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2007.01.29

「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」を見る

 昨日の午後、母から「あなたの(いつも騒いでいる)熊野古道がやってるわよ」と言われ、テレビをつけてみたら、画面にC.W.ニコルさんが映っていた。NHK教育の「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」という番組だった。別に「私の」熊野古道ではないのだけれど、45分というコンパクトな番組だし、せっかくなので有り難く見ることにした。

 ちらっと映ったテロップを見ただけなのでうろ覚えなのだけれど、世界に向けて放送しているNHKワールドというチャンネルの番組を再放送しているものらしい。そう言われれば「日本人が知らない日本へ」というタイトルも、日本語に堪能なニコルさんがカメラに向かって英語で解説している理由も納得である。

 世界遺産登録を機に作られた番組らしく、世界遺産に登録されている範囲が地図で示される。「参詣道」として登録されているから、その範囲はかなり広い。
 ニコルさんは高野山から旅を始めていた。
 宿坊で、外国人に英語で高野山の始まりを物語る御歳90歳になろうという女性が格好良かった。

 中辺路を歩くニコルさんを案内していたのは、2006年の熊野旅行でお世話になった宇江先生だった。そういえば、バスの中だったか歩いているときだったか、ニコルさんの話が出ていたような気もする。
 道端のお墓は、熊野古道に巡礼に来て倒れた方の無縁墓であることや、「だる」について語られていた。
 突然に疲労困憊する「だる」になったときのために、お弁当を全部食べることはせずご飯粒だけでも残しておくといいと言う。そのご飯粒で「だる」から復活できるのだそうだ。私たちには教えてくれなかったぞ、と思ったりした。

 ニコルさんが「この道は、人が一人歩くには広いですね」と言って説明を受けていた。その昔、上皇様などが熊野詣でをした際には、歩いたのではなく輿に乗って移動しており、だから数人に担がれた輿が通れるだけの幅はあるのだと言う。
 言われてみればそうだよな、でも道幅なんか気にしなかったよ、と思った。

 ニコルさんの旅は、熊野本宮大社から、熊野川を舟で下って熊野速玉大社、神倉神社を見上げて、熊野那智大社で終わる。
 その辺りは、私たちとほぼ同じコースで、何だか嬉しかった。

 熊野那智大社の宮司さんが、「道は歩かなければ意味がない」とおっしゃっていたのが印象的だった。そして、神道の「道」は「感謝する心」なのだそうだ。
 私が「道」を歩けたのかは大いに疑問だけれど、でも熊野古道を自分の足で少しだけでも歩けて良かったと思った。

2007年1月28日(日曜日)午後3時30分から
NHK教育「日本人が知らない日本へ -熊野古道-」

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2007.01.28

モンゴル旅行記3日目

2006年8月14日(月曜日)


 前日に「6時頃にツーリストキャンプのスタッフがストーブの火をつけに来てくれる」と言われていた。6時過ぎに起き出していたのは、多分、寒さのせいだと思う。
 この日は、日の出前に目が覚めて大正解だった。真っ平らな地平線の上に雲がたなびき、その雲を太陽がオレンジやピンクに染める綺麗な朝焼けを見ることができた。


 7時30分からの予定だった朝食は、少し遅れて、食べ始めたのは8時近かった。油で揚げたナンのようなパン、バターとジャム、ビスケット、ソーセージ、お粥というメニューだ。
 朝食が遅れた分、出発も遅れて、8時50分くらいにツァガンスムを目指してホスタイのツーリストキャンプを出発した。ここからは私たちツアーメンバーだけになる。


 添乗員さんの「一番前の席に座りたい人!」という呼びかけに図々しく応じて手を挙げ、助手席に座る。窓が大きいし、目の前にまっすぐ続く道路や草原が続く。景色もよく見えて、楽しい。
 「(一番前の席は)楽ですよ。」とも言われたけれど、しばらく未舗装道路が続き、しかも見えている道路状況から私が予測するのとバスの実際の跳ね方とが全く違い、逆に変なところの筋肉が緊張してしまった。
 ホスタイはタヒという野生馬の保護地区になっている。出発してすぐ、添乗員さんに「タヒは見られますか?」と聞いたら、「もっと朝早い時間に水場などに行かないと見ることは難しい。」という返事だった。残念である。


未舗装道路 立候補して一番前の席に座った以上寝てはなるまいと決心し、前の景色や道路沿いの景色を眺めたり、写真を撮ったりする。
 昨年直したばかりだという片側1車線の道路を走っているときは別にして、ドライバーさんは舗装道路と未舗装道路が並行して走っているところでは、概ね未舗装道路を走る。不思議だ。
 そのうち、舗装道路には予想外の場所に穴が空いていたり隆起していたりするので、そのたびに大きくスピードを落として走るのが非効率なんだろうと後で納得した。プロの技である。


 気になってスピードメーターをのぞき込むと、「昨年直したばかり」の道路を走っているときは概ね90km/h、それ以外の舗装道路を走っているときは60〜80km/h、未舗装道路を走っているときは40〜50km/hだった。
 昨日の夕食時、添乗員さんが「明日の移動時間は7〜8時間とドライバーが言っていますが、道路状況などによってもかなり違います。」と説明していた意味がよく判る。


 そうやって、落ち着きなくあちこちを見たり、バッグをごそごそしてカメラを取り出したり、写真を撮ったりしていたら、ドライバーさんから声をかけられた。モンゴル語なので意味は全く判らないけれど、少なくとも怒られている感じではない。
 それでも慌てて後ろを向き、ガイドさんに「何て言っているの?」と聞いたら、ガイドさんも日本語に訳すのに困っている。「前を見たり横を見たり、あちこちを見ているというのは・・・。」と言いかけると、ツアーのどなたかが「そういうのはキョロキョロしているって言うんだよ。」と助け船を出す。


 すると「キョロキョロしているけれど、気分でも悪いんですかと言っています。」とのことだった。とんでもない。慌てて大きく首と手を振って否定する。
 「大丈夫って何て言うんですか?」「ツゲール・ツゲール、です。」と教えてもらい、ドライバーさんに向かって「ツゲール・ツゲール」と言ったら、バス中に笑われた。
 とにもかくにも、「ツゲール・ツゲール」は私が最初に覚えたモンゴル語である。


