木があった。胴回りが6m、高さが20mのこの木は日本一のナギの大木で、昭和15年に国の天然記念物に指定されている。今から850年くらい前に平重盛が植えたと言われている。
 昔は、熊野詣でに来ると、このナギの大木の葉をいただいて帰ったものらしい。もちろん、今は保護されていて、葉っぱを取るなどということはできない。
 昔の熊野詣でに倣い、熊野本宮大社に続いて熊野速玉大社でも牛王宝印を買い求めた。「牛王宝印をください。」と言うと巫女姿の方が「500円お納めください。」とおっしゃる。対価として支払うのではないということなんだろう。

 熊野速玉大社では、神門の内側での写真撮影が禁じられていなかった。
 「声をかけてくれれば説明します」という看板が立ち、実際に宮司さん(で呼び方としては合っているんだろうか)に説明を受けているグループもいらっしゃった。
 昨日よりも明るい空の色のせいか、熊野本宮大社よりも何となく明るく開放的な印象がある。しかし、榎本先生は「ここは過去の悪行を反省する場所だからそういうお願いをしてください。」とおっしゃっていた。

 次に熊野速玉大社の元宮である神倉神社に向かった。バスで5分と走らずに到着する。
 そこから、本殿(というかご神体の大きな岩)は、階段を上って登って上ったところにある。鳥居のある階段の登り口からは全く見ることができない。
 また、この階段が、登り始めは高さも奥行きも揃っておらず、えらく上りにくい。息を切らせ、足だけで普通に上ることはできずに手も使って半分よじ登るようにして行く。

 この写真でお参りしているこの女性は地元の方だった。「登るのは大変だよ、でも神様が助けてくれるから思うよりも楽に登れるよ。」とおっしゃる。特に私を集中的に助けてもらいたい気分だ。
 神倉神社の神様は火の神様だと教えていただいた。
 また、神倉神社では、毎年2月6日にこの急な階段を駆け下りる「お燈祭」というお祭りが行われており、この女性がまだ子どもの頃に、その「お燈祭」が雨のために中止になったことがあったそうだ。すると、この一帯が火事で燃えてしまったという。以来、雨が降っても雪が降ってもこの「お燈祭」は絶対に行われている。
 「コケる人はいないんですか?」と私としては至極真っ当な質問をしたところ、「いないねぇ。神様に守られているからねぇ。」と苦笑が返って来た。何だか凄い。
 行ってきます! と気合いを入れ、「上に行ったら海の方まで全部見えるわ。」という言葉に励まされて登り始める。

 ところで、その「お燈祭」は、それぞれが小さな松明を持ち、この上の神社から一斉に駆け下りてきて一番を競うお祭りである。
 参加できるのは男性だけで、白装束を着るという。スタート地点の山門では、いい場所を取り合って松明での殴り合いが起こることもあるという。白装束に血がつき、飛ぶように駆け下りてくる人もいる、らしい。なかなか激しいお祭りである。
 もちろん、一番乗りを競わずにゆっくりと降りてお祭りに参加する人も大勢いるそうだから、「一番乗りを競うお祭り」というのは間違ったまとめ方かも知れない。

神倉神社の石段(下から)神倉神社の石段(上から) この「もの凄く大変な階段の登り」を強調するために、下から見上げた写真と上から見下ろした写真を載せてみた。上からは、ほとんど直角に切り立っているように見える。
 踊り場のような、少し平らな広場のようなところが途中に1ヶ所だけあり、そこから上は比較的段差も小さく奥行きも揃って登りやすくなった。しかし、そこまでの階段は、特に前の日にたくさん歩いてくたくたボロボロになっている身としては本当に大変だった。
 太陽まで照りつけて、大汗をかいてしまう。

神倉神社から そうやって息を切らせてたどり着いた神倉神社からの眺めはとても気持ちよかった。
 新宮市内と、熊野川が流れ込む熊野灘まで見える。
 階段の下りは、ジグザグにゆっくりと降りたらそんなに怖いこともなく、安全に下ることができた。

 バスは、大辺路街道を海岸線沿いに、新宮港や九十九王子の一つである佐野王子、補陀洛山寺などを横目に走る。
 大辺路街道を外れると、周りはどんどん「山」の雰囲気になる。大門坂の看板が見えれば、もう熊野那智大社の入口だ。
 大門坂は、熊野古道の中でもポピュラーな名所だと思う。樹齢800年という夫婦杉がその入口にそびえ、石段が那智大社に向かって続く。平安装束の貸し出しもあり、よく古の旅姿の女性が石段を下りてくる写真を見かける、あの場所だ。
 今回は歩けないのが残念だ。あまりに残念過ぎて、今夜は熊野那智大社の隣にある青岸渡寺の宿坊に泊まることにして、ここでツアーから離脱することにしたという方もいらしゃった。

