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2007.01.08

モンゴル旅行記2日目

2006年8月13日(日曜日)

 7時に目覚ましをかけて、でも実際に起き出したのは7時30分を過ぎてからだった。充電していた電池をデジカメにセットして、ホテルの窓からの景色を撮る。充電は無事に完了したようだ。
 外は雲一つない青空で、目の前のナイラムダル公園の観覧車もくっきりと見える。

 荷造りをしてから外に出て、ホテルの外観の写真を撮ったり、フロントで両替をしてもらったりした。20ドルが21000Tになる。そして昨夜の約束どおり、9時頃から飛行機で並び席になった3人で朝食だ。
 パンにパンケーキにクレープ、卵にハムにチーズ、生野菜もあるアメリカンブレックファストだ。ジュースやコーヒー、お湯の入ったポットやティーバッグもある。水筒に熱湯をもらう。

 昨夜の部屋調整の結果、一人参加で相部屋希望の女性3人は、添乗員さんが「特別室」と表現したお部屋に宿泊していた。何だか面白そうなので、朝食後、そのお部屋を見せてもらう。
 キチネット(キッチンというほど揃っていなかったような気がする)や洗濯機もあり、3ベッドルームにリビングもあって、コンドミニアムのような感じだった。

 10時過ぎ、スフバートル広場を目指して出発した。タクシーに乗るという発想がなかったので、コンチネンタル・ホテルから歩いてウランバートル市内観光をしようとすると、自然と行き先はスフバートル広場になる。
 思っていたよりも日差しが強く、日向を歩いていると結構暑い。空気が乾燥しているようで、喉が渇く。

スフバートル広場 15分くらいでスフバートル広場に到着した。
 1921年のモンゴル革命の指導者の一人であるスフバートルの像が広場の真ん中にあり、政府宮殿の方を向いて建てられている。だから、このスフバートル像は後ろ姿だ。しかも、奥に見える政府宮殿は工事中である。
 このスフバートル氏は、モンゴル紙幣にも描かれている。英雄なのだ。
 今年になって、スフバートル広場にチンギス・ハン像が建立されたという話を聞いた記憶があったけれど、残念ながら発見できなかった。
 この広場の周りの建物は、どことなくヨーロッパ風だ。

 この後、私の強引なプッシュにより自然史博物館に行くことになった。恐竜の化石が見てみたかったし、スフバートル広場から歩いて行ける距離にある。
 入場料は2000Tである。写真も撮りたかったし、この先トゥグルグを使う機会はあまりないのではないかという気がして、撮影料5000Tを追加して払った。

 自然史博物館は思っていたよりずっと楽しかった。
 日本人観光客もちらほらといて、ガイドさんの説明を一緒にこっそり聞かせてもらったりした。
 隕石や大きな恐竜の骨格標本(タルボサウルスという恐竜の標本は、特別に天井の高い部屋に展示されていた)、闘っているところに(恐らく)隕石が落ちてそのままの体勢で化石になってしまった恐竜、恐竜の卵の化石などがメインの展示だ。それらの「目玉」となる展示品はもちろんのこと、それ以外の展示もかなり充実している。
 仏様を描いたタペストリーもあったし、植物の標本や、ゲルの様子を再現したコーナーもあった。動物の剥製をジオラマに置いたコーナーにもかなりのスペースが割かれていた。

 自然史博物館からホテルまでは、脇目も振らずに歩いて20分くらいの距離だったと思う。かなり急ぎ足で戻ったけれど、ホテルの入口に到着したのが集合時刻の12時ジャストくらいだった。遅れて申し訳ない。

チンギス・ハンの絵 今日の昼食は、ナイラムダル公園の中にあるSEOULというレストランだった。同じ旅行社の他のツアーの方々もここに集結していたようだ。
 2階はビュッフェ式になっていて、肉料理は羊を煮込んだものが多かったように思う。なるべくスープなど野菜類を多めに取るように心がけた。
 トニックウォーターを頼んだら、1.5ドルと言われたので1ドル札を2枚出したら1枚返され、500Tを追加するように言われた。不思議な支払い方法だ。
 このレストランの駐車場では、バスの中から見えてずっと気になっていた、山肌に描かれたチンギスハンの絵を見ることができた。帰国後にテレビ番組で知ったところによると、この絵は白い石を置いて描かれていたようだ。

 昼食後、日曜のためかホテルのフロントで両替ができなかった方がいたため、バスはまずデパートに立ち寄った。一緒に追加で両替をしてもらう。ここでは、20ドルが22800Tになった。ホテルのフロントよりもレートが良い。日本円からの両替も可能だった。
 次にスーパーに立ち寄り、1.5Lの水のペットボトルを500Tで買った。