怪しいトイレ 10時30分くらいに1回、12時30分くらいに1回、休憩を取った。
 12時30分のときはトイレもあったけれど、この写真のとおり、かなり怪しいトイレだ。この床の木は私の体重を乗せて保ってくれるのか真剣に悩むくらいだ。途中、降り出した雨もポツポツというくらいになっていたし、すぐそばに「雨が降ったら川になるんだろうな」という感じの2mくらいの崖があってちょうどいい目隠しになっていたので、女性陣はみなそこで青空トイレとなった。
 女性の場合、青空トイレならパンツスタイルよりもスカートの方が楽だと思う。私が今日スカートをはいているのはそういう理由だ。
 黒い犬が番犬のように見張っていたのが何だか可笑しかった


 13時過ぎに、本日の昼食場所であるツーリストキャンプに到着した。
 ガイドさんに確認していたツアーの方に教えていただき、ホイルッツァガというところだと判る。でも、もちろん「地球の歩き方 モンゴル」には載っていない。
 ここでの昼食はなかなか凝っていて、コールスローの前菜にスープ、メインは牛肉と野菜の炒め物と付け合わせにライスが付いた。デザートにチョコレートのお菓子も出たけれど、お腹がいっぱいになったのでおやつ代わりに持ち帰る。


 随分後になって気がついたところ、こうした食事の度にテーブルに出ていた紅茶のティーバッグやインスタントコーヒーは添乗員さんが持ち込んでくださったものだ。それに気がつくまでは、「モンゴルではインスタントコーヒーはお皿に盛って出すものなんだな」と勘違いしていた。


 14時20分に、再びツァガンスムを目指して出発した。
 ここからは、一番前の席は他の方に譲り、昨日も座っていた席に戻る。
 昼食のときに「一番後ろの席は30cmくらい跳ねるんだよ。」「今から乗馬の練習をしているよ。」というお話を聞いていたけれど、本当に頭が天井に着くのではないかと思うくらいジャンプしているのをこの目で見たときには驚いた。
 確かに、それに比べたら、一番前の席は雲泥の差で楽だ。


P8141186 16時くらいに、カラコルムに到着した。この街にあるエルデニゾーという遺跡には帰りに寄ることになっている。
 ここは県境にもなっていて、道に遮断機のようなものが降りている。何かの手続きも必要なようで、それを待つ間にトイレ休憩だ。
 朝青龍関の経営するツーリストキャンプの看板があったので、県境とその看板を記念に撮影した。


 ツァガンスムのツーリストキャンプまでの所要時間を聞いたところ、添乗員さん曰く「ドライバーは1時間と言っています、ガイドは3時間と言っています、自分は4時間だと思います。」ということだった。
 その後、ツアーの方々と「所要時間当てクイズ」になった。


 ドライバーさんの予測を大幅に超えた18時20分頃、バスがスピードを落とした。
 遊牧民のゲルにお邪魔するという。「お土産があるといいです。」というガイドさんの案内に、バス中「(お土産のつもりで持ってきた)飴とか、大きな荷物の中に入れちゃって持っていない!」と大騒ぎになった。スーツケースやバックパックなどの大きな荷物は別のワゴン車に積まれている。


乳製品 7人家族のそのお宅は、フランス人監督がドキュメンタリー映画を撮ったときにモデルになったそうだ。撮影風景の写真などを見せてくださる。ちょうど雨も降り始めて、ちょっとした休憩タイムだ。
 初めて飲むアイラグ(馬乳酒)は酸味が強いヨーグルトドリンクよりもう一段サラっとしている。バターのような生クリームが繊維状に固まっているような、そんな乳製品もご馳走になる。スーテーツァイという塩味のミルクティーも出していただく。
 周りのゲルからも続々と人が集まってきて、歓迎してくださる。もう、どの子がこのゲルの子で、どの子がお隣のゲルの子なんだか、さっぱり判らない。


 一家は、元々はウランバートルで暮らしていたけれど、お父さんが足に怪我をしてしまったのを機に遊牧の生活に入った(戻った?)そうだ。お子さん達は、お父さんの出身地であるウランバートル近郊の学校に通っているという。
 ガイドさんによると、移動のしやすさが身上のゲルで、この一家のようにベッドなどの家具が置いていることは珍しいそうだ。そういえば、子どもたちがテレビで「トムとジェリー」を見ていた。


 ツアーのお一人が折り紙を持っていて、大人気になっていた。彼女の周りに子ども達が集まってきて、折り紙教室が開催される。その様子を上手く写真に撮れなかったのが残念だ。
 そうこうしているうちに雨も上がり、一気に青空が広がった。そうすると、今度はゲルの外で大撮影大会だ。
 私も、多分姉妹なんだろう、お姉さんと抱っこされた小さな女の子の写真を撮らせてもらった。このお姉さんの女の子の目がとても強くて格好良かった。
 小さい女の子が手に握っているのは、お昼に出たチョコレート菓子だ。差し上げられるような手持ちのお土産はそれくらいしかなかったのが申し訳ない。いつゲルにお邪魔してもいいように用意しておいた方がいいのだな、と学習した。


ゲルの内部 ツァガンスムのツーリストキャンプは一家のゲルから車で10分くらいのところにあった。
 昨日と同じグループ分けでゲルに入って寛ぐ。
 とても清潔で、ベッドが3つあり真ん中にテーブルもある。もちろんストーブは必需品だ。バスタオルとハンガー、サンダルも用意されていて至れり尽くせりだ。
 夕ごはんは20時頃、その後で温泉に入れます、とアナウンスがあった。
 まだ夕ごはんまで1時間以上ある。昨年もこのツーリストキャンプに来たという方に先導してもらい、女性陣ですぐ近くにある源泉までお散歩に出た。


 源泉は、ツーリストキャンプから湯気が上がっているのが見えるほど近い。温泉を引いているパイプに沿って5〜10分も歩けば到着する。
 柵で仕切られた中に入ると、源泉から流れ出たお湯が川になっていて、湯気が上がっている。黄色っぽい茶色っぽい色をしている。鉄の色といえばいいだろうか。
 木道が造ってあり、その上を歩いて行くと、途中に建物があった。どうも銭湯のようだ。後で聞いたところによると、個室が四つあり、それぞれにバスタブが置いてあって、温泉に入れるようになっているそうだ。