 参道入口でバスを降り、階段を467段上らなければ熊野那智大社にお参りすることはできない。
 那智黒の産地だけあって、参道沿いには碁石はもちろんのこと、硯や置物などを扱うお店が並んでいる。

青岸渡寺 やっと到着した熊野那智大社は、高いところにあるせいか涼しい風が吹き、山の眺めもよいところだった。
 熊野那智大社の成立はおよそ400年頃で、元々は滝がご神体だったそうだ。その後、古来の神道と仏教が合わさり、神仏集合の信仰が始まる。
 また、青岸渡寺は、修験道と真言宗を信じる人たちにより、熊野分社権現としての形態が平安時代に確立されている。江戸時代になって観音信仰が広がり、西国三十三所の第一番の観音霊場となったという。
 青岸渡寺は織田信長の焼き討ちに遭っていて、今の建物は豊臣秀吉が再建したものである。南紀地方では最も古い建造物で、重要文化財に指定されている。

 熊野那智大社にお参りに来たら、何はなくとも那智の大滝を見ないわけにはいかない。
 那智の大滝は高さが133mあり、滝の落ち口が三つに分かれていることから「三筋の滝」とも呼ばれている。延命長寿の神様でもある。
 11時30分を回ってそろそろお腹も空いたけよと思いつつ、滝壺に向かって石段を下る。熊野那智大社から那智の大滝に向かう道は「裏参道」だそうだ。

那智の滝 「この石段を帰りには登らなくちゃいけないのね」と思いつつ下る。歩くこと5分ばかりで滝壺に到着した。滝壺というよりも「滝壺の神社」という感じだ。
 300円也を支払って、さらに深さが10mあるという滝壺に近づき、延命効果があるという滝の水をいただいた。

 那智の滝の上流は自然の川なので、滝の水量の増減が激しい。今日私たちが見た滝は、「比較的水量のある方」だったらしい。
 また、那智の大滝を一番滝として、四十八番の滝まで確認されている。
 滝の上流では、南方熊楠が粘菌の調査も行っていたそうだ。
 神倉神社と同じように、熊野那智大社でも火祭りが行われる。あちらは冬の最中、こちらは夏の盛りだ。また、あちらは小さな松明を使い、こちらは、重さ50kgくらいの檜の割板で松明を作る。対照的だ。

 そんな説明を聞きながらバスは走り、紀伊勝浦駅で13時に解散した。
 ここまでで、K社の「熊野古道を歩く」というこのツアーは終了である。
 でも、私は自主的に1泊延泊したので、熊野古道旅行は続く。

 宿泊は、新宮から車で30分くらいのところにある、雲取温泉グリーンランド高田に予約を取った。交通の便があまりよくないので、16時くらいに駅まで迎えに来ていただくようお願いしている。
 紀伊勝浦駅周辺でお昼ご飯を食べ、足湯に浸かり、お土産を見て、郵便局を探してふるさと切手を買うというゆっくりパターンか、紀伊勝浦駅周辺でお昼ごはんを食べて、紀の松島めぐりの遊覧船に乗るというさらにゆっくりパターンか、どちらかにしようと考えていた。
 のんびりガイドブックを広げて考えていたら、榎本先生に「これからどうするんですか。」と聞かれ、「とりあえず、今日は雲取温泉に泊まるんです。」と話していたら、いつの間にか、これから新宮市内を案内していただけることになった。有り難いお話である。

さんま寿司 もうお一人、今日の予定が決まっていない方がいらして、二人で案内していただくことに決まった。
 13時18分発の電車で新宮に向かう。
 新宮に着いたところでまずお昼ごはんをどうしようかという話になった。ランチタイムはすでに過ぎ、駅前のお店も何となく開いている気配がない。榎本先生に「じゃあ、時間もないことだし、外で食べますか。」と言っていただき、駅前のお寿司屋さんでさんま寿司を包んでもらった。