 ウランバートル市内からバスで1時間弱走り、15時過ぎに「モンゴル建国800周年記念騎馬隊イベント チンギス・ハーン 800年目の帰還 ユーラシアの祝祭」の会場に到着した。入場したときにもらったガイドブックは日本語版で、そこにそう書いてあったから、これが正式名称だと思う。
 騎馬イベントは16時開始予定だ。
 会場の入口からお土産物屋の屋台が並び、中央には舞台が作られて民族舞踊らしい踊りが披露されている。その周りには、木工やゲルづくりや占いのワークショップのゲルが並び、食べ物の屋台も出ている。

ゲームに興じる子どもたち 騎馬イベントが始まるまでフリータイムとなった。
 ワークショップ会場でゲルの解体(組み立てはもう終わってしまっていたらしかった)を眺めていたら、そこのお父さんに呼び止められた。ゲルの部品の名前を教えてもらったり、彼の子ども達がゲームをしているところに混ぜてもらったりする。

 そのゲームは羊の関節を駒に使い、予め決められた模様に駒を並べておく。サイコロを振って出た目に合わせてその駒を取ってゆく、というルールのようだった。最後に残った駒を取ったのが私だったので単純に喜んでしまったけれど、そういえば「どうなったら勝ち」というルールは知らないのだから、本当は私が負けだったのかも知れない。
 この一家の末っ子の女の子が可愛らしくてシャッターチャンスを狙ったりしていたら、またもや集合時間にすっかり遅れてしまった。そんなことばかりで本当に申し訳ない。

 いよいよ騎馬イベントが始まった。
 会場は山手線の内側よりも広い草原で、そこに観客席が四つ建てられている。お天気はいいものの、風がもの凄く強くて寒い。長袖シャツに薄いコートを羽織っているだけでは寒くて震えてしまい、慌ててカーデガンを着込んだ。それでも寒いくらいだ。
 ナレーションは必要最小限しか入らない。モンゴル語と日本語、英語でアナウンスが行われる。
 電通が主催に入っているし、当初は日本語とモンゴル語のアナウンスしかなかったという話も聞く。日本人観光客しかいないのではないかとすら思っていたけれど、意外とそんなことはなくてちょっとほっとした。

 遠くから青い旗に率いられた一団が現れた。  それから後は1時間強に渡ってスペクタクルが展開された。もうもうたる砂埃をあげながら騎馬軍団が集団で走り、槍で闘い、弓で闘い、剣で闘う。ラクダに投石機を引かせている。
 この騎馬隊はモンゴル陸軍の人々が扮していたそうだ。甲冑などもチンギス・ハンのモンゴル帝国建国時のものを忠実に再現したという。

 途中で、騎馬軍団も観客席と同じ4色に色分けされ、競馬で競い、弓で競い、馬術で競うというイベントが挟まった。
 地面に置かれた長い竿のようなものを、全力疾走している馬上から体を投げ出すようにして拾い上げるのを見て、目が丸くなった。両足だけで自分の体を馬上に支え、腰から下は地面に向かって手を伸ばしている。どうしてそんなことができるのだろう?

 一番盛り上がったのは競馬で、どことも知れないスタート地点から一直線に4頭の馬が競い合って全力疾走してくる。つい、自分が座った観客席の色である緑の馬と人を応援する。際どいところで緑の馬が勝利して、大喜びした。
 競馬には賞品が出ていて、1位が馬、2位が羊、3位が山羊、だった。羊と山羊をもらった騎手の人は、馬上で片手で抱えて退場していった。どうしてそんなことができるのだろう?

 騎馬イベントは、最後にチンギス・ハン軍が勝利して終わる。一人の少年が現れ、笛を吹く。何かが始まったか、何かが終わったか。そういう雰囲気が流れる。
 そして、いつの間にか消えていた騎馬の一団がまた遠くから隊列を組んでやってきて、一斉に鬨の声をあげる。
 彼らは、観客席すれすれのところを片手をあげて挨拶しながら全力疾走で駆け抜け、退場していった。

お金 17時30分の出発まで、再び20分くらいのフリータイムになった。
 ステージを見るか馬に乗っている美女を撮ろうか迷ってウロウロしていたら、以前に別のツアーでお世話になった添乗員さんとばったり会った。このイベント会場でだけ通用する通貨があるんだと言って見せてくれる。
 縦9cm・横3cmくらいの大きさで、800年記念イベントのマークが入り、モンゴルの文字でさらに何か書かれているけれどそれは読めない。金・銀・銅と3種類あり、一番格好よく見えた銅をお土産も兼ねて買うことにした。
 この「お金」で買い物をするつもりだったけれど、お手洗いも混んでいたし、欲しかったベルトが見つからずに断念した。
 この騎馬イベントは2007年夏にも開催されることが決まったようだ。この「お金」はそのときにも流通しているだろうか。