 源泉の真上にオボーが建てられていた。「温泉が枯れませんように」という祈りを込めて建てられたオボーだ。木道はちゃんとオボーの周りにも作られていて、みなで歩いて3周した。
 ツーリストキャンプまで戻る途中、恐らくはお隣のお寺で修行をしているのだろうと思われる白人女性を見かけた。髪も短く刈っていて、僧の着物を着ており、「ちょっと来てみました」という軽いノリではなさそうだ。このとき、モンゴル仏教はどんな仏教なんだろう、と初めて思った。


 夕食は20時頃だった。
 ハムときゅうりとトマトの前菜と、牛肉の炒め物にライスを添えたメインディッシュ、デザートにヨーグルトが出てきた。袋入りじゃない、デザートっぽいデザートが出たのは初めてかも! とみんなして色めき立つ。このヨーグルトがとても美味しかった。


ツーリストキャンプ正門 夕食を食べ終わっても、まだ、外は明るい。
 思い立ったが吉日と、このツーリストキャンプの正門から写真を撮る。
 右手前の比較的大きなゲルがレストランゲルだ。ここでは、お酒やおつまみなども売っていた。「次にいつ入荷があるのかは判らないから、欲しい物があったらそのときに買ってください。」と言われる。食事のときに、ビールやコーラも飲める。支払いはドルでもトゥグルグでも可能だ。


自分の影 周りに山(というか丘)は見えるものの、それ以外には全く何もない。
 21時近くなっても、まだ「夕方かな」という太陽だ。影が面白いように伸びてゆく。こんなに長い影なんて見たことない。
 自分の影の写真を撮ろうとすると、カメラを構えているので両手を上げられず、片手だけ伸ばしているポーズが間抜けだ。こればかりは仕方がない。
 今から思えばこの写真、影の長さが判るように何か比べられる物を一緒に写しておけば良かった。


 21時頃から、待望の温泉となった。
 露天風呂になっていて、草原を眺めながら入ることができる。
 逆に、草原を行く人々からも丸見えだけれど、そこは旅行会社の担当さんから「水着を持って行ってください。水着なしで入るには相当の勇気が必要です。」という的を射た注意をもらっていたので大丈夫だ。


 日が落ち、暗くなり、露天風呂を照らす灯りがつき、星が出始め、天の川もくっきり見えて、流れ星が見えるころまで、ずーっと温泉に浸かっていた。2時間くらい入りっぱなしだったろうか。
 追い炊きができるわけではないので、お湯はどんどんぬるくなり、その分、長く入っていることができる。
 温泉と空の色の変わりようと満点の星を満喫した。
 正直に言って、乗馬はなしでもいいや、と思うくらいだった。


 温泉から流れ星が見えたのが嬉しくて、上がった後も湯冷めの用心に厚着をして、星見を続けた。
 やっぱり天の川は地平線から地平線にかけて流れていて、ホスタイのツーリストキャンプよりさらにくっきりと見えている気がする。標高が上がったせいだろうか。
 天の川の写真を撮ろうとがんばったけれど、流石にシャッタースピードが最長16秒のカメラでは相当に明るい星しか写らなかい。それに、魚眼レンズとは言わないまでも広角レンズがないと苦しい。
 この日も午前1時頃の就寝となった。


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2007.01.20

「朝だ! 生です 旅サラダ」を見る

 手持ちぶさたで何となくテレビをつけるとき、ついつい旅番組にチャンネルを合わせてしまう。
 今朝もそういう感じでテレビ朝日系列の「朝だ! 生です 旅サラダ」にチャンネルを合わせたら、今週のゲストである音無美紀子の旅先が熊野古道だというので、ついついそのまま見続けてしまった。

 南紀白浜から始まった旅は、白浜で「クエ」を食し、「とがの木茶屋」に立ち寄って、発心門王子から熊野本宮大社まで歩く。番組を見ていると、とがの木茶屋と発心門王子と伏拝王子とが等間隔ですぐ近くに並んでいるように思うけれど、とんでもない。とがの木茶屋は田辺市野中にあるのだ。
 旅番組というのは、本当に「ダイジェスト」なんだな、と思った。
 音無美紀子の祖先は熊野本宮大社の神官(で名称は合っているのか?)なのだそうだ。今の宮司さんに「おかえりなさい」と迎えられ、一緒に音無川を訪れていた。
 その後、いったん熊野川を三重県側に渡って宣旨帰りを歩き、川舟に乗って熊野川を下る。河口にある熊野速玉大社はスルーして(勿体ない!)、大門坂を登って那智の滝を見るところで、旅は終了である。
 今月の旅がザンビアで、ヴィクトリア・フォールズに行っていたから、「滝の対比」みたいな感じにしたかったのだろう。

 旅番組は旅のダイジェストだ。
 頭では判っているけれど、自分が旅行した場所を見ると余計にそれが感じられる。やっぱり自分でその場に行かなくては、と思った。

2007年1月20日(土曜日)午前8時から
テレビ朝日系列「朝だ! 生です 旅サラダ」
番組ホームページはこちら。

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2007.01.13

録画した「地球新世紀〜月尾嘉男の文明大冒険〜シリーズ第2話」を見る

 TBS系列で2007年1月2日(火曜日)午前9時45分から放映された「地球新世紀〜月尾嘉男の文明大冒険〜シリーズ第2話 水と土の循環」を録画しておいた。年末年始は、世界各地の「いいかも」と思わせる土地を取り上げた番組が多くて嬉しかった。タイトルからは判りにくいけれど、この番組のそのうちの1本だ。「水と土の循環」を壊したために滅んだ文明としてマヤ文明を取り上げていた。