 そのまま車で海岸線に連れて行っていただき、堤防でお昼ごはんを食べた。
 砂浜と海がずーっと続いているけれど、この辺りは海水浴には向いていない。浅そうに見えて、少し行くとストンと深くなっているので、この辺りの人は「海に行く」というと、磯遊びに行くことが多いという。
 また、この浜は「王子が浜」といって、世界遺産には登録されていないものの、熊野古道の一部である。熊野古道といわれると「山」というイメージが強いので、何だか意外だった。

阿須賀神社 お昼ごはんを食べて海をのんびり眺めた後、隣に竪穴式住居がある「熊野阿須賀神社」に行った。住宅地にポツンとある、でも朱塗りの社殿や拝殿もあって「普通じゃない」由緒ある感じも漂う神社だ。
 熊野速玉大社の例大祭の日には、速玉大社からこの阿須賀神社にお祭神をお迎えする神馬渡御式という古式豊かなお祭りが行われている。
 この神社のご神体は背後の山である。社殿の奥に鏡が祀られているのも見える。神社と鏡というのは似つかわしいけれど、そのご神鏡を一般の参拝客から見えるところに置くのは珍しいように思う。

 新宮駅前にある徐福公園は門構えがやけに立派な公園だった。不老不死の薬として探し求められたという天台烏薬の木に囲まれた徐福のお墓や、徐福の重臣7人を祀った塚などがある。
 売店もあって、天台烏薬のお茶を試飲させてもらった。想像していたよりも漢方薬臭くなく、クセがないとは言わないけれど、美味しいお茶だったと思う。冷やした方が美味しく飲めるように思った。

 浮島の森は、新宮市街地の中央に突然現れる、こんもりと緑の茂った一角だ。
 その一角が丸ごと沼の中に浮いている浮島だというから驚く。国の天然記念物にも指定されているものの、市街地開発で沼がどんどん小さくなり、浮島もどんどん元気をなくしているらしい。
 隣の土地では、埋め立てた沼を元に戻して浮島を元の姿に戻そうというプロジェクトが進行していた。

 この辺りで、私の宿からのお迎えの時間と、ツアーで一緒だった方の電車の時間とが時間切れとなり、駅前でお二方とお別れした。
 今日の夕食を調達する必要があり、駅弁を買って行こうと予定していた。しかし、駅の売店は閉まって布までかけてある。電話で夕食の話をしたときに、宿の方に「お迎えに行ったときにスーパーにでも寄りましょうか。」と言われたのは、この事態を見越していたのだろう。
 スーパーマーケットで食料調達というのも何となく味気ない。お昼ごはんにさんま寿司を買い求めたお寿司屋さんに再び入り、握り寿司の折り詰めを作ってもらった。今日は炭水化物と魚類しか摂取していないような気もするけれど、1日くらいまあ大丈夫だろう。

グリーンランド高田_1 16時くらいに宿の方がお迎えに来てくださった。30分くらいで今日の宿である「雲取温泉グリーンランド高田」に到着だ。
 新宮市の第三セクターが運営していて、部活の合宿などに使えそうな運動場が併設されている。名前のとおり日帰り温泉もあり、宿泊客は無料で利用できる。日帰り温泉のお客さん用に売店があり、お土産なども売っている。
 私は洋室に泊まった。お茶セットもあって、昼間に試飲した天台烏薬のお茶もついている。なかなかいい。

 この近くに、日本の滝100選にも選ばれた滝があるけれど、今からでは暗くなってしまって危ない。明日もあることだし、滝までのハイキングは諦めて、宿周辺を少し散歩した。
 月曜日は併設の喫茶も閉まっているくらいだから、日帰り温泉のお客も少なめなんだろうと思う。静かだ。
 裏手に流れている高田川も綺麗で、少し早めに来て周りをゆっくり散歩してもよかったな、と思った。

 雲取温泉という名前は、宿から雲取峠が眺められることから付けられている。
 お湯は青みかかった乳白色である。西日本で乳白色のお湯の温泉は非常に少ないらしい。貴重だ。この温泉が、この宿を選んだ一番の理由である。
 宿の人の話では、地震があって、お湯の色が少し変わったという。「前はもっと本当に真っ白だったんです」とおっしゃっていた。

 日帰り温泉のお客さんが大方帰ったころを見計らって、温泉に行った。
 内湯は乳白色の温泉の他に、キハダの薬草風呂と天台烏薬の薬草風呂もある。露天風呂までは木製の屋根付き通路を結構歩く。乳白色の温泉がなみなみとあって、すぐそばを高田川が流れる音がして、とても気持ちいい。
 夕方のまだ陽が残っているうちから、外が暗くなるまで、ほとんど独占して温泉を堪能した。歩き疲れた体がほぐれた気がする。