オボー 17時30分に、今日の宿泊場所であるホスタイのツーリストキャンプに向けて出発した。出発のときに「ドライバーが1時間くらいで着くと言っているから2時間くらいで到着するでしょう。」と添乗員さんが言ったけれど、それはとてつもなく甘い見込みであったことが後で判る。
 30分くらい走った道の真ん中に大きなオボーがあった。バスが停まる。

 オボーは、私の中では「日本のお地蔵様や道祖神のようなもの」と理解しているけれど、それが正しいかどうかは不明である。
 おぼろげな記憶によれば、モンゴル人の日本語ガイドさんに「オボーがあったら、旅の安全を願ってその周りを時計回りに3周回り、1周につき1つずつ石を投げるのだ」と教えてもらったと思う。もちろん、みんなでバスを降りて3周回った。

 その後、添乗員さんから「あそこまで歩いてください。その方が安全ですから。」という指示が出る。その指さされた場所を見ていなかった私は、近くを歩いていた人にかなり遠くに見えるゲルを指して「あんなに?」と聞き返して笑われた。
 オボーからの道はかなり急な下りになっていて、凹凸も大きい。バスがひっくり返りでもしたら危ないから坂を下りきったところまで歩いてくださいという意味だったらしい。「これがモンゴルですから。」という添乗員さんのコメントが可笑しい。
 ぶらぶら歩いて行くと、この辺りには、エーデルワイスに似た花があちこちに咲いていた。

 ホスタイのツーリストキャンプには、私たちのツアーと奥カラコルムでホームステイをするツアーとの二組で向かっていた。
 添乗員さんの目算である2時間を過ぎた頃、そのもう1台のバスが見えなくなり、待ち合わせがてらトイレ休憩になった。もちろん、トイレは青空トイレだ。
 バスを降りると、空気の匂いが明らかに違う。「何だか違いますよね。」と騒いでいたら、ツアーの方が「これだよ。」と一面に咲いていたカモミールを折って渡してくれた。草っぽい緑っぽい匂いの強い、でもカモミールのいい香りだ。
 この野生のカモミールでアロマオイルを作って売ったら大もうけができそうだと思ったことは内緒である。

夕食 もう1台のバスが追いついたところで再び出発し、流石に日も落ちて暗くなりかけた21時20分、ホスタイのツーリストキャンプに到着した。
 何はともあれ、まずごはんである。サラダの前菜と、ハンバーグの上にマッシュポテトを乗せた感じのメインディッシュが出た。メインディッシュには、ごはんと野菜の酢漬けのような付け合わせがついている。それとは別に出されたパンが、少し油が強いけれど美味しい。あとチョコレート菓子といった感じのデザートも出た。
 寒いしお腹も空いていたし、何より全体的にかなり美味しくて、バクバク食べた。

 ゲルでの宿泊は相部屋である。14名のツアー参加者のうち男性は4名だけだったのでゲル一つでまとまり、女性陣10名は3つのゲルに分けられた。
 後になって、「どういう基準で組分け(笑)されていたのか」とみんなで検討した結果、関東勢と関西勢に分け、一人部屋を希望したか否かで分けたんじゃないか、ということに落ち着いた。

 ホスタイのツーリストキャンプでは、24時間使えるシャワーが女性用として三つある。しかし、シャワーがある棟まで結構遠いし、風が強くて寒いし、何だか風邪を引きそうだし、明日には温泉に入れるので、シャワーはパスし、シャワーシートと「水のいらないシャンプー」で済ませた。
 食事も終わり、それぞれのゲルにみんなが落ち着いた22時30分頃、キャンプのスタッフが薪ストーブに火をつけに来てくれた。太さが10cm弱、長さは30cm以上ありそうな薪を一度に7〜8本は入れられるかなり強力な薪ストーブが備え付けられている。火を入れても冷え込んでいて、アウトドア用のコートを荷物から引っ張り出して着込んだ。

 ゲルの周りには足元を照らす灯りがついているけれど、宿泊用のゲルが並ぶ辺りからシャワーやトイレのある棟までは少し距離があり、木で道が組まれているけれど灯りはない。お手洗いに行くには懐中電灯が必携である。

 灯りのないところで空を見上げたら、夜の端から端まで天の川がかかっていた。
 とんでもなくたくさんの星が白く瞬いている。天の川も確かに「流れている」のが見て取れる。
 天の川を渡る人工衛星が動く軌跡までくっきりと見えて、ちょうど通りかかった添乗員さんにも指さして示しつつ、「凄いね。」と当たり前のことを言いながらぼんやりと眺めた。

 ペルセウス座流星群は極大日から1日たった今日も健在だ。23時頃、あちこちのゲルから人が出てきて、夜空を眺める声が聞こえ始めた。
 この日、人工衛星も、流れ星も、天の川も、そして遙か遠くの地平線から上る月も見ることができた。
 
 その後の同じゲルになった3人で記念撮影をし、この日寝たのは翌日の1時近かったと思う。

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