 グアテマラのティカル遺跡は、前からずっと行ってみたかった場所のひとつなのだけれど、マヤ文明の一大神殿都市として主にティカルがどのようにして崩壊したのかが考察されていた。
 ティカルは1000年以上に渡ってマヤ文明の中心都市であり続けたのは、大きな川もなく大規模な灌漑ができない土地で、雨水をコントロールして農地に水を提供する仕組みを作り上げていたことが大きかったのだそうだ。
 マヤの勢力が最も拡大した700年以降、同時に人口も激増し、その人口を抱えるために熱帯雨林を切り開いて焼き畑農業を行ったことで、農業用水のコントロールを失ったらしい。
 同時に、ティカルの遺跡は今は石がむき出しになっているけれども当時は漆喰で覆われており、4号神殿の建設や水路の建設に大量に必要となった漆喰を作るためには大量の薪が必要で、これらの工事も熱帯雨林を破壊する一因だったようだ。
 さらに、肝心の雨が200年近くの間にどんどん減少し、マヤ文明の記録は869年を最後に途絶えてしまうのだそうだ。

 ティカルに実際に人が住んでいたというイメージを全く持っていなかったので、驚いてしまった。

 現在、4号神殿は当時造られたのと同じ方法での修復が行われているのだそうだ。
 石がむき出しになったある意味で見慣れた遺跡を見に行くか、修復が完成するのを待って建設当時の姿を取り戻した神殿を見に行くか、修復作業がどのように行われているのかを見に行くか、いずれにしてもティカル遺跡にはぜひ行きたいのだけれど、いつ行けばいいのか(もちろんその前に行けるかどうかという問題があるけれど)悩むところだ。

 ところで、番組のテーマは「マヤ文明がいかにして崩壊したか」ではなく、「崩壊した過去の文明に学び、これからどうすればいいのか」ということである。
 水田での稲作というのは、1000年以上も連作をしても土と水の循環を壊さない稀有の農法であること、日本文明(という言い方に、私は違和感を感じたけれど)とケルト文明に共通する「循環の思想」を大切にすることで、土と水の循環を護り、地球の健康を守って行けるのではないかということで、有機農法をされている方や、左官の方のお仕事が紹介されていた。

2007年1月2日(火曜日)午前9時45分から
TBS系列「地球新世紀〜月尾嘉男の文明大冒険〜シリーズ第2話 水と土の循環」
番組の公式Webサイトはこちら

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2007.01.10

システムメンテナンスによる1/31〜2/1のご利用制限のお知らせ【えきねっと】が届く

 JR東日本のポータルサイトである「えきねっと」から、システムメンテナンスのお知らせメールが届いた。
 2007年1月31日(水) 23:00から翌朝2月1日(木) 5:30まで、「JR券申込」サービス (きっぷの変更・払戻を含む)等の利用ができなくなるそうだ。
 また、えきねっとで申し込んだ2007年1月31日の切符は、当日の22:30以降は切符を受け取れなくなってしまうという。こちらの方が大変なことかも知れない。
 今のところ旅行の予定はないから影響もないのだけれど、でも、覚えておこう。

 システムメンテナンスに関する詳しいご案内はこちら。

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2007.01.08

モンゴル旅行記2日目

2006年8月13日(日曜日)

 7時に目覚ましをかけて、でも実際に起き出したのは7時30分を過ぎてからだった。充電していた電池をデジカメにセットして、ホテルの窓からの景色を撮る。充電は無事に完了したようだ。
 外は雲一つない青空で、目の前のナイラムダル公園の観覧車もくっきりと見える。

 荷造りをしてから外に出て、ホテルの外観の写真を撮ったり、フロントで両替をしてもらったりした。20ドルが21000Tになる。そして昨夜の約束どおり、9時頃から飛行機で並び席になった3人で朝食だ。
 パンにパンケーキにクレープ、卵にハムにチーズ、生野菜もあるアメリカンブレックファストだ。ジュースやコーヒー、お湯の入ったポットやティーバッグもある。水筒に熱湯をもらう。

 昨夜の部屋調整の結果、一人参加で相部屋希望の女性3人は、添乗員さんが「特別室」と表現したお部屋に宿泊していた。何だか面白そうなので、朝食後、そのお部屋を見せてもらう。
 キチネット(キッチンというほど揃っていなかったような気がする)や洗濯機もあり、3ベッドルームにリビングもあって、コンドミニアムのような感じだった。

 10時過ぎ、スフバートル広場を目指して出発した。タクシーに乗るという発想がなかったので、コンチネンタル・ホテルから歩いてウランバートル市内観光をしようとすると、自然と行き先はスフバートル広場になる。
 思っていたよりも日差しが強く、日向を歩いていると結構暑い。空気が乾燥しているようで、喉が渇く。

スフバートル広場 15分くらいでスフバートル広場に到着した。
 1921年のモンゴル革命の指導者の一人であるスフバートルの像が広場の真ん中にあり、政府宮殿の方を向いて建てられている。だから、このスフバートル像は後ろ姿だ。しかも、奥に見える政府宮殿は工事中である。
 このスフバートル氏は、モンゴル紙幣にも描かれている。英雄なのだ。
 今年になって、スフバートル広場にチンギス・ハン像が建立されたという話を聞いた記憶があったけれど、残念ながら発見できなかった。
 この広場の周りの建物は、どことなくヨーロッパ風だ。

 この後、私の強引なプッシュにより自然史博物館に行くことになった。恐竜の化石が見てみたかったし、スフバートル広場から歩いて行ける距離にある。
 入場料は2000Tである。写真も撮りたかったし、この先トゥグルグを使う機会はあまりないのではないかという気がして、撮影料5000Tを追加して払った。

 自然史博物館は思っていたよりずっと楽しかった。
 日本人観光客もちらほらといて、ガイドさんの説明を一緒にこっそり聞かせてもらったりした。
 隕石や大きな恐竜の骨格標本(タルボサウルスという恐竜の標本は、特別に天井の高い部屋に展示されていた)、闘っているところに(恐らく)隕石が落ちてそのままの体勢で化石になってしまった恐竜、恐竜の卵の化石などがメインの展示だ。それらの「目玉」となる展示品はもちろんのこと、それ以外の展示もかなり充実している。
 仏様を描いたタペストリーもあったし、植物の標本や、ゲルの様子を再現したコーナーもあった。動物の剥製をジオラマに置いたコーナーにもかなりのスペースが割かれていた。