 売店で絵はがきやお土産やビールを買い、夕ごはんにした。
 このビールが効いた。お腹が空き、温泉に浸かりまくって喉が渇き、しかも歩き疲れているとくれば回らない筈がない。
 お寿司を食べながらビールを飲んでいるとどんどん眠くなってきて、歯磨きだけは何とか済ませ、せっかく買った絵はがきを書く暇もなく、20時にはストンと眠ってしまった。

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2006.08.03

旅程変更のお知らせが届く(モンゴル)

 2006年8月12日がモンゴル旅行の出発日だから、その2週間前の7月29日には旅のしおりや旅程表が送られてくる筈だけれど、一向に届く気配がなかった。7月29日は土曜日だから、週明けになるのかと思ったけれど、それでもやはり届かない。
 問い合わせをしてみようかと考えていたら、8月1日になって旅行社の担当者の方からメールが届いた。

 小泉首相のモンゴル訪問が8月10日〜11日に予定されており、ぎりぎりで回避したと思っていた。
 しかし、そう簡単な話ではなかったらしく、ウランバートル周辺のホテル事情が悪化し、2泊目の宿が押さえられずに調整中である、日程表はまだ送れないけれども、荷造り等の準備があるだろうから、旅のしおり等を先に送ります、ということだった。

 8月2日に、さらに旅行社の担当者の方からメールが届いた。ウランバートルではランクの低いホテルしか押さえられず、それでは忍びないので、2泊目をウランバートルからツァガンスムに向かって少し進んだホスタイのツーリストキャンプに変更しますという連絡だった。
 宿泊地の変更になるので、旅程保障に引っかかり、旅行代金の2%の返金があるそうだ。
 また、ホテルからツーリストキャンプに変更することに伴い、一人部屋追加代金も1泊分返金されるという。

 去年のアイスランド旅行に引き続き、またもや宿泊地の変更で返金されることになった。
 こういうことは、しょっちゅう起こるものなのだろうか? 昨年のアイスランド旅行ではレイキャビクのカルチャーナイトとぶつかったし、今回は小泉首相の訪問とぶつかったという特殊事情もあるとは思うのだけれど。

 せっかく連絡をいただいたので、ついでに返信でいくつか質問した。
 質問と回答(を私が勝手にまとめたもの)は以下の項目である。

1 荷物は、スーツケースでも大丈夫ですか?
  あるいは、ボストンバッグやリュックなど担げる形態のものの方がよいでしょうか。

  どちらでも大丈夫。

2 行きの羽田発の飛行機は何時頃発でしょうか。
  また、関西空港でのトランジットの時間はどの程度でしょうか。

  行きは12時45分羽田発の便を利用する。
  モンゴルまでのチャーター便の関西空港発は17時35分。

3 ホテルやゲルで、カメラの電池等の充電は可能でしょうか。

  可能だけれど、電圧が安定しておらず、お勧めできない。

4 ホテルやゲルで、洗濯は可能でしょうか。

  可能。

5 朝晩の冷え込みというのは相当に厳しいのでしょうか。
  例えば、ダウンジャケットを持参した方が良いくらいの寒さと考えた方がよいでしょうか?

  夜のトイレや星空観察のために薄手のダウンはあってもよい。
  朝晩はゲルのストーブを焚く。

6 ホテルやゲルで、お湯をもらえるでしょうか。

  可能。

7 ホテルやゲルにバスタオルの用意はないと考えた方がよいでしょうか。

  ホテルにはタオルの用意があるところもある。
  ゲルではタオルの用意はない。また、乾燥しているのでバスタオルは必要ない。

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2006.08.02

40000アクセス達成!

 このブログを始めたのは2004年9月である。
 アクセス解析を見ていて、昨日(2006年8月1日)のうちに40000アクセス達成していたことは気がついていた。
 ところが!
 今日(2006年8月2日)、突然に、何の事前のアナウンスもなく、ココログで新しいアクセス解析が導入され、累積アクセス数がいきなり1000くらい増えていた。
 何故?!
 私の中では、あくまでも、昨日が40000アクセス達成の記念日である。

 遊びに来ていただいて、読んでいただいて、ありがとうございます。

 ちなみに、これまでの経過は以下のとおりである。
 開始 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 20000アクセス 2005年11月16日
 30000アクセス 2006年3月30日
 40000アクセス 2006年8月1日

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