 自然史博物館からホテルまでは、脇目も振らずに歩いて20分くらいの距離だったと思う。かなり急ぎ足で戻ったけれど、ホテルの入口に到着したのが集合時刻の12時ジャストくらいだった。遅れて申し訳ない。

チンギス・ハンの絵 今日の昼食は、ナイラムダル公園の中にあるSEOULというレストランだった。同じ旅行社の他のツアーの方々もここに集結していたようだ。
 2階はビュッフェ式になっていて、肉料理は羊を煮込んだものが多かったように思う。なるべくスープなど野菜類を多めに取るように心がけた。
 トニックウォーターを頼んだら、1.5ドルと言われたので1ドル札を2枚出したら1枚返され、500Tを追加するように言われた。不思議な支払い方法だ。
 このレストランの駐車場では、バスの中から見えてずっと気になっていた、山肌に描かれたチンギスハンの絵を見ることができた。帰国後にテレビ番組で知ったところによると、この絵は白い石を置いて描かれていたようだ。

 昼食後、日曜のためかホテルのフロントで両替ができなかった方がいたため、バスはまずデパートに立ち寄った。一緒に追加で両替をしてもらう。ここでは、20ドルが22800Tになった。ホテルのフロントよりもレートが良い。日本円からの両替も可能だった。
 次にスーパーに立ち寄り、1.5Lの水のペットボトルを500Tで買った。

 ウランバートル市内からバスで1時間弱走り、15時過ぎに「モンゴル建国800周年記念騎馬隊イベント チンギス・ハーン 800年目の帰還 ユーラシアの祝祭」の会場に到着した。入場したときにもらったガイドブックは日本語版で、そこにそう書いてあったから、これが正式名称だと思う。
 騎馬イベントは16時開始予定だ。
 会場の入口からお土産物屋の屋台が並び、中央には舞台が作られて民族舞踊らしい踊りが披露されている。その周りには、木工やゲルづくりや占いのワークショップのゲルが並び、食べ物の屋台も出ている。

ゲームに興じる子どもたち 騎馬イベントが始まるまでフリータイムとなった。
 ワークショップ会場でゲルの解体(組み立てはもう終わってしまっていたらしかった)を眺めていたら、そこのお父さんに呼び止められた。ゲルの部品の名前を教えてもらったり、彼の子ども達がゲームをしているところに混ぜてもらったりする。

 そのゲームは羊の関節を駒に使い、予め決められた模様に駒を並べておく。サイコロを振って出た目に合わせてその駒を取ってゆく、というルールのようだった。最後に残った駒を取ったのが私だったので単純に喜んでしまったけれど、そういえば「どうなったら勝ち」というルールは知らないのだから、本当は私が負けだったのかも知れない。
 この一家の末っ子の女の子が可愛らしくてシャッターチャンスを狙ったりしていたら、またもや集合時間にすっかり遅れてしまった。そんなことばかりで本当に申し訳ない。

 いよいよ騎馬イベントが始まった。
 会場は山手線の内側よりも広い草原で、そこに観客席が四つ建てられている。お天気はいいものの、風がもの凄く強くて寒い。長袖シャツに薄いコートを羽織っているだけでは寒くて震えてしまい、慌ててカーデガンを着込んだ。それでも寒いくらいだ。
 ナレーションは必要最小限しか入らない。モンゴル語と日本語、英語でアナウンスが行われる。
 電通が主催に入っているし、当初は日本語とモンゴル語のアナウンスしかなかったという話も聞く。日本人観光客しかいないのではないかとすら思っていたけれど、意外とそんなことはなくてちょっとほっとした。

 遠くから青い旗に率いられた一団が現れた。  それから後は1時間強に渡ってスペクタクルが展開された。もうもうたる砂埃をあげながら騎馬軍団が集団で走り、槍で闘い、弓で闘い、剣で闘う。ラクダに投石機を引かせている。
 この騎馬隊はモンゴル陸軍の人々が扮していたそうだ。甲冑などもチンギス・ハンのモンゴル帝国建国時のものを忠実に再現したという。

 途中で、騎馬軍団も観客席と同じ4色に色分けされ、競馬で競い、弓で競い、馬術で競うというイベントが挟まった。
 地面に置かれた長い竿のようなものを、全力疾走している馬上から体を投げ出すようにして拾い上げるのを見て、目が丸くなった。両足だけで自分の体を馬上に支え、腰から下は地面に向かって手を伸ばしている。どうしてそんなことができるのだろう?

 一番盛り上がったのは競馬で、どことも知れないスタート地点から一直線に4頭の馬が競い合って全力疾走してくる。つい、自分が座った観客席の色である緑の馬と人を応援する。際どいところで緑の馬が勝利して、大喜びした。
 競馬には賞品が出ていて、1位が馬、2位が羊、3位が山羊、だった。羊と山羊をもらった騎手の人は、馬上で片手で抱えて退場していった。どうしてそんなことができるのだろう?

 騎馬イベントは、最後にチンギス・ハン軍が勝利して終わる。一人の少年が現れ、笛を吹く。何かが始まったか、何かが終わったか。そういう雰囲気が流れる。
 そして、いつの間にか消えていた騎馬の一団がまた遠くから隊列を組んでやってきて、一斉に鬨の声をあげる。
 彼らは、観客席すれすれのところを片手をあげて挨拶しながら全力疾走で駆け抜け、退場していった。

お金 17時30分の出発まで、再び20分くらいのフリータイムになった。
 ステージを見るか馬に乗っている美女を撮ろうか迷ってウロウロしていたら、以前に別のツアーでお世話になった添乗員さんとばったり会った。このイベント会場でだけ通用する通貨があるんだと言って見せてくれる。
 縦9cm・横3cmくらいの大きさで、800年記念イベントのマークが入り、モンゴルの文字でさらに何か書かれているけれどそれは読めない。金・銀・銅と3種類あり、一番格好よく見えた銅をお土産も兼ねて買うことにした。
 この「お金」で買い物をするつもりだったけれど、お手洗いも混んでいたし、欲しかったベルトが見つからずに断念した。
 この騎馬イベントは2007年夏にも開催されることが決まったようだ。この「お金」はそのときにも流通しているだろうか。

オボー 17時30分に、今日の宿泊場所であるホスタイのツーリストキャンプに向けて出発した。出発のときに「ドライバーが1時間くらいで着くと言っているから2時間くらいで到着するでしょう。」と添乗員さんが言ったけれど、それはとてつもなく甘い見込みであったことが後で判る。
 30分くらい走った道の真ん中に大きなオボーがあった。バスが停まる。

 オボーは、私の中では「日本のお地蔵様や道祖神のようなもの」と理解しているけれど、それが正しいかどうかは不明である。
 おぼろげな記憶によれば、モンゴル人の日本語ガイドさんに「オボーがあったら、旅の安全を願ってその周りを時計回りに3周回り、1周につき1つずつ石を投げるのだ」と教えてもらったと思う。もちろん、みんなでバスを降りて3周回った。

 その後、添乗員さんから「あそこまで歩いてください。その方が安全ですから。」という指示が出る。その指さされた場所を見ていなかった私は、近くを歩いていた人にかなり遠くに見えるゲルを指して「あんなに?」と聞き返して笑われた。
 オボーからの道はかなり急な下りになっていて、凹凸も大きい。バスがひっくり返りでもしたら危ないから坂を下りきったところまで歩いてくださいという意味だったらしい。「これがモンゴルですから。」という添乗員さんのコメントが可笑しい。
 ぶらぶら歩いて行くと、この辺りには、エーデルワイスに似た花があちこちに咲いていた。

 ホスタイのツーリストキャンプには、私たちのツアーと奥カラコルムでホームステイをするツアーとの二組で向かっていた。
 添乗員さんの目算である2時間を過ぎた頃、そのもう1台のバスが見えなくなり、待ち合わせがてらトイレ休憩になった。もちろん、トイレは青空トイレだ。
 バスを降りると、空気の匂いが明らかに違う。「何だか違いますよね。」と騒いでいたら、ツアーの方が「これだよ。」と一面に咲いていたカモミールを折って渡してくれた。草っぽい緑っぽい匂いの強い、でもカモミールのいい香りだ。
 この野生のカモミールでアロマオイルを作って売ったら大もうけができそうだと思ったことは内緒である。

夕食 もう1台のバスが追いついたところで再び出発し、流石に日も落ちて暗くなりかけた21時20分、ホスタイのツーリストキャンプに到着した。
 何はともあれ、まずごはんである。サラダの前菜と、ハンバーグの上にマッシュポテトを乗せた感じのメインディッシュが出た。メインディッシュには、ごはんと野菜の酢漬けのような付け合わせがついている。それとは別に出されたパンが、少し油が強いけれど美味しい。あとチョコレート菓子といった感じのデザートも出た。
 寒いしお腹も空いていたし、何より全体的にかなり美味しくて、バクバク食べた。

 ゲルでの宿泊は相部屋である。14名のツアー参加者のうち男性は4名だけだったのでゲル一つでまとまり、女性陣10名は3つのゲルに分けられた。
 後になって、「どういう基準で組分け(笑)されていたのか」とみんなで検討した結果、関東勢と関西勢に分け、一人部屋を希望したか否かで分けたんじゃないか、ということに落ち着いた。

 ホスタイのツーリストキャンプでは、24時間使えるシャワーが女性用として三つある。しかし、シャワーがある棟まで結構遠いし、風が強くて寒いし、何だか風邪を引きそうだし、明日には温泉に入れるので、シャワーはパスし、シャワーシートと「水のいらないシャンプー」で済ませた。
 食事も終わり、それぞれのゲルにみんなが落ち着いた22時30分頃、キャンプのスタッフが薪ストーブに火をつけに来てくれた。太さが10cm弱、長さは30cm以上ありそうな薪を一度に7〜8本は入れられるかなり強力な薪ストーブが備え付けられている。火を入れても冷え込んでいて、アウトドア用のコートを荷物から引っ張り出して着込んだ。

 ゲルの周りには足元を照らす灯りがついているけれど、宿泊用のゲルが並ぶ辺りからシャワーやトイレのある棟までは少し距離があり、木で道が組まれているけれど灯りはない。お手洗いに行くには懐中電灯が必携である。

 灯りのないところで空を見上げたら、夜の端から端まで天の川がかかっていた。
 とんでもなくたくさんの星が白く瞬いている。天の川も確かに「流れている」のが見て取れる。
 天の川を渡る人工衛星が動く軌跡までくっきりと見えて、ちょうど通りかかった添乗員さんにも指さして示しつつ、「凄いね。」と当たり前のことを言いながらぼんやりと眺めた。

 ペルセウス座流星群は極大日から1日たった今日も健在だ。23時頃、あちこちのゲルから人が出てきて、夜空を眺める声が聞こえ始めた。
 この日、人工衛星も、流れ星も、天の川も、そして遙か遠くの地平線から上る月も見ることができた。
 
 その後の同じゲルになった3人で記念撮影をし、この日寝たのは翌日の1時近かったと思う。

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2007.01.07

録画した「北アフリカ世界遺産紀行 マグレブ三都物語-海とオアシスの回廊を行く-」を見る

 NHK総合で2007年1月3日(水曜日)午後9時から放映された「北アフリカ世界遺産紀行 マグレブ三都物語-海とオアシスの回廊を行く-」を録画しておいた。年末年始は、世界各地の「いいかも」と思わせる土地を取り上げた番組が多くて嬉しかったのだけれど、これもそのうちの1本だ。

 マグレブというのはアラビア語で「陽の沈む国」という意味だそうで、北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコの辺りを指す言葉なのだそうだ。
 この番組では、この三国にある世界遺産をメインに取り上げていた。

 各国の世界遺産を全て取り上げていたのかどうかは判らないのだけれど、1時間の番組を見た印象としては、ローマ時代の遺跡を残すチュニジアに世界遺産が多くあるのだなと感じた。
 サハラ砂漠の砂が風に流されて砂紋を描く様子や、各国のスーク(市場)の様子が、何だか懐かしかった。
 アルジェリアの砂漠にある、5000年前に描かれた岩絵(その当時はサハラ砂漠は大きな川の流れる肥沃な土地だったそうだ)や、モロッコのベルベル人の赤い絨毯にも惹かれたけれど、このうちどこか一国に行くとするなら、フェニキアの海上貿易都市として栄え、ローマに侵略され、その後アラブの文化が入ってきてそれぞれが融合しているチュニジアに行ってみたいと思った。

2007年1月3日(水曜日)午後9時から
NHK総合「北アフリカ世界遺産紀行 マグレブ三都物語-海とオアシスの回廊を行く-」

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2007.01.03

モンゴル旅行記1日目

2006年8月12日(土曜日)

 今回参加したツアーでは、往復ともJALのチャーター便を利用する。行きは関西空港から飛び、帰りは羽田に直行だ。
 羽田に11時45分集合だった。昨年のアイスランド旅行の際の教訓に従い、JALだったら搭乗券の発券も個人単位かと早めに行ったところ、恐らくチャーター便だからだろう、座席は指定済みだった。
 この時点で、20分離陸が遅れるので、ゲートに12時45分集合と案内があった。

 その辺の売店でおにぎりを買い(意外と空港にコンビニはなくて探した)、6階のデッキでお昼ごはんにした。暑い。しかも、夏休み中のためか、飛行機を眺めに来ている親子連れが多く、早々に退散する。
 ロンドンでのテロ未遂事件の直後でもあるし、やることもないしで早めに行動する。羽田空港のセキュリティチェックはスムーズに通過できた。
 スムーズではなかったのは飛行機で、出発が遅れて12時45分発が13時5分発になった上、途中で積乱雲の横を通過したためにかなり揺れた。

 関西空港はもの凄く混雑していた。
 改めて団体受付カウンターに並んで搭乗券をもらうまで20分かかった。同時に燃料チャージが下がったので1800円を後ほど添乗員から返金しますという案内がある。
 チェックイン・カウンターに向かう列は長く伸びていて、並ぶこと25分。
 さらに、国際線のセキュリティチェックではロンドンのテロ未遂事件の影響が生じていて、合衆国行きの人とそうでない人とに列が分けられる。モンゴルを含め合衆国以外の地域へ行く場合は液体の持ち込み禁止などの厳しい措置はない。しかし、係のお姉さんは「開けてもいいですか?」という一言とともにバッグに突っ込んでいた私の水筒を開けていた。

 セキュリティチェックを抜けてしまえばガラガラで、国内線を降りてから約1時間後の16時には出国審査を抜けることができた。空港で買うつもりで化粧品の類を一切持ってきていなかったので、買い物する時間がなかったらどうしようとヒヤヒヤしていたけれど、無事に購入することができた。
 16時50分にゲート前でツアーメンバーが集合した。あちこちでツアーごとに集まっているので、自分が参加するツアーを探すのが大変だった。
 その後、熊野古道に行ったときの添乗員さんに声をかけられて驚いた。ホームステイするコースの添乗につくそうだ。

 搭乗後、飛行機がサテライトから滑走路に向かって動き出した後でアナウンスが流れた。二人ほど「チェックインしたけれども搭乗していない」人がいたらしい。しかし、サテライトに引き返すこともなく、JAL8871便は10分遅れの17時30分頃に離陸した。預け入れ荷物がない人たちだったんだろう。
 19時くらいに機内食が出て、その後、添乗員さん達が団体で行ったり来たり慌ただしくしていた。

 気流が荒れていたらしく、飛行機はほとんどジェットコースター並みに上下した。フワッというあの一瞬の無重力状態が何度も起こる。あんなに揺れる飛行機に乗ったのは初めてかも知れない。
 到着が10分遅れの21時50分着になったし(モンゴルではサマータイムを採用しているので、夏の間は日本との時差がない)、気分が悪くなる人が何人かいたようだ。並んで座っていた、同じツアーに参加する女性もかなり参っていたようだ。
 それなのに、着陸後、座席でゆっくり休ませてくれず、「機内から出たら空気も良くなるし、気分も回復するのでは。」と親切風でありつつ「早く降りて!」という意図が見え隠れする発言と表情をしていた客室乗務員さんの態度にカチンと来た。

チンギス・ハン空港 20分くらいでモンゴルの入国審査も無事に通過した。
 点呼を受けてツアーメンバーが再集合し、機内アナウンスで「21度」と知らされていたよりも涼しく感じられる外で待つこと数分、迎えのバスに乗り込んだ。
 今日の宿であるコンチネンタル・ホテルに向けて23時頃に出発した。
 チェックインを待つ間、ホテルのバーを待合室代わりに使わせてくれた。メニューを見たら、スニッカーズが500T(トゥグルグ)、500mlのミネラルウォーターが1000Tだった。何となく、モンゴルまでの飛行機で並んで座っていた3人で固まり、「メニューにガムや飴や煙草が載っている!」と発見し合う。

 ホテルの部屋が人数分確保できておらず、その調整で時間がかかったらしい。明日の予定も含めた説明が始まったときには翌日になっていた。
 明日は、午前中は自由行動で、12時にホテルを出発し、昼食後に800年記念騎馬イベント会場に向かう。ホテルの朝食の時間、フロントで両替が可能なことなども案内される。
 添乗員さんのお部屋が確保できていないということで緊急時の連絡先としてガイドさんの携帯電話の番号を教えてもらう。

コンチネンタル・ホテルのお部屋 ホテルのお部屋はかなり広くて綺麗だった。お湯が出たのでバスにためようとしたら、流石に途中で水に変わってしまった。しかし、とにかくゆっくり浸かることができるくらいに溜まったのが有り難い。ついでに、洗濯もしてしまう。
 今年は今日がペルセウス座流星群の極大日だ。しかし、窓から外を見ても曇っているのか星は全く見えない。 
 スタンドの灯りをつけたままにしておいたら、眠りかけたところでフッと電気が消えたり、またすぐについたりした。
 カメラの電池をセットした充電器が不安だ。ツーリストキャンプに行ってからだとさらに不安なのでそのままダメ元で充電を続けることにして、キャリーケースから懐中電灯を取り出して枕元に置き、そのまま寝てしまった。

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2007.01.02

「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~」を見る

 何だかこの年末年始は「鉄道旅番組」づいている。
 今日の夜は、「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~」という番組を見た。
 2006年夏に開通した(あちこちのサイトを見てみたところ、正式開通は2007年という情報もあった)、中国の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ青海鉄道の旅を、この鉄道建設の話とともに語る番組だった。

 鉄道として世界最高地点(海抜5072m)の地点を通るこの鉄道は、計画から50年近くかけて完成した。動物たちの保護区を横切るこの鉄道は、動物たちの移動を妨げないように線路を鉄橋にしている区間が多い。冬は完全に凍り付き夏になると緩むツンドラ地帯での鉄道建設やトンネル工事は困難を極めたようだ。
 そうして雲上のチベット高原の大パノラマを比較的気軽に見ることができるようになり、ラサへの交通も至便になった。
 この電車には、観光客も乗っているし、巡礼の人々も乗っているし、出稼ぎに行く人も乗っているし、ラサにショッピングセンターを建設しようという人々も乗っている。ラサの人口は40万人の聞いて驚いたのだけれど、この都市や鉄道が停まる途中の町がもっと大きく賑やかになろうという感じが伝わってくる。

 西寧を夜に出発してラサに翌日の夜到着するという運行スケジュールはチベット高原の景色を明るい内に見られるようにという配慮だという。途中には観光用に景色を眺めるための駅が9カ所儲けられている。今は(理由は語られていなかったけれど)まだ停車しない。客車は飛行機と同じシステムを備えていて、気圧も酸素も地上(平地)の80%をキープしているそうだから、そこからマイナス20度の世界に下車できるようにするには、色々と準備が必要なんだろう。

 景色も綺麗だし、「世界最高地点を通過する鉄道」というのも魅力的だ。
 景色を眺めるための駅があったり、チベット高原を日中に走る運行スケジュールを組んだり、青海鉄道は観光を重視しているのだと思う。
 でも、番組を見て、この鉄道は観光用というだけでなく、チベット自治区やその玄関口となる西寧を経済的に変えてゆく大きな存在なんだということをより強く感じた。

2007年1月2日(日曜日)午後9時から
NHK総合「青海チベット鉄道~世界の屋根2000キロをゆく~」

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「水曜どうでしょう」のDVDを見る−ヨーロッパ21カ国完全制覇−

 この年末年始は、旅関係のテレビ番組やDVDを見ているだけで終わってしまいそうだ。
 実は今日もNHKBS2で午前10時15分から「関口知宏 音と心のメープル街道 − カナダ・NHK伝統和楽団とともに−」という番組が放映されていたのだけれど、その時間は箱根駅伝に釘付けだったので、断念した。それにしても、順天堂大の5区山登りでの逆転は意外だったし見事だった。明日の展開が楽しみだ。

 箱根駅伝を見終わってから、友人から借りっぱなしになっている(申し訳ないことだ)「水曜どうでしょう −ヨーロッパ21カ国完全制覇−」のDVDを一気に見てしまった。
 感想は一言で終わるのだけれど、その一言がとてもネタバレなので、改行することにする。








***以下、ネタバレ有り***








 「ヨーロッパ21カ国完全制覇」だなんて、看板に偽りありだ!!!

 そもそも、パリからスタートした旅の始まりでUKに行き、でもアイルランドには行かずにフランスに戻った辺りから、「21カ国完全制覇は無理なのでは?」と思ってはいた。再び海を渡ってUKに入り、そこからアイルランドを目指すのはロスが大きすぎるのではなかろうか、と真面目に考えていたのだ。

 繰り返し書いているような気もするけれど、「水曜どうでしょう」というのは、北海道テレビで放送された地域ローカル深夜放送番組のタイトルである。多分、そうだと思う。
 今回ヨーロッパを旅しているのもいつもと同じようにキャスト2人(企画も担当した鈴井貴之と、TEAM NACSの大泉洋)とディレクター2人というメンバーだ。
 番組の途中で「ミスター(水曜どうでしょう)」と呼び習わされている鈴井貴之に「21カ国を回れなければ、僕は番組をやめます。」なんて宣言されてしまい、僅か数日でレンタカーによるオーストラリア縦断などということをこなしたメンバーが参加しているとなれば、期待するではないか。

 結果、13カ国だった。
 鈴井貴之も「最初から無理だった」と番組の中で述懐していた。もちろん、番組はその後も続いた、と思われる。
 8日で5000km以上の距離を車で走り、13カ国に曲がりなりにも足を踏み入れるというのは凄いことなのだけれど、「嘘つき!」と思ってしまったのも本当だ。

 「こういう旅をしてみたい」とは思わないけれど、でも、やっぱり一度見始めたら止められない、楽しいDVDだった。

 番組の公式Webサイトはこちら。

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2007.01.01

関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅「ギリシャ・トルコ」を見る

 昨日の「スペイン・太陽と音楽の国」で調子づいてしまったのか、新年早々から、「ハイビジョン特集 関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅~」の続きを見てしまった。今日は「ギリシャ・トルコ」編だった。
 私はスペインも好きだけれど、ギリシャ・トルコも好きなようだ。文化が混ざっているところに惹かれるということなんだろうか。よく判らないけれど、ギリシャ・トルコ編も楽しかった。

 トルコのアンカラをスタートしてイスタンブールを経由するとすぐにギリシャに入る。トルコにいたのは最初の2日だけで、あとは北部ギリシャを西に向かい、世界遺産のメテオラに寄り道してアテネに南下、1日は鉄道から離れてエーゲ海のサントリーニ島に向かい、アテネに戻ってギリシャ鉄道最南端の駅まで行く10日間の旅だ。
 ギリシャでもやっぱり楽器を購入し、ギリシャ語の詞をつけて曲を作っていた。
 記憶力がすっかり減退してどうしても思い出せないのだけれど、清流にしか棲まないという嘘のように綺麗な青い虫(関口知宏は「とんぼ」と言っていたけれど、止まっている姿からはとんぼではないように見えた)をテーマにした曲だった。
 スペイン編よりもゆったり旅しているように見えた。

 やっぱり、ヨーロッパ鉄道の旅もいいな、と思った。

2007年1月1日(月曜日)午前10時から
NHKBS2「ハイビジョン特集 関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅~ギリシャ・トルコ」

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